(2013.4.3) | |
No.054-3 |
反原発運動は、とりわけ反被曝運動でなければならない 脱原発大分ネットワーク主催:「放射能安全神話で子どもの未来が危ない」 その② 哲野イサクの報告-2
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<スライド5 ICRPモデルはLSS(原爆被曝者寿命調査)がベース> | ||||||||||||||||||||||||||
ICRPはこうした実際の被曝のケースを自らのリスクモデル構築に全く取り入れていない。リスクモデルに取り入れている実際の被曝のデータは、LSSしか事実上残らない。今私たちが直面する被曝のケースは「低線量」といわれるカテゴリーの被曝(100mSv以下の被曝)と考えていいのだが、LSSは、低線量内部被曝を扱ったデータではなく、実は外部高線量被曝を扱った被曝データ、いわば被曝とすれば極めて特殊なケースを扱ったデータに過ぎない。 (実際には広島原爆では、多くの低線量内部被曝が生じていた。生じていないはずがない。広島原爆で使用したウランはわずか75kgとはいえそのうち核爆発したウラン235は1kg弱。残りほとんどのウラン235とウラン238は、高濃度放射性廃棄物として広島の上空を中心に周辺に飛び散り、雨などに混じって地上に降り注いだ。また細かいチリなど粒子状になって地上に降りてきた。原爆投下後、広島の町の表面は、ホットスポットが点在したものの、基本的には死の灰で覆われていたと考えるべきであろう。 呼吸や放射性物質が付着した食品を摂取して内部被曝を起こし、重篤な放射線傷害や低線量の被曝-しかしそれらは時間の経過と共にヒトの細胞を蝕み様々な病気を発症していった。広島にとって幸運だったのは、放射性物質の総量が75kgと少なかったこと、もちろんフクシマ原発事故と比較しての話だが。フクシマ原発事故で放出された放射能は重量にして数十トンは下らないだろう。そして今現在も、重量にして約1000トンの高濃度放射性物質が敷地内に安全確保されているとは到底いえない状態で眠っている、現在ただただ水で冷やしてこれ以上の悪化を防いでいる状態だ ―― そして原爆投下後の1ヶ月後の9月中旬広島を枕崎台風が襲い、地表に残っていた放射性物質を吹き飛ばしてくれたことだ) ICRPモデルはいまだにLSSをベースにして成立している。ここが全ての問題の根幹である。 |
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<スライド6 LSS(原爆生存者寿命調査)とその問題点> | ||||||||||||||||||||||||||
①熱線や②爆風に関するデータは容易に得られた。それは主に「米国戦略爆撃調査団」によって調査され、『米国戦略爆撃調査団報告―ヒロシマとナガサキへの原爆の効果』という特別編にまとめられ、1946年6月30日に当時大統領だったハリー・S・トルーマンに調査団から報告書が提出された。 ③放射線の影響については、簡単に報告書にまとめるわけにはいかなかった。原爆傷害の確認に長い時間がかかるからだ。軍部はこのため長崎原爆投下直後の8月9日合同調査団(この場合陸軍と海軍の合同という意味)を結成して調査を開始した。この調査のためには日本側の協力が必要だったので連合軍軍事占領下で厚生省や文部省が全面協力した。そのため後に「日米合同調査団」といういい方がされるようになったが、実態はアメリカ陸海軍合同調査団だった。合同調査団は投下直後の1945年8月から1946年にかけて精力的に調査しデータを収集した。しかしこの調査には軍事的目的を隠して学術的外観をかぶせる必要があった。一つには軍事目的剥き出しだと日本市民の協力が得られにくいという側面があった。 |
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軍事医学組織としてスタートしたABCC | ||||||||||||||||||||||||||
もう一つは学術的目的も実際にはあったからである。というのは、1945年日本への原爆使用を挟んで「核の産業利用」が議論されていたが(暫定委員会議事録参照のこと)、その「核の産業利用」が実現へ向けての第二ステージに入り、核産業労働者や一般公衆への被曝上限値を決定する必要が出てきたからである。この上限値決定やそれにいたる理論構築のためには、学術界の協力が必要だった。
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1950年1月以前死亡被曝者はカウントしない | ||||||||||||||||||||||||||
さて前置きが長くなったが、これからLSSの本格研究がスタートする。ABCCは1949年8月から原爆被爆者人口調査を開始する。それに基づいて1950年1月から原爆被爆者白血病調査を開始する。ただしこの時、開始時白血病ですでに死亡している患者は対象に含めなかった。つまりカウントしなかった。1950年8月には国勢調査が実施されこの国勢調査で全国原爆被爆生存者約29万人が把握できた。広島・長崎の被爆者というと、広島・長崎地元の人ばかりという印象があるが実際そうではない。特に広島は軍事都市であり、原爆投下時点では大本営の第二総軍司令部も置かれ、多くの地元以外の軍人や兵士がいた。また日本の侵略と搾取で食い詰めてきた多くの朝鮮人が広島に流れ込んできていたし、強制的に徴用された朝鮮人労働者も身内を頼って広島に流れ込んでいた。韓国の被爆者団体の統計によると当時の朝鮮人の広島人口は約5万人だったという。またそれ以外にも商用や広島を訪れているものなど県外出身者も多かった。原爆投下後こうした生存者は全国に散らばったのである。 (朝鮮人被爆者は最初から被爆者の中にカウントされなかった。そして戦後長い間、被爆者支援の埒外に置かれていた。彼らこそ広島原爆の二重・三重の最大最悪の被害者である) そしてこの国勢調査をもとにした全国29万人の被爆者の(1950年1月時点で生存)うち、広島・長崎に住んでいることが確認された生存者の中から9万4000人の被爆者と約2万7000人の“非被爆者”を選んで約12万人とし、この被爆者の長期間(寿命期間)の追跡調査を行ってそこで得られたデータを疫学研究したのがLSSである。LSSは1962年に学術調査研究として第1報が公表され、直近の2012年3月に公表された第14報まで連続して続いており、世界中の研究者から放射線被曝に関する“最も信頼できる研究体系”とされている。 しかし、LSS研究は「外部1回切り高線量被曝」に当てはまる研究としてはおおむね妥当だが(科学的信頼性がある)、この結果を放射線被曝一般に拡大・外延して当てはめるのは誤りである(科学的信頼性がない)との批判が、様々な研究者から様々な角度で指摘されてきた。その批判の主なものをスライドにまとめておいた。 なぜこの批判が現在重要になるのかと言えば、前述のように、LSSの研究がもとになってICRPのリスクモデルができあがっている、このリスクモデルをもとにしてICRPの勧告体系ができあがっており、その勧告体系を正しいものとしてほぼ全面的に無批判に受け入れ、現在の福島原発事故に起因する様々な放射能対策や住民避難計画、食品安全基準など日本の放射線防護行政に全面的に取り入れられているからだ。もし、LSSに一般的な妥当性がない(科学的信頼性がない)ということになれば、現在の日本の放射線防護行政そのものが誤りであり、私たちを、本来避けられるべき放射能の危険に曝している、ということになるからだ。 ここでは、そうした批判の論点への詳細に立ち入るのは避けるが、ただ1点だけ、<調査開始時期があまりにも遅いこと>への批判については触れておきたい。というのは、この論点は、LSSの科学的信頼性に関して致命的な批判となるからだ。 LSSが対象としている研究対象集団は、原爆投下から4年半経ってなおかつ生存している被爆者である。重篤な放射線被曝者はすでに死亡している。このデータを一般被爆データとして使うと、放射線傷害で死亡した人間の数は不明確なままである。LSSの疫学調査では、放射線被曝線量と「がん死」の相関関係を「放射線リスク」として表現している。もし1950年1月以前に「がん死」が発生しているとすると(実際そうなのだが)、放射線被曝そのものを過小評価することになる。また放射線傷害の症状は「がん」ばかりではないことを考えると、LSSのデータは明らかに「放射線傷害」を二重に過小評価している。 また良く言われる「低線量被曝では、がんや白血病は被爆して3-5年経過して症状が現れる」という説明も実はウソとなる。これはLSSを引用してのいい方だが、実際には「5年経過して症状が現れる」のではなく、被爆後4年半経過して調査したデータを引用したに過ぎない。「3-5年して症状が現れる」のではなく、被爆後5年経過したデータを収集したので「3-5年後症状が現れた」、いいかえれば、3-5年後症状があらわれたデータだけを収集したに過ぎない。「3-5年後発症説」は実にいろいろな局面で使われている。 「信頼できる疫学調査(LSSのこと)では、放射線被曝の症状は被爆後5年後に現れる。従って今イラクで発生しているがんや奇形は劣化ウラン弾のせいではない。そうではなくて、生活水準の悪化や医療水準の悪化が原因」(アメリカ国務省の説明)また、福島県民健康調査に伴う甲状腺調査結果の評価検討会の結論、「過去の疫学調査(LSSのこと)では、甲状腺がんが発生するのは被曝後5年後。従って今回調査であらわれた甲状腺がんは福島事故の放射能の影響とは考えにくい」など、実に様々な局面で悪用して説明材料に使われている。 こうしたLSSに対する根本的批判に対してICRP学派は、本来反論しなければならないのだが、現在のところまともな反論やこうした批判に対する反批判は行われていない。ただ単に無視するだけだ。 |
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<以下は、LSS批判の主な要点を説明したもの。煩雑とはなるが、重要な諸点なので掲載しておく。面倒な方は飛ばして読んでもらって構わない。 <高被曝線量から低被曝線量への外挿> 「外挿」とは、ある局面で当てはまることを似たような別な局面にそのまま当てはめることを意味する一種の学術用語。高線量被曝で当てはまった現象が低線量被曝にもそのまま機械的に当てはまるとは限らない。『外挿』は仮説に過ぎない。仮説は構わないが仮説は事実で裏付けなければならない。今のところ事実で裏付けられているとはいえない。事実は、低線量域では高線量被曝とは違った現象が起きている。それは、恐らく高線量域では細胞は死滅するが低線量域では死滅せず、突然変異(ミューテーション)を起こすためだろうと考えられる。 <外部被曝から内部被曝への外挿> LSSは外部1回切り(1ヒット)の研究だが、外部被曝に当てはまったことを内部被曝にそのまま外挿している。言いかえれば外部被曝と内部被曝のリスクは同じという仮説を立てている。仮説は事実で裏付けなければならないが、この仮説はいまだに仮説のままである。大気圏核実験のフォールアウトによる健康影響の研究やチェルノブイリ事故によって広汎にヨーロッパに拡散した放射能による健康影響研究(以下一言でまとめてチェルノブイリ研究という)によって判明した事実は、外部被曝の健康リスクと内部被曝のそれとは決して同じでなく、そのリスクの差は2桁から3桁のオーダー(すなわち100倍から1000倍)にのぼっている。それは恐らく外部被曝では、細胞や臓器に一様な線量を与える(線エネルギー密度が平均化されている)が内部被曝では放射線源に近い細胞に高線量を与えるからだ。 (放射線源に近いか所から線エネルギー密度が高く、細胞や臓器の被曝が一様ではなく平均化概念が成り立たない) <急性被曝から慢性被曝への外挿> 急性被爆(高線量の被曝によって放射線傷害が直ちにあらわれること。外部曝爆でも内部被曝でも起こりうる。広島・長崎で生じた高線量外部被曝が典型的。ICRP学派の用語では1Sv以上での被曝、“放射線被曝の確定的影響”と呼ばれている)で発生した現象を慢性被曝(同一放射線源から2回以上ヒットされる被曝のこと。内部被曝は慢性被曝ならざるを得ない)に外挿する誤り。急性被曝のメカニズムと慢性被曝のメカニズムは同じではない。(特に慢性内部被曝は複雑なメカニズムをもって放射線傷害、健康損傷に至っている)急性被曝で生じた現象をそのまま慢性被曝に当てはめることは科学的方法論としても、事実関係としても誤っている。一例を挙げれば被曝を受けた細胞は直ちに修復過程に入る。修復過程に入るには細胞分裂して細胞増殖しなければならないが、分裂から増殖過程に入る時もう一度ヒットを受ければ、そのヒットによる放射線感受性は同じエネルギーでも1000倍も高い。ダメージが大きいということだ。特に細胞は分裂から増殖して安定状態に入る作業を24時間以内に終了するから、24時間以内に同じ放射線源から2回以上のヒットを受ければ、同じエネルギーでもダメージが大きい。慢性被曝が、ことに慢性内部被曝が1回切りの外部急性被曝と全く異なるメカニズムを持っていることの一つの例である。(この低線量内部被曝のメカニズムは後ほど比較的詳しく扱う) <がん以外の疾患が無視されている> LSSは、低線量被曝では、放射線傷害は「がん」と「白血病」しか現れない、と説明している。しかし、これは初期放射線(核爆発時、一瞬にして発生する高線量ガンマ線や中性子線のこと)の影響以外の被曝で発生した健康損傷を最初から無視した研究方針のせいである。わかりやすくいうと最初から「低線量放射線傷害で発現する健康損傷はがんと白血病」と決めておいてから、それに合致するデータだけを収集・分析した、ということになる。“「がん」や白血病だけを発症する”のではなく、正確には「がん」や白血病しか調べなかったのである。系統的な研究は行われてはいないが、がんや白血病以外の疾患が数多く発症していることは経験的によく知られている。代表的には“原爆ぶらぶら病”だろう。また心臓疾患、血管など循環器系疾患、脳梗塞、脳内出血などの脳疾患、IQ低下や知能低下などの精神障害、糖尿病などに代表される成人病に似た疾患、早期老化など時間の経過につれ多くの非がん性疾患が現れていることは、広島に住むものならば経験的によく知っている。まさに「調べなければ、なかったことになる」の典型例だろう <不適切な参照集団> 疫学調査は、研究対象とする集団(研究集団=コホート)と参照集団を比較し、傾向を読み取り(解析し)そこから意味のある(有意な)結論を導き出す学問である。従ってコホートに対する参照集団の選択の仕方が決定的に重要となる。ところがLSSでは、コホート(約9万4000人の被爆者)に対して選択した参照集団が広島・長崎市内に居住していた約2万7000人が“非被爆者”として参照集団に選ばれている。この疫学研究が科学的な信頼性を持つには、この“非被爆者”が絶対に被曝していないことが条件となる。ところが当時広島・長崎市内に居住していた人たちは多かれ少なかれ外部・内部被曝していたと考えるのが妥当。つまりLSSにおける疫学調査は、コホートも参照集団も程度の差こそあれ、どちらも“ヒバクシャ”だった。これでは、科学的に信頼の置ける疫学調査とはいえない。そればかりか、コホート(外部被曝線量が高い)集団と非被爆者(低線量内部被曝している)を比較して得られた結論は、必ずコホート集団の被曝健康障害の過小評価にならざるを得ない。科学的に見て信頼の置ける研究とはいえない。> |
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<スライド7 LSSのみに基づいたICRPの学問・科学体系とその脆弱性> | ||||||||||||||||||||||||||
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「ICHIBANプロジェクト」とは? | ||||||||||||||||||||||||||
さて、次の問題は、この被曝線量推定体系(DS)は一体どうやって構築されたのだろうか、と言う点である。 DSの体系は過去4回つくられている。最初のものは1957年のT57Dである。これは経験則に基づいた、誰の目にもおよそ科学的信頼性のないシロモノだった。 (Tはtemporaryの“T”、つまり“仮の”という意味。Dはdosimetry の“D”で57年に決めた 仮の被曝線量推定、というほどの意味になる) アメリカ原子力委員会(AEC)は、本格的にDSの構築を開始した。(AECは、マンハッタン計画をそっくり引きついで発足したもともとの性格は軍事組織。しかし軍事組織の外観を嫌ってシビリアン・コントロール組織とした。このために発足時マンハッタン計画に係わっていた軍人の軍籍離脱の手続きに手間取って実質的な発足が遅れたという経緯がある。従って、DS見直し作業も軍事計画の一環としてAECが全体を統括した。)まずDSに根拠を与えなければならない。そのために企画されたのが“ICHIBANプロジェクト”だった。“ICHIBAN”は日本語の「一番」に由来する。もちろん「一番重要な基礎」という意味である。ネバダ砂漠の真ん中に広島原爆爆発高度とほぼ同じ高さの塔を建て、その塔のてっぺんにコバルト60を燃料とする裸の原子炉をつり下げて核分裂させ、地上の各地点でそのガンマ線と中性子線の線量を計測したのである。 (この経緯は非常に面白いのだが、ここでは詳細に踏み込まない。私自身の参照記事に譲る。『カール・ジーグラー・モーガン<Karl Ziegler Morgan>について』) この時様々な建物を建てて屋内でも計測した。鉄筋建築物や日本家屋に似せた木と紙(障子)でできた建物内部でも計測した。いまでも『放射線は屋内にいると1/4から1/10に軽減される(建物の遮蔽性による。すなわち鉄筋建物か木造家屋による)』とICRP派の学者は言っているが、その根拠はこの時の計測データである。(その後様々な調整が加えられている)バカバカしい話である。ガンマ線や中性子線など飛距離の長い放射線に当てはまることがベータ線やアルファ線に当てはまるわけがない。飛距離の極端に短いベータ線やアルファ線を放出する放射性物質の微粒子(3-4/1000ミリ程度の大きさ)が浮遊する空間であれば、屋内であろうが屋外であろうがその空間濃度が問題だ。屋内なら屋外に比べて危険が小さい、ということは、内部被曝を中心に考えると一般論としていえるわけがない。 こうしてガンマ線と中性子線のみを計測して基本データとし、それをもとにしてできたのが、『T65D』という線量推定体系だった。そして『T65D』を根拠として、広島・長崎の原爆被爆者の『被曝線量推定』がなされ、それがあたかも永遠の真実のように扱われて、疫学研究『LSS』が継続されるのである。 しかし『T65D』には致命的な欠陥があった。(というより、もともとウラン235の核爆発による放射線と原子炉の中のコバルト60の『制御なし核の連鎖反応=核暴走』で得られる放射線が、ガンマ線と中性子線に限ってみてもほぼ同じものと見なせる根拠が希薄である。)広島の中性子線の推定線量に10倍の過小評価があったのである。言いかえれば、広島の被爆者の中性子線による健康損傷に10倍の過小評価があったのである。この時アメリカ原子力委員会は、「空気中の水分に中性子があたって減衰することを計算し忘れていた」と大うその説明をする。 (この時のストーリーも極めて興味深いのだが、中川保雄『放射線被曝の歴史』の第9章『広島・長崎の原爆線量見直しの秘密』あるいは私の参照記事『カール・ジーグラー・モーガン<Karl Ziegler Morgan>について』に譲る) こうして『T65D』を大幅手直ししてできあがったのが87年6月に公表された『DS86』だった。当然DS86も完全ではない。もともとコバルト60の中性子線やガンマ線を計測したデータをもとにつくった線量推計体系だから、つじつまの合わないところは当然出てくる。その辻褄の合わないところは、たとえば広島原爆の爆発力が大きかったことにして(TNT火薬換算で従来1.5kトンとしていたところを1.65kトンに修正)できあがったのが基本的に現在使用されている線量推定体系『DS02』である。 こうして見ると、盤石の科学的基礎に裏付けられたと見える「LSS」、それを絶対唯一の科学的データとして構築されたICRPリスクモデルと勧告、それを完全に正しいとして勧告を受け入れ、「フクシマ放射能危機」に対応しようとしている日本政府の姿勢、そして科学的に見れば非常に脆弱な根拠でしかない放射線防護行政にどっぷり浸かって毎日を送っている危険な状態の私たち(特に福島現地の人たち)・・・という構図が浮かび上がってくる。 |
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<スライド8 “放射能安全神話”はヒロシマからはじまった> | ||||||||||||||||||||||||||
「放射能は一度に大量に浴びない限り人体に健康影響はない」あるいは「100mSv(実効線量)以下の低線量被曝は健康に害はない」あるいは「健康に害があるという科学的証拠はない」とする言説。 この言説はLSSが根拠になっている。この意味では「放射能安全神話」はヒロシマからはじまった、といういい方ができる。しかもこの「放射能安全神話」は今現在日本のありとあらゆる局面でフル稼働している。 2013年3月13日、ファシズム政党『日本維新の会』の衆議院議員・西田譲氏は、衆院予算員会の場で「低レベル放射性セシウムは人体に全く無害」と発言したし、実質的には厚生労働省のパンフレットは「基準値内であれば、放射能食品はいくら食べても安全です」と公言したし、現にこの大分県パンフレットでも「100mSvはしきい値。これ以下の被曝は妊婦にも胎児にも全く害がない」と堂々と述べている。放射能安全神話の例はいま、枚挙にいとまがない。こうした言説の根拠は、さかのぼっていくとABCC=放影研のLSSに戻っていく。 |
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(以下 その②哲野イサクの報告-3へ) | ||||||||||||||||||||||||||
【参照資料】
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