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(2010.5.7) |
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No.010 |
屈辱的な岩国米軍基地
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2010年5月5日は、米軍岩国海兵隊基地(US Marine Corp. Air Station Iwakuni)の「フレンドシップデー」(Friendship Day)だった。この日「航空ショーと軍用機展示」、「子供の遊び場キッズランド」、「車とバイク展示」、「アメリカンとジャパニーズ・フード」、「ライブコンサート」、「各種ショー」など盛りだくさんのイベントが企画されていた。(www.friendship-day.netの準備した小冊子より)
この日は年に一度、日本の一般市民が基地内に入ることのできる日である。
「瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク」(<http://www.geocities.jp/setouchi_net08/>)は、この日を利用して毎年「岩国基地フィールドワーク」を実施している。この団体は、その結成趣意書に、
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米軍再編が強行されれば米軍の騒音・事故、犯罪などに苦しめられ、住民の平穏な生活と安全が奪われます。そこで、私たちは、艦載機部隊移転は「容認できない」と活動を続けてきました。
私たちは、だれもが平和で安心な暮らしを求めています。そのために、「瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク」を立ち上げました。
米軍再編により、岩国基地をいま以上強化させないことを目的に、岩国基地を取り巻く地域住民が一体となり、連帯を強め、共同の活動を進めます。』 |
と書いているとおり、「米軍岩国基地」の今以上の強化に反対する市民グループである。日本共産党の指導する反米組織だという人もいるが、そんなことは関係ない。私は私の立場で、この市民団体の趣旨に心から賛同している。それに、基地の存在に反対すれば「反米だ」、「共産党だ」と言う人が未だに存在するのかと、私はこの人の顔をまじまじと見つめた。まるで「赤狩り時代」の化石みたいな人だ。
私は同僚の網野沙羅(カメラマンでこのサイトの管理責任者)とともにこの「フィールドワーク」に参加することに決めていた。この目で見て確認したいことが幾つかあったからだ。それに広島に住んでいながら、「岩国基地」のことを何も知らないことも内心恥じていた。
当日午前9:00頃、広島駅の次の駅で、旧市内のほぼ北端に位置する横川駅から「岩国行き」のJR各駅停車に乗った。休日だというのに立錐の余地もないほど満員だった。広島ではついぞお目にかからない混雑ぶりである。実はこの人たちがほぼ全員岩国の「米軍航空ショー」を見に行く人だということを、岩国駅についてはじめて知って、驚いた。
「在日米軍の日本人市民懐柔策」はまずは大成功と云うべきだろう。
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実は後で考えてみて、この時私は内心すでにムカムカ来ていたのだと思う。) |
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岩国駅通路。
電車を降りて、西口改札口に向かう人の群れ。(西口から基地までシャトルバスが出ている)
岩国基地を目指す人々だった。乗り換えて錦帯橋へ向かう人はほとんどいない、と言っていい。
(Photo by Sarah Amino) |
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岩国駅西口前
(Photo by Sarah Amino) |
岩国駅の改札を出てみてさらに驚いた。私が見たこともないほどの岩国駅頭の混雑ぶりである。出店が出ていて、まるでお祭り騒ぎである。スーツをキチンと着こなしてはっぴを羽織った一見紳士風、経営者風の男性がハンド・トーキーで客寄せをやっているその声が、耳をつんざくようで痛い。
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後で考えてみて、この風景にも内心すでにムカムカきていたのだと思う。何故かは未だによくわからない。しっかりこれから時間をかけて考えてみることにする。) |
このフィールドワークの人たちは、最初から岩国駅から基地ゲートまで歩くことにしていた。ゲートをくぐるときに手荷物検査があるというので、ほぼ、飲み物と昼食とタバコの入った手提げ一つで荷物をまとめていた。前も後ろも人、人である。40分かかった。
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岩国米軍基地を目指す。人の流れが絶えない。(Photo by Sarah Amino) |
ゲートの前に来てみた私はまた驚いた。日本人が群がっている。列を作って待っているのではない。群がってる。
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星条旗をぐぐれば基地内だが・・・ |
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左横路地からも並んでいる |
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看板とゲートの間に米海兵隊員が立っている |
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我々の後ろにも多くの人々が群れて並んでいた
(Photo by Sarah Amino) |
「テロ対策で今年の荷物検査は厳しいようです。」とゲートの近くで、「反基地演説」をしていた人が云っていた。
「群れ」は一向前進しない。群がったままである。遠目に、まっすぐ前を見つめて立っているゲートの衛兵の胸から上だけが見える。 |
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アメリカの海外軍事基地には「友好国型」と「植民地型」がある、と何かの本で読んだことがある。もしこの説が正しいとするのなら日本の米軍基地は、岩国基地に限らずすべて「植民地型」であろう。
植民地型の特徴は、その国の「法」より基地を有する国の法体系が優先することだろう。19世紀以降西ヨーロッパ諸国の「植民地主義」や「帝国主義」は例外なくこの特徴をももっていた。日本の朝鮮侵略、中国大陸侵略もこの特徴を持っていた。いろいろな外観やいいわけを持ってはいるが、一言でいえば「治外法権主義」である。
このフィールドワークの関連資料に「米軍岩国基地の実態」という資料がある。この資料の5ページに「米兵犯罪の裁判権放棄率−日本と英国の比較」という表がある。この表<別表T参照の事>によると1954年12月−58年11月の比較では、イギリスが19.0%に対して、日本では96.3%である。これは事実上の「治外法権」に等しい。
<別表T> |
米犯罪の裁判権放棄率−日本と英国の比率
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裁判権がある
犯罪件数 |
裁判権を放棄
した件数 |
放棄率 |
@1954年12月
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1958年11月 |
日本 |
15,116 |
14,552 |
93.3% |
英国 |
8,911 |
1,689 |
19.0% |
A1970年12月
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1971年11月 |
日本 |
2,424 |
1,822 |
75.2% |
英国 |
2,118 |
198 |
9.1% |
※ |
米陸軍法務局統計(@)と米上院軍事委員会資料(A)から新原昭治氏が作成し、記者会見で発表した表に基づく |
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(出典:瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク
「岩国基地フィールドワーク2010’ 米軍岩国基地の実態」配布資料から転載) |
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1970年12月−71年11月までの10年間では、イギリスが9.1%に対して日本では75.2%である。この間「裁判権がある犯罪件数」は日本が2424件に対してイギリスは2118件と大差はない。この時期においても「在日米軍」は事実上の「治外法権」だった。
イギリスにおける米軍基地が「友好国型」とするなら、日本におけるそれは明らかに「植民地型」だということができるだろう。
ここでデータを持ち出して私が偉そうに言わなくても、岩国や沖縄の人は、そのことを体で感じて知っている。骨身に滲みて知っている。ネオ国家主義者の山口県出身の安倍晋三君や、「君が代」「日の丸」「靖国神社」を愛してやまない、横須賀出身の小泉純一郎君がこの「治外法権」状況に怒らないのはむしろ不思議だ。
「北朝鮮の拉致問題」でことさら「人権侵害問題」や「国家主権侵害」問題に熱心な民主党政権の何とかというラチもない拉致問題担当相も、米軍による「人権侵害問題」や「国家主権侵害」問題には大して興味はなさそうだ。 |
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「日本は犯されている」―ドギツイ表現になって申し訳ないが、これが岩国米軍基地のゲート前に立って、群がる日本人を眺めた私の実感だった。
あのゲートの向こうは、また日本であり、山口県であり、岩国市なのだ。決してアメリカ合衆国の領土ではない。にも関わらずその中に入ろうと、いつ果てるとも知れない手荷物検査をヒツジのように温和しく待って、ひしめき合っている群衆がいる。
この人たちは、「テロ対策」のための手荷物検査と云われれば、素直にそれを信じてヒツジのように温和しく待っている。北朝鮮からミサイルが飛んでくるかも知れない、といわれればそれを素直に信じている。「在日米軍は日本を守っている。抑止力だ。」と朝日新聞に書いてあればそれを素直に信じている。「お上」の云うことは、「権威や権力」の云うことはなんでも正しいと信じている。
自分たちにどれほどの力があるか全く気がついてない。日本人は権威や権力に弱い、とは良く言われることだ。それが日本人の特質だともいわれる。
そうではない。単に日本人は自分達のもっている潜在的な力、憲法がいう「主権在民」の力に目覚めていないだけだ。「主権在民」をまだ信じていない。
それも無理はない。日本人が自分たちの力を実感できる戦いにはことごとく敗れてきた。明治時代の「自由民権運動」、大正時代の「米騒動」、昭和に入っての「無産運動」。太平洋戦争と15年戦争の敗戦は、一つのチャンスだったが、これも「民衆革命」(人民革命)に至るまでに、アメリカ占領軍と旧日本支配層が結託する形であえなく潰された。60年安保は一つの大きなチャンスだったが潰された。「70安保」と「学園闘争」も潰された。その後日本人は、ヒツジのように温和しくなる。自民党政権を表に押し立てた官僚政府の云うがままの「国民」になっていく。「日本人のヒツジ化」は今考えてみれば、「小泉政権」と「安倍政権」の間に、それは一つの頂点に達したのだと思う。
アメリカの下請化した日本の官僚政府は、大手マスコミを操りながら、民主党政権を自分の思う方向に誘導していき、一時は「日本の希望」と見えた民主党政権は、結局「徒花」であったことを露呈した。 |
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日本人の絶望感は深い。そして「ヒツジ」となっていた方が結局は得だ、と思わされていく。
私が5月5日米軍岩国基地の目の前で見た「群衆」はそんな「ヒツジ」の群れだった。
そんな日本人に、実は自分たちには、とんでもない力がある、そしてアメリカの下請化した日本の官僚政府はそれを一番おそれている、といっても実感できるはずはない。
中国の人民は日中戦争、国共内戦を戦い抜いてやはり自分たちの力は大したものだ、と体で実感した。自分たちの不利になる政府であれば、中国共産党政権だってひっくり返してやる、という気概に溢れている。
韓国は戦後続いてきたアメリカ傀儡軍事政権をひっくり返して、自分たちの力を実感した。
フィリピンの人民は民衆革命(人民民主主義革命)をともかく闘って、マルコス政権をひっくり返し、クラーク、スービックというアメリカ空・海の二大拠点基地をフィリピンから叩き出し、スペイン植民地から米西戦争を経てアメリカ植民地、そして長いアメリカ傀儡政権を時代を経て実に100年以上の年月をかけて、事実上の独立を遂げた。
ベトナムの人民は、長い戦前のフランス植民地時代、そして短い日本占領時代、再び戻ってきたフランスの支配者、それを受け継ぐ形でベトナムを傀儡化したアメリカと戦い抜いて民独独立をとげた。
タイもアメリカの傀儡軍事政権を潰して、少なくとも1980年代には事実上の独立をとげた。
イランは、イギリスの支配からいったんは独立を遂げたが、アングロ・サクソンブロックに支えられたパーレビ傀儡政権に支配された。それを人民民主主義革命(イラン・イスラム革命)で打倒し、長い時間をかけて事実上の独立を遂げた。
いずれも人民の力である。そして彼らは自分たちの本当の力をその時それぞれ実感した。だからどこの国の人民も政府など屁とも思っていない。自分たちが主人公だということを体で知っている。 |
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気がついてみると、日本だけが、人民が自分たちの力を実感できていない国になってしまった。それだけわれわれは勝利した経験がない。
それが、5月5日岩国米軍基地のゲート前で温和しく「テロ対策」のための手荷物検査をじっと自分の順番を待っている「ヒツジ」達の群れを作ったのだと思う。
考えて見れば随分失礼な話だ。「フレンドシップ」と云いながら、基地からは整理の人間も出ていなければ、説明して回る担当者もいない。およそ「客」に対して取る態度ではない。対等な友人に対してとる態度ではない。「フレンドシップ」と云いながら、それは支配者が被支配者に対して示すフレンドシップだ。
そんな態度を取ると「客」は怒って帰ってしまうぞ、とあたりを見渡したが、誰も帰る気配はない。さも当たり前の如く、幾分あきらめ顔でゲートをくぐる時を待っている。
「これは屈辱である。」と私は感じた。(今考えてみても何故それが屈辱なのかうまく自分で説明できない。私は単にわがままな短気者であるかもしれないのだ。しかし自分が感じた屈辱感は紛れもない。)
「フィールドワーク」の世話人の方に、「私はここで帰ります。こんな屈辱は我慢できません。」と云ってしまっていた後だった。世話人の方は幾分あっけにとられた様子で、また幾分私が何が原因で気を悪くしたのか、と不審気な表情で、「ど、どうも、済みません。」と私に応じた。
私は自分が誤解されたような気分で大いに慌て、「いや、あなたのせいでは全然ないんです。申し訳ありません。が、ここで帰ります。こんな屈辱は我慢なりません。申し訳ありません」といった。 |
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帰りの電車の中で、私と網野が同じようなことを考えていたのは、事務所に帰ってすぐにわかった。
「申し訳ないな、折角の勉強のチャンスをフイにして。」と私。「いや、私も同じようなことを感じていて・・・。」「?」「帰りの電車の中でね、ずっと考えていた。私たちは、たまたま岩国を訪れて、屈辱を感じた、でも岩国の人はずっと屈辱を感じていたんでしょ。それを考えると申し訳ないと思う・・・。」「イヤ、オレも沖縄の人のことを考えていた・・・。オレが感じた屈辱の比じゃない・・・。よく我慢したなぁ、と思って・・・。」
広島で暮らしていて、岩国の屈辱や沖縄の屈辱を私たちはあまり感じなかった。鈍感だった。しかし私たちが感じようが感じまいが、「屈辱」はずうっとそこにあったし、今もある。
網野はいう。「瀬戸内ネットの人たちだって、少しでも学んでこれからの闘争に役立てようとじっと我慢してゲートをくぐるまで待っていたんでしょう?」
私への非難の響きが、その言葉のどこかに潜んでいる。そしてそれはどこか当たっている。
「学ぼうという意欲が足りなかったのかな・・・。」と私。
アメリカ兵の犯罪が起きるたびに、爆撃機が爆音を轟かして過ぎ去るたびに、交通事故を起こして基地内に逃げ込むたびに、米軍基地のゲートの前を通り過ぎるたびに、買い物に来たアメリカ兵に愛想を振る舞うたびに、起きるたびに、寝るたびに、学校へ行くたびに、空気を吸うたびに、目を開けるたびに、目を閉じるたびに、あのたびに、このたびに、沖縄や岩国の人は、恐らく心のどこかで「屈辱」を感じているのだと思う。
人間は痛みや苦しみや悲しみにはいつか慣れることができる。しかし「屈辱」にはどうしても慣れることができない。乗り越えたつもりでも、心の奥底のどこかに澱のように溜まっている。
この「屈辱」は日本人全体が共有しなければならないものだと思う。 |
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5月6日付け中国新聞17版21ページの記事。
「岩国航空ショーに26万人」の3段見出しの記事。横に「世代結ぶ舞」のタイトルで中国新聞主催の「広島フラワーフェスティバル」に関する2/3ページの記事が掲載されている。
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岩国市の米海兵隊を一般開放する恒例の日米親善デーが5日あり、26万5000人(基地発表)が航空ショーなどを楽しんだ。
新しい滑走路の運用が29日に始まるため、現滑走路では最後の開催となった。
航空ショーでは、米海軍厚木基地(神奈川県)から岩国に移転予定の空母艦載機、FAスーパーホーネット戦闘攻撃機などが急上昇や旋回を披露。在韓米空軍のU2点五月の上空通過もあった。
航空自衛隊「ブルーインパルス」の曲芸飛行にも歓声が上がった。駐機場には、約20種類の航空機が展示された。
家族5人で訪れた呉市蒲刈町の会社員OOOOさん(38)は「始めての基地の中でショーを見て迫力を感じた。来年には新滑走路で開催して欲しい」と話していた。』
(中国新聞 地域版インターネット速報(尚、インタビュー部分はネット速報版では載っていない)
<http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201005060104.html>) |
が、記事の全文である。FA18スーパーホーネットは、B61核爆弾搭載可能の戦闘爆撃である。(「厚木から岩国にやってくるもの-米軍再編」を参照のこと<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/US_JP_ST/04.htm>)岩国の人たちは、厚木からの移駐に反対して闘っている。この5月23日には「見直せ!米軍再編 5・23岩国大集会」も予定されている。
中国新聞の描き出す岩国基地はまるで「別世界」だ。この新聞はついに在日米軍の広報紙に成り下がったようだ。
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