(2011.12.25) | |
No.037 |
カール・ジーグラー・モーガン (Karl Ziegler Morgan) について その⑥(最終回) 「フクシマ放射能危機」は人災を通り越して、体制利益擁護を動機とした組織犯罪だ |
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被爆者データが核兵器開発のために使われる | |||||||||||||||
マンキューソ・スチュアートの研究の出現によって、ICRPの学説の基礎を支えるABCC=放影研の広島・長崎原爆生存者データ(LSS)に大きな疑問が出されるようになった。アメリカ原子力委員会は早急にこの問題に対処しなくてはならなくなった。 それは結局彼らのリスクモデルを大きく変更するのではなく、LSSのもとになる線量評価体系を変更することによってこの問題に対処することになった。それには好都合な出来事があった。 当時の国防長官、ジェームズ・シュレジンジャーが主導する限定核戦争構想の中で生まれてきた中性子爆弾の実戦化計画である。実戦で使える中性子爆弾を開発するには、中性子線の実戦殺傷力を厳密に評価する必要があった。それには格好の材料がある。広島・長崎での原爆で実際に中性子線がどれほどの効果を見せたかの評価である。こうして広島・長崎原爆の中性子線の再評価が行われることになった。 おおよそ以上が前回までの話であった。 ところで、中性子爆弾という新たな核兵器(実際には超小型の熱核融合爆弾-水素爆弾に過ぎなかったのだが)の開発のために、広島・長崎の被爆者データが使われていたことを、私たちは記憶に刻みつけておかねばならない。 (話は変わるが、ABCCや放射能影響研究所=放影研によって収集された広島・長崎の原爆被爆者のデータがなんにせよアメリカの軍事研究に使われるとは被爆者もいい面の皮だ。しかも放射線の被害を受けた被爆者のデータがさらなる放射線被害者を生み出す目的で使われるとは。 被爆者のデータがアメリカの軍事研究に使われることは一切拒否しなければならない。ところが実際にこれに似た事態が2009年に起きているのである。「米国国立アレルギー感染症研究所」事件である。事件のあらましは次の通りである。 米国国立アレルギー感染症研究所(NIAID)が放影研に対して、09年4月までのいずれかの時期に、「研究助成を行いたいのだが、研究助成金の申請をしないか?」と持ちかけた。その研究助成の内容は「「急性放射線被ばくによる免疫老化とその他の後遺症に関する研究」だ。放射線を被曝した人が老齢化するにつれてどんな影響が出てくるのか、またどんな後遺症が発生し、どんな経過をたどるのかを研究して報告してくれるなら研究助成金を出しますよ、申請してくれるなら有り難いですね、ということだ。以下は前広島平和研究所・浅井基文のブログから引用する。
浅井がこの事件を知ることになったのは、放影研が地元連絡協議会にこの委託研究を受けるべきかどうかを諮問したからだ。この時地元連絡協議会のメンバーは以下の通りである。=肩書きは全て当時。 浅原利正(会長。広島大学学長)、碓井静照(広島県医師会会長)、神谷研二(広島大学原爆放射線医科学研究所所長)、川本一之(中国新聞社社長)、佐々木英夫(広島原爆障害対策協議会健康管理・増進センター所長)、坪井直(広島県原爆被害者団体協議会理事長)、スティーブン・リーパー(広島平和文化センター理事長)、石田照佳(広島市医師会副会長)、三宅吉彦(広島市副市長)、浅井基文(広島市立大学広島平和研究所・所長) このそうそうたるメンバーの中で、激しく反対したのは浅井一人だったというから恐れ入る。被爆者団体の坪井直も賛成したと言うから、いったいなんのための被爆者団体なのか。なんであれ政府から金を引き出せばそれで「こと足れり団体」という他はない。 いかなる形であれ、私たち広島市民はアメリカの軍事研究に被爆者のデータが使われることには絶対反対しなければならない。多くの場合私たちの知らないところで内密に行われるので、十分に監視を強めて行かなくてはならないだろう。) |
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原爆放射線のスペクトル | |||||||||||||||
広島・長崎での中性子線の殺傷能力はどうであったのか?このことから広島・長崎での原爆放射線の殺傷能力を再評価する研究が74年から開始された。中性子爆弾開発の仕事は、マンハッタン計画以来のロス・アラモス研究所が担当した。従って広島・長崎の中性子線の研究もロス・アラモス研究所が担当した。 そうすると広島・長崎での原爆放射線のスペクトルが、従来の推定(T65Dでも使用した推定)と大きく異なることがわかったのである。 スペクトルというのは、放射線源から発する放射線の分布図である。放射線はその核種によって周波数(エネルギー)が違う。このことを利用して一定の線源からの放射線を核種ごとに分布図として示したのがスペクトル図である。 下図は産業技術総合研究所が2011年3月19日に研究所敷地内(場所は茨城県つくば市)で測定した放射線線源が放出する放射線エネルギーのスペクトル図である。自然の放射線源と見られる核種もあるが、ヨウ素133、セシウム137、セシウム134、テルル132、クセノン133など明らかに福島原発事故由来の放射線源が目立っている。(<http://www.aist.go.jp/taisaku/ja/measurement/index.html>) T65Dで求められた使われたスペクトルは、実は実際の広島原爆でのスペクトルではなく、先に見た「ICHIBAN」プロジェクト(ブレン計画)で求められたものだった。ICHIBAN計画の担当はテネシー州のオークリッジ研究所だった。一方中性子爆弾研究はロス・アラモス研究所である。ロス・アラモス研究所の原爆スペクトルは地下核実験とコンピュータ・シュミレーションで解析した結果得られたものだった。 そもそも1965年に決定されたT65Dなるものは、絶対的な線量計測システムとされていた。 (なんでこんなものが絶対的とされたのか。“絶対権威”の閉じられた世界で、お互い振り出した手形を保証しあったのはいいが最終的に不渡りになった融通手形みたいなものだった) 再び中川の記述。
T65Dが誤っているとなれば、彼らの「権威の虚塔」の信用はがた落ちである。 もともとが軍事機密のベールに包まれているわけだから、ロス・アラモス研究所原爆線量評価自体も秘密だった。だから、知らん顔してT65Dの誤りを公表する必要もなかった。もともと誰にもわかりはしない。(しかしいつかはバレる) アメリカ原子力委員会は、しかし、このことをうまく利用しようと考えた。すなわち、正しいと信用していたT65Dには誤りがあるとわかった、それは、中性子爆弾を開発中に広島と長崎の原爆放射線スペクトルの算定に誤りがあるためだ、それはある科学者のリークによって判明の糸口が暴露された、というストーリーである。 |
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“ 彼ら”の唯一の砦は“権威の虚塔” | |||||||||||||||
彼らが究極的に守りたいのは、「権威」である。科学的根拠を持たない科学者にとって最初で最後の拠り所は「権威」でしかない。「権威」の前に盲目な大衆がひれ伏し、思うままに大衆を支配すると言う構図は、古代専制国家以来お馴染みの支配の構図である。 その生命線の権威が崩れるのが彼らにとって最悪のシナリオである。 たとえば、T65Dの広島・長崎原爆の放射線スペクトルと中性子爆弾開発中に判明したスペクトルが10倍近く異なっていることを黙っていたとしよう。中性子爆弾を開発しようとするのは何もアメリカばかりではない。ソ連が開発するとしよう。(実際すでに手掛けていた)ソ連が事実を発見するのは時間の問題だ。その時T65Dの誤りがソ連の手で暴かれることになる。いや何より、その結果がマンキューソ・スチュワートの「ハンフォード研究」の結果と照合されて、「低線量では放射線は人体への影響はない」とする彼らの「放射能安全神話」が根底から瓦解してはもとも子もない。 それよりも「T65D」の誤りを認めて、新たな線量計測体系を構築する方が得策だ、それも科学者同士の自由な議論によって誤りが判明した、とするストーリーがもっとも良い、と彼らは判断した。 再び中川の引用。
オークシャーは失脚せずにディレクターに昇進したところを見ると彼がT65Dの正しさを頑強に主張したというのもまた芝居だったかもしれない。
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マンキューソ問題の大きな波紋 | |||||||||||||||
NCRPはアメリカ放射線防護審議会のことである。1946年のNCRPは、1964年アメリカ議会が正式に認めた行政機関となった。この時“委員会”を“審議会”に変更した。略称はNCRPで同じである。中身も変更はない。このNCRPの国際版がICRPである。
基本的にはICRP、NCRP、BEIR、原発の普及を国際的に推進するエンジンIAEAは、放射線の人体に対する影響に関する見解に限り同じ穴の狢である。 しかしそれは彼らの公表する見解に対して何も知らなくてもいい、ということを意味しない。事実は逆で彼らの見解をしっかり読んで理解し、キチンとそれに科学的批判ができるレベルに達するべきである。「BEIR Ⅶ」については「市民科学研究室」が「一般向け概要」を翻訳しているのでそれでおおむね理解できる。 (<http://www.csij.org/01/archives/backnumber/radi-beir_public%20new.pdf>) 中川は次のように続けている。
しかし、77年から78年にかけてアメリカでは放射線の健康影響が大きな社会問題になった。マンキューソ問題だけでなく、事故が起こらなくても原発から放出される原発からの放射能に対する不安が大きくなっていった。
この公聴会の意義は、マンキューソ問題を通じて、「低線量被曝がいわれたように決して安全ではないこと」が確認され、また「放射能安全神話」を宣伝する科学者や行政の規制当局者が核産業の利益とつながっていることがある程度明らかにされたことだった。 例えば小委員会の委員長だったロジャーズは自ら、マンキューソをクビにした原子力委員会のマークス(前出)を証人に呼んで攻め続け、マークスが核エネルギー産業・軍事産業と極めて関係の深いバテル記念研究所(Battelle Memorial Institute)の利益を代表していることを明らかにした。(“Effects of Radiation on Human Health”P783) またこれ以降、NCRPや全米科学アカデミー、ICRPは公式に「被曝量には安全なしきい値がある」とは言えなくなった。そうではなく「放射線被曝には安全な線量はない」(どんな低線量でも電離放射線被曝は危険である)ことを認めなくてはならなくなった。 (日本のICRP系の科学者にはまだ、低線量被曝は「安全」であるかのように匂わせる、あるいはそう思いこませる発言を続けている「医科学者」がごろごろいる。これは犯罪である。その片棒をかついでいる大手マスコミも同罪だ) 中川は次のように書いている。
そしてそれからほぼ1年後の1979年3月にはスリーマイル島原発事故が発生するのである。 |
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ラドフォードの「BEIR Ⅲ」委員会報告 | |||||||||||||||
マンキューソ事件、スリーマイル島事故と立て続けに打撃を受けたアメリカの核推進勢力は、T65Dの見直しを慎重に進めなければならなかった。しかし、それに伴う「放射線リスクモデル」の根本的な変更は避けなければならなかった。根本的に変更し、リスク(放射線の危険性)への評価を変えてしまえば、核兵器開発や原発推進に大きな支障がでる。 アメリカで「放射線は危険」という見方が定着してしまえば、それは世界中に拡大する。これだけは避けなければならないことだった。そうしている間に、箝口令を敷いていた「T65D」問題が明るみにでる事件が起きた。
この報告は、スリーマイル島事故直後の1979年5月(事故は3月)の発表とあって、世間の関心も高かった。それだけにラドフォード報告は核推進派の激しい批判を浴びた。 ラドフォードは、2001年10月12日にイギリスの自宅で心臓麻痺で亡くなるのだが、その時ニューヨーク・タイムスが長文の訃報を書いている。その訃報から引用する。 (<http://www.nytimes.com/2001/10/22/world/ edward-radford-79-scholar-of-the-risks-from-radiation.html>)
これで見ると、ラドフォードは核推進派が絶対に避けたい「リスクモデルの変更」に手をつけたと見られる。それで全米科学アカデミーの総反撃にあった、と見ることができる。 それは、この記事である委員が「もし指針レベルが彼の望むレベルに下げられれば、核産業などは存在できなくなるだろう。」と述べた、というエピソードに象徴される。 |
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新「しきい値論者」の弱み | |||||||||||||||
しかし中川によればそのラドフォードも白血病に関してだけは「しきい値」の存在を認めていたという。
上記二行の意味するところを理解するには少々ややこしい遠回りが必要だ。話は50年代後半に遡る。がん・白血病に放射線の「しきい値」、つまりこれ以下なら絶対がん・白血病にならないという境目の線量が存在するかどうか、という議論が行われた。今日から見ると全くバカバカしい議論であるが、当時は真剣に議論された。 核推進派の学者たちは、当然低線量被曝は人体に影響はないという立場だから「しきい値」は存在し、それ以下の被曝は安全だと主張したい。一方人体への放射線の影響を慎重に考える科学者は、どの線量にしろ「安全」だと証拠がないのだから、「しきい値」はない、とする。 よく考えれば、これは基本的には当時の議論というより、現在も続いている議論である。たとえば、放射線影響研究所のWebサイトを見ると、「福島原発関連」というコーナーが設けてあり「放影研における原爆被爆者の調査で明らかになったこと」という文書が掲載されている。それは次のようにいう。
100-200ミリシーベルト以下では「よくわかっていない」といっている。そしてもし「しきい値」ないと仮定すると、と述べ、「しきい値」があるかのようなことも匂わせている。放影研では1980年代までに解決した問題、すなわちラドフォードが言う、「被曝が小さいものとはいえ、あるいは最も線量レベルが低い時ですら、リスクは存在する」、「放射線被曝には安全量はない」という主張をまだ本当には認めていないのだ。 それよりなにより、放影研の上記主張には決定的な弱点がある、 「低線量被曝はわかっていないことが多い」と言っている点だ。通常あるリスクがあって、そのリスクが本当に人体に害があるかないかわからない場合は、「人体に害がある」とみなして、その使用や操業を禁止するのが、「安全防護」の基本原則である。そして「害がない」、「安全だ」と科学的に確認されてはじめて、そのリスク源(もうリスクではなくなっている)の使用や操業を許すという手続きが基本だし、これまでの公害・環境汚染問題から私たちが学んできたことだ。 この基本を放影研が守るなら、放影研は「低レベルの放射線被曝の人体に対する影響にはわからないことが多い。よって安全が確認されるまでは、放射線発生源となるすべての装置や設備の操業は止めるべきだし、放射線源を含む食品はただちに製造・販売をやめるべきだ。」となるはずだ。それが「安全防護」の大原則だ。 ところが放射線防護の世界ではこの大原則が全く通用しない。曰く「よくわかっていないので、年間の公衆被曝線量は20ミリシーベルトとします」とか「よくわかっていないのでお米1kgあたり500ベクレルを上限とします」とか平然と言っている。 よくわからないのなら、安全だと確認できるまで「一切使用禁止」が世の中の原則だ。この放影研のものの言い方は、50年代の「しきい値」議論が形を変えたにすぎない。50年代の核推進派は「しきい値」はあると主張した。2010年代の核推進派は、「よくわかっていないので、20ミリシーベルト、あるいは500ベクレルまではOKとします」という。これは形を変えた「新しきい値論」である。なにがなんでも人工放射線源と社会を共存させようという基本姿勢にはなにも変化はない。 放影研の医科学者たちやその他のICRP派の医科学者の多くが「医師」の資格を持っていることを考えれば、彼らのいいかたは、医師でありながら多くの人々に被曝を強制するという意味で犯罪的であるとすらいえる。 |
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核推進論者に利用された「長崎データ」 | |||||||||||||||
話を元に戻す。 50年代のしきい値論の焦点は「がん・白血病」だった。ICRPはすでに、動物実験の結果に基づいて、「遺伝的影響に関しては被曝のしきい値はない」ことを認めていたが(でもなおかつ現在でも放影研はヒトに遺伝的影響があることは科学的に確認されていない、と主張している。もう「放射能安全神話」の世界的元凶というほかはない)、がん・白血病にまで認めたわけではなかった。 「がん・白血病」にしきい値が存在する、と主張する学者はもちろん核推進派の科学者たちだった。「がん・白血病」にしきい値か存在すれば、そのしきい値以内なら「安全な被曝線量」ということになり、「被曝上限値」ではなく「被曝安全値」として、核兵器や原発の正当性を主張できることになる。 だからこうした核推進派の牙城はアメリカ原子力委員会を支える科学者たちだった。しかし、彼らにはそれを示す科学的根拠がなかった。それが決定的な弱点だった。それを補強するため、アメリカ原子力委員会を支える科学者たちは積極的に100レム以下ならがん・白血病は発生しないと主張した。 100レム、すなわち今の被曝線量に換算すると1シーベルトである。すなわち、がん・白血病にはしきい値が存在し、そのしきい値は1シーベルトであると主張したのである。 先に引用した放影研の「放影研における原爆被爆者の調査で明らかになったこと」という文書を思い出して欲しい。放影研は、極めて婉曲な言い方ではあるが、「100ミリ-200ミリ」がしきい値である(という仮説もある)と主張している。 1950年代終わりのアメリカ原子力委員会から見ると約1/10にダンピングわけだ。 (まるでバナナのたたき売りである) 50年代から60年代にかけて、「がんや白血病には、放射線しきい値がある」というアメリカ核推進派の主張(それはとりもなおさずアメリカ原子力委員会の主張であったが)、を代弁したのは、あのオースティン・ブルーズ(Austin M. Bruse)である。 「あのオースティン・ブルーズ」というやや思い入れがかった言い方をしたにはわけがある。 遅くとも1946年10月までには、放影研の前身であるABCC(原爆傷害調査委員会-Atomic Bomb Casualty Commission)は、アメリカにできていた。全米科学アカデミーの下部組織である全米研究審議会(National Research Council)のもとにできていた。オースティン・ブルーズはその創設期からの中心メンバーの一人であり、アメリカ原子力委員会の意向をもっとも体現する人物でもあった。 ABCCは47年1月には早くも「全体報告」(General Report <http://www7.nationalacademies.org/archives/ABCC_GeneralReport1947.html>)を起草しているが、その執筆者はポール・ヘンショー(Paul S. Henshaw)とブルーズである。もちろん2人ともマンハッタン計画の残党である。またこの2人は46年11月にはアメリカ軍合同調査団の一員として日本を訪れ、広島・長崎の原爆障害の実態を調査した、ばかりでなく、アメリカ原子力委員会の意向を受けてABCCの調査・研究方針の大綱を決定したと思われる。 中川は次のように書いている。
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「白血病発症のしきい値は1シーベルト」? | |||||||||||||||
「長崎被爆者の白血病に関するABCCのデータ」とはいったい何のことか? これまで述べてきたように、ABCCの調査研究方針は、「原爆障害はガンマ線や中性子線による直接被曝によるものしかない」を大前提としている。ところがこの前提(仮説)に沿った事実がなかなか見当たらない。それはそうだろう。黒い雨や残留放射能で放射線障害が起こらないと考える方がどうかしている。そのため、原爆生存者調査(Life Span Study―LSS)ではさまざまなバイアスをかけて、この仮説に沿ったデータを作っていった。わかりやすく言えばそれがLSSの全体系だ。 ところが、長崎の被爆者の白血病データだけは、ABCCの研究方針に合致したデータが出た。つまり、一見「1シーベルトが白血病発症のしきい値」と見えたのである。 つまりこの時アメリカ原子力委員会はLSSの中で自分に都合のいい結果だけを取り出して「白血病・がんの放射線被曝にはしきい値」が存在する、と主張したのである。この時、「1シーベルトが白血病発症のしきい値」と見えた理由について、中川は単に「観察対象が少ないことに起因すると考えられる」と切って捨てている。(前出書、p98) なにより、この長崎白血病データは、後のT65D体系が出てきた時点で誤ったデータとして否定された。しかし、なおもその後、ICRPの学説を信奉する学者の中には、「白血病にだけはしきい値」が存在すると信ずるものが存在した。 ここで話は、ぐっと前にもどる。エドワード・ラドフォードが全米科学アカデミーの「電離放射線の生物学的影響」(BEIR)委員会の第三回報告で「放射線被曝はいかなる低線量であろうがリスクは存在する」「放射線被曝に安全な線量はない」と主張したが、白血病にだけはしきい値が存在する、と考えた、と中川が主張しているのはこういう意味である。 ラドフォードが実際にどう考えたのか、白血病だけは例外的にしきい値が存在すると考えたのかどうかは、私には判定する材料がない。 ただ2011年の今日、ICRPといえども「がんや白血病に関して放射線被曝にはしきい値はない、低線量被曝でもそのリスクは存在することは認めている。「放射線被曝に安全な線量はない」とするのは、ICRP派の学者を含めて全科学者の共通認識であろう。 にも関わらず、日本の強硬派(核推進強硬派)の学者の中には、一般向けの話の中で、あたかも「しきい値」が存在するかのようなことをいう「学者」がいる。 先に紹介した放影研のサイトで「もしがんのリスクは被曝線量に比例的で「しきい値」(それ以上の被曝で影響があり、それ以下で影響がない境目の被曝線量)がないと考えるならば」と「しきい値がある」という考え方もあることを匂わせたり、長崎大学の山下俊一のように、「100ミリシーベルト以下では健康に影響はない」と大ピらに「新しきい値論」を展開するものもいる。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/isaac_ecrr3.html>の「山下俊一批判」を参照の事) 世界のICRPの中でも、日本のICRP派の学者は、かつてのアメリカ原子力委員会同様、最強硬派(強力核推進派)なのだ。 |
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ラドフォードの暴露 | |||||||||||||||
話は長くなったが、エドワード・ラドフォードは、1979年「BEIR Ⅲ」の最終報告書を提出しようとして、全米科学アカデミー内の強硬派(核推進派)の巻き返しにあい、報告をひっくり返されてしまった。そこでラドフォードは暴露戦術に出る。すなわち中性子爆弾開発にともない、「T65D」の見直しが進められていることを一般に公にする。今まで一部科学者の間ではよく知られているが、箝口令が敷かれていたこの問題が一挙にあかるみに出ることになったのである。 この間さまざまな問題、主としてアメリカの核推進派内部での勢力争いや利害の対立があるのだが、「T65D」見直し作業が一般に公になったことをきっかけにして一挙に進展することになった。こうして1986年新たな広島・長崎原爆の被曝量線量推定体系DS86(Dosimetry System 86)が確定することになる。 中川は前出書で次のようにまとめている。
『放射線被害の実態をその通りにリスク評価に反映させる』ことは、核推進勢力には到底できないことであった。従って、『アメリカのヒバクの被害は、日本のヒバクシャの被害(すなわち広島・長崎の被曝被害)と比較とされ、つなぎ合わされる必然性があった』としても核推進勢力に与する医科学者たちには金輪際できないことだった。ICRP派の学者(核推進勢力の学者)は今に至るも、そのリスクモデルの基礎に「ハンフォード」を取り入れることはしないで、「ヒロシマ・ナガサキ」のみに置いている。 「必然性」を積極的に活用していったのは、マンキューソ、スチュアートなど「ヒトの健康と安全を最重要視する」反ICRP系の医科学者(最近ではECRR系の医科学者を含めて)たちであった。彼らはアメリカのヒバクシャの被害とヒロシマ・ナガサキのヒバクシャの被害を積極的につなぎ合わせ、その中から、低線量被曝の実態を浮かび上がらせようとしている。 そういう試みの中から、ヒロシマとナガサキのヒバクシャ・データ「LSS」のもつ非科学性・政治性を鋭く批判している。 |
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中川保雄の最重要の指摘 | |||||||||||||||
上記文章に続けて中川はつぎのように言っている。
「フクシマ放射能危機」に直面する私たちにとって、中川の指摘の中でもこれほど重要な指摘もなかろう。 アメリカのヒバクシャの被害を軽視することは、とりもなおさず、ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャの被害(被爆者ではない)の重要視・絶対化につながり、それはとりもなおさずそれを基礎に置くICRPのリスクモデルの絶対化につながる。ICRPリスクモデルの絶対化とはとりもなおさず、「フクシマ放射能」の「被曝受忍」とならざるをえないからだ。 ヒロシマ・ナガサキの被曝を絶対視してはならない。アメリカのヒバクシャ、チェルノブイリのヒバクシャ、世界のヒバクシャの被害と比較し、そしてそれらの被害をそれぞれ有機的につなぎ合わせて評価しなくてはならない。ヒロシマ・ナガサキを絶対視することは、ICRPのモデルの絶対視につながり、それは結局「フクシマ切り捨て」となる。 話は、核推進勢力=放射線被曝強要勢力が、なぜ1965年の広島・長崎原爆線量評価システム「T65D」の見直しをしなければならなかったかであった。そしてそれは「アメリカのヒバクシャの被害」が明るみに出され(マンキューソ・スチュアート研究)、広島・長崎原爆ヒバクシャの被害が過小評価されてきたことが明るみにでそうになったからであった。 前述の如く広島の地元紙中国新聞社が1995年に発刊した『核時代 昨日・今日・明日』という本の中で、インタビューの質問に答えてカール・モーガンが、「T65D」見直し作業の理由を、
というもっともらしい説明を、私が「大ウソ」というのは以上のような理由による。 まとめて言えば、「ICIBAN計画」という大げさなショーまで行って、確定した金科玉条の「T65D」という線量推定体系のフィクションは、マンキューソ・スチュワートの研究が現れて、簡単に瓦解した。その綻びを取り繕うために、「DS86」線量体系という新たなフィクションを作り上げたということだ。決して一研究者のミスが「T65D」の見直しをもたらしたのではない。 |
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カール・モーガンの本音 | |||||||||||||||
さて再びカール・モーガンへのインタビューを続けよう。
この質問のどこが単刀直入なのかは理解に苦しむところなのだが、ともかくもモーガンは次のように答えている。
まだどこか奥歯にものが挟まった言い方ではあるが、私はここではカール・モーガンの本音が語られている気がする。
モーガンは、歯切れの悪い部分もあり、自己弁護もあった。また「ウソ」といって悪ければあからさまなおとぼけもあった。しかし「現在のほとんどの保健物理学専門家は、人々を放射線から守るより、自分の給料を守ることに関心を注いでいる。原子力産業や核兵器工場の利益のために働いている。」と語るのは晩年の彼の本音と見ることができる。 フクシマ原発事故と放射能危機は、電力会社や核産業、その代弁者である日本政府とその官僚組織とともに、「人々を放射線から守るより、自分の利益を守ること」に汲々とする多くの産業家、政治家、官僚、医科学者や物理学者などの学者が引き起こしたのだ、といっても決して言いすぎにはならない。 それは「人災」を通り越して、マフィアに劣らぬ組織犯罪だったのだ・・・。 |
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(了) | |||||||||||||||