(2013.3.31)
No.054-2
反原発運動は、とりわけ反被曝運動でなければならない
脱原発大分ネットワーク主催:「放射能安全神話で子どもの未来が危ない」
その② 哲野イサクの報告-1



哲野イサク 報告『放射能汚染食品による極低線量内部被曝の健康損傷』・・


大分県発行『放射線ってなんだろう?』

 講演(報告)の前に大分県が発行している『放射線ってなんだろう?』と題するパンフレットを渡された。主催者のお一人がそれを私にわたしながら「今日のお話しの中で是非そのパンフレットの内容に触れて欲しい」と注文を出された。

(クリックすると大分県webサイトより
  PDFをダウンロードできます)

<大分県の食品安全・衛生課より>
http://www.pref.oita.jp/soshiki/
13900/housyasen.html
 このパンフレットの最後の方のページに大分県の食品・安全衛生課長の河野昭二名で、「物理学者で随筆家の寺田寅彦の言葉に“物事を必要以上に恐れたり、全く恐れを抱いたりしないことはたやすいが、物事を正しく恐れることは難しい。”があります。この読本が、放射線・放射性物質を正しく恐れることの一助になることを願っております。」

 寺田寅彦が本当にこう言ったのかどうか、引用文献が明示してないので何とも判定しがたいが、「放射線・放射性物質を正しく恐れなさい」といっていることは明白だ。しかし、「正しく恐れる」べきなのは「放射線や放射性物質」一般なのではない。私たちが正しく恐れなくてはならないのは『電離放射線を発する人工放射性物質による低線量内部被曝の影響』である。河野課長の指摘(“正しく恐れるべき対象”)は的を外れている。あるいは意図的に的を外している、というべきか?あるいは河野課長はこのパンフレットに書かれてあることを正しいと信じているのか?(私はその可能性が高いと思う。人は自分が信じているからこそ他の人を誤魔化せる。自分でウソだと知りつつ他の人をなかなかだませるものではない)

このパンフレットの一番最後のページ、いわば奥付けページには次のように記されている。

「2012年8月31日 第2版 編 集 者/大分県食の安心情報提供会議
     [委 員]甲斐 倫明  新山 陽子  関澤  純
          田中  竜  高橋 陽子  井上 昭二
     [事務局]大分県生活環境部 食品安全・衛生課 発行/大分県」

 委員のうち甲斐倫明(みちあき)氏は、大分県立看護科学大学教授で、理事長(学長兼任)の草間朋子氏に次ぐ3人の常勤理事のうちの一人だ。いやそれよりも甲斐氏は、国際放射線防護委員会(ICRP)の第4委員会の委員一人であり、日本を代表するICRPのイデオローグの一人でもある。また朝日新聞を始め大手マスコミや地方自治体が主催する各種講演会で「放射線は怖くない」と題する講演をして回っている『放射能安全神話』の“神官”の有力な一人でもある。

 従って甲斐氏は、専門家ですら理解に手こずる難解なICRPの教義を、無知蒙昧な一般大衆におごそかに託宣する、「ICRP教」の教祖集団の一人でもある。

 このパンフレットの内容を一目見て、これは今日の報告で是非とも触れないわけにはいかない、と考えた。


<スライド1 はじめに>
 私たちは、放射線医学も核物理学も全くのシロウト。全くの一般市民。しかし福島原発事故以降、これはいけないと考え、一市民、一生活者の立場から必死で勉強・研究した。今日はその一端を皆さんに報告し、皆さんが考える材料の一つとしていただきたいと思う。

 全くのシロウトとはいったが、シロウトであることの利点もないことはない。これまで特に放射線医学の専門家や医師が学んできた「放射線」や「放射性物質」に関する知識や知見は相当バイアス(偏見や歪んだ認識というほどの意味で使っている)がかかっている。専門家はこうしたバイアスから脱却するのが一苦労。私たちシロウトにはこうしたバイアスがないので、100%私たちの健康や生活に関する立場から、「放射線問題」を眺め、認識することができる。原発など核施設が社会・経済にとって必要か、そうではないかなどと言った視点や、原発など核施設が私たちの社会にもたらす便益と、私たちが放射線から受ける健康被害(害)とどちらが大きいか、などといった視点から眺める必要もない。私たちシロウトの方が素直に「放射線問題」と取り組みことができる。この点はシロウトの方が圧倒的に有利。


<スライド2 東電福島第一原発から放出された放射能>

 福島第一原発事故で放出された放射能の量はどれくらいか?様々な推計がある。メルトダウンが起こった後2011年3月14日-15日の2日間で大気に放出された放射能は、ヨウ素131及びヨウ素131に換算されたセシウム137の総量を、旧原子力安全・保安院は33京Bq、旧原子力安全委員会は66京ベクレルと試算した。また、2011年6月日本政府は『原子力安全に関するIAEA閣僚会議』に放出放射能は「空気中への放出」をヨウ素131 について約1.6×1017 Bq(16京Bq)、セシウム137 について約1.5×1016 Bq(1.5京Bq)」と推定した。(海水中への放出は別途)

 また東電は、2011年6月6日の時点で、別表の通り1~3号機炉内から、ヨウ素131を16京Bq、セシウム134を1.8京Bq、セシウム137を1.5京Bq放出したと推定している。その他、キセノン133が1100京Bq、テルル132が8.8京Bqなどが出ているので、全体としてはヨウ素131に換算して70京Bq近い放射能が放出されたと見るべきだろう。しかし、この数字もある時期に限定して使える数字だ。というのは、福島第一から放射能放出が止まったわけではないからだ。事故から2年以上経過した今現在もセシウム134と137の合算で1時間1000万Bqの放射能が放出しており、放出そのものが止まったわけではない。(海洋に液体の形で放出されている放射能は評価されていない)

 今現在はこの点がもっとも重要な点だ。福島第一からの放射能放出は現在も継続している。大気中へも海洋へも放射能は出続けている。


<スライド3 私たちへの健康影響-ICRPの見解>

 こうした厖大に放出され、また放出され続けている放射能の私たちへの健康影響はどう考えたらいいのであろうか?現在世界の主要な国における放射線防護体系は、ごく一部の国(たとえばドイツ。ドイツは独自の放射線防護体系を持っている。ドイツ放射線防護令)を除けば、ICRP(国際放射線防護委員会)と呼ばれる国際組織が定めた放射線防護体系とその放射線リスクモデルを採用し、ICRPの放射線防護に関する勧告をほぼそのまま受け入れている。

 そのICRPは、低線量放射線被曝に関し、ほぼ次のような見解をもっている。

1. 確定的影響は別として確率的影響(被曝線量1Sv以下)での健康損傷は、ほぼがんと白血病である。(一部IQ低下と動物実験における損傷の遺伝も認めている。しかしヒトでは認めていない)
2. がん・白血病は被爆後5年経過して発症する。
3. しきい値なし直線仮説(LNT)は認めるが、実際問題実効線量100mSv以下の被曝で健康に損傷が出た、という科学的証拠はない。(これは、事実上100mSvまでの被曝は安全だという、放射能安全神話の根拠として使われている)
4. 外部被曝のリスクと内部被曝のリスクには違いはない。被曝線量が同じならば内部被曝も外部被曝も同じ健康リスク。


大分パンフ「20 胎児への影響」
 「3.」の放射能安全神話に関していえば、前述大分県の発行した『放射線ってなんだろう?』というパンフレットの『20 胎児への影響』では次のように述べている。

 ● 約100ミリシーベルト以下(しきい値)の線量では生じない」

とはっきり100mSvを影響がある境目の値(しきい値)として扱い、100mSv以下を健康影響のでない被曝線量と述べている。これはICRPの公式見解を大きく逸脱した「新しきい値論」とも呼ぶべき記述である。さらにこのページは次のように続けている。

・・・この中で器官形成期において最も影響を受けることがわかっていて、主な影響は奇形や発育遅延などです。また、胎児影響にはしきい値があり、約100ミリシーベルト以下では生じません。」
この記述は本当に正しいのだろうか?

 100mSvをたとえばセシウム137の放射能濃度に換算してみよう。ICRPの実効線量被曝係数をほぼ丸写しした『文部科学省告示第五十九号 放射線を放出する同位元素の数量等を定める件』という文科省告示(2012年3月28日最終改正)に添付されている付属資料『濃度確認に係る放射能濃度』に従うと、「経口摂取した場合の実効線量係数」(すべて経口摂取したものと仮定する)では、セシウム137は『1.3×10-5mSv』の換算係数となる。これはセシウム137=1Bqの経口摂取した時の内部被曝線量は、「1Bq=0.013μSv」だと言っていることになる。100mSVは100,000μSvだから、この換算係数を使って100mSvの内部被曝濃度を求めることができる。こうして計算してみると、100mSvに相当するセシウム137の体内濃度は、約770万Bqということになる。断っておくがこれは体重1kgあたりのセシウム137濃度である。もしこの女性が体重50kgとすれば、体内に770万×50Bq=3億8500万Bqのセシウム137を蓄積していることになる。つまりこのパンフレットは、セシウム137で見てみると、1kg当たり約770万Bqのセシウム137(体重50kgとすれば3億8500万Bq)を蓄積しても、胎児はおろか母胎には全く影響がない、と断言しているのである。
(この記述を信用する妊婦が存在すると、このパンフレットを発行する大分県を傷害教唆で告訴することができるだろう。あるいは妊婦や胎児が死亡すれば、過失致死罪に相当するかもしれない。もしこの記述がデタラメと知っていたら、未必の故意、すなわち殺人罪である)

 
 これら低線量被曝、特に低線量内部被曝に関するICRPの基本見解は、これまでの医科学的証拠から見て正しいのであろうか?


<スライド4 ICRPの性格とその役割>

 国際的な勧告組織ならば、本来その性格は中立・公平でなければならない。中立・公平な組織はまた、各国放射線行政機構や放射線防護研究機関などからは独立していなければならない。また当然のことながら自前の研究機関、自前のスタッフを持っていなければならない。そうでなくては、各国放射線防護行政機関の誤りや規制のあり方に対して客観性に富む信頼できる勧告はできない。各国研究機関とも同様に公平・中立、独立した立場を保持していなくてはならない。

 ところが実際にはそうではない。ICRPのWebサイトを閲覧すれば一目でわかるが、本部の住所がない。本部がないからだ。研究所の住所がない。自前の研究所を持たないからだ。有給の職員は1人しかいない。現科学幹事のクリストファー・クレメント一人きりだ。
クレメントはカナダのオタワが自分の本拠なので、NHKの「追跡!真相ファイル76『低線量被ばく 揺らぐ国際基準』(2011年12月28日放映)」は「ICRPの本部があるオタワに科学幹事のクレメント氏を訪ねた」ともっともらしいことをいっている。クレメントが科学幹事に就任したのは2008年のことだが、それまで10年以上科学幹事だった「ICRPの名物男」ジャック・バランタインの本拠はスエーデンのストックホルムなので、この時はさしずめICRPの本部はストックホルムということになるだろう。

 ICRP(基準や放射性被曝リスクモデルを定める組織、と位置づけられている)は、各国の放射線防護行政担当者やその諮問委員や審議委員、あるいは各国の放射線医学研究機関と人的にも繋がっている。またICRPは国際的な評価機関や原発など核施設を運用する安全基準を提言する機関とも人的に折り重なっている。代表的には国連の放射線被曝評価機関である「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCAER)や国際的な核の産業利用エンジンである「国際原子力機関」(IAEA)などであろう。これら研究機関、基準・モデル決定機関、評価機関、防護行政機関、核の産業利用推進機関は国際的も各国内でも人的の繋がっており、同じ研究や評価、モデルが使い回されている。

 ICRPは客観性、公平性、独立性のいずれの観点からも非常に歪んだ国際組織だということができる。


ICRPの日本委員

 たとえば、ICRPの日本委員を例にとってみよう。ICRP主委員会(Main Committee)の中には京都大学名誉教授の丹羽太貫氏が入っている。丹羽氏は広島大学原爆放射能医学研究所(原医研)の教授として、広島原爆被爆者の放射線傷害研究にあたってきた。その実績を背景にして、京都大学放射線生物研究センター教授に就任。2007年放射線医学総合研究所(放医研)重粒子医科学センター副センター長を務めてから、2009年バイオメディクス株式会社という会社の社長に就任。バイオメディックスは2003年設立の会社で、「癌や症状の重い自己免疫疾患の治療薬を研究開発するバイオ医薬品企業」となっているが、資本系列は住友銀行系(現三井住友銀行系)の会社である。丹羽氏は2012年度に社長を退いているが(恐らく2013年3月末)、その間国際放射線防護委員会(ICRP)第1委員会委員(2001-2009年)、主委員会委員には2009年に就任して現在に至っている。また現在は原子力規制委員会傘下で開店休業状態の放射線審議会(文部科学省から移管)の会長代理をつとめ、2011年からは会長になっている。(原子力規制委員会管轄下で丹羽氏が引き続き放射線審議会委員であり続けられるかどうかは大いに疑問である)さらに丹羽氏はABCC(原爆傷害調査委員会)の後身である放射線影響研究所(放影研)の評議員でもある。

 つまりこういうことだ。丹羽氏は広島大学・京都大学と放射線医学の研究者として「客観的な」研究データを提出する立場にあった。放医研での立場もそうである。しかし研究者の立場でありながら、研究データを「客観的・中立・公平」の立場から批判・評価し、放射線被曝影響のリスクモデルや放射線防護行政の勧告を各国政府当局者におこなう立場のICRPの委員をつとめていた。そればかりでなく勧告を批判・評価しそれを日本国内の放射線防護行政に取り入れていく規制・監督官庁の文部科学省の諮問委員をつとめている。本来研究、評価、勧告、防護行政は個々別々に独立していなければ、信頼の置ける放射線防護行政は成立しない。ところが丹羽氏はこの4役を一人で掛け持ちしていた。これでは防護行政の科学的正統性・客観性が失われるのは当然といえよう。

 たとえば、ICRPの第1委員会メンバーの中村典氏。中村氏は東京大学の放射線基礎医学出身である。1984年には放影研に入所。2004年には主席研究員となって現在に至っている。ABCC=放影研は、放射線医学に関しては研究所として特別な位置にある。というのは、ICRPのリスクモデルの基礎となっているデータ(広島・長崎の原爆生存者寿命調査=LSS)はABCC=放影研が提供しているからだ。つまり中村氏はデータ提供役とそれを批判的に評価してモデルの基礎とすべきICRPに同時に属していることになる。プロ野球でいえば、選手が審判を兼任し、おまけにコミッショーナー事務局の主要事務局員を兼任しているようなものだ。

 第2委員会の石榑信人氏。石榑氏は2005年以来、名古屋大学の大学院医学系研究科・医療技術学専攻の教授であるが、一時期放医研にも席をおいたことがある。また、前述の放射線審議会の委員でもある。(電力業界とのつながりの深い石榑氏が引き続き放射線審議会の委員であり続けられるかどうか極めて疑問である)つまり石榑氏も選手、審判、コミッショナー事務局員の一人三役を兼ねていることになる。

 第3委員会には米倉義晴氏がいる。米倉氏は京都大助教授から福井大学の教授となったのち、放医研入り。放医研は国際的核の産業利用推進エンジンとして知られる国際原子力機関(IAEA)に日本における重要協力研究センターでもある。米倉氏は現在その放医研のトップ、つまり理事長の地位にある。放射線審議会は丹羽氏が会長なら米倉氏は会長代理のポジションである。放射線審議会の議論がICRPリスクモデル一色に塗りつぶされる道理である。自社で製造した製品を、販売先の会社に売り込むにあたって、現場営業マンなどいっさい使わず、手っ取り早く販売先の会社の会長と社長になったみたいなものだ。おまけに自社製品の部品の調達先で部品の開発製造に携わっている、という手回しの良さだ。


ICRP第4委員会

 もう1人、第4委員会の委員甲斐倫明氏についても見ておこう。甲斐氏は現在大分県看護科学大学の教授である。また他の委員同様旧文科省管轄の放射線審議会委員である。

 ICRPの第4委員会の使命は、「ICRPの勧告の現場応用」(Application of the Commission’s Recommendations)である。言いかえればICRPの勧告を職業被曝や公衆被曝の各段階、各階層、各局面に応用適合させることである。従って「電離放射線」防護に関係した組織や機構や専門家集団との窓口的役割を果たすことになる。

 つまり、第4委員会とは社会全体に入り込んで、ICRP勧告の現場実践を推進する委員会といって過言ではない。特にチェルノブイリ事故やフクシマ原発事故などが発生し、多くの放射線被曝者が生じた時には、第4委員会の本領が発揮される。事故による放射線被曝で様々な疾病が生じ、それが社会不安やとりわけICRPのリスクモデルや勧告の妥当性について世論が疑惑を抱き始めると、それを沈静させなだめ、また病気の原因を放射線被曝以外に向けさせるのもこの委員会の重要な仕事である。だから第4委員会の委員長が、フランスの放射線防護評価センター(CPEN)の所長で、『エートス・プロジェクト』の国際的旗振り役、ジャック・ロシャール氏であることは決して偶然ではない。また甲斐氏が朝日新聞など大手マスコミにしばしば登場し、また日本各地の商工会議所や青年商工会議所などビジネス団体主催の講演会に頻繁に登場し、「放射線を正しく恐がりましょう」と言って歩いているのも偶然ではない。また先にも触れた大分県に『放射線ってなんだろう?』というパンフレットをつくらせ、100mSv以下の被曝は安全です、とする「放射能安全神話」を大分県民に刷り込む仕事もICRPの第4委員会の重要な仕事というわけである。

 ところが実際、前述のように、たとえばセシウム137を経口摂取で体内部に取り込み、それが実効線量で100mSvの被曝だとすれば、その人は体重1kgあたり約770万ベクレルの蓄積をしていることになる。体重50kgだとすれば、その人の総蓄積量は3億8500万Bqということになる。現行環境省が主張する1kgあたり8000Bq以上は低レベル放射性廃棄物という定義を借りてきたとしても、体に3億8500万Bqのセシウム137の蓄積は、その生体そのものが、『生きている高濃度放射性廃棄物』(生きてはいられないだろう)ということになる。信じられない話かも知れないが、文科省の換算係数(その係数はICRPの提示する係数の丸ごとコピーなのだが)を使えばそうなる。「実効線量のトリック」についてはまた後にも触れる。

放射線防護の3原則

 さらにスライドに掲げておいたが、ICRPの「放射線防護の3原則」ほど、ICRPの、核推進の立場に立脚した『被曝強制委員会』ぶりを露骨に示した記述もないだろう。

 読み上げてみよう。

 「<正当化の原則> 放射線被曝の状況を変化させるようなあらゆる決定は、害よりも便益が大となるべきである」

 「放射線被曝の状況を変化させるようなあらゆる決定」とは、いうまでもなく、職業被曝や公衆被曝の上限設定の変更である。「害」とはいったい何か?いうまでもなく、被曝で受ける私たちの健康損傷である。「便益」とはなにか?いうまでもなく、原発など核施設を運営することによって得られる便益(utilitiesと解釈してもいいしbenefitsと解釈してもいい)のことである。原発に限定して言えば、そこから得られる「電気」である。つまり、被曝上限値を変更する決定は、被曝で受ける私たちが被る健康損傷全体よりも、原発など核施設から得られる便益が大きくなるように設定すべきである、といっている。

 この第一原則を全面的に発動して、「放射線被曝の状況を変化」させなければならない事態が、1986年に実際に発生した。チェルノブイリ原発事故である。それまでのICRPの勧告に従えば、公衆の被曝線量は「年間1mSv」である。これは1985年のいわゆる「パリ声明」でICRPが公式に明らかにし、1990年勧告で定着化させた。(当時の単位では年間0.1レムが公衆の年間被曝上限。1Sv=100rem)

 ICRPにとって不運だったのは「パリ声明」の翌年にチェルノブイリ事故が起こったことだった。つまり「公衆の被曝線量年間1mSv」を守ろうとすると、旧ソ連の重度汚染地域に住む人々(現在のロシア、ベラルーシ、ウクライナの3か国)で830万人に人々に避難や移住を含む何らかの対策を取らなければならない。830万人の数字は「チェルノブイリの恐ろしい健康被害」を参照した。参照資料リスト掲載)

 これは厖大な社会コストである。またこれらの費用は国家財政に深刻な打撃を与える。(実際旧ソ連政府崩壊の一因はチェルノブイリ事故の厖大な対策費用だったという指摘もある)結局予測被曝線量5mSvの住民53万5000人を移住または避難させた。これでも厖大なコストである。

 ICRPの側に立って事態を解釈すると、この時様々な「非便益」が生じた。移住・避難に係わる厖大な社会・行政コスト、様々な病気に対する医療コスト、被曝低減に伴う様々な福祉コスト等々である。もしかすると、「反原発感情」を和らげる広報・宣伝コストも「非便益」の中に算入させていたかも知れない。こうした「非便益」は当然放射線被曝による健康損傷全体よりも下回らなくてはならない。それにはどうするか?ここで「放射線被曝の状況を変化させる決定」を行わなくてはならない。しかし答えは簡単・安易である。「公衆や職業被曝の被曝線量」の上限を上げればいいのである。こうしてチェルノブイリ事故のほとぼりが冷めかかった2007年勧告でこの「決定」を勧告に盛り込んだ。すなわち「3つの被曝状況」の設定である。3つの被曝状況とはすなわち「緊急被曝状況」、「現存被曝状況」、「計画被曝状況」の3つである。詳しくは立ち入らないが、結論としていうと緊急被曝状況を設定することで、苛酷事故時には一挙に年間100mSvまでの被曝上限にまで引き上げたのである。(詳しくは次の記事参照のこと。「『緊急時被ばく状況における人々に対する防護のための委員会勧告の適用』など」)ICRPにとって今度は幸運なことに、2011年3月に発生した「フクシマ原発事故」に今度は間に合ったのである。そうして「フクシマ原発事故」と日本は2007年勧告でいう「3つの被曝状況」の最初の適用事例となった。

 第2原則「<最適化の原則>被曝の生じる可能性、被曝する人の数及び彼らの個人線量の大きさは、(個人の健康問題を最優先にして、ではなく)すべての経済的及び社会的要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保つべきである」も同様に原発などの核施設は絶対必要の考え方に基盤を置いている。なお「合理的に達成できる限り低く保つ」原則は「ALARA」(”as low as reasonably achievable”)の原則としてICRP内では定式化されている。

 第3原則「<線量限度の適用の原則>患者の医療被曝以外の、計画被曝状況における規制された線源のいかなる個人の総線量は、委員会が特定する適切な限度を超えるべきではない」
 原発など核施設が事故を起こさなくても放射能を出し続けている現実を知らない人には『計画被曝』といわれてもピンとこないかも知れない。計画被曝とは原発など核施設は事故を起こさなくても厖大な放射能を放出しているのである。(特に青森県六ヶ所村の核再処理施設が年間に放出する放射能の量は驚くべきものがある。これらは各事業者が計測したデータで信頼できない側面はあるが、原子力安全基盤機構の「原子力施設運転管理年報」に一応は掲載されている)

 事故は起こさないが普段に放射能を出し続けている状態、私たちが一定の「管理」された放射能に被曝させられている状態、これが「計画被曝」である。要するに「計画被曝」の状態の時、ICRPの定めた上限値を超えるべきではない、といっているにすぎない。繰り返しになるが、「計画被爆時」公衆の被曝線量の上限は、年間1mSvとICRPは勧告している。やや細かいことになるかも知れないが、「患者の医療被曝」とはどういう意味であろうか?いうまでもない。X線検査やCTスキャン、あるいは放射線治療などで私たちが被曝させられている状況を「医療被曝」と呼んでいる。そしてその上で、医療被曝の上限については、ICRPはあずかり知らない、といっている。これは医療被曝が安全だからではなく、X線検査やCTスキャン検査、あるいは放射線治療などによって受ける患者の利益と、放射線被曝によって患者が受ける不利益(当然被曝して健康損傷するのだから)を比較考量してそのバランスの上で患者に利益があると判断できるのは、担当医師だけだからだ、というのが建前の理由であり、それはそれで筋が通っている。要するに医療現場のことは担当医師に任せ、ICRPは容喙しない、ということだ。
 (これはこれで先進国では大問題になっている課題ではある。というのは、患者の信頼をいいことに不必要な被曝、過剰なX線照射、過剰なCTスキャン検査、過剰な放射線治療などで患者に放射線傷害が発生している問題。なにしろこの分野は利益率が高いものだから)


大分パンフ『8 日常生活と放射線』
 さてここまで予備知識をもっていただいて、先述大分県発行、甲斐教授が筆頭委員をつとめるパンフレット『放射線ってなんだろう?』の『8 日常生活と放射線』のページを見ていただきたい。そこには、次のようなグラフが掲げてある。
 ICRP系の宣伝機関や研究所、政府の役所、たとえば厚生労働省や文科省が発行するパンフレット、あるいは朝日新聞など大手マスコミが放射線を説明する時に使うお馴染みのグラフである。この大分県のパンフレットでは「出典:放射線医学総合研究所」と注釈されているが、基本概念の出所はすべてICRPである。パンフレットにはこう説明してある。

私たちは日常生活の中で放射線を受けています。世界の中には年間10ミリシーベルト程度の放射線を浴びている地域もあります。また、医療による被ばくでは、胸のX線集団検診で50マイクロシーベルト/回、胃のX線集団検診で600マイクロシーベルト/回、CTスキャンでは6.9ミリシーベルト/回を浴びています。」

 確かに医療被曝は健康に害がない、いくら浴びても絶対安全です、とはどこにも一言も書いていない。(しかし、消えてなくなる口頭の説明では恐らくそう説明するのだろう)しかしこのページを見る予備知識を持たない一般読者は、私たちは一般に普段に放射線を浴びている、ニューヨーク-東京を航空機で往復すると0.2mSv(200マイクロシーベルト)の宇宙放射線を浴びる(外部被曝)、ブラジルのガラパリ地区からは地表にラドンガスが出ていて年間10mSvの空間線量率があるところある。また胸部のX線検査では1回0.05mSvの被曝(外部被曝)、胃のX線検査では1回0.6mSvの被曝(外部被曝)、胸部CTスキャンではなんと1回6.9mSvの被曝(外部被曝)をしている、こんなに日常生活で放射線を浴びている、しかしほとんどの人は何ともない、この程度の被曝(恐らくこのパンフレットの狙いは10mSv程度)では何ともないのですよ、確かに放射線は大量に浴びれば健康に害がありますが、この程度では何ともありません、と“勝手に”思いこませるのが狙いだ。“勝手”に思いこまない人には、消えてなくなる口頭説明で「思いこませる」のだろう。

 このグラフは、「シーベルト」という単位名称のもとに、「実効線量」、「空間線量率」と全く違う概念を並べているだけでなく、例示はすべて外部被曝のケースばかりである。ラドンだって内部被曝をすれば健康損傷する。決して安全ではない。アメリカのウラン鉱山から大量に出てくるラドンガスを呼吸摂取した労働者(その多くはナバホ・インディアン出身の労働者だった)は、重篤な放射線傷害となりウラン鉱山を経営する企業が補償をしている。また内部被曝と外部被曝の区別も、放射線核種による健康損傷の違いも、まったく無視して、単に「シーベルト」という単位名称の同一性だけを比較している。「実効線量」と「空間線量率」は、全く違う概念であり、全く違う単位である。

 「シーベルト」という単位名称が同じというだけだ。しかしこのページでもっとも悪質な例示は、いうまでもなく医療被曝の例示だろう。前述のようにICRP自身、医療被曝は安全だとは一言もいっていない。事実安全ではないのだから。しかし、このグラフを見た多くの人はX線検査やCTスキャン照射は安全だと思いこんでいる。その思いこみにつけ込んで、本来このグラフに例示すべきでない全く特殊なケース(基準は担当医師のバランス判断)を例示して、低線量被曝は安全だ、「正しく恐がりましょう」とよびかけている。1回6.9mSvのCTスキャン照射は決して安全なのではない。

 ICRPは以上見たように、医学・研究に基づいた医学的国際勧告組織と言うよりも、世界中で核産業が有利になるような判断を下し、勧告をなす「政治・経済委員会」というにふさわしい。そして原発など核施設は私たちの社会に必要不可欠な存在である、という強烈なイデオロギーを基盤にして、私たちの被曝は一定限度やむを得ないものと考え、ことあるたびに私たちに被曝を迫り、被曝を受忍するように説得する「国際被曝強制委員会」と形容するのがもっとも適切だろう。

(その② 哲野イサクの報告-2へ)


【参照資料】
『放射線ってなんだろう?』(大分県発行第2版 2012年8月31日)
http://www.pref.oita.jp/soshiki/13900/housyasen.html
『原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書-東京電力福島原子力発電所の事故について-』(原子力災害対策本部 2011年6月)
http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/iaea_houkokusho.html
ICRP公式Webサイト
http://www.icrp.org/ 
『チェルノブイリの恐ろしい健康被害 原子炉大惨事から25年の記録』
(セバスチャン・プフルークバイルら共著
「原発の危険から子どもを守る北陸医師の会」翻訳 2012年3月)
http://isinokai.churaumi.me/
<参考資料>ICRP(国際放射線防護委員会)勧告 Pub.109(日本語)2008年~2009年『緊急時被ばく状況における人々に対する防護のための委員会勧告の適用』フクシマ事故”を予見したかのように国際的公衆被ばく強制を合理化・正当化する迷妄の勧告書 (哲野イサク 2012年11月13日)
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/icrp/01.html
第19回「広島2人デモ」チラシ『ICRP2007年勧告の3つの被ばく状況』(2012年10月26日)
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20121026.pdf
『中川保雄の「放射線被曝の歴史」-竜が口から炎を吹き出すようなICRP批判』(哲野イサク 2011年8月24日)
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/028/028.html