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【ウラン型核兵器】 |
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原子(atom)はもともとギリシャ語で「これ以上分割できないもの」という意味でした。
近代核物理学は、原子も更に分割できることを突きとめ、その原子は原子核(nuclear)と電子(electron)から成り立つこともわかってきました。
さらにその原子核は、陽子(proton)と中性子(neutron)で構成されていることもわかりました。
ただし水素の一種、軽水素だけは例外で1個の陽子だけから成り立ち、中性子はありません。
原子核を発見したのが、イギリスの物理学者アーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford)で、中性子を発見したのが、ラザフォードの弟子のジェームズ・チャドウィック(James Chadwick)でした。
ラザフォードは、また原子核は崩壊することをすでに発見していましたし、また原子核が崩壊(分裂)する時、莫大なエネルギーを放出することも物理学者の間でよく知られた知見でした。
安定した原子を人工的に崩壊させることはかなりむつかしいことです。
しかしデンマークの物理学者ニールス・ボーア(Niels Henrik David Bohr 彼もまたラザフォードから教えを受けた一人です。)は全ての原子核の中でもっとも崩壊しやすいのはウランの同位体、U235であることを突きとめ、このことがきっかけになって、「原子のエネルギー」の人工的応用が、がぜん現実味を帯びることになりました。1939年のことです。
同位体(isotope)とは、原子を構成している核の内容で、同じ原子番号をもっていても、構成している中性子の数が異なる元素のことです。
例えばウランの原子記号は「U」ですが、同位体U235は中性子143個、陽子92個で成り立っているのに対して、U238は中性子の数が3つ多く146個、陽子は同じく92個で成り立っています。同じ原子ですが、その性質、特徴が違います。
天然のウランは、ほとんど同位体U238で構成されていますが、U235がわずかに0.72%ほど含まれています。
ボーアはこのU235がもっとも核分裂しやすいというのです。核分裂(nuclear fission)といってもそこから厖大なエネルギーを取り出すためには核連鎖反応(nuclear chain reaction)を起こさなくはなりません。U235はこの核連鎖反応も非常に起こしやすいのです。
この連鎖反応を原子炉(nuclear reactor)の中で発生させ、制御しながら時間をかけてエネルギーを取り出せば、これはたとえば、原子力発電となります。この連鎖反応を一瞬で起こせば、ウラン型の原子爆弾となります。
ですから大きくいえば、原子力発電所の原子炉も原子爆弾も同じ原理を使っているということになりますが、実際には天と地ほどの違いがあります。
まず大きく違うのは、燃料とするウランの濃縮度です。
先に述べたように天然のウランには、同位体U235はわずか0.72%しかありません。この純度ではいかなる核分裂も連鎖反応も起こせません。
ウラン濃縮(enrichment)をして同位体U235の純度を上げてやる必要があります。原子力発電で制御しながら、核分裂連鎖反応を起こすには濃縮度3-5%がもっとも適切です。
これに対して原子爆弾で使用する燃料の場合は、濃縮度90%以上でなければなりません。
ですから同じウラン濃縮といっても全く違う生成物を製造するといっても言い過ぎではありません。90%以上の濃縮度をもったウラン燃料を兵器級ウラン燃料という言い方をしますが、これを製造するには、厖大なコストと技術的マンパワーが必要であり、いまでも一部の経済力と技術力をもった大国のみが製造を可能としています。
最初に核兵器を製造したのはアメリカのマンハッタン・プロジェクト(Manhattan Project)ですが、この計画の中で最大のテーマの一つが兵器級ウラン燃料の製造であり、その大変さはそれから60年以上経た今日でも大きく変わっているわけではありません。
そのかわり、いったん必要量の兵器級ウラン燃料を手に入れてしまえば、これを核兵器とすることは極めて簡単です。広島に投下されたウラン型原爆の名称はリトル・ボーイ(Little Boy)でした。ちょうど下図のような構造になっています。
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内部はちょうど銃身(ガンバレル)のような形をしています。
S)の「U235発射リング」にU235が装填してあり、W)の「コルダイト爆薬」を爆発させて、S)のU235を発射します。するとH)の「U235標的リング」にやはりU235を埋めておいて、U235を高速で衝突させます。
そうすると最初の核分裂が始まり、分裂した核から中性子が飛び出し、また核分裂・・・というようにU235を使い切るまで連鎖反応が起こります。広島の原爆は「ピカッ、ドン」といわれているように、この連鎖反応は一瞬で起こりました。
ウラン型の核兵器はこのように、兵器級U235を入手すれば比較的簡単に核兵器が製造できます。
【第一問】で核兵器の定義をしましたが、この時NPTもフィリピン非核兵器法も、兵器級核分裂物質(nuclear fission materials for weapon またはweapon grade nuclear fission
materials )を核兵器と見なしていましたが、これは当然すぎるほど当然なことでしょう。
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【プルトニウム型核兵器】 |
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天然のウランはU235の同位体、U238でほとんどを構成している、と先ほどいいました。このU238は、ウラン型核兵器の原料にはなりません。
原子は破壊されると他の原子に変換します。ウラン原子も破壊されると他の原子になります。
これを最初に人工的に実験して成功したのもラザフォードでした。
同位体U238は、原子炉の中で中性子をあてて崩壊させると、原子変換をおこし、プルトニウムになります。
プルトニウムは、自然界の中にはほとんど存在せず、ウランU238を材料にしてつくります。
こうしてできたプルトニウムのうち、同位体Pu239がやはり核分裂をおこし、核兵器の原料になります。
原子炉の中で製造されるプルトニウムにはPu239以外の同位体も含まれていますので、これも純度をあげてやらなければなりません。
兵器級としては93%以上とされています。ちなみに原子力発電でもプルトニウムは使われますが、この場合は20%程度です。
U235に較べるとPu239の製造はコストも安く、大量に入手できるため、現在では核兵器の原料にはPu239が主流となっています。
しかし、Pu239を使用する核兵器は製造技術がウラン型(ガンバレル式)に較べるとはるかにむつかしく、別な問題が発生します。
マンハッタン計画でも、兵器級ウラン濃縮の課題と並んで、もう一つの大きな課題が、プルトニウム爆弾をどうやってつくるかという問題でした。
マンハッタン計画では、爆縮(implosion)方式を採用することによって解決しました。
次のプルトニウム爆弾の模式図で、中央にある青い玉がPu239です。(プルトニウム・コア)
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赤い矢印は、プルトニウム・コアに対してかかる圧力の方向を示しています。圧力をかけてプルトニウム・コアの密度を上げ、コアの中心にある中性子起動装置を作動させて、核分裂と連鎖反応を起こさせる仕組みです。
この装置の一番むつかしい点は、圧力を球状に均等にかけてやり、核分裂の方向を球状に均等に発生させることです。
北朝鮮の核実験は、このプルトニウムタイプでしたが、アメリカの分析では、爆裂が非常に小さく、恐らく均等な核分裂をせず、十分な連鎖反応を起こさなかったのではないかというものでした。
マンハッタン計画でも、結局球状に均等な核分裂をさせることが最後の大きな課題でした。
それほどプルトニウム爆弾の製造は今でもむつかしい技術です。また、構造上、中心が球状であるため全体の形も丸みを帯びた形状になります。
プルトニウム爆弾は、世界最初の核実験と長崎への原爆投下で実戦初使用となりました。長崎へ投下された原爆が“Fat Man”(デブ男)と名付けられたのもこうした理由によります。
ただ現在の核兵器は、この爆縮方式でもガンバレル方式でも両方つくることができます。
また先ほども説明したように、プルトニウムは原子力発電の過程でも大量につくることができます。ですから「核兵器拡散」にとって「プルトニウム」は、ある意味兵器級濃縮ウランよりも警戒すべき生成物なわけです。
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【水素爆弾】 |
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もっとも軽い原子同士を融合させると、莫大なエネルギーを放出することはかなり以前から知られていました。
たとえば太陽は軽水素同士が融合して莫大なエネルギーを放出している一種の熱核融合炉だといえます。
これを人工的に作り出せないか、という研究はマンハッタン計画と同時並行的に行われていましたが、第二次世界大戦が終了するとアメリカは本格的にこの原理を兵器に応用する計画に着手しました。
この時原子爆弾路線を踏襲するかあるいは水素爆弾路線に切り替えるかという論争がアメリカで起こりました。
水素爆弾路線を協力に推進したのが「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラー(Edward Teller)で、原爆路線の堅持を主張したのがロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer)です。当時のアメリカ原子力委員会は水素爆弾へ路線を切り替えました。
水素爆弾で使っている原料は、重水素(deuterium<デューテリウム>)と三重水素(tritium<トリチウム>)です。いずれも水素の同位体です。
水素は陽子1個のみで構成されるのに対し、重水素は陽子1個、中性子1個です。三重水素は陽子1個、2個です。重水素は自然界にはほとんど存在しませんが、水素から比較的簡単に作れます。また重水素は海中に大量に存在します。
従って水素爆弾製造の最大の問題点は原料入手の問題ではなく、その爆弾製造の難しさそのものにありました。
太陽では、高温・高圧が最初から存在していますので、水素(軽水素)でも核融合反応を起こすことができますが、地球上の人間の技術ではまだそれが可能ではありません。(アメリカをはじめ、各国で研究中だといわれています。)
エドワード・テラーの設計した水素爆弾は、起爆剤として原子爆弾を使いました。
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左図の模型で、上部の丸い部分(Fission Bomb)が原子爆弾です。これを爆発させて、高温・高圧を得ます。それを利用して下部にセットしてある水素同位体化合物(モデルの例では水素リチウム)に核融合反応を起こさせます。核分裂(原子爆弾)の場合よりも、1けたから3けた高い破壊力を得ることができます。 |
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日本語Wiki【水素爆弾】<http://ja.wikipedia.org/wiki/水素爆弾>からコピー |
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こうして1953年11月1日、中部太平洋のマーシャル諸島・エニウェトク環礁(Eniwetok Atoll)で人類最初の水爆実験が行われました。
この時のエネルギー出力は10.4メガトンでした。核兵器の破壊力の大きさを表現する時、よく使われるのがTNT火薬との比較です。
この場合も、TNT火薬の破壊力に換算して10.4メガトンだった、という意味になります。メガ(Mega)は100万の単位ですから、1040万トン分の破壊力だったことになります。
ちなみに広島の原爆は13キロトン(最初15キロトンと発表されましたが、後に13キロトン程度と訂正されています。)、長崎は20キロトンでした。
キロ(kilo)は1000の単位ですから、それぞれTNT換算で1万3000トン、2万トンということになります。単純にいって最初の水爆実験はヒロシマの800倍、ナガサキの520倍の破壊力があった、ということになります。
翌年1954年にはソ連が水爆実験に成功し、イギリス、フランス、中国がそれぞれ水爆実験に成功しました。
これまでの水爆実験で最大のものはソ連が61年ノバヤゼムリアで行った実験で出力5000万トン、設計値は1億トンだったと見られています。
衝撃波(shockwave)が地球を三回廻ったといわれています。
水素爆弾は余りにも破壊力が大きく実戦で使用することは不可能という判断で、いまは核兵器の主流ではありません。
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本当に何を考えているんでしょうかね?この人たちは。私から見ると気が違っているとしか思えません。
随分昔のことになりますが、ある若い外務省の役人と話をしていた時に、私が核兵器即時廃棄を主張すると、彼はニヤッと笑って、「それは、理想論で、現実の国際政治の複雑さが君にはわかっていない。」といわれました。その時私は「国際政治の複雑さ」なるものにひるんで黙ってしまいましたが、今ならもうひるみません。「国際政治がどれほど複雑なものかは知らないが、核兵器廃絶より国際政治の複雑さを上位に置く君たちの考え方は、狂っている。」というでしょう。) |
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