(2011.8.12) 
【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ 
<参考資料>ECRR勧告:欧州放射線リスク委員会 第6章「ICRP線量体系における単位とその定義およびECRRによる拡張」その③
電離放射線の個々の標的は細胞である
   
 
低線量域生物学的損害係数


被曝の種別 損害係数 備考
1.外部急性被曝 1.0  
2.外部延長 1.0 線量率低減は仮定せず
3.外部:24時間で2ヒット 10~50 修復の妨害を考慮
4.内部原子単一壊変 1.0 例えば、カリウム-40
5.内部2段階原子壊変 20-50 崩壊系列と線量に依存
6.内部オージェあるいはコスタ・クローニッヒ 1-100 部位とエネルギーに依存
7.内部不溶性粒子 20-1000 放射能と粒子サイズ、線量に依存
8.内部重元素によるZ4 因子 2-2000 外部ガンマ線量率因子を乗ずる

 体内で核崩壊する内部被曝

 さてECRRの提案する低線量域生物学的損害係数に話を戻そう。

 「4.内部原子単一壊変」というのは、1回切りの壊変でそれ以上の崩壊系列はない、という意味であろう。例としてカリウム-40が挙げられている。カリウム-40はベータ崩壊をしてカルシウムの同位体カルシウム-40になる。この同位体は安定しており放射性崩壊をしない。だから単一崩壊といって差し支えないのだろうが、カルシウム-40になるのは全体の89%で、残り11%はアルゴン-40になる。アルゴン-40も安定した同位体だ。しかし単一壊変する放射性物質は全体として言えば数は少ない。
 
 「5.内部2段階原子壊変」というのは、内部に入った放射性物質が一度核崩壊してできた放射性物質が再び核崩壊するケースである。むしろ放射性物質はこのように2段階(あるいはそれ以上)核崩壊することの方が普通である。

 「6.内部オージェあるいはコスタ・クローニッヒ」。内部オージェは前述のごとく、電離された電子を、原子自身がより外殻にある電子を捕獲する現象である。コスタ・クローニッヒも似たような現象であるが、2010年勧告を日本語に訳したECRR翻訳委員会の訳者は次のような、やや専門的な註を入れている。

 『  光電効果や荷電粒子による原子のイオン化などによって原子の内殻軌道に電子の空孔が生じる。そのような原子は不安定であり、その空孔を埋める電子遷移のドミノが生じる。例えば最も内側のK 殻にひとつの空孔が生じると10-17~10-14秒の間に外側の殻からその空孔に電子が落ちて空孔は上の殻に 移行する。例えばひとつ外側のL2 の副殻とK殻との間でこのような電子遷移が生じるとする。そうなると、2つの殻の束縛電子の結合エネルギーの差がKX 線として放射されるか、または他の場合にはL3束縛電子にそのエネルギーが移ってその軌道電子が放出される。このような電子はオージェ電子と呼ばれる。

前者の過程はK-L2遷移,後者をK-L2L3オージェ遷移と表現され、両者は競合的な過程である。L 殻はL1、L2、L3という3つの副殻からなっている。

例えばL1副殻にひとつの空孔が生じたときには,コスタ・クローニッヒ遷移と呼ばれる同一殻にある副殻間での空孔移動が上に述べたふたつの過程に加わる。』

 「7.内部不溶性粒子」。放射性物質の中で粒子の形を取り、しかも不溶性のものである。代表的にはプルトニウムの同位体やその酸化物が挙げられる。もっとも危険な内部被曝放射性物質の一つである。前出のECRR翻訳委員会の訳者は次のような註を入れている。

 『  タンプリンとコークラン(1970)は、プルトニウム酸化物ホット・パーティクルの線量についての強調は115,000 に及ぶとした。』

 あるいはこの強調係数の方が正しいのかも知れない。

 「8.内部重元素によるZ4因子」。


 生化学的損害係数
 
 一方、同位体生化学的損害係数は次の表で表現されている。
 
同位体あるいは部類 損害係数 強調効果の機構
トリチウム3-H 10-30 核壊変と局所線量:水素結合:酵素増幅
イオン性平衡カチオン
例)カリウム(K)、バリウム(Ba)、
セシウム(Cs)、ストロンチウム(Sr)
亜鉛(Zn)
2-10 界面イオン吸着による局所濃縮
DNA結合物
例)ストロンチウム(Sr)
バリウム(Ba)、ウラン(U)
プルトニウム(Pu)、ラジウム(Ra)
10-50 DNAの1次、2次、3次構造の崩壊。
局所転換電離。
14-C(炭素14) 5-20 核壊変と酵素増幅
35-S(硫黄の同位体)、
132-Te(テルルの同位体)
10 元素転換と酵素増幅:水素結合
酵素と共酵素探究物
例)亜鉛(Zn)、マンガン(Mn)
コバルト(Co)、鉄(Fe)
10 酵素増幅
脂肪に溶ける希ガス
例)Ar-41(アルゴンの同位体)
Kr-85(クリプトンの同位体)
2-10 考慮する効果に依存
元素境界転換系列
例)ストロンチウム90(Sr-90)
イットリウム90(Y-90)
2-1000 考慮する効果に依存

 同一の放射線源が生物学的損害と生化学的損害を与えるケースではどうなるであろうか?たとえばストロンチウム90は染色体に結びつく(DNA結合物)。同時に2段原子壊変も行う。この場合DNA親和性の損害係数10と2段原子壊変の損害係数20-50の損害係数を掛け合わせる。従って200-500の損害強調係数となる。


 電離放射線の個々の標的は細胞である

 次に個々の臓器に対する感受性に関するリスクを見ておこう。ECRR2010勧告でいうと第6章第6節の内容になる。

 この節をECRRは非常に重要なコメントで書き始めている。

 『  電離放射線の決定的な標的は個々の細胞である。確定的および確率的な影響は、臓器内の分化した細胞において現れ、そして両方のタイプの影響の大きさは細胞種の個性と細胞循環における位置の双方に依存する。』

 20世紀の初頭から、細胞分裂の激しい組織は、そうでない細胞よりも電離放射線に対する感受性が高いことが知られていた。しかし、その標的は組織を構成する個々の細胞なのであって、臓器そのものではない。

 ところがICRPは、感受性の高い臓器とそうでない臓器の違いにのみ着目し、細胞における違いは無視してきた。細胞における違いというのは、より具体的に言うと細胞循環における違いである。細胞循環における違いとは、要するに細胞分裂における違いである。

 ICRPは臓器における違いについては「組織荷重係数」という別途の荷重係数を設けて、感受性の高い臓器とそうでない臓器とを区別している。

 整理すると、ICRPの体系に従えば、物質の吸収線量をベースにしている。物質1kg当たり1ジュールのエネルギーが吸収された時に1グレイと決めた。
 (この場合はもちろん電離エネルギーのことであり、単位は電子ボルトである。ちなみに1ジュールのエネルギーとは、熱エネルギーに換算すると約0.238 9 カロリーという取りに足りないエネルギーであるが、電子ボルトに換算すると、0.624×1019 電子ボルトという途方もない厖大なエネルギーとなる。ニュートン力学のイメージで分子生物学の世界をイメージしてはならない、と云う意味でもある。)

 この物質の吸収線量に放射線の違いによる荷重係数を掛けて生体吸収線量が決定される。単位はもちろんシーベルトである。ICRPでは、放射線荷重係数を掛けた吸収線量を「線量当量」と呼んでいる。これは「等価線量」と同じ内容である。

 ICRPの臓器荷重係数
 
 この線量当量に臓器荷重係数を掛けたものを「実効線量」と呼んでいる。ICRPの決める臓器荷重係数を以下に示す。
 
組織または臓器  荷重係数
 生殖器  0.2
 骨髄  0.12
 結腸  0.12
 肺  0.12
 胃  0.12
 膀胱  0.05
 乳房  0.05
 肝臓  0.05
 食道  0.05
 甲状腺  0.05
 皮膚  0.01
 骨表面  0.01
 その他の組織・臓器  0.05
 (合計)  (1.00)

 話は先走るようだが、上記の表を眺めていて非常におかしなことに気づく。ある臓器に対する「実効線量」は、吸収した「線量当量」(等価線量)を、常に下回るのである。だからこれらの係数は荷重係数ではなしに「軽減係数」なのだ。

 たとえば、ある人が1ミリシーベルトの放射線を吸収したとしよう。話を単純にするために放射線荷重係数が「1」であるガンマ線を吸収したとしよう。この場合生殖器の実効線量は0.2ミリシーベルトに軽減される。

 放射線源が人体内部にある場合、つまり内部被曝の場合、1ミリシーベルトに相当する放射線源が人体に取り込まれて例えば胃に止まったとしよう。そうすると胃という臓器における実効線量は1ミリシーベルトではなく、0.12ミリシーベルトに軽減されるのである。非常におかしなことだ。

 ICRPの「臓器荷重係数」を合計した数字は「1.00」である。いいかえれば、ICRPは常に全身被曝をすることを前提にこの表を作成しているのである。等価線量は常に全身被曝線量という仮定が背後に隠れているのである。そんなばかな、という人があるかも知れないが、この表の作り方を合理的に解釈すればこの解釈しかありえない。つまり上記表は臓器や組織に対する荷重係数なのではなく、全身被曝した等価線量の「臓器別・組織別負担割り当て表」なのだ。

 私の興味は、いかなる状況を頭の中でイメージしてこの表が作られたのだろうか、ということである。こういう状況は確かにありうるのである。それは放射線源が遠くに離れているケースである。具体的に言えば広島原爆や長崎原爆のケースである。

 放射線源が空中にあって、四方八方に放射線を照射する。その空間に人がいた場合に確かに頭のてっぺんからつま先まで全身被曝する。その時体全体に浴びた放射線が、どこの部位に集中し、あるいはしないか、といった発想が生まれるに違いない。上記のICRPによる臓器被曝荷重係数表はこうしたイメージから生まれたものではないだろうか?

 ところが、福島原発事故のような典型的な低線量内部被曝のケースでは、この表は荷重係数ではなく「軽減係数」としてしか機能しない。


 ICRPの実効線量とECRRの実効線量

 さて、ECRRはこれまで述べてきたように、ICRPの体系を完全に作り替えるのではなく、荷重係数を追加あるいは強調係数の追加を行うことによって、いいかえればICRPの体系を拡大・延長することによって、低線量内部被曝のリスクを定量化しようと試みた。

 そのため、ICRPの放射線荷重係数や臓器荷重係数(それは荷重係数ではなく全身被爆時の臓器別割り当て表にすぎなかったのだが)に加えて、損害荷重強調係数「N」を想定した。「N」は基本的にその構成要素の積として定量化される。具体的な構成要素は、「被曝に対する生物学的損害係数」と「内部に取り込まれた放射性同位体の生化学的強調係数」だった。

 これが臓器から見ると事実上の実効線量となる。ECRRはICRPの「実効線量」と区別して「生物学的実効線量」と呼んでいる。

 ここでの大きな問題は、臓器荷重係数の考え方をどうするかという問題である。

 ICRPは、全身が浴びた放射線を臓器別に割り振った。しかし内部被曝ではこうしたことは起こらない。内部被曝において全身被曝すると云う想定そのものが実際には起こりえないのだ。

 ECRRは次のように述べる。

 『  異なる組織の個々の実効線量を足しあわせることで組み立てられるある個人の総合的な全実効線量と、全身への外部放射線場から来る一様な等価線量に基づいて計算された実効線量とは、一般的には一致しないのは明らかであろう。』

 内部被曝において個々の臓器の被曝実効線量の総和(これをECRRは全実効線量と呼んでいる)と、ICRPのように全身が受けたと想定した実効線量が一致するわけはない。前者は各臓器の実効線量の積み上げであるのに対して、後者は全身被爆等価線量を決めて臓器ごとに割り振ったものだからだ。

 しかしECRR2010勧告では、ECRR独自の臓器荷重係数をしめしていない。そのかわりそうした荷重リスクは、「生物学的損害係数」と「放射性同位体の生化学的強調係数」に含まれている、言い換えれば損害荷重強調係数「N」全体の中に含まれているとしている。

 実際にICRPの体系を拡大延長しようとするアプローチでは、臓器荷重係数を臓器ごとに考察しその総和を求めるやり方で全実効線量を算出する方法しかないと思われる。


 線量率効果を認めるか認めないか

 ここでもうひとつ議論が発生する。

 ICRPは、ある吸収線量の被爆のリスクは、時間におけるその線量の分布にも依存する、と考えている。被爆のリスクは「線量率」にも関係する、ということだ。線量率とは単位時間当たりの線量のことだ。普通「シーベルト/毎時」と表現する。あるいは福島原発事故以降もっともお馴染みになった表現かもしれない。線量率とは時間あたりの吸収線量のことである。

 ICRPは、そのリスク体系の中に「線量率効果」を認めている。一定の時間の流れの中で線量率はリスクの大きさに関係するという考え方だ。すなわち時間の長い期間にわたって与えられているある線量は、同じ線量の急性的な吸収に比べて、より低いリスク効果をもつというものだ。

 福島県のある小学校の校庭で毎時2マイクロシーベルトの線量率があったとしよう。これは24時間で48マイクロシーベルトになる。100日間では4800マイクロシーベルト、すなわち4.8ミリシーベルトになる。100日間で4.8ミリシーベルトの被爆は、1時間あたり4.8ミリシーベルトの被爆をするよりリスク効果は低い、とする考え方だ。(ICRPは「低減」sparingと呼んでいるそうだ。)

 高線量外部被爆では大いにありそうな話である。一定の限度を越えればリスクは確率的影響の世界から確定的影響の世界に踏み込んでしまうからだ。しかし、低線量の、しかも
内部被曝の世界では、どうだろうか?

 理由は明確に明示していないが、ECRRは線量率による低減効果を受け入れていない。あえて理由とおぼしき箇所は、次のような記述であろう。

 『  ICRPによっては、誘導される細胞の修復複写の期間内の時間スケールにおける線量分割の結果を検討する試みは何もされていない。』 

 言っていることの意味は、低線量であれ、特に、アルファ線やベータ線による内部被爆では、相当の細胞が損傷をうけている。それが毎日、毎時のあらたな被爆にさらされれば、細胞修復は相当程度阻害されるはずだ、だから時間スケールが大きいことは、リスク低減の要因にならないどころか、場合によればリスクを高めるかも知れない、ところがICRPは時間分割による細胞修復機能の損害についてなにも触れていない、ということだろう。

 そして次のように述べている。

 『  ひとつの特殊な分割の状況には細胞周期の期間にわたる線量の分割が含まれる:「セカンド・イベント」による増強を伴うこの過程は、他の所で述べられた。この過程はSr-90/Y-90のように連続的に崩壊している内部放射線源からのリスクを決定する場合に重要なものであるだけでなく、8 ないし12 時間内に1 回以上の高線量CT スキャンが行われるような医療画像診断時においてもおこることなのである。』

 私個人としては、低線量内部被爆においては、ECRRの見方が正しく、ICRPのいう「低減効果」はないと考えている。


 預託等価線量、預託実効線量

 さて内部被爆においては、そのリスクを定量化するに際してきわめてややこしいことが人体内部でおこる。放射線源が外部にあってその被曝を受ける時には全く考慮する必要のないことが人体内部で発生する。1回切りの外部被爆では全く考える必要のないことが起こる。

 すなわち等価線量が刻々時間の経過とともに体内で変動するのである。

 たとえば、セシウム-137を体内に取り込んだとしよう。そのセシウム-137は時間の経過とともに核崩壊しバリウム-137mに変化する。セシウム-137の半分がバリウム-137mに変化するのに普通30.1年かかるとされる。いわゆる物理的半減期である。その上に人体に取り込んだセシウム-137は体外に排出される。全部を体外にだすことはできないだろうが、半分を体外にだすことは出来るだろう。いわゆる生物学的半減期である。

 もしこれが1回切りの被曝ならまだしも計算できるかも知れない。しかし福島原発事故のように放出する放射線が変化しながら牛のよだれのように連続し、従って線量率が時間の変化とともに変動する環境の中に身を置いている場合、いいかえれば慢性被曝の環境に身をおいている場合どうやって計算したらいいのか。

 しかも30.1年は半減期であって、体内には幾分かセシウム-137は残るのである。しかもその人が生涯を終えるまでセシウム-137は残るのである。生涯にどれだけの被曝をするのであろうか?

 ともかく、理論的には等価線量率、すなわち時間あたりの等価線量を求めることはできる。等価線量率の時間積分も求めることはできる。積分時間は摂取から大人の場合は、50年、子供の場合は70年とされているので、等価線量率の時間積分が求められれば、その人が生涯にわたって被曝するであろう等価線量を理論的には割り出すことができる。

 こうして得られた等価線量を、言い換えればそのひとが生涯にわたって被曝する等価線量のことを「預託等価線量」(committed equivalent dose)と呼んでいる。

 いったん「預託等価線量」が出れば、一定の損害荷重係数を掛けて「預託実効線量」を割り出すことも出来る。


 極めて重要な集団線量の概念

 チェルノブイリ事故や福島原発事故のケースのようにヒバクシャが大量に出ている場合、一人一人の等価線量や実効線量の合計が集団等価線量や集団実効線量になることは容易に了解されよう。

 たとえば平均10ミリシーベルトの等価線量をしている人が100人いれば、その集団の集団等価線量は「1人シーベルト」である。「その100人のグループの集団等価線量は、1人シーベルトである」とでもいうのであろう。

 集団等価線量なり集団実効線量の概念は極めて重要である。その集団の被曝のすべての結果を表現しているからである。

 ICRPは、こうした集団量の使用は、その結果が本当に線量計測量と被曝した人の数に比例し、そしてリスク係数が使用可能である場合に限定すべきである、という警告を出している。つまりは推測を絡めるような無闇な集団量の使用は行うべきではない、という主張である。

 なぜであろうか?

 1945年広島・長崎の原爆投下以降、数多くの核実験、原子炉放射能もれ事故、あるいは再処理工場や原発の増加に伴う普段の大気中への放射能の放出、度重なる原子力発電所事故による大量の放射能放出など、地球規模での人工放射能汚染は拡散し続けている、

 こうした中で集団量の概念が世の中に拡がっていくことはICRPにとっては都合の悪い事態となる。それは、集団量は地球規模で核汚染をリスクとして定量化する概念であり、多くの人にとって「核の拡大・拡散」は受け入れがたいと感じさせるきっかけとなるからであろう。

 それは「核」に対するある政治的な圧力になる可能性がある。実際「核兵器廃絶」「完全放棄」もこの観点から論ずることができるし、原発を含む核の産業利用や医療的応用の廃止もこの観点から論ずることが出来る。

 ECRRは、ICRPがこうした政治的圧力を避けるために、「集団線量」の概念をすてさろうとしていると指摘する。

 『  最も被曝した個人に関心を集中させるために集団線量の概念を捨て去ろうとしているICRPの最近の動きにあらわれている。』

 その際、集団線量の概念を放棄するとすれば、どのような説明の仕方になるのか?

 「いかなる被曝モデルについてでも、最も被曝した人が許容できるレベルで十分に保護されているとすれば、他の被曝をした人は全てより十分に保護されていることになります、これを敷衍すれば、被曝した集団におけるガン発生率についても受け入れられるということになります。」

 まず話を、健康一般に対する影響ではなく、「ガン発生」に限定する。そして集団全体の等価線量にではなく、その集団全体の中でもっとも大きい等価線量に着目し、その等価線量に対して許容できる量を設定する。そしてその許容できる量に中に他の等価線量が収まれば、その人は十分放射線から防護できていることになる、と主張する。実際の等価線量が大きくなればどうするのか?事態は何も変わらない。許容できる量を引き上げればいいのだから。

 この手法は福島原発事故でも再三使われたし、またこれからもつかわれるだろう。現場作業員の年間被曝線量が100ミリシーベルトを越えるものが続出すれば、年間250ミリシーベルトに引き上げた。公衆被曝線量の限度年間1ミリシーベルトを越えれば、年間20ミリシーベルトに引き上げた。年間20ミリシーベルトが高すぎると非難されれば、「年間1ミリシーベルトをできるだけ越えないように努力する」と言い換えた。

 しかし、「許容」できる量をいじることによって、放射線防護はできている、と主張する手法はかわらない。

 また、ICRPの言い方は常に一定のトリックを含んでいる。それは「許容値」あるいは「限度値」という言い方だ。それは誰にとっても安全値ではない。被曝に安全値などないことはICRP自身が認めている。また放射線の感受性は人によって違うこともICRPは認めている。だから許容値は安全値ではない上に、許容値そのものも人によって違っている。

 ICRPのトリックは本来人によって違う許容値を一般化して誰にでも通用する値を作りだし、それ以下だといかにも安全値であるかのような錯覚を抱かせることにある。

 ECRRが言うとおり、『誰がもっとも被曝をしたか、ということと誰がもっとも高い被曝リスクがあるか、ということは全く別なこと』なのだ。もっとも被曝リスクが高いのは、胎児、それから乳幼児、それから子供の順である。従って60歳の男性が被曝する1ミリシーベルトは、乳幼児の被曝する1ミリシーベルトと全く同じリスクなのではなく、その間には数十倍の開きがある。

 集団線量に着目すると言うことは、グループ全体が被る被曝リスクを評価する上でも極めて有効だ。

 (ECRR2010年勧告第6章の最後の節では、2次的光電子効果(Secondary Photoelectron Effect)を扱っている。内部被曝を考える際に重要な要素となる。しかしこの問題はこの後再三でてくるのでここでは扱わない。)

(第6章了)