(2012.6.6)
No.039
放射線弱者を切り捨てることのない被曝上限値

 私は、ECRR2010年勧告を読んで、私自身のための解説記事を書いている。日付を見て見ると、最初の記事「第3章 科学的諸原理 地球上の私たちはみなヒバクシャという基本認識」を上網したのが2011年6月16日。だからもう1年経過することになる。

 1年かかってやっと第9章「低線量における健康影響の確立:メカニズム」まで進んだ。(まだ先は長い。)

 第9章は、低線量被曝、とくに内部被曝がいかなるメカニズムで細胞を、人体を損傷していくかを最近の分子生物学の成果も援用しながら論じた箇所だ。その中で「集団内部と個体の感受性」という一節がある。その一節部分を抜き書きして雑観に替える。
 
 第9章の後半は、直線的ですべての要素を物理量に還元し、内部被曝による放射線損傷と外部被曝のそれとを質的に同じものと見なし、細胞レベルで発生していることをほぼ無視し、高線量外部被曝で当てはまる線量応答関係をそのまま機械的に低線量内部被曝に外挿し、「低線量被曝は健康に害があるという科学的根拠はない」と宣言するICRPの学説に対して、主として低線量内部被曝の健康損傷の要因を具体的に見てきた。

 この節ではそれをさまざまな「集団」や個体の間で発生している放射線感受性の「差」という観点から見ていこうとする。

 年齢差で放射線感受性が大きく違うことは、よく知られているし、ICRP学説でも程度のの差こそあれ、これをしぶしぶ認めている。

 しかし集団や個人の放射線感受性の差はこればかりではない。第9章のこの節では次のカテゴリーの違いを挙げている。


  ・人種 (これは自然人類学的に言う人種という意味で、コーカソイド、ネグロイド、モンゴロイドの3つの種別をあげている。これを白人種、黒人種、黄色人種という日本語に置き換えて理解することは、正確さを欠くことになろう)
  ・集団 (厳密な意味での)
  ・性別
  ・年齢
  ・生理学的差異

 これらは全て、放射線感受性について差異があるというデータが存在しているという。また動物とヒトの研究により、放射線に関して高い感受性をもつ遺伝学的な部分集団(サブグループ)も存在する。

 表9.3はこうした違いのうち性別に着目した放射線感受性の差異をしめしている。
(この表はロシアの環境学者、アレクセイ・ヤブロコフが2002年に発表した“Myth on the safety of low doses of irradiation”「低線量放射線被曝安全神話」からの引用のようだ。)




  また表9.4はほ乳類におけるオスとメスの感受性の違いを示した表である。




 
まず受胎の初期の個体の発達のそれぞれの段階で放射線感受性は異なっている。また子ども、青年、成人、壮年、老人の放射線感受性もそれぞれ異なっている。成人では45歳以上で放射線感受性が高くなることさえある。』(p93)

 一般に老人は放射線感受性が低いとされる。しかし、これは放射線に対して抵抗力があるという意味ではない。老人は感受性が低いかも知れないが、放射線耐性はさらに弱い。だから「老人だから大丈夫だ」との理解は誤りであろう。(私個人は、2012年に入って多発している高齢者の突然死-もともと弱い心臓が突然その機能を停止する-が全国的に拡大している現象をフクシマ放射能危機による低レベル内部被曝の影響ではないか、と疑っている。)

 どちらにしても、年齢による放射線感受性も一直線ではなく、もっとダイナミックな応答を示しているのだと想像する。

 中でも胎児はとりわけ放射線感受性が高い。レントゲン照射の胎児に対する広汎な疫学調査をしたイギリスのアリス・スチュワートらの研究によると、胎児の「がん」に対するリスクは大人の1000倍と解釈されている。また女性の場合、内部被曝と外部被曝では、流産の危険(X線照射の場合)は、内部被曝が外部被曝の4倍に上る、という研究がある。(Focic et al. 2008)

 さらに注目しておかなければならないのは、次の記述だ。

ヒトを含むあらゆるほ乳類の集団の部分集合内でも、個体(個人)による放射線感受性の差異が存在する。欠陥拡張性失調症の原因遺伝子(ATM gene)をもつ個体の場合、きわめて高い放射線感受性をもち白血病、リンパ腫、固形腫瘍の傾向をもつ。』(p93)

 この記述によると、糖尿病や心臓病、あるいはがんなどになりやすい遺伝子があると同様に、放射線感受性がきわめて高い遺伝子が存在する、ということになる。

 ここでいうATM遺伝子は“Ataxia=失調症 telangiectasia=毛細血管拡張 mutated=突然変異した”の頭文字である。つまり、この遺伝子をもつ人は、「毛細血管拡張性運動失調症」という病気になりやすい傾向がある。難病情報センター<http://www.nanbyou.or.jp/>の「毛細血管拡張性運動失調症」という文書<http://www.nanbyou.or.jp/2011_pdf/s204.pdf>を読んでみると、「歩行開始時から明らかになる進行性運動失調症、免疫不全症、高頻度の腫瘍発生、内分泌異常症、放射線高感受性、毛細血管拡張などを特徴とする、多臓器に渡る障害が進行性に認められる遺伝疾患である。」ということだ。

 もちろんこの文書は、ATM遺伝子をもつ人が放射線感受性が高いということを述べているわけではない。この難病について説明しているわけで、この遺伝子をもった人がすべてこの難病になるわけではない。この文書によると「毛細血管拡張性運動失調症」を発症する人は、人口10万人から15 万人に1 人、という割合だそうだ。この遺伝子自体が同定されたのは1995年だが、ATM遺伝子をもった人が放射線に対して感受性が高いことがわかってきたのは2000年代に入ってからだ。先ほどの難病センターの文書によれば、「保因者(ATM遺伝子をもっている人)」は人口の0.5%から1%だという。これは決して低い率ではない。100人から200人に1人という数字になる。あくまで可能性の話だが、年齢性別にかかわらず、100人から200人に1人は極端な放射線弱者ということになる。

 ECRR2010年勧告は、この第9章6.5節を次のような文章で結んでいる。

放射線感受性のある集団の差異は、実際に放射線治療の患者に見られている。・・・放射線被曝許容値(例えば公衆の被曝線量年間1mSv、といったような)を標準的な「人」を基礎にするのではなく、放射線感受性のある人(すなわち放射線弱者)が守られるようなレベルに設定することを要求する。(ちなみにECRRは公衆被曝線量年間0.1mSvを提案している)

これは、放射線核種を無差別な被曝が起こる環境中に放出することが倫理的再考を必要とするもうひとつの領域である。』

 私もまことにその通りだと思う。これまで見てきたように電離放射線に対する感受性、抵抗力は人により、集団によりバラバラである。どんな人にも、どんな放射線弱者に対しても、人工的に作られた低レベル電離放射線の損傷が起こらないような、そのような最低限のレベルで上限許容値が決められるべきだろう。それでなければ、私たちは「フクシマ放射能危機」を乗り切れないし、なにより数多くの、さまざまなレベルの「放射線弱者」を切り捨てることになるだろう。

 なにしろたとえばATM遺伝子を私がもっているかも知れないし、あなたがもっているかも知れないのだ。