(原文:http://www.doug-long.com/stimson9.htm)
(スティムソン日記の註)

1945年8月2日
天皇制存続の進言



―中略―
 今日私はマーシャルに対日政策に関する報告を見せた。
(民政局の)クロスマンが私の所に持ってきた。空軍のデ・フロスト・スリック大佐が起草したものだった。私はマーシャルに、誰が書いたか知らないが良くできている、といった。
後でマーシャルから教えてもらったのだが、マッカッサー大将も、日本に対する政策としてほぼ同じような内容の進言をしているとのことだった。

(ここで触れている報告では、連合国は2つの理由で、天皇の在位を進言している。
  1.アメリカの世論は、戦後長期間にわたる日本占領を嫌っている。
    日本の政府がアメリカを受け容れやすくすることを含めて、アメリカの政策を示唆するのに
    天皇は使えるのではないか。
  2.日本の外にある日本軍すべてが即座に降伏をするのに、天皇の在位は保証を与えるであろう。
 この時点で、天皇制の維持はすでに、少なくとも陸軍省の総意であったようだ。
実際降伏後はこの報告の読み通りに展開し、スムースな日本軍降伏であった。
占領政策も天皇をうまく使うことによって、ほぼマッカッサー司令部の思う通りに展開していった。
だとすれば、ポツダム宣言に天皇制維持を盛り込んでも良かったのだが、バーンズの進言を採用したトルーマンは、スティムソンの進言を退けて、天皇制維持条項を外した。
後の極東軍事裁判のいきさつから見て、天皇を戦犯として、主張していたのは、オーストラリアを中心とするイギリス連邦諸国、中国、ソ連である。
ポツダム会談の時に、ソ連、蒋介石政府を説得しきれないと見たためが一つ。
しかし、本当の理由は、やはりトルーマンもバーンズも原爆投下へ持っていきたかったのだと、考えるのが適切である。
それはやはりソ連との冷戦を最も劇的に開始し、戦後冷戦の主導権を握るためが一つ。
もっとも大きな理由は、戦後ソ連との核競争をもっとも華々しい形で展開したかった、それには警告なしの日本への原爆投下が最も有効だった、という理由が挙げられなければならない。
こうすることによって軍事目的でスタートした、原子力エネルギー開発は大手を振って政府予算を使いつつ、その市場を拡大することが出来、1945年6月1日の暫定委員会の議事録に見るように、産業界の要求とも一致する。)