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(原文は次:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/large/doc
uments/pdfs/55.pdf#zoom=100 ) |
7月31日付け大統領声明草稿に添付されていたスティムソンの手紙 |
1.(*)で青字は私の註である。
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1945年7月31日
親愛なる大統領
添付した2部の写しは、核兵器が使用され次第発表する声明の検討文です。この内容は昨晩私が電信で送ったものであります。
私がこれを急いでいる理由は、天候さえ許せば、この兵器が太平洋標準時で8月1日までに使用される可能性があることを、私が知ったのがつい昨日だったからです。ご承知の通り太平洋標準時と言えば、ワシントン時間のかなり前となります。
このメッセージと内容物は、R・G・アーネソン陸軍中尉が搬送します。中尉は、大統領の承認の下に指名された原爆の開発と使用に関する暫定委員会の書記であります。このこと(中尉が運ぶこと)はバーンズ国務長官も認識しています。
敬具、
陸軍長官
大統領閣下 |
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(* |
スティムソンは、「日本に対する原爆の使用」に関して、正式な大統領命令が、政治的に存在しないことを憂慮していた。従って「原爆投下直後の大統領声明」を作成し、その大統領声明にトルーマンの署名を入れることで、正式な大統領命令の政治文書としようと準備していた。
草稿はほとんど完成していたが、このスティムソンの手紙によれば、「日本に対する原爆投下」の軍事的命令、すなわち、陸軍参謀総長代行、トーマス・ハンディから、陸軍戦略航空隊総司令官、カール・スパーツにあてた指示書がすでに出ていることを知ったのが、やっと「昨日」(7月30日)だった、といっている。スティムソンは直ちに関係者を集め、この大統領声明の完成に取りかかった。そして30日に電信でまずこの大統領声明を、ポツダムにいるトルーマンの手元に送った。この時の電信文がトルーマンの手元に残っている。
(URLは次:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/
bomb/large/documents/pdfs/5.pdf#zoom=100 )
そして翌日、31日、アーネッソン中尉をクーリエにして、草稿現物をポツダムにいるトルーマンの手元に送った。その時の手紙がこの手紙だ。“revised”と手書きではいっているのは、この手紙を受け取ったトルーマンの自筆だろう。
この手紙で、スティムソンは、「太平洋標準時間で早ければ8月1日までに原爆が投下される可能性がある。」と言っているがこれは何のことを言っているのか分からない。
ハンディからスパーツへの指示書では明確に、「8月3日以降、天候の許す限りできるだけ早く」と言っている。
また、30日に電信でスティムソンの手紙を受け取った用紙の空きスペースにトルーマンは手書きで記入をしている。これは、 |
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“ Sec. War
Reply to your 41011
Suggestions approved
Release when ready
But not sooner than
August 2
HST " |
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と読める。すなわちトルーマンも原爆の使用は、8月3日以降であることを了解していた。
とすれば、「8月1日までの可能性」と言っているのは、スティムソンの勘違いとしか解釈のしようがない。
また、このトルーマンの手書きの指示は電信でスティムソンの手元に送られたはずで、その時点ではスティムソンの勘違いは訂正されたろう。
今ここで大事なことは、スパーツへの指示を、30日以前、トルーマンは知っていたが、スティムソンは知らなかったということだ。) |
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