(原文:http://www.doug-long.com/stimson3.htm )
(スティムソン日記の註)

1945年5月15日
ソ連との関係における原爆の重要性



 9時30分、3人委員会に出席した。グルー(国務長官代行)とフォレスタル(海軍長官)と私。マクロイ(陸軍長官補佐官)が記録係だ。
グルーは駐ソ大使のアベレル・ハリマンとずっと以前の国務次官のウイリアム・フィリップをつれてきた。フォレスタルはコリア海兵隊少佐【マシアス・コリア。海軍長官特別補佐官】をつれてきた。
 グルーがヤルタ会談との関係、ソ連との外交関係に関する話題を提議した。私は問題がまだ煮詰まっていない、と言うことを指摘しようとした。少なくとも、まだこれらの問題に解答を出す位置に来ていない。
 これらに回答を出せないのは、大統領が7月1日にスターリンとチャーチルに会う約束をしていることだ。【ポツダム会談の事。実際にポツダム会談が始まったのは7月16日】
 この時このテーマは議論沸騰するだろう。ロシアと満州問題やポート・アーサー問題、その他の北部中国の問題、中国とアメリカとの関係などをやりとりする必要があるかも知れない。
 (ポート・アーサーは旅順のこと。戦後はソ連の軍港になった。1955年ソ連から中国に返還される。現在は大連市に編入されている。)
 こうしたもつれにもつれた問題の波全体が、S-1の秘密の帰趨に関わっている。
その時までに、その会談までに、われわれがこの兵器を手にしているかどうかは分からない。【この時点で、最初の原爆実験は7月中旬と予定されていた】
 (最初の核実験は)会談の少し後になると思う。切り札なしでこのような外交の大一番に望むのはギャンブルで、そう思うとぞっとする。今できる最善は、この問題を少しもっと真剣に考えられる時がくるまでハリマンの(ソ連への)帰任を引き延ばすことだ。



 この会議を一時中断して、ジョージ・マーシャル(参謀総長)の訪問を受けた。そしてマクロイをいれて3人でアジア戦線に関する提議について話し合った。
これは問題が絡んでいる。T・V・スーン(中国の総理で外交部長)が戻ってきてホワイトハウスを訪ね、日本との戦争を終了させる早道は、アメリカ軍が中国本土で日本軍と戦うことだと、大統領を説得するというのだ。私は絶対そうはしない、するなら私の屍を乗り越えていけ、という心境だ。
対日戦終結という点については海軍参謀長と陸軍参謀長の間で若干の意見の食い違いがある。
【海軍は対日戦勝利の初期段階では封鎖の上、空襲するという意見に傾いているのに対して、陸軍は日本本土侵攻という意見が強かった】
 マーシャル【陸軍参謀総長】は極めて率直な見解をもっており、私は彼が正しいと思った。
マーシャルは、そのまま突き進むというのだ。【つまり本土侵攻】幸いにして、私の秘密が明らかになるまで、日本本土侵攻は起こらない。【本土侵攻までには原爆が準備できるだろうから】
つまり対日戦争は、2つの不確定要素が絡んでいる。
一つはわれわれが正しいと思っているようにソ連が本当に参戦するだろうかということ。
もう一つはS−1がいついかなる形で解決するだろうかということ。
われわれ3人は少なくとも1時間は、この問題で議論を戦わせた。