|
(2010.3.17) |
|
|
No.002 |
北岡伸一の「核兵器観」と密約報告書
|
なにかおかしい外務省の密約リーク |
|
昨年半ば頃、外務省は日本とアメリカとの間に日米安全保障条約に関係する「密約」があったかのようなリークを主要メディアに流した。特に核兵器の日本領土内への「持ち込み」に関する部分が重要で、それから主要メディアは一斉にこの問題を取り上げた。
特に共同通信はこの問題に熱心で、アメリカでは公開済みの日米協議に関する「非公開文書」をとりあげて、この問題を一貫して追求した。
この頃、私は「何かがおかしい。誰かが主要メディアを使って、どこかの方向へ誘導しようとしている。」と漠然と感じていた。「おかしい」というのは、日本の領土内にアメリカが核兵器を持ち込んでいることは、もはや秘密でもなんでもなく、「公然の秘密」から「周知の事実」となっているからだ。
しかし、自民党政府、外務省は一貫してこの周知の事実を否定し続けて来ているので、外務省がそれを認める動きなのか、とも思った。
09年9月に、新たに成立した民主党政権も積極的にこの問題を取り上げ、自民党政権時代の「密約」を明らかにする姿勢を見せた。
ところがやはりおかしい。というのは民主党政権は「日米同盟」関係(それは、日本が一方的にアメリカに従属する形での政治軍事同盟関係である)は、日米関係の基本だ、とも云っている。民主党政権はこれを壊して、新たな関係を構築しようという動きはなかった。しかし一方、「密約」を明らかにしてこれを否定することは、現在の「日米関係」(日米安全保障条約関係)をデフォルトすることだ。 |
|
「非核二原則化だ」 |
|
実はこの時点で、国際政治学者の浅井基文は、「この動きは非核三原則を事実上非核二原則とする動きだ。」と喝破していた。しかしその時は私には何のことかわからなかった。「なにかおかしい」とは感じていたが、なぜこの動きが「非核三原則を非核二原則」とする動きなのか・・・。
09年7月時点で、浅井は、
|
自民党の山崎拓(=当時)の
「 |
北朝鮮の核開発を阻止する上で、米国の核抑止力としてそのような(核搭載艦船の寄港)行動があると考えれば、容認されるべきだ」「(アメリカの核兵器搭載艦船の)寄港だけは例外として扱うのが望ましい」 |
河野太郎衆議院議員(衆議院外務委員長=当時)の、
「 |
政府側がこれまでの答弁を修正し、密約の存在を認めるよう、外務委員会で決議したとの意向を示した」「米国の核の傘が本当に有効なのかも議論されていない。将来の核抑止戦略を考えるためにも、政府にはきちっとしたことを言ってもらいたい」 |
民主党鳩山由紀夫代表の
「 |
非核三原則が堅持されていくなかで現実的対応がなされてきているという側面がある。北朝鮮の問題も含め、必要性があるからこそ、その方向で考えるべきだと思うが、党としてその議論を進めているわけではない」「過去に密約にしたのは、政治としてやむを得ない措置だ。…北朝鮮の脅威と米国の拡大抑止力をどう見つめていくかという議論はあるべきだ。日米で大いに議論した方がいい」 |
|
という3つの発言を引用した上で、次のように云った。
『 |
非常にはっきりしていることとして、三氏の主張に共通しているのは、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の核開発を前面に押し出して非核三原則の「持ちこませない」を取っ払い、アメリカによる持ち込みへの道筋をつけようとする意図が見え見えであることです。三氏の議論は、朝鮮の動きに対抗するため「核に関する議論もあっていい」と述べて日本独自の核武装の可能性を視野に収めていると見られている中川昭一前財務相の発言とは異なり、あくまでもアメリカの核抑止力に依存することを前提にしつつ、それを実効あるものにするためには「持ちこませない」という原則が邪魔になるという立論です。』
(以上浅井のWebサイト「危うい非核三原則−オバマ政権の核政策の二重性を見極めよう−」の中の「3.非核二原則を目指す政治家たち」
<http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/292.html>) |
私もこの記事は読んでいたはずだが、当時民主党と自民党の政治家の動きと外務省の「密約暴露」がどのような一体関係にあり、またどのようにして「非核三原則」を「非核二原則」化していくのか、まったくわからなかった。 |
|
カラクリ説明をした「有識者委員会報告」 |
|
そのうち、外務相岡田克也が『「密約」問題に関する有識者委員会』の設置を決め、この委員会の『いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書』が発表されて、その中身を読んで見て「ああ、そうなのか。そういうカラクリなのか。」とはじめて浅井の指摘に合点がいった。
つまりこういうことである。
外務省は前から、「非核三原則」の実質「二原則化」のチャンスを狙っていた。北朝鮮が核実験をし、中国が軍事力増強を行って「日本への脅威となっている。」というキャンペーンの中での日本の国内環境は、彼らには最適のチャンス、と映ったものと見える。もちろんオバマ政権の登場で、ブッシュ時代とは違い、「核兵器廃絶」を志向するアメリカ、というイメージはこの環境作りに大いに役立つ背景と考えたに違いない。日本の市民の「反核感情」も弱まり、形骸化しつつあるとも見て取ったとも思う。
そうして「密約」問題を持ち出した。大手メディアは飛びついた。
「密約問題」の核心は、「アメリカは過去に日本領土内に自由に核兵器を持ち込んでいたか」そして「それは今も持ち込んでいるのか」である。
ここで「持ち込み」の概念を整理しておくと、本来「非核三原則」の精神からいえば、「一切の核兵器を日本領土内に置かない。自由に出入りさせない。」という事であったし、今も多くの日本の市民はそのように理解している。
しかし彼らの解釈はそうではない。「日本の国内にアメリカ軍が核兵器を配備したり、貯蔵したりするのは『持ち込み』だが、核兵器を搭載した艦船や航空機が、一時的に立ち寄ったり、通過するのは『持ち込み』ではない。」というのだ。
実は「核兵器持ち込み」に関する「密約」といわれているのは、ほとんど「核兵器を搭載した艦船や航空機が、一時的に立ち寄ったり、通過するのは『持ち込み』ではない。」という部分に集中している。ここの部分を彼らは日本の市民に隠しておきたかったわけだ。
もう少しつっこんで云えば、日本の外務省はこの問題に関して、「暗黙」にしろ、明示的にしろ、アメリカに了解を与えていることを隠しておきたかったわけだ。
前述のように、この「密約」はもう公然の秘密ですらなく、日本の市民の間では「周知の事実」になっていた。しかしなおかつこれを日本国内では「秘密扱い」できた理由は、いわゆる有識者(かつては専門家・知識人と呼んでいた)や大手ジャーナリズム、政治家の間に、「外務省」が認めなければそれは事実とは云えない、という一種おかしな権威を外務省に認めていたからだ。
( |
これもこれから「市民社会」の手でぶち壊していかねばならないだろう。この「権威主義」は、明治以来連綿として日本の知識階層の中に刷り込まれた呪文である。国家的マンボ・ジャンボである。) |
|
|
アメリカの核兵器政策の変化に連動 |
|
その外務省が、自ら「密約」があったと認め、これを日本の市民の前に告白したのである。それは、日本を取り巻く国際環境が大きく変化し、アメリカの「核兵器政策」が一定の変化をみせていることに対応したものであろう。
まずアメリカの核兵器政策が一定の変化をみせている点から見ていこう。第一にアメリカは戦術核兵器の常時実戦配備(operationally
deployed)をヨーロッパの一部分を除き、事実上行っていない。実戦配備している核兵器はすべて戦略核兵器だ。
( |
戦略核兵器と戦術核兵器の違いは実は明確ではない。アメリカの出す核兵器に関する諸報告を見ても、この違いを明確に定義していない。
あえていうなら、地域限定戦争で相手の兵器、たとえば戦艦や航空機や潜水艦や軍事設備を破壊する目的をもったのが戦術核兵器で、相手の市民生活、国民生活、国家自体の破壊を目的とした核兵器が戦略核兵器だ、という事になる。
しかしこの区別は屁理屈のとんだお笑いぐさである。というのは、現在、特に第二次世界大戦以降、どんな地域限定戦争であろうが、その地域の市民生活や国民生活を巻き込まない戦争はあり得ないからだ。朝鮮戦争、ベトナム戦争、最近のユーゴ内戦、またイスラエルのガザ攻撃を見てもそれは明らかだ。
かつて日露戦争の頃は、日本軍とロシア軍が大会戦を行っている傍らで、農民が悠然と畑を耕し、各国の観戦武官がこの大会戦を見物するなどという牧歌的風景が繰り広げられたが、少なくとも第二次世界大戦以降はこんなことはない。すべての戦争は市民生活を根こそぎ巻き込んだ全面戦争になった。だから戦術核兵器と戦略核兵器の違いなどというのは実際にはありえない。どちらも全面殺戮兵器である。
しかしこの違いを言い立てる、核兵器論者の立場からいえば、戦術核兵器は小型でいいが、戦略核兵器は大型でなくてはならない、ということになる。しかし小型といっても、現在の核兵器の中間的出力を約20万トンとして見れば、ヒロシマ原爆が1.5万トン、ナガサキ原爆が2万トンは立派な戦術核兵器だ。しかしこの2つの核兵器は、広島と長崎の市民の生活を根こそぎ破壊したことを考えれば、戦略核兵器と戦術核兵器の違いなどまるでないに等しいということが了解されるだろう。
こんな屁理屈の詭弁論法をありがたがっていてはいけない。) |
こうした戦略核兵器は日本の領土内ではすでに常時実戦配備や貯蔵はしていないと見られる。(実際の所は私にもわからない。)だから問題になるのは、一時寄港や一時立ち寄りのアメリカ航空母艦、潜水艦、戦闘爆撃機に搭載された核兵器、あるいはそれらに供給する目的で日本に一時寄港や立ち寄りをする輸送船や輸送機に積載された核兵器ということになる。
もっと具体的にイメージすれば、それは朝鮮半島や台湾海峡で発生する戦闘行為ではなくイランを含む西アジア、中東を戦域とした戦闘行為であろう。さらに具体的にイメージすれば、アメリカのどこかの基地(ハワイかグアムかもしれない。)から核兵器を積載した輸送船かあるいは輸送機が飛来し、たとえば横須賀のジョージ・ワシントンに積み替える。あるいはミサイル巡洋艦や駆逐艦に積み替える。一方厚木の第5空母航空団とジョージ・ワシントンがインド洋のどこかでドッキングし、核兵器B61をジョージ・ワシントンから第5空母航空団のスーパー・ホーネットに搭載する。そしてそのまま、ジョージ・ワシントンはホルムズ海峡を抜けてペルシャ湾に停泊し、ここを前線展開基地としながら、イランを含む中東戦域の制空権を握って核兵器で威圧する、といったイメージだ。これはほんの一例である。
要するに日本の基地を前線基地とするアメリカ軍にとって、核兵器に関する問題は艦船や航空機の一時寄港、一時立ち寄りの問題の方が、日本領土内での実戦配備や貯蔵よりもはるかに要求としては大きくなっているわけだ。
外務省の「密約」暴露は、実はこうした実情に対応した動きである。 |
|
非核2.5原則は事実上「非核二原則」 |
|
日本の「非核三原則」を、「いかなる形であれ核兵器を領土内に一切持ち込ませない」と日本の市民は理解している。
それを彼らの密約の形(それが黙示的であれ、明示的であれ)での理解、すなわち「一時寄港や一時立ちより」は「持ち込み」には当たらない、とする理解に軌道修正し、「非核三原則」から「一時寄港や一時立ち寄り」を差し引いて、「非核2.5原則」にし、この「非核2.5原則」を新たに「非核三原則」として定義し直し、これを国民の間に定着させようという動きだ。
さて外務省は考えた。これをどうやって明示的に日本の市民に明らかにし、定義し直した「非核三原則」(それは「非核2.5原則」と呼ばれるもので、その実態は日本の領土内に核兵器を自由に出入りさせることを目的とした非核二原則)を定着させるか、これが課題だ。
いつもの手で大手メディアを使うことを考えた。そして宣伝させることを考えた。
そして選んだのが共同通信である。共同通信は今やもっともメディア力のある「新聞」メディアである。地方紙はほとんどすべて、共同通信のネットワークに参加し、共同通信が配信する記事をほとんど無批判に掲載し、これを紙面の中心記事としているからだ。
そうして「密約」問題をセンセーショナルに騒ぎ立てさせた。朝日や毎日などもこれに遅れてはならないと一緒に騒ぎ出した。
そうして、外務省は、ころあいはよしと「論点のすり替え」を図った。
本来「密約問題」の核心は「密約」があったかなかったかではない。歴代自民党政府がウソをついていたかどうかでもない。その「密約」で「いつ、日本の領土内に核兵器が持ち込まれ、また現在も一時寄港、一時立ち寄りの形で核兵器が持ち込まれているかどうか」が核心だ。でなけば「非核三原則」の核心問題に立ち入ったことにならない。
「現実にいつどのような形で持ち込まれたか。現実にいつどのような形で核兵器が持ち込まれる危険性があるか。現在の非核三原則はその歯止めとして有効であるか、ないか。もし有効でないとするなら、どのような形が非核三原則を有効にするのか。」
これが「密約問題」の核心である。
その核心問題を「密約はあったか、なかったか」「歴代自民党政府はウソをついていたかどうか」という問題にずらしたのである。
そのきっかけはやはり、外相岡田克也の『いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会』への調査委嘱だろう。
この報告書の冒頭で、委員会の委員長北岡伸一(東京大学大学院法学政治学研究科教授、2004年から2006年まで国際連合日本政府代表部次席代表・特命全権大使。現在中国政府と日本政府との間で行われている「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長でもある。)自身が書いている。
『 |
・・・委員会は2009年11月27日、岡田克也外務大臣の委嘱により発足した。委嘱の内容は以下4つの「密約」の存否・内容に関する検証を行い・・・というものであった。』 |
4つの密約とは『1960年1月の安保条約改訂時の核持ち込みに関する「密約」』、『1960年1月の安保条約改訂時の朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」』『1972年の沖縄返還時の有事の際の核持ち込みに関する「密約」』『1972年の沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」』である。
北岡自身が、委員会の目的は「密約」があったかなかったかを検証することであって、それ以外ではありませんよ、と明確に述べている。日本に核兵器が持ち込まれたか、あるいは今も持ち込まれているか、などといったことは検証の対象ではありませんよ、といっている。しかも岡田から委嘱された対象は上記4つで、それ以外は知りませんよ、と云っている。 |
|
論点ずらしに積極的にのった大手メディア |
|
この時点で、すでに外務省と北岡はこの問題を「密約」があったかなかったかに限定し、非核三原則が護られたかどうか、という本来の核心から論点をずらすことが了解されていたのだと推察できる。しかも「非核三原則」の中の「核兵器を持ち込ませず」という観点から見れば、上記4つの「密約」は、実は2つの密約なのだ。
すなわち「60年安保締結時、核兵器について日本とアメリカとの間にどのような明示的あるいは黙示的約束があり、日本の市民に知らせていなかったのか。」と「72年沖縄返還時核兵器について日本とアメリカとの間にどのような明示的あるいは黙示的約束があり、日本の市民に知らせていなかったのか。」という2つの「非公開の約束事」である。
あたかもこれ以外は日本とアメリカの間に「密約」はなかったかのようである。
この論点すり替えは成功したかに見えている。というのは大手メディアは一斉にこの「論点すり替え」に乗って(私には進んで乗ったかのように見える。)、核心部分をずらせるのに大いに力を貸した。
もっとも大手メディアが、外務省の「論点ずらし」に力を貸したのはこれが初めてではない。上記の『1972年の沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」』時にもあった。
1972年佐藤内閣の時に沖縄返還交渉が行われたが、この時日本政府とアメリカの間に国民の目からは隠しておきたい密約があった。
佐藤内閣は、72年沖縄返還に伴って、アメリカに金を払う約束をした。その金額は3億2000万ドルだった。うち400万ドルは沖縄の旧地主に、土地を利用したアメリカ軍が支払うべき補償費・原状回復費だった。アメリカが負担すべき金を日本政府が肩代わりをしたことを公表したくない外務省は、このことを伏せたままにしていた。当時毎日新聞の記者だった西山太吉記者は、この日米間のやりとりのうち、
『 |
@71年5月28日の愛知(揆一。当時佐藤内閣の外務相)・マイヤー(アーミン・マイヤー。駐日アメリカ大使)会談の記録を伝える電報。A71年6月9日のパリにおける愛知・ロジャーズ会談の記録を伝える電報(ウィリアム・ロジャーズは当時ニクソン政権の国務長官)B同日の井川・スナイダー会談等の内容等を伝える電報(井川克一は当時外務省の条約局長。リチャード・スナイダーは当時在日大使館の公使)。いずれも交渉の途中段階のものであったが、不公表書簡の存在の可能性をうかがわせる内容が含まれていた。』
(「有識者委員会報告書 第五章 沖縄返還と原状回復補償費の肩代わり」P90) |
の3つの電報を外務省の女性事務官から入手した。女性事務官と西山は愛人関係にあった。西山はこの書類を社会党代議士に渡した。そして社会党は「密約があるのではないか。」と政府を追及した。
ここから外務省の検察を使った猛烈な巻き返しが始まる。女性事務官は国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反で逮捕され、西山記者も111条(秘密漏洩をそそのかす)違反で逮捕された。
この報告書のP89の註36は次のようにいう。
『 |
72年4月4日、毎日新聞記者・西山太吉記者と外務事務官が機密漏洩の容疑で逮捕され、4月15日、東京地裁に起訴された事件。74年1月、東京地裁は西山記者については無罪と判決したが、これを不服とした東京地検は東京高裁に控訴した。東京高裁は7度の公判ののち、76年7月、懲役4ヶ月(執行猶予付き)の有罪判決を言い渡した。西山氏は最高裁に上告したが、上告棄却され、判決が確定した。』 |
この報告書は『この事件の審理は、西山記者が入手した資料が原状回復補償に関する交渉経緯の一部を示す機密電報であったことから、「知る権利」(取材の自由)と「国家機密」を軸に展開するのであるが・・・』(同P90)と書いているが、少なくとも裁判所はそうは捉えなかった。「西山記者」の「取材方法」を問題にしたのである。検察もこれを問題にした。「つまり国民の知る権利」を「記者の取材方法」の問題にすり替えたのである。有名な起訴状の文句を引用すれば、「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」である。この薄汚い文章を書いたのは、当時東京地検検事で民主党参議院議員もつとめた佐藤道夫であるといわれる。 |
|
論点ずらしに成功し西山は有罪 |
|
検察は問題の本質をすり替えた。「取材の自由」を「取材方法」にすり替え、そうした上で「国家機密漏洩」を対置したのである。しかもこのやり口が汚い。機密文書を入手するために、女性事務官に近づき色仕掛けで落としたというシナリオで起訴に持ち込んだ。
当時世論はこの外務省と検察の「論点のすり替え」にまんまとはまった。問題の本質、つまり機密があったかなかったかという国民の知る権利から、西山太吉記者の取材方法に焦点がそれていった。起訴状の「ひそかに情を通じ」という扇情的な一言が、国民の感情を見事に煽ったのである。(「情を通じ」という検察語は、戦前特高警察の大好きな常套語だった。)
確かに西山記者にも、致命的な誤りがあった。愛人関係で文書を手に入れた、と言う点ではない。この文書を当時の野党社会党に渡したことだ。政争の道具になると分かっていて渡した。まず記事にすべきだった。「報道の自由」の立場からすると自ら墓穴を掘った、というべきであろう。しかしだからといって、西山記者が有罪になるいわれはない。
マスコミ、特に週刊「新潮」やその他のマスコミは二人の不倫関係を中心にあおりに煽った。取材方法が人倫にもとると言うわけだ。世間の批判は、西山太吉記者と毎日新聞社に集中した。他のマスコミも誰もこれを擁護しなかった。マスコミと世論は、つまり日本の社会は、言論の自由の立場からすると自殺行為に走ったのである。毎日新聞社は孤立無援の状態になり、西山太吉記者を停職処分とした。ジャーナリスト生命は完全に断たれた。
裁判は最高裁に持ち込まれ、最高裁は「その方法が刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等、法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合には、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる。」として西山太吉記者に対して有罪判決を行う。
(以上「自主規制でがんじがらめの日本の報道」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/018-2/018-2.htm>)
この時外務省は検察を使って「論点のすり替え」を行った。
そして今回、この『有識者委員会』と大手メディア、政治家を使って再び「論点のすり替え」を行いつつある。二匹目の泥鰌である。
(あるいは泥鰌はもっと沢山いたかもしれない。) |
|
密約問題の核心 |
|
繰り返すが「密約」問題の本質は、密約があったかなかったかではない。それを外務省が認めるかどうか、歴代自民党政治がウソをついて来たかどうかですらない。
「密約のために−それが明示的であれ黙示的であれ−日本に核兵器が持ち込まれて来たかどうか」であり、「今も持ち込まれる可能性があるのかどうか、もしその可能性があるのだとすれば、『非核三原則』をどうやって法的に担保するか」である。これが問題の核心である。
これまで私は「外務省」と一貫して書いてきた。「外務省」と「歴代自民党内閣」とは書かなかった。というのは今回の「有識者委員会」の報告を通して読んでみてはじめてわかったことは、「外務省」が日本の外交を支配してきて、歴代自民党内閣は外務省に使われてきたことがはっきりしたからだ。威し文句は「これを明るみに出すと、日米安保条約は空中分解しますよ。」と歴代首相や外務大臣は脅された。そしてやむなくみんな国会でウソをついてきた。そして途中からは、歴代首相や外務大臣は「ウソをつかなくてはいけないようなことをオレに知らせるな。」と、この問題に耳をふさいできた。このことを「有識者委員会」の報告書は赤裸々に私たちに教えてくれる。
だから、今の展開も容易に見て取れる。外務省は歴代自民党政権に対して取った手を民主党政権にも取ろうとしている。この威しに屈したのはまず首相の鳩山で、それから外相の岡田だろう。外相の岡田は外務省の振り付け通りに動いていると見て間違いない。
このことさえ把握できれば、この107Pにも及ぶ報告書全体を読む必要はなくなる。
この報告書は一言でいって「迷妄の書」だ。無意味な「学術的精密さ」で綴られた「プロバガンダ」である。ちょうど瀬戸内海の砂粒が何個あるかを詳細に「科学的」に数える無意味さに似ている。 |
|
すり替えに乗っている大手メディア |
|
大手メディアは、すでにこの「学術的精密さ」と「論点のすり替え」に走っているようである。
たとえば、朝日新聞3月10日付け紙面を見よう。一面トップの見出しが「核密約歴代首相黙認」である。それから「外務省極秘メモ公表」「3密約を認定」の見出しのもとに、「核密約」があったことを論じている。肝心の問題は「持ち込み『証明できぬ』」と外相のコメントを伝えるだけだ。
「密約と安保」というコラム記事では「国民欺いた政官の共謀」というタイトルで、「その結果、国民を欺いた日本政府の責任は重い。」(本田優)という訳のわからない記事で逃げている。
さらに社説では「国民不在の外交にさらば」というタイトルで「あってはならない歴史に、ようやく区切りがついた。」とし「やむを得ず秘するなら後世からの厳しい批判を覚悟しなければならない。政治家や外交官が常におのれに問うべきなのは、歴史に対する緊張感と謙虚さである。」として、屁のつっぱりにもならないお得意の説教調で結んでいる。
唯一違うのは社会面である。35面で「核のうそ 許せない」の大見出しで、欺かれた国民をまず描く。しかし広島県原爆被害者団体協議会の理事長金子一士のコメントは若干趣を異にする。「国民をだまして核兵器を持ち込ませていた可能性があり、被爆者にとって許せない。」のコメントは定番だが、「非核三原則を法制化し、本当の核廃絶への道を進むべきだ。」とコメントを続け、この人物が問題の核心部分から目をそらされていないことを、ちゃんと伝えている。しかし続いて同名の県被団協理事長、坪井直は「密約の存在がほぼ確かめられたのは喜ばしいこと。」とほぼ型通り、外務省の期待通りの答えをしている。
(この人物は被爆者だそうだが、もう引退した方がいい。)
長崎県原爆被災者協議会事務局長山田拓民は「密約を隠し続け、非核三原則をボロボロにした旧自民党政権に対し、強い怒りを覚える。」と型通りに見えるが、続けて「非核三原則法制化の動きを引っ張っていきたい。」とここもごまかされていないことをうかがわせる。
それよりも注目されるのは、横須賀で反基地運動の先頭に立って来た新倉裕史という人の「政府に『だまされていた』なんて云いたくない。うそだと見抜いていたけれど、暴くことができなかった。」というコメントだ。この人は論点のすり替えに、全然ごまかされていない。特に「だまされていた、なんていいたくない」、はそのまま見出しになりそうだ。
(以上一連の記事の署名は松川敦志)
しかし全体としていえば、「政府のウソに憤る日本国民」「密約が明らかになって良かった、よかった。」の論調であり、「密約問題の核心」は、「岡田外相は非核三原則を堅持」と一言でかたづけている。
「非核三原則をどうやって担保するのか」などいういうツッコミはしない。 |
|
最終仕上げをする共同通信 |
|
共同通信に至っては「日米密約外務省委報告書を読む」という座談会を開き、政治評論家の原彬久(岸信介のイデオローグである)、東郷和彦(この報告書でもたびたび出てくる密約の中心的存在の一人の元条約局長)、春名幹男(もと共同通信の記者で現在名古屋大学教授。それよりこの委員会の委嘱委員の一人で、「第三章朝鮮半島有事と事前協議」の執筆者。なかでちゃっかり自著の宣伝も行っている。)の三人を呼んでいる。
中身は委員会報告のいきさつ、背景の愚にもつかないにあれこれで、どこを押しても「現在もアメリカの核兵器は日本の領土内を自由に出入りしているのではないか?」などという議論にはなりようがない。結局この座談会の目的は東郷の次の締めのコメントに集約される。
『 |
政治家と官僚だけの決定でなく、(当たり前だ。国民に判断させたくなかったから密約にしたのではないか。)透明性が必要だが、それには国民の成熟した議論が不可欠。(核兵器絶対反対といっていないで、もっと大人の議論をしろ。そうしたら密約などにせずに済んだ、という意味。)一つの要素で安全保障を議論するのは危険。マスコミの責任も重い。』 |
この座談会を司会した共同通信の編集委員、太田昌克もこの座談会の落としどころを心得ているというべきだろう。(以上3月14日付け中国新聞。共同通信配信もの。)
さて外務省の狙いは、ここまで順調に進んでいるように見える。アメリカ(オバマ政権)の世界核兵器支配体制を貫徹させるには、日本に核兵器を自由に出入りさせる事が必要だ。それをこの際、隠し事でなく、大ピらにやってしまおう。「非核三原則」から「一時寄港や一時立ちよりによる自由な出入り」を抜いてしまって、「非核2.5原則」にしてしまおう、これが、外務省の真の狙いだった。
ところで「非核2.5原則」とは先に浅井基文の指摘を引用したように事実上「非核二原則」だった。
(またこの件については、『「核持ち込み」は「核持ち込み」にあらず』
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/001/001.htm>を参照の事。)
こうしたカラクリを自ら明らかにした報告書が『いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書』である。 |
|
報告書の価値 |
|
かといってこの報告書が無価値なわけではない。それどころか、外務省の発想、これからの方針、鳩山民主党政府の行く末などを読んでいくためには極めて情報価値の高い報告書だ。
( |
なんでも無節操におもしろがるのが私の悪いくせだが、この報告書は理屈抜きに面白い読み物だった。外務省の政府支配の手口、アメリカが外務省を通じて日本を支配する体制の手口が次々紹介されている。一晩で読んでしまった。泥棒が泥棒の手口を紹介するようなもんだ。こりゃ、日米安保を辞めちまわないとドモならんなぁ、が掛け値なしの読後感だ。) |
いちいち中身には、立ち入らないが、やはり委員長の北岡伸一の執筆した部分「はじめに」、「序論」、「おわりに」だけは若干触れておきたいとは思う。日本の支配階層の発想と「民衆蔑視」の思想が包み隠さず表現されているからだ。
前にも触れたが北岡は、「はじめに」の中で、委嘱の内容は「4つの密約の存否とその内容の検討」だと断り、他の問題は委嘱の範囲ではないから検討しないことを明らかにしている。
次に「当初2010年1月中の報告書の提出を求められた。委員はすべて専門家ではあるが・・・大学での本務を抱えており、また秘密文書は外部のものには持ち出しを許されなかったため、しばしば土曜、日曜、祝日も外務省に赴くなど、本務以外の時間をほとんど投入して、調査を行った。」と述べ、この仕事が片手間だったことを告白している。また外務省官僚主導の仕事だったことも告白している。
というのは、普通に考えれば、北岡は外務大臣に仕事を委嘱されたのだ。外務大臣は総理大臣に任命されている。その総理大臣は、国会が指名している。その国会議員は国民が選んでいる。つまり彼は間接的に国民に調査を委嘱されたのだ。これより大きな権限は、日本国憲法上はない。ところが、北岡は「秘密文書は外部のもの(つまり北岡自身)には持ち出しを許されなかった」と書いている。つまり彼は頭では国民よりも外務省に大きな権威を感じているわけだ。もし、国民が最高の権威者だと彼が思っていたなら、こんなことには唯々諾々と従わなかった筈だ。
『 |
黙り居ろう!下郎め。この印籠が目に入らぬか。私は国民の委託を受けている。その私に向かって、書類持ち出しを許さない、とは何事か。国民は調査に当たって私に全幅の信頼と委任を与えている!彼らが私にそれを許して居る。下がり居れ、木っ端役人め。』 |
とでも云ったことだろう。(私ならそう云って、横に寝る。)これが第一。つまり、北岡という人物の民主主義センスを端的にあらわす記述だ。
次の記述も一種面妖な記述である。 |
|
各委員ばらばらの「密約」定義 |
|
『 |
また4つの「密約」は、それぞれ異なる性格を持っているので、各章の長さと構成には違いがあるが、あえて統一していないことを付記しておく。』 |
北岡はこの記述を書いたあとに自分で読み直したのであろうか?記述は、「各章の長さと構成」を統一しなかった、と云っているのか、それとも「密約」はあえて統一しないと云っているのか、この限りでははっきりしない。しかし全体を通して読むと、「密約」そのものの定義が執筆者によってばらばらであることがわかる。委員会としての「密約」の定義しないまま、この報告書を提出したのである。
この委員会に要請されていることは、第一番目に「密約」の存否に関する検証を行うことであった。その統一定義もないままに、各委員ばらばらの定義で執筆したのである。つまり委員会の体をなしていないことを北岡は自ら認めて、恬として恥じていない。
面妖な委員長である。
北岡の執筆した「序論」を見てみよう。「序論」のタイトルは「密約とはなにか」である。それはそうだろう。密約の定義もなしに「密約」の存否を決定しようがない。だから委員長自らこの根幹を議論するのはすこぶる妥当だ。しかし先にも見たように、北岡は委員会として「密約」を定義づけることに失敗している。
だからこれは北岡個人の定義だと読むことは妥当だろう。 |
|
「定義」ではなく「同義反復」 |
|
ところが、北岡はいきなり次のように書き始める。
『 |
かつて帝国主義外交の時代には、しばしば、秘密協定が存在していた。・・・厳密な意味では、密約とはそう言うものを指して云うべきであろう。』 |
これは帝国主義時代の秘密協定が密約だというのである。ならば、民主主義時代には密約は存在しないことになるか、あるいは民主主義の外観を装った帝国主義時代にわれわれは生きているか、どちらかということになる。
もう一度先の文章をよく読み直してみよう。簡単に言えば「秘密協定が密約だ。」という宣言文である。これは定義などというものではない。同義反復である。それでは「秘密協定」とはなにか?それは密約である。
『 |
A子ちゃんのうちはどこ?』 |
『 |
B子ちゃんのうちの隣。』 |
『 |
じゃ、B子ちゃんのうちはどこ?』 |
『 |
馬鹿だな、オマエ。A子ちゃんのうちの隣じゃないか。』 |
絵に描いたようなトートロジー(同義反復)である。
ともかく、北岡はこれを「狭義の密約」と「定義」する。
狭義という以上は「広義」の密約があるのだろう。果たして北岡はこういう。
『 |
民主主義国では・・・それでもその公開は完全ではない。国民全体の利益(以下、国益という)に重大な悪影響を及ぼす場合には、これを公開しないことが普通である。・・・今回の作業は、以上のように民主主義の原則に立って行う検証作業の一つである。検証の対象が、古典的帝国主義外交の時代の狭義の密約だけでなく、より広く、国民に知らされない合意や了解を対象とすることは、以上から明らかであろう。』 |
つまり広義の密約とは「民主主義国において、国民に知らされない合意や了解」のことだというのである。
すると「狭義の密約」と「広義の密約」の違いは、その国が帝国主義国か民主主義国かで決まることになる。
しかし北岡の論理は逆立ちしている。外交交渉のいきさつや問題点を国民に広く知らせ、その判断や決定を国民に委ねる体制をもっているから民主主義国と評価される。民主主議国とは与件ではない。すぐれてプロセスの問題であり、結果の問題だ。
もっとも先にも触れたように外務省の役人に「秘密文書の持ち出しは許さない」といわれて唯々諾々としてそれに従うような人物に、民主主義が理解できているとは思えない。繰り返すが、民主主義とはプロセスの問題であり、一つ一つの対処の問題だ。
こうした混乱、逆立ちした「密約」の定義しかできない人物に、密約があったかなかったかなどいう検証作業ができるはずがないし、この報告書自体がその検証に失敗している。 |
|
北岡の「国益」定義 |
|
次に北岡の政治学者としての資質に疑問を抱かせる箇所が、国民全体の利益を「国益」だとしている点であろう。
「国益」の定義は難しい。歴史的にも社会的にも学者や論者によっていろいろな説がある。しかし国益(national interest)を「国民全体の利益」と規定する政治学者は、北岡以外にはいないだろう。
ちなみに英語Wikipediaを調べてみよう。
『 |
The national interest, often referred to by the French term raison d'Etat, is a country's goals and ambitions whether economic, military, or cultural. The notion is an important one in international relations where pursuit of the national interest is the foundation of the realist school.
The national interest of a state is multi-faceted. Primary is the state's
survival and security. Also important is the pursuit of wealth and economic
growth and power. Many states, especially in modern times, regard the preservation
of the nation's culture as of great importance.』
(「national interest」<http://en.wikipedia.org/wiki/National_interest>) |
なにも云っていないに等しいが、まず妥当なところだろう。国益とは、民族国家や国民国家ではなく、主権国家(state)にとっての利益なのである。
日本語Wikipediaは次のように云う。
『 |
国益(こくえき、英: national interest)は、国の利益をいう。江戸中期(宝暦〜明期)にはこの用語が登場し諸藩領国の商品生産や手工業生産における国産品自給自足の思想や経済自立化の思想をあらわす経済概念として使用された。明治期にはおもに経済概念として建議論説類にさかんに利用され、1960年代頃からnational interestの訳語として政治概念として使用されるようになった。』 |
とし、次のように続ける。
『 |
国家が独立を伴って存続する上で必要な物理的・社会的・政治的な要素を国家価値という。現在の安全保障政策は基本的にこの国家価値を守るためにおいてのみ正当とされている。しかし国家価値だけでは抽象的すぎて概念的にも不便であるため、より具体的な目標として設定されるのが国益である。何を国益と定義するのかという部分については曖昧な部分も多い。ただし、国益とは本来的に政府の利益であり、個人、特定団体の利益ではない。古くは、政治を理念、宗教、道徳から切り離し、ニッコロ・マキャヴェッリが代表としてあげられるような現実主義的な目標、また近年の外交の文脈においては、相手国との妥協や、理念を諦め現実的解決の優先することを、意味することが多い。』
(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%9B%8A>) |
これも妥当なところだろう。「国益」の概念自体があいまいだからだ。特徴的には『国益とは本来的に政府の利益であり、個人、特定団体の利益ではない。』としている点だろう。
近代民主主義国家においては国民全体の利益などという概念は理論的にも成立しようがない。国民国家を構成する国民自体の利益が相反しているからだ。こうした相反を調整する手段として国民議会が設けられ、議論と説得、妥協と駆け引きの末、多数決の原理を導入し、国家自体の意志決定を行う仕組みが民主主義だ。
なぜ、北岡が国益を「国民全体の利益」と、およそ素人めいた規定をしたかったかというと、次の文章につなげたかったからだ。
『 |
問題は(秘密の条約や取り決めの)公表が国益(北岡によれば国民全体の利益)を損なうかどうかの判断である。これは民主主義の根幹に関わる重要な判断である。外交当局者そして政府首脳は、本当に非公開とすべきかどうか、慎重な検討を加える必要がある。』 |
北岡の民主主義が逆立ちしている点はもう触れない。ここでいっていることは「国民には正常かつ冷静な判断ができない。」と云うことを前提に、外交当局者そして政府首脳は、情報の公開や非公開に慎重であらねばならない、としていることだ。この発想は、先ほども紹介した元条約局長の東郷のコメントと同質である。
『 |
政治家と官僚だけの決定でなく、透明性が必要だが、それには国民の成熟した議論が不可欠。一つの要素で安全保障を議論するのは危険。』 |
と東郷は云っていた。つまりわれわれ外交官は成熟した思考をもっているが、一般国民は、未熟である、もっと成熟しなければ、われわれと情報を共有できない、という理論で自らの密約工作を正当化している。これと北岡の記述は「国民蔑視」という点では、根底において同質だと云うことだ。
( |
しかしこの北岡は本当に東大教授なのだろうか。いやこの程度の粗雑な論理構成力で東大教授がつとまるのだろうか?そういえば、戦前にも穂積八束などという神懸かりの法学者もいたので、別段驚くには値しないのかも知れないが。) |
|
|
「核兵器に対する強い拒絶反応」 |
|
北岡の核兵器観は次の文章に凝縮される。
『 |
日本は1945年に広島、長崎の悲劇を経験し、核兵器については強い拒絶反応が国民の間に見られた。それは1954年3月の第五福竜丸事件によって、さらに強いものになっていった。いかなる政治家も、この感情には深甚な配慮を払わざるを得なかった。』 |
北岡は明らかに核兵器や核抑止論は正当だと考えている。これが成熟した思考だと考えている。だから「強い拒絶反応」という言葉を思わず使ってしまったのだろう。そしてこれは核兵器に対する「拒絶反応」は「冷静な理論」ではなく「感情」だと言い切っている。
これは北岡の思考を知る上で極めて興味深い点だ。おそらく北岡からみると、核兵器に反対する日本の市民が、未熟で、単にいっときの感情で動くバカに見えてしようがないのだろう。
もう一箇所彼の核兵器観を垣間見ることのできる箇所がある。
『 |
1960年に核兵器というとき、それは大量破壊兵器としての核兵器を意味していた。しかし50年代後半から戦術兵器としての核兵器も発展し、60年代に入ると敵潜水艦を破壊するための核ミサイル、核魚雷などが開発され、導入された。これらは、日本人が広島・長崎で想起する無辜の市民に対する大量無差別の殺傷兵器とはかなり趣を異にする。』 |
これは戦術核兵器論、戦略核兵器論としてもかなりお粗末な部類に属する。北岡はこの論を展開するに当たって広島や長崎に触れるべきではなかった。戦術核兵器は広島原爆や長崎原爆よりも小型だ、と思いこんでいるのではないか。広島や長崎の原爆は、現在の核兵器に較べると超小型の部類に属する。これは先にもふれた通りだ。兵器を破壊するのが戦術核兵器で、無辜の市民を殺戮するのが戦略兵器だ、だからこの2つは根本的に異なるものだ、とでも云っておけば良かった。しかしそう言って見たところで、事態は変わらない。戦術核兵器とはいっても出力(yield)は10万トン以上ある。すでに広島・長崎の5倍以上の破壊力だ。これを敵潜水艦を破壊する目的で使用することは、事実上無差別大量破壊兵器と同じ結果をもたらす。地球上のどこで使おうが、必ず一般市民の暮らしに深刻な影響を与えざるを得ないからだ。この人物は核兵器について何も知らないことは明白だろう。お粗末な人物だ。 |
|
NCNDと「事前協議」の論理矛盾 |
|
もう一つこの人物がいかにお粗末かの実例を挙げておかねばならない。
『 |
たとえば、安保改定に際して、事前協議ではなく事前承認とすべきだという意見があった。確かに事前協議には、事前承認と違って拒否権はない。しかし、ホスト国の日本が嫌がることを、アメリカが無理やり行うことができるだろうか。できるとしても、それは相当大きなしこりを残すだろう。実態は拒否権とそう違わないのである。』 |
よく知られているように、アメリカは伝統的に核兵器を搭載しているかどうかについてイエスともノーとも答えない政策を採っている。(Neither to Confirm Nor Deny Policy=NCND政策)
寄港する艦船に核兵器を搭載しているかどうか事前協議を求めたとしよう。「A艦には核兵器を搭載しているや否や」と問い合わせたとしよう。かえってくる答えは決まっている。「NCND」だ。その答えをもって日本は艦船寄港を拒否できるか?できない。
つまり事前承認にしろ、事後承認にしろ、事前協議にしろ、核兵器そのものを搭載・積載していることを質問すること自体、無意味なのだ。第一、NCND政策は国防省(DoD)の政策で国務省の政策ではない。だから国務省が国防省に問い合わせても返ってくる答えは「NCND」だ。外務省が事前協議する相手は国務省だろう。だから相手も知らない。お互い知らないことを事前協議しても意味はない。だから事前協議などは一度も開かれていない。
北岡の表現をそっくり借りれば、
『 |
確かに事前協議には、事前承認と違って拒否権はない。しかし、当の相手も知らないことは協議もできないし承認もできない。そのことを理由に艦船寄港を拒否はできないのだから、事前協議も事前承認も、実態は拒否権がないのと同じである。』 |
このことを北岡が知らないはずはない。しかし上記のような論理で言いくるめられると考えているところが、北岡のお粗末なところだ。プリンストン大学の客員教授だったそうだが、意外とプリンストンもたいしたことはない。まず中学生レベルの説得性だろう。 |
|
どちらが冷静、合理的で現実的か |
|
北岡の執筆した「おわりに」から。
『 |
われわれはいわゆる4つの「密約」について、密約の定義があいまいなまま、密約であるとかないとかレッテル貼りが横行していることが問題だと考え、まず密約を定義することから始めた。・・・その中で首尾一貫した議論を展開すれば、事態を総合的に判断する補助線となるだろうと考えたわけである。』 |
この人物の理論構築力、整合性調整能力はゼロではないか。
「はじめに」で「密約」に関しては「あえて統一はしていないことを付記しておく。」と自ら書いているではないか。なのに「首尾一貫した議論を展開すれば、事態を総合的に判断する補助線となるだろうと考え」この報告書を作成したと「おわりに」では述べている。
そして次のようにいう。
『 |
・・・したがって、地域の安全に対する日本の貢献は(日本国内の)米軍基地を通じて行うことになった。・・・このような複雑な背景を持つがゆえに、基地使用の権限の範囲をめぐり、いくつかの密約ないしそれに類似する事態が生じたのである。
その前提としてあらためて強調しておきたいのは、広島長崎の惨禍を受け、日本には強い反核感情があったことである。それは多くの日本の首脳にも共有されていた。米軍の一部には、この国民感情が軍事的に合理的でないと見るものがあったが、少なくともアメリカの国務省や大統領は、この感情を無視することは極めて困難であることを理解していた。』 |
ここでも「核兵器廃絶の論理」、すなわち、
を一片のつまらない、非合理的な「感情」であり、アメリカの首脳部は、そのつまらない感情にも配慮を見せてくれた、というのである。
多くの日本の市民は、北岡伸一の「核兵器観」とヘンリー・スティムソンの「核兵器観」とを冷静に比較し、どちらが合理的・理性的、現実的な判断か、どちらが「狂気」の世界の住人で、どちらが「正気」の世界の人間かを判断しなければならないだろう。
その判断を下すことは、日本の市民、ひとりひとりに課せられた責任であり、使命である。 |
|
|
|
|