註67 |
「核政策と核戦略」の元の言葉は“nuclear policy and nuclear strategy”である。この報告書では「核」と「核兵器」あるいは「核軍事力」を非常にしばしば、厳密に使い分けている。「核」も「核兵器」も同じこと、という言葉のセンスでは、報告書の行間は読み取れないと思う。 |
註68 |
「政治的手法」の元の言葉は“political instruments”で当然のことながら複数形になっている。 |
註69 |
ここは彼らの問題意識が読み取れて非常に興味深い。オバマの「プラハ演説」やこの報告書のペリーの「緒言」における強調を裏切って、「核兵器廃絶の条件とはいかなるものか?」とか「長期的に核兵器廃絶のためにはいかなるステップをとるべきか?」「いかなる技術的、政治的問題が生ずるか?」とか「廃絶を拒否する国があれば、いかなる手段を採るべきか?」とかといった、私に取ってはとびきり重要な問題意識が全く含まれていない。 |
註70 |
「バランスの取れたアプローチ」とは「挑戦」と「チャンス」の間のバランスがとれたアプローチのことである。 |
註71 |
ここの一連の記述は、いかにも尻切れトンボで抽象的である。もともともっと具体的に叙述してある箇所があって、最終的にその部分が削除された、という感じがする。(私の思い過ごしかも知れないが・・・)この報告書そのものが宣言的政策文書であることを片時も忘れるべきでない。 |
註72 |
この報告書では「防止」(prevention)は「あることが起こらないように手当てする」という意味で使われている。その意味では「予防」と訳すべきなのかも知れない。それに対して「防護」(protection)は「あることが起こった時に、その危険や被害から守る」という意味で使われている。たとえば、「核戦争は核抑止力で防止できる。しかし核抑止力も完璧ではない。もし核抑止に失敗したときのことを考えて、その防護策も同時に考えておかねばならない。」という風に。 |