(2012.6.14) | |
No.040 |
検証されるべきは「被曝の死の商人」の思想 |
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私は今2011年4月から7月まで断続的に9回にわたって開かれた内閣府食品安全委員会「放射性物質の食品健康評価に関するワーキング」での議論を検証しようとしている。 (<http://www.inaco.co.jp/isaac/kanren/24-2.html>) そこでの議論は批判的に読めば、「フクシマ放射能危機」に対処するための様々な知見や思想を見いだすことができ、豊かな内容を提供してくれそうだからだ。また放射能汚染食品が日本全国で内部被曝の原因因子となって、市民社会の未来を危うくする可能性が大きいことも一つの大きな理由となっている。 その目的のため、シリーズで「核利益共同体に魂を売り渡した日本の食品安全委員会」という一文を書き始めた。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/kanren/24-1.html>)現在書いている最中の一文を抜き書きして、「雑観」とする。 話はこの「放射性物質の食品健康評価に関するワーキング」の中でも、しばしば登場してくるICRP(国際放射線防護委員会)勧告のことになる。ICRP勧告が日本の放射線防護行政の隅々まで行き渡り、ヒトに、特に放射線弱者に被曝を押しつけている。また、「フクシマ放射能危機」の最も苛酷な現場、福島県の人々に不条理な放射線被曝を強制しているのが一部改訂されたICRP2007年勧告だ。 先日、事故の地元福島県双葉町長の井戸川克隆が発信した次のようなメールが回り回って私の手元にもきた。
このメールで井戸川が「表」と言っているのが次の表である。 (クリックでPDFが開きます) 確かに福島地元では、チェルノブイリ避難基準より苛酷な避難基準を押しつけられ、人々は汚染された大地に縛り付けられている。チェルノブイリより苛酷な「避難基準」を合理化しているのが、ICRP2007年勧告で打ち出された「3つのシチュエーション」の体系である。反被曝の戦いでは、特にICRP2007年勧告に対する批判が必須となる。 ところが、2007年勧告を理解するには、その祖型である1977年勧告を理解しなければならない。この一文は、1977年勧告を理解しようとするくだりである。 1977年勧告を理解するには、再び中川保雄の「放射線被曝の歴史」(1991年 科学と技術社刊あるいは2011年<増補>版 明石書店刊)に戻らなくてはならない。(「放射線被曝の歴史」は私のバイブルとなった。) 中川はICRP勧告の77年全面改定には8つの特徴と問題点があるという。そうしてその8つの特徴と問題点は2007年勧告にそのまま引き継がれている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そうして中川保雄は、77年勧告の全面改定の重要な特徴と問題点を次のように8項目にわたって整理している。やや煩雑かも知れないが、「フクシマ放射能危機」に対する日本政府の対応、またその基本原則であるICRP2007年勧告の骨子を理解し、福島県民のみならず、私たち一般市民がいかに被曝の押しつけを迫られているかを理解するにあたって重要と考えるので、丁寧に中川の整理を見ておきたい。 第1点目。・・・・・・ 第2点目。・・・・・・ さて、中川保雄が指摘するICRP1977年勧告の特徴、第3点目。
「コスト-ベネフィット解析」は今や「放射線被曝管理」に使われるだけではない。科学的な学問の手法として、社会の隅々で使われるようになった。独立行政法人中小企業基盤整備機構のサイト「化学物質のリスクマネジメントテキスト」(<http://www.smrj.go.jp/keiei2/kankyo/h11/book/3rab/index.htm>)を見ると、「コスト・ベネフィット分析」という項目が立てられており、次のようにいう。
そして次のような項目が「ベネフィット」の範疇に入るという。
「リスクが許容できないレベルであり、どうしても削減しなければならない場合を除いては、原則的にベネフィット>コストである。」と但し書きがついているものの、「許容できないリスク」とは、誰が何を根拠に判断するのか? 私はこの表を見て考え込んでしまう。もともと「コスト-ベネフィット解析」(費用便益分析-cost-benefit analysis)は、社会投資の効果(便益)を判断する手法として開発された。日本語ウィキペディア「費用便益分析」は次のように定義する。『事業が社会に貢献する程度を分析する手法である。』また英語Wiki“Cost–benefit analysis”は次のように言う。
この限りにおいては、「費用便益分析」は恐らくは有効な手法だろう。この手法で宿命的に避けられない作業は、まだ未知の費用や便益を「金銭に換算する」ことだ。恐らくこれも適切で科学的な手段を用いれば可能であろう。日本政府の官僚が「総便益」や「総コスト」が未知であることを利用して、都合のいい分析結果を引っ張り出す、そして無理矢理価値のない費用ばかりかかるプロジェクトを推進し、借金の山を作る、こういうケースも多い。しかし、それは手法の悪用であって、手法そのものの欠陥ではない。 しかしもし、この手法がその適用範囲を拡大し、そして無限に拡大していったならどうであろうか?それは本来「金には換算できない」価値までも金に換算するであろう。それが、「中小企業基盤整備機構」が掲げる「コスト・ベネフィット分析」である。ここでは「人の生命」や「環境」にまで値段がつけられている。それは手法そのものの欠陥である。 東京電力福島第一原発事故で失われた一人一人の健康や生命、つつましくも幸せだった一人一人の生活、美しかった海岸、自然の山々、海の幸、山の幸、自然環境、その他言葉にならない諸々の価値、これらに誰が正当な値段をつけられるというのか? 補償はできる。また金銭という形で謝罪はできる。しかしその値段は、決してその本来持っている価値ではない。それには値段がつけられないのだから。 中川が言うように、「コスト・ベネフィット解析」(費用便益分析)を放射線防護の基本方針に取り入れた途端、それは無限に拡大された、欠陥だらけの「コスト・ベネフィット解析」にならざるを得ない。ありとあらゆるものを「金」に変えていく「ミダス王の手」とならざるを得ない。そして命や健康や「ふるさと」が金に換算される。その命や健康や「ふるさと」は必ず安く値踏みされる。高く値踏みすれば、「原発」が立ち行かなくなるのだから。その姿は「被曝の死の商人」そのものである。
この資料は「3.2 フィルタベントのコストベネフィット評価」の中で次のようにいう。
そして次のように評価している。
そして次のように結論づけている。
私はこの文書を読んで、「この思想」が「福島原発事故」を起こし、そして今その被害を拡大しているのだな、と思った。「この思想」とはもちろん、本来金銭に換算できない様々なとり返しのつかない「価値」を無理矢理金銭に換算して、安く買いたたく思想、中川のいう「被曝の死の商人」の思想である。 (そして安く買いたたかれた東電福島第一原発の立地地元は、いまその取り返しのつかない、失った価値の大きさに茫然自失し、また安く買いたたかれている福井県大飯町は町をあげて原発再稼働を待ち望んでいる。) 現在様々な形で「福島原発事故検証委員会」が開かれているが、もっとも問題としなければならないのは、この「被曝の死の商人」の思想であろう。 |
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