(原文:http://www.doug-long.com/stimson3.htm ) (スティムソン日記の註) 1945年5月13日 ソ連問題と終戦後の東アジア体制 「・・・ジャック(ジョン・Jの誤り)・マックロイ(陸軍長官補佐官)がいっぱい問題を抱えて、ひょっこりやってきた。ほとんどが国務省がらみの問題だ。すぐに本来国務省が扱うべき問題が、われわれの重荷になっていた。しかし、そのほとんどが、陸軍省と衝突課題だったので、問題をあつかう機会があることを私は喜んだ。 最初は、ハリマン(駐ソ)大使がモスクワに戻る前にもう一度会談を持つ予定だったが、同封している問題を列記したメモに関して、ジョー・グルーが私のコメントを求めている問題だった。 質問のリストは以下のようなものである。
次が、ヤルタ協定履行前に、極東における関与について、ソ連から引き出したい政治的譲歩に関する国務省の見解である。
これらは極めて重大な問題であり、国務省がこうした問題を提起してわれわれがそれを知る機会を得たことは非常に喜ばしい。これらの問題は極めて深く掘り下げてあり、私の意見では、いずれもS−1問題の成功に極めて強く関連している。今週の前半、それらが議論される前にこれら問題はしっかり考えておかなければならないことであることを明瞭に指し示している。 【国務次官ジョセフ・グルーのメモランダムはこれと非常に似通ったことを云っている。以下略】 |