感動的な文明史的文書・・・
フィリピンの非核兵器法案 フィリピン上院 法案413号

(山田英二訳)


 この1988年成立の非核兵器法案の原文は、今のところインターネット上で見つかっていない。この日本語訳文は、岩波新書「太平洋の非核化構想」(1990年12月20日 第1刷)の巻末資料におさめられているものである。翻訳は山田英二氏(=当時金沢大学教授)である。この法案訳文の再録にあたって、岩波書店新書編集部の了解はいただいたが、山田英二氏の了解は、同氏との連絡がまだ取れていないため、了解はいただいていない。(法案等の著作権は存在しないことになっているが、日本語翻訳に伴う著作権は発生し、その著作権は完全に山田英二氏に属する。)

 山田英二氏と連絡が取れ次第、そして同氏がこの掲載に不同意の場合は、直ちに削除する予定である。

 山田氏と連絡が取れ、その了解を得るまで再録を待てなかったかと言う問題がある。私もそれが正しいと思う。しかし、この魅力的で感動的な、極めて示唆に富む法案を一刻も早く、誰もが無料で閲覧できるようにしたい、と言う誘惑の方が強かった。
 フィリピンは永年続いたマルコス政権が、1986年2月民衆革命によって倒され、コラソン・アキノ政権が成立した。長いアメリカの植民地統治の後独立したフィリピンではあったが、外交的には以前半植民地の状態に置かれた。アジア・太平洋最大の米軍基地を国内に抱え、自主的な外交政策もままならない状態だった。民衆革命と呼ばれる所以は、こうした外交的半植民地の状態から、脱し、自国のことは自国で決める、という「自立・自決」が可能になったからである。行使や状況を踏まえ、アキノ政権下では直ちに新憲法の制定に取りかかり、1987年憲法(現行憲法)成立した。この憲法は、2つの点でユニークであった。ひとつには「国家政策としての戦争放棄」(第2条第2項)、それに「領土内完全非核兵器化」(第2条第8項)を明確に別解釈を許さない形で謳っていることである。こうして「国家の非核兵器化」を憲法で明確にうたっている数少ない、そして世界最先端の憲法となったのである。

  しかしこの憲法の精神を実行するためには、フィリピンの市民たちには、2つのことが緊急課題だった。ひとつは、米軍基地のフィリピンからの追放であった。フィリピンに米軍基地がある限り、「フィリピンの非核兵器化」永久に実現しない。というのは核兵器の存在を「否定も肯定もしない」アメリカの伝統的な政策の下で、フィリピンにある米軍基地に「核兵器が存在しない」と考える方がどうかしている、つまりフィリピンに核兵器が存在することがいわば「世界の常識」だったからだ。

 この憲法の中には、「合衆国基地の撤去への道を開きうる別の条項」(第28条第8項)が時限爆弾のように埋め込まれてあった。それは以下のようなものであった。

  『1991年のフィリピン共和国とアメリカ合衆国の間の軍事基地に関する協定の満了以後、上院によって正当に合意され、議会の要求がある場合には、それを目的とした国民投票に於いて民衆によって投ぜられた多数票によって批准され、かつ相手方によって条約として承認された条約によらない限り、フィリピン国土内においては外国軍事基地、軍隊あるいは施設は認められない。』

 この条項は、1991年以降の米軍の基地存続を極めて困難にするものであった。というのは、まず基地存続のためには、上院で多数をとりかつ、議会の要求のあるときには、国民投票で多数をとらなければならない。そればかりではない。フィリピンに基地を置くにはアメリカの議会でこれが審議され、条約として批准しなければならない、としているのだ。

 これは高いハードルである。ペンタゴン(トルーマン政権以降、アメリカの政治を事実上支配しているのはペンタゴンである。国務省、CIAは事実上ペンタゴンの支配下にある。従って私は「アメリカ政府」という権力の所在の曖昧な表現を用いる代わりに、権力の所在が明確な『ペンタゴン』と言う言葉を使うときがある。)は、これまで伝統的な手法として、行政協定という形で世界に軍事基地を置いてきた。議会の審議を避け、他者の容喙を許さないためである。日本に置かれている基地もそうであるし、フィリピンの基地もまたそうである。

 この憲法条項は、単に政府間の取り決めでなく、アメリカ議会の審議を経て批准してこい、と言っているのだ。

 1989年8月24日、フィリピン上院は「軍事基地設置条約」の批准を拒否した後、国民投票をへて軍事基地存続は不可能となった。1991年11月26日、クラーク空軍基地はスービック海軍基地と共にフィリピンに返還され、フィリピンは長い闘争の後、無血革命にも等しいアメリカからの、名実ともに独立を達成したのである。

  緊急課題の一つは、こうして解決された。もう一つの課題が憲法の「非核兵器条項」を実施に移すための法案成立である。

 それがこの関連資料項目で扱う、フィリピン上院法案第413号、別名非核兵器法案である。先の憲法条項では実は十分ではない。この憲法条項の下で、抜け穴はいくらでもできるからだ。従ってフィリピン上院はこの法案を成立させて、その発効を目指した。この法案の成立にはフィリピン下院の承認と大統領の署名が必要である。実は私はこの法案が法律として発効したかどうかまだ確認できていない・・・。





フィリピン上院 法案413号


 憲法に規定された非核兵器政策の履行、同政策に反する行為に対する違法宣告。その他を目的とする法律

第一条(略称)
本法律は「非核兵器法」と呼ばれる。
第二条(政策の再宣言)
フィリピンは国益に沿ってその領域内に核兵器を置かない政策を採用し、追求する。
第三条(核エネルギーの平和利用)
核エネルギーの平和利用は本条で承認される。核動力の商業的輸送手段または商業用或は研究用の設備は、同様に以下に定められる手段を経た上、本法律の規定を免除される。
第四条(用語の定義)
以下の用語は本法律のために本条で定義される。
(1) 「核兵器」とは、核分裂或は核融合又はその両者の複合過程を利用して爆発を生ぜしめる全ての装置、又は兵器、又はその核部品或は構成部品をいい、その輸送装置に限らず、核兵器の運送手段、核発射装置の砲座、及び核兵器の指揮・管制・通信システムの不可欠な構成部分である核支援施設を含む。
(* かなり明確な規定だ。現在核兵器は、ミサイルによって発射されることが主流となっている。この定義に従えば、核弾頭を搭載できるミサイルは核兵器であることはもちろんだが、それを支援するコンピュータ装置、レーダー、ソフトウエアまでが「核兵器」の範疇に入ることになる。次の記述と比較してみよ。

 1958年―昭和33年―4月15日 核兵器及び通常兵器について(参議院内閣委員会提出資料:田畑金光委員要求)

 核兵器及び通常兵器については、今日、国際的に定説と称すべきものは見いだしがたいが、一般に次のように用いられているようである。
核兵器とは、原子核の分裂または核融合反応より生ずる放射エネルギーを破壊力または殺傷力として使用する兵器をいう。
通常兵器とは、おおむね非核兵器を総称したものである。従って
(ア) サイドワインダー、エリコンのように核弾頭を装着することのできないものは非核兵器である。
(イ) オネストジョンのように核・非核両弾を装着できるものは、核弾頭を装着した場合は核兵器であるが、核弾頭を装着しない場合は非核兵器である。
(ウ) ICBM、IRBMのように本来的に核弾頭が装着されるものは核兵器である。

 いずれも「核兵器」の定義について述べられた文章である。私は日本人が、フィリピン人に較べて特に論理力、哲学力において劣っているとは思わないが、政府関係者に関しては日本の方がはるかに劣っているようだ。)
(2) 「フィリピン領域」は、本法律においては、フィリピン憲法第1条と、一般に承認されている国際法の原則によって定義されているとおりに理解されるものとする。
第五条(禁止される行為)
何人も通過、積み卸しにかかわらず、いかなる核兵器、もしくはいかなる核部品或いはその構成部分をもフィリピン領域に持ち込むこと、或いはフィリピン領域内に於いていかなる核兵器、または各部品或は構成部分をも所有又は保有することは違法である。核兵器、その核部品又は構成部分、或は第四条の第一項で列挙された核兵器関連設備の開発、製造、取得、実験、使用、導入、設置、貯蔵、蓄積はいかなる形でも、現存するアメリカ合衆国の軍事施設を含むフィリピン領域のいかなる部分の内、上、地下、上空においても、又その持ち込み、通過、寄港、駐留も、又フィリピン領域のいかなる場所においても核武装した陸上輸送手段、船舶又は海上航行手段又は潜水艦、航空機又は空中輸送手段の使用は禁止される。
第六条(条約)
フィリピンは本法律の第五条に含まれる、核兵器の拡散に寄与、或はそれを助長するいかなる計画、事業又は行動に参加しても、従事しても、或は関与してもならない。フィリピンが加わるいかなる関連ある条約、或は国際協定も、核兵器又はそのいかなる核部品又は構成部分もフィリピンの何処にも導入、貯蔵、設置されず、何処をも経由しないという条件を含まねばならない。
第七条(核兵器監視委員会)
(1) 大統領によって任命委員会の承諾の下に任命される議長と2人の委員からなる核兵器監視委員会が設置される。議長と委員は生来のフィリピン人で、年齢35歳以上、かつ任命の直前においてフィリピンに2年以上居住しているものでなければならない。委員は道徳性がすぐれ、高度に廉直であり、少なくとも委員の内2名は自然又は物理科学のポストグラデュエイトの学位(*修士または博士)を持ち、核軍縮の領域で証明され、確立された経歴を有し、国際関係の原動力と核保有国の世界戦略についての知識を持つものでなければならない。
(2) 議長と委員の任期は7年で再任を許さない。最初に任命される議長の任期は7年で、委員の一人は5年、他の一人は3年とする。欠員が生じた際に任命された者の任期は前任者の残りの任期とする。
(3) 議長及び委員は憲法上の委員会の議長及び委員と等しい給与、特典および制約を受ける。
第八条(委員会の任務)
委員会は以下の任務を持つ。
(1) 本法律の第五条で規定された核兵器と核兵器に関連する設備及び行為の禁止の遵守を監視、査察、検証し、要求すること。
(2) フィリピン領域内での核兵器の禁止の違反に関する報告を調査すること。
(3) その監視、査察、検証及び検証後の活動を援助する行動への市民の参加と支援を奨励し維持すること。
(4) 市民が自らの地域に非核兵器地帯を設け、維持するための運動を提唱しそれを援助すること。
(5) フィリピン政府の政策と憲法の非核兵器条項と国連機関で採択された軍縮に関する原則との整合性を検討すること。
(6) 非核兵器政策のより有効で決定的な履行のための提案を引き出すため公聴会を開き、市民の意見を聴くこと。
(7) 核爆発、核事故、放射性降下物と放射線、核廃棄物の投棄についてのよくまとめられた市民教育、ならびに核エネルギーの平和利用を援助すること。
(8) 検証と監視の作業及び国の非核兵器政策の有効な実施に於いて、情報機関、警察及び軍隊を含む政府機関の努力と資源を活用し、非政府組織(NGO)に代行させること。
(9) 委員会の監視、検証及び検証後の活動についての四半期ごとの報告をフィリピン大統領、上院議長、及び下院議長に提出すること。
(10) 顧問を雇用して、その報酬を定め、公務員法と規則に準拠して職員と従業員を任命すること。
(11) 委員会の科学技術要員の継続的な訓練と、この目的のための適当な技術的協力の取り付けによって政府の核兵器検知能力を恒常的に向上させること。
(12) 本法律を施行するために必要な規則及び規定を公布すること。
(13) 以下の条文に定められるその他の職務及び任務を実行すること。
第九条(監視と検証の指針)
委員会は軍用艦船、車両或は航空機、設備、及び施設に関して以下の指針を守らなければならない。
(1) いかなる陸上運搬手段、船舶又は海上航行手段又は潜水艦、航空機又は空中輸送手段の所有者、その公式代表者又は代理人、運転者又は操縦者、船長、指揮官又は機長に対して、フィリピン領域内に入り、又は航行し、又は接岸し、又は停泊し、又は着陸或は駐機する船舶、車両或は航空機に、いかなる核兵器、又はいかなる核部品或はその構成部分も存在していないことを、委員会が指定する方式で宣誓の下で証明又は保証することを要求する。委員会は本条に述べられた船舶、車両或は航空機の責任ある職員が、本条で規定されている証明または保証を拒否した場合には、そのフィリピン領域内への侵入を拒否し、その引き続いての滞在を禁止するものとする。
(2) 上記のいかなる船舶、又は車両又は航空機、又はいかなる設備、施設においてでも、いかなる核兵器、又は構成部分の核部品又は関連設備の存在を確認したならば、委員会はその所有者又はその公式代表者又は責任ある職員に対して公式にその存在を通報し、該当する船舶又は車両或は航空機、兵器、核部品又は構成部分又は関連設備を直ちにフィリピン領域から撤去するよう要請するものとする。
(3) もしそのような通告にも拘らず、該当する船舶又は車両或は航空機が、その所有者又はその公式代表者又は責任ある職員の拒否又は抵抗によってフィリピン領域内に滞留する場合には、委員会は速やかに、大統領の承認の下に、その拒否又は抵抗の詳細を公表し、さらに、認可された場合には、該当する船舶又は車両或は航空機を没収する。フィリピン大統領、上院議長、下院議長、外務大臣及び国防大臣への特別報告において、委員会はフィリピンの主権と独立を守り、その国益を推進するのに必要かつ適切と考えられる勧告を行うものとする。
(4) 委員会はその任務の遂行にあたって、必要かつ適当と考えられる限り、外務省、国防省、大蔵省、及びその他の関連する諸省、政府機関との調整に努力し、その協力を要請するものとする。
(5) 核兵器監視委員会が、非軍用船舶又は車両或は航空機が核兵器の各部品又はその構成部分を保有していると信じ、或は疑うに足る合理的な根拠を有する場合には、委員会は第八条の規定及び本条の規定を適用するものとする。
第十条(罰則)
本法律の第五条に於て違法或は禁止と宣言されている行為を犯した者は以下のように処罰される。
(1) 違反が核兵器を含む場合には、裁判所の判断により、20年ないし30年の禁固、または、
(2) 違反が部品又は構成部分、或は核兵器関連設備に関わる場合には、裁判所の判断により、6年ないし12年の禁固。
 違反者が、船舶又は車両或は航空機、設備又は施設の、船長、指揮官、責任ある職員及び乗組員又は補助職員であるならば、場合に応じ、また彼らの違反への関与の程度に応じて、船長、指揮官或は責任ある職員は上記に規定されたうち最高の処罰、乗組員又は補助職員の構成員は上記に規定されたうち最低の処罰を受ける。
 核兵器を組み立てる共謀が立証された場合には、すべての共謀者に対して上記に規定されたうち重い方の処罰が科される。
 違反者が外国人である場合には、恩赦と仮釈放に関する法律に従って、その刑期を終えた後、国外に追放されるものとする。
 違反者がフィリピン政府、その下部組織、官庁又は機関の職員である場合には公職資格を永久に剥奪されるという付加的な処罰を受けるものとする。
 違反者が会社、組合、又は何らかの法人である場合には、その長、又は総支配人、又はその共同経営者は刑法上の責任を負う。
(* 私は、核兵器を製造、所有、貯蔵、実験使用をすること自体が犯罪と考えているがこの法案がもっとも優れかつ最先端に位置する理由の一つが、こうした「犯罪性」を抽象的に指摘するだけでなく、極めて具体的に示していることである。核兵器を製造・保有するものだけでなくそれを扱う人間すべてが、責任者であるなしを問わず刑事罰の対象となる犯罪人である。まるで殺人或いはその共同謀議や麻薬の場合と全く同じ扱いを受けている。地球市民にとって、いかなる理由を問わず殺人に関わるもの、あるいは麻薬に関わるものは「犯罪者」であることに異論はなかろう。「核兵器」についても全く同様だ。こうした地球世論が形成されれば、核兵器廃絶は極めて容易である。G8の諸国政府は、その最高行政責任者を含めて、この法案によればすべて犯罪人である。こうした、核兵器に関する最も優れた見識を持って、この法案を上院通過させたフィリピンの市民の卓越した見識とその勇気、その創造性、その実行力に心から敬意を表したい。この法案はその高い思想性に置いて、まさに文明史的文書といえる。私は深い感動をもってこの法案を何度も何度も読んだ。)
第十一条(遭難船)
遭難した船舶は国際法によって一般に認められた原則に従ってフィリピン領域内に入ることを許される。
第十二条(支出)
本法律の規定の施行に必要な金額は一般支出条例に含めることが本条で認められる。
第十三条(分離条項)
本法律のいずれかの規定が憲法違反と宣告された場合にも、他の規定はそれによって影響されない。
第十四条(無効条項)
本法律に抵触するすべての法律、大統領令、政令、行政協定、及び大統領布告、或は規則は本条によって無効とされ、もしくは相応の修正を受ける。
第十五条(効力)
本法律は一般に発効されている少なくとも2つの新聞に公表されてから15日後に効力を発生する。


(以上山田英二訳)