(2012.6.18) 訂正2012.9.19 |
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No.042 |
【お詫びと訂正】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本記事中に引用している関西電力の美浜原子力発電所、高浜原子力発電所、大飯原子力発電所から放出されているトリチウム(液体)の2001年から2010年までの誤りがあった。簡単に言えば私が一桁読み違えたのである。お粗末極まりない。正しい表を掲載して差し替えておく。大変申し訳ない。お詫びと共に訂正する。 これに伴い本文中の文章を以下のように訂正する。(訂正は赤字)
以下本文 |
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(photo by Sarah Amino) 6・16 怒りの緊急デモ 大飯原発再稼働を止めよう! ヒロシマから |
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ただならぬ雰囲気になってきた。 2012年6月16日、ついに民主党野田政権が関西電力大飯原発の再稼働を決めた。いつぞや産業経済相枝野幸男が、北海道電力泊原発が定期点検のため運転停止になった直後(泊発電所3号機。2012年5月5日23時3分定期検査のため停止)、42年ぶりに日本国内で運転する原発がゼロになったのを受けて、「これで日本の原発稼働は、一瞬ゼロになります」と口を滑らせたが、この時大飯原発再稼働のシナリオはすでに出来ていたと言える。 野田政権は、慎重にそのシナリオを運んだ。「慎重に」というのは、日本の国民の圧倒的大多数は原発再稼働に反対していることは目に見えていたからだ。そして大飯原発の地元福井県おおい町には「再稼働要請」をさせ、福井県知事には「近辺自治体が反対しているうちは、再稼働には前向きになれない。」といわせた。これが第一幕。 第二幕は関西広域連合の登場である。表向き「大飯原発再稼働反対」を唱える関西広域連合(構成自治体:滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、徳島県、鳥取県、大阪市、堺市)、「原発地元」として、大飯原発運転の安全性が担保されないまま、再稼働には反対という立場を表明し、再稼働には絶対反対の立場か、と思わせた。大手マスコミもこれをさかんに報道した。 冷静に関西広域連合の主張を検討してみると、胡散臭いものであることはすぐ見て取れる。一般に「原発」は通常運転でも大量の放射能をまき散らす「危険装置」である。同じ危険装置でも、危険物を扱う工場、大量輸送システム、核兵器を除く兵器などと比べて決定的に違う一点がある。それは広汎に無差別に、空気を吸い、食べ物を食べる限り誰にでも襲う危険、ということだ。しかも放射能は生命力の弱いもの、抵抗力の小さいものから順番に倒していく。つまりは胎児、乳児、幼児、子どもから犠牲になっていくということだ。それはその社会の「将来」を扼殺することでもある。ましてやこれが事故を起こせばどうなるか?通常運転では大量に飛び出さない極めて危険な、電離エネルギーの桁違いに大きい放射性物質を環境にまき散らすことになる。人間の寿命という立場からみれば、その影響はほぼ永久に続く。これは、私たちが「チェルノブイリ事故」でも経験したことだし、現に今「フクシマ放射能危機」の真っ最中ではないか? また一般に人間が作りだした装置で事故を起こさないものはない。地震や津波がなくても事故は起こりうる。現にイギリスの兵器級プルトニウム工場ウィンズケール事故、アメリカのスリーマイル島事故、旧ソ連のチェルノブイリ事故もいずれも自然災害が引き金になった事故ではない。そのほか無数の核事故が歴史上発生したが、苛酷事故に至らなかったのは単に運が良かったに過ぎない。核施設に限らず、人間が作りだした装置や施設で事故を起こさなかったものはない。それでは、なぜ、核兵器、原発など核施設・核装置が特別扱いされるのか?それはいったん事故を起こせば、地球規模で取り返しのつかない災害となるからだ。いのちを、健康を、かけがえのない自然やふるさとを失い、もう二度と取り戻せなくなるからだ。それは福島原発事故でイヤというほど今、経験中ではないか。 いやそもそも、広島・長崎の原爆で私たちが一番理解していなければならないことではないのか? しかもその放射能の量たるや、広島・長崎原爆などは、現在の核施設や核兵器が扱う放射能の量に比べればその足下にも及ばない。広島・長崎原爆ではその放射性物質の量は、ウラン-235にしてもプルトニウム-239にしても数十キログラムの単位である。今の核施設は一カ所あたり数十トンの放射性物質を扱う。ケタが、オーダーが全然違う。核装置としてはほんのよちよち歩きのベビーだった広島・長崎原爆は、70年近くも経た今は手に負えないモンスターに成長してしまっているのだ。 そのモンスターである関電・大飯原発に安全性が担保されていないから、再稼働は認められない、と関西広域連合は主張した。誰にも保証のできないことに保証を求め、それを条件としたのである。これが関西広域連合の胡散臭さであり、その胡散臭さは後になってバケの皮が剥がれる。 野田政権が描いたシナリオの第三幕は、「電力危機キャンペーン」である。思い出してみて欲しい。福島原発事故の直後、東京電力は派手に「電力危機キャンペーン」を開始して首都圏で計画停電までやって、社会を大混乱に陥れた。つい15ヶ月前である。原発を止めるとこうなるぞ、という威しだった。新聞もテレビも微に入り細に入りこの様子を報道し「危機」を盛り上げた。タイに販売したガスタービン発電設備2基を東電が買い戻して、設置するが、稼働に何ヶ月もかかるなどという報道も行われ、いやが上にも「危機」を盛り上げた。(そういえばあのガスタービン発電設備はどうなったのか?恐らく組み立てもされずにどっかの倉庫に梱包のまま寝ているのだろうな) しかし、その後東電管内の原発は停止しこそすれ、再開はひとつもなかったにもかかわらず、計画停電は二度と行われなかった。電力危機もなかった。それもそのはずである。もともと日本は、発電設備過剰なのである。その過剰設備を稼働させ電力需要を伸ばそうと、「オール電化住宅」や「真空調理」のキャンペーンをずっとやってきたのではないか? しかし今回の「電力危機キャンペーン」は、昨年のキャンペーンの失敗に懲りて、やや手が込んでいた。関西広域連合に「電力需給」の検証をさせたのである。関電発表資料では信用されないから、このやや手の込んだやり方となった。しかもこの検討会には飯田哲也などといった反原発派と目される人も入っていて、その結論には一定の信憑性があった。(しかしこの飯田哲也という人物も相当胡散臭い) そして原発ゼロだと、他社融通電力や購入電力を増やしても、今夏需要に対して10%-15%足りなくなると結論を出させた。(2012年5月19日付 関西広域連合エネルギー検討会電力需給等検討プロジェクトチーム 「関西電力管内における今夏の電力需給見通し等の検証結果(概要)」を参照のこと) しかし、この検討会が「足りない」と結論を出すのは当然であった。関西電力提出の資料を使ったからである。そして関電の資料は昨年までの「需給バランス」を問題のスタート点としていたのである。 なぜこんなバカバカしい茶番劇を演じなくてはならないのか?冷静に考えてみて欲しい。どこの企業で、のっぴきならない供給能力を算定するのに昨年までの供給実績をベースに考えようか?供給量は生産能力の関数である。決して昨年までの供給実績の関数ではない。今夏電力が足りるかどうかの議論をするのだから、当然関西電力の電力生産能力から出発しなければならなかった。しかし検討会はそうしなかった。結論は最初から見えている。 あとでも触れるが、関西電力の水力発電、火力発電の生産能力から出発すれば、関西電力は(関電に限らないが)すでに電力生産設備過剰だということはすぐ見て取れた。(なぜ電力業界のこの常識が一般社会で共有されないのか不思議である。発言すべき人間が黙っているからだ、という他はない。それほど我が身が可愛いか?日本の将来を誤っても我が身が可愛いか?電力業界の諸君。) 第四幕は、関西経済界の「不平・不満」である。その言うところは、「昨年でも節電に協力した。もう協力できるのりしろはない。10%から15%の節電などとは到底無茶だ。」 関西経済団体の主要メンバーはおおむね日本を支配する大企業である。そして日本を支配する大企業の多くは(全部とは言わない)、国際的な核利益共同体に属している。電力会社はもちろんのことだ。電力会社は今や単なる電力会社ではない。そのグループに多くの大企業、中堅企業、中小企業を抱え込んでいる。関西電力だけを取ってみても、その子会社に、インターネット・プロバイダー、CATV事業者、情報システムコンサル、ガス製造・販売業、LNG貯蔵・送出業務、太陽光発電などの新エネルギー事業、有料老人ホームの経営、不動産、決済代行、ホームセキュリティサービス、電化・住設器機の販売、健康管理業(原発をやめるのが一番の健康管理だが)、ビル開発・住宅販売、マンション・オフィスビル管理業、黒部峡谷鉄道、原子力関連エンジニアリング・研究開発、環境土木コンサルティング、広報・広告代理業、リース業、金融業・投資業、海外LNG投資、LNG輸送、ウラン濃縮事業への投資など合計約60社を直接の子会社としている。その他日本原燃(青森県六ヶ所村再処理工場)、関西以西の電設工事の大手「きんでん」、サンロケ・パワー(フィリッピンの水力発電)などの大株主でもある。 核(原子力)ビジネスの中核を担う三菱、東芝、日立などの器機・設備メーカー(及びその関連のグループ企業)、核ビジネスの商取引の中核である三菱商事や三井物産、金融や投資を担う大銀行など大手金融機関、施設や設備の建設や保守管理などを担う大手・中堅ゼネコン、材料や原料を担う大手化学メーカーなどなど数え上げていけばキリのない大企業群とそのグループ企業、東京証券取引所第一部に上場している企業で核ビジネスに直接、間接に関与していない企業を見つけるのがむつかしいほど、彼らは同心円状的に巨大である。核利益共同体とは単に核ビジネスにタッチしている企業群ではない。こうした同心円状に巨大な企業群に、政治家、高級官僚や中堅官僚、学者、研究者、有名大学、研究機関、大手広告代理店、大手マスコミやジャーナリスト、コンサルタントまでを巻き込んだ、一種の支配体制であり、エスタブリッシュメントなのである。 彼らが一斉に「もうこれ以上の節電は無理だ」と宣言した。(出来レースである)これに関西地域の中小零細企業が「節電はできない」と音をあげた。(これは出来レースではない。実際に彼らに節電の余地はない。)これをまたマスコミが詳細に報じ、「危機感」を煽った。 第五幕は、関西広域連合の「降参」である。電力不足を考慮すれば大飯原発再稼働やむなし、と転じた。 頃合いはよし、福井県知事のいう「広域地元の了解」もとれた、あとは関係閣僚の決定だけである。そして野田政権は6月16日午前中大飯原発再稼働を決定した。(しかし、誰が野田政権にこれほど重要な決定を行う権限を与えたのか?誰も与えてはいない)そして手回しよく同日、土曜日にもかかわらず午後2時すぎには、関電は再稼働作業に入ったのである。 しかし、日本の多くの人々は、大飯原発の再稼働には反対である。6月15日には約1万1000人の人が「再稼働反対」を唱えて東京・千代田区永田町の首相官邸を取り囲んだ。
話は変わるが、日本の主要報道機関は新聞、テレビを含め「1万1000人、大飯原発反対で首相官邸を包囲」を一切伝えなかった。外国の報道機関もほとんど伝えなかった。 私が調べた限り、主要な外国報道機関で、5月15日首相官邸に抗議のため1万人の人が集まった、と報じたのはロイター通信(<http://www.reuters.com/article/2012/06/16/us-japan-nuclear-idUSBRE85F027201206>)だけだった。(ロイターの記事を転載する形で報道した新聞は多い)イギリスのBBCは野田首相の大飯原発再開決定を報じたあと、日本の世論調査を紹介、多くの人が大飯原発再稼働に反対している、と報道するに止めている。 しかもそのロイターも日本語版になると、「首相官邸を1万人が取り囲んだ」という部分は一切消されている。(<http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE85F00Q20120616>) これは一体どう考えたらいいのか?日本語では厳重な報道自主規制が行われた、と考える他はない。大飯電発反対で首相官邸に抗議のデモがあってそこに1万人以上の人が集まったこと自体がニュースにはならないと判断した、という事も考えられる。しかし、これがニュース価値はないと判断した、と考えることは難しい。 というのは、翌日6月16日、野田政権が大飯原発の再稼働を関係閣僚の間で決定した後、堰を切ったように英語メディアも日本語メディアの首相官邸でもを報じたからだ。しかしこの時も、ほぼ全て1万人(ないしは1万1000人)もの人々が前日首相官邸に集まって抗議した、とは一切触れず、「300人のデモ」集団が抗議した、という内容だった。 「一万人」ならニュース価値はなくて「300人」ならニュース価値があるという判断はあり得ないだろう。従って状況証拠から見ると、日本の主要報道機関は「1万人以上」が首相官邸に抗議に集まったことは報道しない、と取り決めていたと考える他はない。 15日夜、首相官邸デモを見に行ったあるフリージャーナリストは、集まった人たちが1万1000人と聞いて「日本の大手マスコミは大衆を押さえ込むのに失敗した」と呟いたそうだが、これが案外正解だったかも知れない。
また何も野田政権が再稼働を決めたところで、再稼働が実現するわけではない。大飯原発が正常運転するまでには1ヶ月もある、逆にいえばここが正念場だ、という見通しも正確にもっていた。
3人でも立つ、これが実行委員会のメンバーの考えだったろう。というのは当日まかれたチラシに次の文句があったからだ。『黙ってたらYESと同じ』 (当日の配布チラシ。クリックでPDFが開きます) その通りである。反対なら反対と意志表示をし、行動で示さなければならない。反対の意志表示をせず無関心・無知識で原発に対応していたから、それをいいことにしてどんどん原発を増やし、その結果、福島原発事故が起きたのだ、ともいえる。(これは私自身の強烈な自己反省でもある。それまでの自分の対応をどれほど後悔したか・・・) 二度目の「福島原発事故」(それは福井原発事故、と呼ばれよう)を絶対許してはならない。しかしそのためには、まず自分が立つこと、きっちり意志表示をすることではないか。 私がこのデモのことを知ったのは6月14日に目に止めたグループメールの連絡によってだった。すぐに取材しようと決めた。この3人の行動を伝えなくてどうするか。この3人の危機感を共有しなくてどうするか。 ところが、当日は広島は朝から雨降りだった。私はぐずぐずしてなかなか同僚の網野沙羅との待ち合わせ場所の事務所にでなかった。(雨の日は外出しないというかおっくうなのである。先ほどの意気込みはすでにかなり割引勘定となっていた。私はもともと怠け者で軟弱だ。) 事務所に出たころには、予定していた路面電車でデモ集合場所の原爆ドーム前に行くには遅すぎた。網野に引きずられるようにタクシーに乗り込んだ。よせばいいのに網野はタクシーの運転手さんに行き先を告げる時に、「今から大飯原発再稼働反対のデモに行くんですよ」と付け加えた。運転手さんはすぐに「再稼働、いかんですよ。安全じゃないでしょ。そりゃ電気が足りないのはわかるが。」と反応してきた。私は「おや?」と思った。庶民の声は大抵タクシーの運転手さんに聞いてみるとわかる。いつもは無関心を決め込んでいる広島の雰囲気は変わりつつあるのではないか、と感じた。 集合場所に行ってみると、原爆ドーム前の公衆トイレの軒先で3-4人が雨宿りしている。集会開始の午後1時にはまだ4-5分あった。顔見知りの1人に「今日はこの人数でデモ行進ですか?」と私は聞いた。大爆笑となったのだが私は本気で聞いたのである。 集会は予定より遅れて午後1時過ぎに始まった。人数を数えると20人ほどだった。若干進行して呼びかけ人の一人、森本道人の「呼びかけ」になった。人数を数えるとどこから現れたのか知らないが40人ほどになっていた。みんな傘をさしているか雨合羽をきこんでいる。若い母親と連れだった4-5才くらいの男の子が二人、集会ビラを渡している。このビラも当日午前中に刷り上がったものだ。
特にひどいのはコストが安いはずの水力発電である。この年度関電管内の出水率は109.1%だった。つまり特にひどい水不足の年ではなかった。というよりも関連河川の水量は過去30年間の平均に比べてほぼ1割り増しだったのである。にも関わらず、別表1を見てわかるように、関電傘下主要水力発電所20カ所の常時発電量は認可された発電設備出力に対してわずか5%だった。
同じく出力120万6000kWの奥吉野水力発電所(奈良県吉野郡十津川村)も「発電機は、全部で6台備え、総出力は120万6千kWで、ほぼ奈良県全域の需要をまかなうことが出来る発電所です。」(<http://www.icee.gr.jp/sisetudb/prev.php?id=823>)というが、常時発電ゼロでは、携帯電話一個の充電もできまい。 火力発電については、常時出力が公表されていないので、設備容量に対して実際の常時発電量がわからない。しかし先ほどの設備利用率を参照すれば、これだけの発電設備の1/3は寝ていると容易に推測ができる。 さて森本のスピーチにもどろう。
日本の支配的報道機関がなぜ6月15日「大飯原発稼働絶対反対を叫んで首相官邸を包囲した1万1000人の人々」を無視したかこれで説明がつく。支配的報道機関は、大飯原発再稼働に反対する人が一晩で1万人もいては困るのである。(300人ならOKである。いつの時代にもへそ曲がりや分からず屋はいるものだ。)なぜなら大衆は「感情的な煽動に乗りやすい愚か者」であり、つまらぬ報道をしては全国に火がつきかねない。 (しかし彼らはインターネットの力をまだ見くびっている) 次の森本の話が肝心要である。
いやすでに「大飯原発再開だけでは電力がたりない。次にできるだけ早く再開しなければならない。」の声が出ている。その「威し」を主要報道機関は大げさに増幅して見せている。(なぜ、6月16日朝のトップニュースが「オウム真理教」高橋某の逮捕なんだ?なぜ大飯原発再稼働ではないのだ?私個人は菊池某、高橋某逮捕劇はタイミングを計ったものだと考えている。でなければあれほど大げさで繰り返し繰り返しの報道は考えられない。主要報道機関はやり過ぎてかえって馬脚を現した。特にNHKとTBS。)
この発言を裏付けるように、飯舘村から家族で避難してきている青木夫妻は特別に発言を求められ、短く次のように言った。
森本は次のように自分のスピーチを締めくくった。
前日の首相官邸デモでも、官邸に向かって「野田元首相」のヤジが飛んだり、野田首相退陣の声がでていた。今事態はそこにさしかかっていると言えよう。 デモは予定通り、午後1時半にスタートした。原爆ドームからすぐに相生通りを横切って元市民球場の前を通って紙屋町交差点を目指した。こころなしか人数が増えている。たしか集会が終わった時点では50人くらいだったはずだ。数えてみた。60人いる。いつ増えたのだろう。
本通り商店街を左に曲がって金座街に入って短い金座街が尽きるころ、私は人数が増えてきている感じがした。数えたら70人いた。いつ増えたのだろう。 金座街から相生通に出て、それから原爆ドームに向かって歩いた。復路というわけだ。デモのしんがりについている、小さな傘を花びらのようにさしている、小さな子どもたちはいずれも疲れたか、明らかに飽きてきている。それでも健気にちっこい足を動かして一生懸命歩いている。 私の左側の1人の小さい子が、飽きたのかしゃがんだ。すると鋪道から細身の老人がその子にささっと近寄って来てしゃがんで何か言った。子どもはすっくと立ち上がって元気に歩き始めた。老人はそのまま歩道に戻ってすぐ雑踏の中に消えて見えなくなった。その老人はその子になんと言ったのだろう。その老人は何者だろう。何を言ったのかは、その子の母親が後で投稿したツィートが回り回って私の手元に来たので判った。 母親のツィートにはこうあった。
老人が何者か判らずじまいである。それにそんなことはどちらでもいい。 そのころ心なしか人数が増えている気がした。数えた。80人だった。広島カープのユニフォームをきたモヒカン刈りの人も入ってきた。 いよいよ紙屋町交差点を渡って原爆ドームへの復路、いわばホームストレッチにさしかかる。家電量販店のデオデオ本店前を過ぎたころ、本通り方面からバタバタバタと若い男女が何人か、デモ隊に入って溶け込んだ。プラカードかゼッケンをもっている。なんと書いてるのかわからない。私はまた人数を数えなくてはならない。90人だった。 堂々(?)90人にふくれあがったデモ隊はこうして無事原爆ドームに帰り着いて、小さな集会を持って解散した。 帰りの電車の中で、私は広島の雰囲気が変わってきていることを反芻した。 (デモ出発時。約50人)
(アーケードを抜けたら、参加する人が増えていることに気が付いた。後ろの人はプラカードがない) (再稼働反対!) (最終的には約90人のたデモ) |
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