(原文:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/ferrell_book/ ferrell_book_chap16.htm ) トルーマンと原爆、文書から見た歴史 編集者 Robert H.Ferrell(ロバート・H・ファレル)
第二次世界大戦も終盤に近づくと、トルーマン政権は、米陸軍航空隊が実施したドイツ及び日本に対して行った空爆による損害について調査するよう準備に入った。その調査は米陸軍航空隊が全く自律的に行ったものであり、1947年には米空軍の報告として収蔵された。 (*1947年、米国国家安全法が成立し、国防省が創設された。国防省は陸軍、海軍、空軍の三軍よりなる、とされたため、1947年9月18日米陸軍航空隊が独立し、米空軍が創設された。) 日本に関する調査は、空軍独立支持派が主体的に実施した。陸軍航空隊(USAAF=U.S.Army Air Force) が原爆の投下を実施したのではあるが、この支持派の考え方は「従来型爆撃」ある。彼等は、原爆は考えられるほど原爆は重要なものではなく、日本を足下に跪かせたのは「従来型爆撃」であることを何とか明らかにしようとしたのである。彼等は原爆が非制服組に与えた効果としては失敗だった、と言う点を強調しており、(日本の)政府部内では軍人が圧倒的に決定権をもっており、非制服組は無力だった点を強調している。彼等は1945年(昭和20年)8月以前に実質的和平が得られたという点に注目しているが、事実は6月26日に行われた最高戦争指導会議の結論をみても曖昧なものでしかなかったのである。彼等が原爆について言っていることは、精々「和平に向けて比較的速度を速めた」いうに過ぎないものになっている。 この調査の筆者たちがトルーマン大統領に対してこの結論を公にするよう要求したことも理解できる。
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