No.22-8 |
平成20年8月6日 |
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核兵器廃絶は、私は、決して大国間の軍縮交渉や外交エリートたちの駆け引きなどでは決して達成されないと考えています。その決め手を握るのは、「核兵器廃絶」へ向けての地球市民の固い決意と地球的連帯であろうと見ております。
結局、核兵器の恐ろしさと、その恐ろしさに不釣り合いなほどの馬鹿馬鹿しさに気づいた地球市民が、地球の各地で立ち上がり、各地の政府を動かし、核兵器廃絶への障害を一つ一つ取り除きながら、地球各地に「核兵器の全く存在しない場所」を作りつつ、最終的には「核兵器廃絶」を達成するのだと考えています。
アメリカをはじめとする「経済先進国」に体制内権力を樹立した「軍産複合体制」が、もっとも恐れるシナリオも恐らくこれでしょう。
従って、核兵器廃絶への道は、21世紀型地球市民民主主義革命の達成と軌を一にするのではないかと考えています。
そうした観点から、私が注目しているのは、今世界中に拡がりつつある「非核兵器地帯」ないしは「非核地帯」の存在です。
南太平洋地域に「非核地帯」が成立したのは、1985年8月6日でした。ビキニ環礁の「ブラボー・ショット」から実に30年以上の歳月がかかっています。
南太平洋非地帯条約(別名ラロトンガ条約)は、1985年、南太平洋の諸国が署名をし、正式締結されました。1986年署名各国は、それぞれの議会で批准され、1985年12月に発効しました。参加各国は、オーストラリア、ニュージーランド、クック諸島(ニュージーランド内での自治国。国連非加盟)、フィジー諸島共和国(1970年、英連邦内で独立)、キリバス共和国(1979年、イギリスから独立)、ナウル共和国(キリバスのお隣。1968年、イギリス連邦内で独立)、ニウエ(クック諸島のお隣。ニュージーランド内での自治国。国連非加盟)、パプア・ニューギニア独立国(1975年、オーストラリアから独立。)、ソロモン諸島(1978年、イギリス連邦内で独立)、トンガ王国(1970年にイギリスから事実上独立)、ツバル共和国(キリバスのお隣。1978年、イギリス連邦内で独立。人口1万人足らずで国連加盟国ではバチカンについで人口が少ない)、バヌアツ共和国(1980年、イギリス連邦内で独立)、サモア独立国(西サモア。1962年国連信託統治領から独立)の12カ国でした。
オーストラリアとニュージーランドを除けば、われわれにはおなじみの少ない「小国」です。超大国アメリカから見れば、取るに足りない南太平洋に散らばる島々です。それぞれ事情があり、問題があり、異なる歴史がありました。
しかし、共通点が2つだけあります。それはそれぞれ植民地や信託統治領から独立して、「自分たちのことは自分たちで決められる立場」に立ったことがまず第一、第二はいかなる国の核兵器といえども、絶対に自分たちの領土や領海に持ち込ませない、また自分たちが核兵器を持つことなどとんでもないと言う固い決意です。
それは、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国が太平洋を「核兵器実験場」や「ミサイル実験場」とし、核兵器がいかに自分たちの生存を脅かす存在かを身をもって実感してきた結論でした。
この南太平洋非核地帯条約(署名が行われたクック諸島の地名をとってラロトンガ条約とも呼ばれます)
成立の背景をもう少し詳しく見てみましょう。
財団法人・日本国際問題研究所(http://www.jiia.or.jp/brief/)という組織があります。完全に民間団体の形をとっていますが、役員の顔ぶれを見てみると経済界が金を出し、外務省が知恵を出すと言う形の、国際問題研究のシンクタンクということができます。理事長は外務省出身の佐藤行雄です。佐藤は2004年に国家公安委員にも就任しています。
この研究所に軍縮・不拡散促進センターという部署があり、このセンターが1997年3月付で、「非核兵器地帯の包括的検討―とくにアジア・太平洋地域との関連に置いて」という調査研究論文を発表しています。
(全文は次で読めます。http://www.cpdnp.jp/pdf/kenkyu/hikaku.PDF )
この論文全体を通して指摘できることは、世界の非核兵器地帯の形成を、アメリカ国務省の視点で、従ってペンタゴンの視点で、従ってアメリカの軍産複合体制の視点で眺めていることです。
もう一つの特徴は、「核兵器廃絶」を大国間のパワーゲームで、従って外交的エリートたちの駆け引きで達成するというイデオロギーで貫かれている点です。ですから、この論文の書き手(同センター・戸崎洋史)に、「核兵器廃絶は可能か?」という質問を仮にぶつけたすると、「将来的には是非実現しなければならないが、現状では極めて難しい。」という回答が予想されます。
そういえば、この論文が書かれたころは、河野議長、あなたは確か第二次村山内閣で外務大臣ではなかったでしょうか?あるいは私の記憶違いかも知れません。
しかし、上記2点さえ注意すれば、なかなか手際よくまとめられているのでいきさつを知るには便利です。
この論文では、非核兵器地帯が1975年の国連総会決議で、条約によって境界が厳密に確定された上で、その地域内に「核兵器の完全な不存在」(total
absence of nuclear weapons)」を確保すること、そしてその不存在を検証する査察システムが設置されていることを定義したことを知ることができます。
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ややこしい言い方ですが、要するにこの内容は核兵器保有国にとっても、割の悪い話ではありません。核兵器保有国の最大の関心事の一つは「核兵器をいかに拡散させないか。」と言うことです。たとえばアメリカに例をとってみると、イスラエルやインド、パキスタンといったアメリカの言うことを聞く諸国が核兵器を持つのは構わないが、イランや北朝鮮、キューバやシリアといったアメリカの言うことを聞かない国に核兵器が拡散するのは、困ります。
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そういえば、2008年8月の現在、アメリカはインドと原子力協定を結ぼうとしており、またまたNPTの掟やぶりをしようとしています。というのは、NPTは参加非核兵器保有国に核兵器を保有しないことを義務づけており、そのかわりに核エネルギーの平和利用を奨励しこれを援助するとしています。わかりやすく言えば、核兵器保有をあきらめなさい、そのかわり原子力エネルギーの平和利用は援助します、ということです。インドは核兵器を保有し、NPTに加盟していませんから、当然NPTに定めるこの平和利用に関する援助も受けられません。ところがこの米印原子力協定は、アメリカが平和利用については援助しましょう、というわけです。背景にはアメリカの原子力エネルギー産業のインド市場への大きな期待があるとはいうものの、ここまで露骨にやられては・・・。結局、アメリカの平和利用援助が軍事目的に転用されないことの監視はIAEAが行う、ということでIAEAの理事会の承認をとってしまいました。イランの原子力平和利用市場はほぼロシアが押さえましたので、インド市場はアメリカがなんと確保したいということでしょう。) |
そうした点、地域ごとに「非核兵器地帯」を作って、地域の安全保障体制の中で非核兵器諸国が増えていくのは、別に反対しなければならないことではありません。しかも、その約束が実行されているかどうかの査察システムが整備され、外部からその査察システムに容喙することができれば、ペンタゴンにとってこれほど望ましいものはない、と言うことになります。
一方ではNPT(核兵器不拡散条約)による核兵器の不拡散への歯止め、もう一方では「非核兵器地帯」による歯止めの二重の歯止めで、「核兵器独占体制」は安泰です。世界の平和が「アメリカによるアメリカのための平和」という意味なら、これほど平和な世界はありません。
かつて大英帝国にためにせっせと世界中に植民地を増やしたセシル・ローズは、「世界平和をもたらす道は、世界中を大英帝国の植民地とすることだ」といったと伝えられますが、考え方はこれと同じです。 |
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また、こうした非核兵器地帯を「実効」あるものとするためには、核兵器保有国の参加(議定書調印)が必要で、この議定書のなかで、核兵器保有国が当該「非核兵器地帯」に対して、「核兵器を使用したり、威嚇したりしない。」という約束をすることが必要だ、とこの論文は指摘しています。
核兵器保有国が非核兵器保有国に対して「核兵器を使用したり、威嚇したりしない。」という約束のことを、「消極的安全保障」というのだそうですが、私はこのくだりを読んで吹き出してしまいました。
恐らくこの「消極的安全保障」(英語ではNegative Security Assuranceと言うんだそうです。)は、どこぞの軍産複合体制のために働く、社会科学系の学者か研究者が考え出した概念だと想像しますが、事々しくこんな言葉を使わなくても、また非核兵器地帯に核兵器保有国が参加しようがしまいが、「核兵器保有国が非核兵器保有国に対して、核兵器を使用したり、威嚇しない。」という約束は、核兵器保有国が、NPT(核兵器不拡散条約)に参加する条件なのです。
それはそうでしょう、NPTに置いては、非核兵器保有国は、核兵器保有国が「核の使用や威嚇を行わないこと」を条件に、NPTに参加するのです。もしNPTの文言が、三百代言でないとするなら、NPT成立時、非核兵器保有国は核兵器保有国の「核兵器保有」の現実を確認しただけで、この事実に承認を与えたわけではありません。従って、核兵器保有国に将来の核廃絶を前提として核軍縮義務を負わせているのです。
(もっとも核兵器保有国は、この約束を一向に守ろうとしていませんが。それは当たり前でしょう。軍産複合体制が、自ら進んで、この美味しいビジネスを手放すわけがありません。)
しかし、非核兵器地帯構築にあたって、アメリカ(わかりやすく核兵器保有国をアメリカに代表させたって、そんなに外れではないでしょう。)から「消極的安全保障」が得られないと、その「非核兵器地帯」は効力を発揮しないといわれると、「それはないでしょう。だって使用したり、威嚇したりしないというのは、核兵器を巡る地球世論の大前提ではなかったのですか?」といいたくなります。
「核兵器を使用したり、威嚇したりしない」という「消極的安全保障」は、NPT成立時に、核兵器保有国は非核兵器保有国に対して一度高値で売っているのです。こんどは、「非核兵器地帯」形成でももう一度高値で売ろうというわけです。
しかし、こんなものは何の商品価値も持たないことは、後で東南アジア非核地帯形成のところで詳しく見ます。
そのことを、この日本国際問題研究所の論文では、非核兵器地帯が効力を発揮する要件である。と大まじめに論じているのです。ですから、つい吹き出してしまったわけです。 |
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非核兵器地帯構築という文脈の中で、なぜ事々しく「消極的安全保障」を、アメリカは言い立てるのでしょうか?
実は「消極的安全保障」は、アメリカにとって次の7つの基準を満たす「非核兵器地帯」に対する見返りなのです。
以下は1994年秋、アメリカ下院が「南太平洋非核地帯」に好意的な決議を採択する際の前文にある基準で、以降アメリカが非核兵器地帯を評価する7つの基準として使われています。
(1) |
非核兵器地帯設置の提案は、地域の国家から生ずるべきである。 |
(2) |
地域のすべての重要な国家が、非核兵器地帯に参加すべきである。 |
(3) |
条約の遵守を検証するための適切なメカニズムを備えるべきである。 |
(4) |
非核兵器地帯は、現存の安全保障取り決めを害してはならない。 |
(5) |
非核兵器地帯は、核爆発装置の開発あるいは保有を禁止しなければならない。 |
(6) |
非核兵器地帯は、国際法の下で定められた権利、特に航行の自由の権利の行使を害してはならない。 |
(7) |
非核兵器地帯は、通過、寄港あるいは上空飛行の権利を与える当事国の権利に影響をあたえてはならない。 |
以上の基準に合致した「非核兵器地帯」だけが、アメリカが認める「非核兵器地帯」であり、参加する、というわけです。その参加の見返りがアメリカが与える「消極的安全保障」なのです。
この基準を読んでいくと、言葉の真の意味での「非核兵器地帯」が地球上にできるのを、アメリカがいかに警戒しているかがよく分かります。
「核兵器による威嚇」は、核兵器を搭載した艦船(航空母艦や潜水艦)あるいは航空機が地球上を自由に移動できることによって、はじめて効果的になります。そのため地球上の適切な位置に、こうした艦船や航空機の基地が必要になりますし、無害航行の自由も保障されなければなりません。また現在の核攻撃の主流はミサイルですから、このミサイルも地球上に適切に配置されなければなりません。
仮に地球上が「非核兵器地帯」だらけになったらどうでしょうか?
結局、アメリカは、自国領土内にせっかくの核兵器を配置する他はありません。「核兵器の威嚇」は、自国領土内に配備する「長距離核兵器ミサイル」しか手段がないことになります。
上記7つの基準は、こうした「核兵器による威嚇効果」が著しく減ずることがないようにしようとする基準と読めます。
ともあれ、ここでは、アメリカが考えている非核兵器地帯とは、自国の「核兵器独占状態」を保障する地域内条約であり、そのことによってアメリカの「世界核兵器戦略の効果」がいささかも減ずることがあってはならない、と考えている、ということだけを確認しておけば十分でしょう。
逆に言えば、「核兵器保有国」を包囲し、逆に孤立させる手段として「非核兵器地帯」の創設は極めて効果的だと言うことになります。
こうした諸点を念頭に置いて、日本国際問題研究所が描き出す、「南太平洋非核地帯」の成立のいきさつとその特徴を概観しておきましょう。 |
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この論文では、「南太平洋非核地帯」成立の背景を次のように説明しています。
『1975年の国連総会では、南太平洋地域に非核兵器地帯を設置するという構想を支持し』、その実現のために関係国で協議するという『ニュージーランドなどが提案した決議が採択された』とし、この非核兵器地帯設置についてニュージーランドが大きな役割を果たしたことを窺わせています。
そして『ムルロア環礁をはじめとしたこの地域に置いてフランスが実施した核実験を禁止することが主要な目的であった』としています。
この記述は間違いではありませんが、いかにもアメリカの立場から眺めた物事の一面であって、南太平洋の市民たちは、核実験はおろか、一切この地域に核兵器を持ち込ませないことを目的に、非核兵器地帯設置を目指したのでした。
その出発点は、1954年のビキニ環礁で行われた米原子力委員会の水爆実験で、いかに核兵器が人類にとって危険極まりない存在かを露呈したことにあったことはこれまで見てきたとおりです。この条約の目的が、単に遅れてやってきたフランスの凶悪極まる核実験を妨げることだけが目的ではなかったのです。
『 |
非核兵器地帯の設置に向けた動きは、1983年に豪州に労働党政権が誕生した後に、急速に進展した。』 |
この時、日本が放射性廃棄物の太平洋への投棄計画もあって、この計画を撤回させるという点もポイントでした。
(* |
日本という国はどういう国なんでしょうかね。広島・長崎の原爆被害と太平洋における放射性廃棄物投棄による被害は、放射線が環境や人体に与える影響という点では全く同質なんですが・・・。)
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『 |
条約の作成にあたり、米国との間で、核兵器搭載艦船などの通過及び寄港に際して問題となったが、条約ではこれらを禁止しないという豪州の提案が支持されたため、最終的な合意への障害は除去された。南太平洋非核地帯条約は、1985年8月の第16回南太平洋フォーラムにおいて採択され、署名のために解放された。』 |
とこの論文は、この項を結んでいます。
前にも申し上げたとおり、この論文の世界観は、完全にアメリカの軍産複合体制の立場に立っており、この論文の執筆者が意図する、しないにかかわらず、「核兵器廃絶運動」が地球市民の固い決意を原動力としていること、従って「非核兵器地帯」の創設が、現在有効な核兵器廃絶運動の手段となりつつあることを完全に見落としています。従って上記のような描写となるわけです。
またこの描写も誤っているわけではありませんが、視点が私などと異なっているため、描写の力点の置き方が全く違います。
たとえば、この南太平洋非核地帯条約成立におけるニュージーランドの決定的役割の重要性をこの論文では完全に見落としています。(あるいは意図的かも知れません。) |
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ニュージーランドは、もともとアメリカ・オーストラリアと共に、南太平洋における軍事同盟、「アンザス条約」を締結していました。アメリカとニュージーランドの関係から言えば、アメリカがニュージーランドを軍事的に守る代わりに、ニュージーランドは、アメリカ軍に色々な便宜を提供すると形にならざるを得ません。
ところが、フランスのムルロア環礁の核実験やイギリス・アメリカの核実験でニュージーランドの市民は震え上がりました。それはそうでしょう。ニュージーランドといわず、オーストラリアといわず、放射性降下物がどんどんふってくるのですから。先にも見た、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で、第五福竜丸がどうなったか、日本の水産庁の調査船の持ち帰った報告、その他の南太平洋の市民たちの惨状も、ニュージーランドの市民たちにはよく知られていました。この時期、ニュージーランドの一主婦が、「核兵器の恐ろしさ」を語り合うティーパーティを開くことを思いつき、瞬く間にニュージーランド全体に広がって、ニュージーランドの一般市民が核兵器の恐ろしさを一般市民レベルで理解することに大いに役立ちました。第五福竜丸事件で、反核の署名運動を開始し、日本の核兵器廃絶運動のきっかけを作った杉並の主婦とよく似ています。
河野議長、今仮に日本とニュージーランドで、広島と長崎で何が起こったかについて同じ世論調査をしてみたら、平均的日本人市民より、平均的ニュージーランド市民の方がはるかに高い理解を示しているのではないかと思います。
そして、1984年、デビッド・ロンギの率いる労働党が、「反核兵器」を公約に掲げて、ニュージーランド総選挙に勝利しました。恐らく世界ではじめて「核兵器廃絶問題」が国政レベルでの選挙で中心争点となった選挙としても、注目される選挙でした。
この後は、ニュージーランド・カンタベリー大学教授(=1990年当時)、ケビン・クレメンスに語って貰いましょう。
「 |
・・・5年前、われわれの各同盟国である合衆国に、われわれは核兵器で守って貰うことを望まず、核抑止戦略がわれわれの安全保障に役立っているとは考えず、またわれわれは西側の価値、すなわち民主的価値を信奉しているので、これを通常兵器のみで守って貰いたいと考えていることを合衆国に分かって貰いたいと思って、その意思表示のために合衆国に次のように言いました。
『われわれは原子力推進または核武装した軍艦がわが国を訪れることを望まない』」
(「太平洋の非核化構想」岩波新書 54P) |
ここでクレメンスが「5年前・・・」といっているのは、1984年、デビッド・ロンギ(David Russell Lange)の率いる労働党政権が誕生したことを指します。ロンギ政権はアメリカのレーガン政権と共に、世界で最も早い時期に、ミルトン・フリードマン流の「新自由経済政策」「市場原理」を取り入れた政権として有名ですが、同時に「核兵器積載艦船や原子力艦船の寄港は認めない。」ことを選挙公約に掲げていました。
この労働党政権の成立の背景には、直接的にはフランスのムルロア環礁での凶悪な核実験に対する反発と核汚染に対するニュージーランド市民の不安、こうした反対運動に対するフランスの拙劣な対応(たとえばフランス軍部は、ニュージーランドの反核団体、ピースボートの船に対して爆破テロを仕掛け、死者一人を出す、といったおよそ常識外の対応をしたりします。)などがありますが、その土壌を形成したのは、1954年のビキニ環礁水爆実験以来、南太平洋の市民の間に拡がっていった、「核と一緒に暮らせない。」と言う市民感情があったのです。
ビキニの水爆実験と第5福竜丸事件はもう日本では半ば忘れ去られようとしていますが、これは特別に日本の市民が忘れっぽいからなのではなく、南太平洋洋では、市民たちが忘れようとしても忘れられないほど、「思想的低開発国」すなわち核兵器保有国が頻繁に核実験をおこなったからでもあり、こうした核兵器に対する反対運動を、これら市民が粘り強く続けたからでもありました。
( |
河野議長、思想的に低レベルな国家が、地球破滅的な暴力装置を自由にしている現状を、ちょっと想像してみてください。しかしわれわれとしても、バカにつける薬はない、と言っているわけにはいきません。宇宙船地球号はこうしたバカと一蓮托生なんですからね。)
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クレメンス教授の話を続けましょう。
ロンギ政権がアメリカ政権に「核兵器搭載艦船や原子力を動力とする艦船のニュージーランドへの寄港がご遠慮願いたい」と申し入れた所までした。ついでにいうとこの時の米大統領は、ロナルド・レーガン、副大統領は後に湾岸戦争を起こすジョージ・ハーバード・ウォーカー・ブッシュ、国務長官がジョージ・シュルツ、国防長官が、後にイラン・コントラゲート事件で訴追されるキャスパー・ワインバーガーでした。
「 |
・・・合衆国あるいはその指導者たちは言いました。
『南太平洋からわれわれにほえかかっているネズミは何者だ。ニュージーランドか。少し懲らしめてやろう。見せしめが必要だ。彼らの利益や彼らの民主的選択が採り上げられないようにしなければならない。このニュージーランド病が広がらないようにしなければならない。』
そして彼らは、アンザス条約による防衛上の義務を果たすことを拒否し、防衛情報の流れを止め、共同演習計画を中止しました。彼らは私たちの指導者を信用のおけない野蛮人として描き出そうとしました。彼らはわれわれが、世界的な核抑止体制を根底から覆そうとしていると主張しました。彼らはわれわれが予想も立てられず、世界中に全く破滅的な効果をもたらすかもしれない道を開いたのだと主張しました。」(同書55P) |
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当時のレーガン政権の反応はやや大げさすぎる、と思う人があるかもしれません。しかし私は決して大げさすぎるとは思いません。「世界中に全く破滅的な効果もたらす」のくだりを「アメリカ軍産複合体制のための、軍産複合体制による世界にまったく破滅的な効果をもたらす」と読み替えて見ると、アメリカの核兵器搭載艦船の寄港を拒否するニュージーランドの姿勢は、「核兵器を使った世界の威嚇体制」を脅かす、ゆゆしき事態だったのです。この「ニュージーランド病」が、地球上に蔓延すれば、核兵器の置き所がなくなります。
クレメンスはいいます。
「 |
結果として、以前にはアメリカの同盟国であり、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、そしてベトナム戦争でアメリカ軍と共に戦ったニュージーランドは、友好国の地位から追放されて、いまでは国務省やペンタゴンへの接近という点ではアルバニアやリビアのほんの少し上に位置づけられることになってしまいました。・・・われわれの首相はホワイトハウスへ大統領を訪問するよう招待されたことがありません。わが軍の将校はペンタゴンに近づくことを拒否されています。われわれの外相は国務省で国務長官と話をすることがまったくできません。」 |
そしてクレメンスは、たかだか核兵器搭載艦船の寄港を拒否しただけで、1900年以来の友好関係を帳消しにし、カダフィ大佐のリビアや共産主義鎖国のアルバニア並みの扱いを受けるのか、と自問自答した上で次のように結論します。
「 |
私の考えでは、理由は次の通りです。小国ニュージーランドは世界中の他の多くの国のように、世界中の多くの民衆のように立ち上がって言いました。皇帝はそれが合衆国であろうと、ソ連、フランス、中国あるいはイギリスであろうと、彼らが高度の核抑止戦略、核のオーバーキルを防衛上の有効な手段と考えている限り、裸なのだ。彼らは裸で立っている。彼らは非合理、非論理的な政策を追求して裸でたっているのだと。
核戦争と核抑止ドクトリンは、防衛を保障する手段としてはまったく不適当なものです。そしてそのために採られている作戦上の措置は長期的には無意味であることを指摘するのは、核兵器非合法化への有意義なステップであり、明確なシグナルであると思います。
・・・しかし、私はこの地域(*南太平洋地域)が核保有国を締め出すことを望んでいるという意志を世界中に明らかにすることにはなったと考えています。もちろん非核地帯は現在の所実現していませんし、フランスはそこで核実験を続けていますし、核保有国はその軍艦をこの地域に通過させています。しかし、非核地帯はまた民主的要求の象徴的表現なのです。」
(以上クレメンス発言の日本語翻訳は山田英二) |
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ややクレメンスに深入りしすぎかも知れません。しかし、クレメンスはわれわれにとって極めて重要なことを2点指摘しています。第1点は、核抑止論を振り回し核兵器を威嚇外交の武器として使う核兵器大国は所詮「裸の王様」なのだと言うこと。そして第2点は、核兵器保有国=軍産複合体制と戦い、地球上に「非核地帯」を創設し、核兵器廃絶に向かう過程は、地球市民民主主義革命なのだと言うことです。
もう一つお気づきかもしれません。それは前出の日本国際問題研究所の論文でいう「非核兵器地帯」とクレメンス教授の使う「非核兵器地帯」が英語も全く同じ言葉を使いながら、内容は天と地ほども違う、ということです。
日本国際問題研究所の「非核兵器地帯」は、あくまで「核兵器不拡散」=「既存核保有国の核兵器独占」の地域的補完手段でしたが、クレメンスにおける「非核兵器地帯」は、核保有国や核兵器をその地域から完全に締め出す手段、生活の安全を確保する手段です。 |
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スチュアート・ファース(現国立オーストラリア大学教授)は、もともと太平洋地域の歴史の研究家ですが、1987年「核の海」(原題「Nuclear Playground」岩波書店 河合伸訳 1990年7月18日 第1刷)の中で、クレメンスとは違った角度で、また日本国際問題研究所とは文字通り天と地ほども違う角度で、この問題、すなわち南太平洋非核地帯成立を眺めています。
「 |
・・・太平洋諸島を核にからむあらゆることがらから解放するという目標はこの10年ほどの間に・・・市民権を獲得するようになってきた。運動そのものはまだ、根本的な変革を達成するまでには至っていないが、かなりの成果を収めている。・・・
南太平洋の新興独立諸国が6年後に非核地帯の設置を求めるようになるなど、1980年には誰に予言できたろう?ニュージーランドが核兵器による防衛を拒否したために、アンザス条約が宙に浮くなどと、誰に想像できたろう?パラオの非核憲法支持派がアメリカの圧力に対抗して頑張り抜くなどとも、予想など到底できなかったに違いない。」
(同書209P−210P)
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パラオ共和国は、1979年、核兵器の持ち込みを禁止した非核兵器憲法を地球上の諸国の中ではじめて制定しました。ところが当時パラオはアメリカの国連信託統治領下にあったのです。
この後はWikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%AA)の記事を引用しましょう。
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1979年7月には、アメリカによる核爆弾の持ち込みを禁止した『非核憲法』を住民投票で可決したが、アメリカ政府の意向を受けた信託統治領高等裁判所が無効を宣言。10月、非核条項を緩和した憲法草案で再び住民投票を行ったが今度は否決。しかし1980年7月に、1年前と同じ内容(修正前)の草案での住民投票で可決された。
1981年に、自治政府の『パラオ共和国』を発足させ、憲法を発布。翌1982年に、内政・外交権はパラオが、安全保障はアメリカ合衆国が担うものとし、アメリカ軍が駐留。その見返りとしてアメリカが財政援助をする自由連合盟約(コンパクト)の内容に関して両政府が合意した。だが翌年行われた住民投票でコンパクトは否決され、これ以降、1990年まで都合7回の住民投票が行われたが全て否決された。」
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ファースが「パラオがこれほど頑張り抜くとは誰も予想しなかった。」といっているのは、市民投票で頑として、「核兵器の持ち込み」を禁止した憲法を変更しなかったからであります。
自由連合盟約というのは、簡単に言えば、アメリカに外交権と防衛権を渡しなさい、そのかわり経済援助をしてあげます、ということです。
(以下を参照。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E9%8
0%A3%E5%90%88%E7%9B%9F%E7%B4%84 )
結局、パラオは1993年、コンパクトに関する市民投票の承認条件を75%の得票率から50%に引き下げた上で、第8回目の市民投票でコンパクトを承認年間数千万ドルの経済援助と引き替えに、外交権と防衛権をアメリカに引き渡してしまいました。せっかくの非核憲法も、コンパクトは例外規定としました。
しかし、このパラオの例を見ても、ニュージーランドの例を見ても、核兵器を世界の海と空で「自由」にすることが、いかにアメリカの核兵器世界戦略にとって重要なことかがわかります。
( |
今仮定の話として、ニュージーランドやパラオのように、日本でアメリカの艦船や航空機による核兵器を事実上禁止し、日本を非核兵器地帯とすることにしたらどうでしょう?アメリカの軍産複合体制にとって、その打撃は、ニュージーランドやパラオの比ではないでしょう。河野議長も、やはり日本の支配体制を支える政治家の一人として、自らは信じてもいない「核抑止力」を口にして、この動きに反対するでしょうか?それとも、これは日本支配被支配の問題を越えているとして、この動きに賛成するでしょうか?
いや実際これは仮定の話ではなく、日本でも自治体レベルであったのです。
1975年、神戸市会<*神戸の市議会は、正式には神戸市議会ではなく神戸市会というのだそうです。>、3月18日「核兵器を積載した艦艇の神戸入港を一切拒否する」とした決議を全会一致で採択しました。神戸港の港湾管理者は神戸市長ですから、神戸市長はこの決議に基づき、神戸港に入港してくる艦船に、各国大使館を通じて事前に「核兵器を積載していない」という「非核証明書」の提出を義務づけました。いわゆる「神戸方式」です。
たとえば、アメリカの艦船に例をとると、アメリカは核兵器積載・搭載について『否定も肯定もしない』という政策を採っていますから、この非核証明書の発行はできません。従ってアメリカの軍用艦船は一切神戸港に入港できないことになります。2008年8月現在、神戸市会に確認してみますと、この決議は当然いまでも有効で、神戸市は「非核証明書」の提出を義務づけています。日本語版Wikipediaの記事によると、(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E6%A0%B8%
E7%A5%9E%E6%88%B8%E6%96%B9%E5%BC%8F)、イギリス海軍、フランス海軍、インド海軍の艦船は「非核証明書」を提出して入港してくるが、アメリカ海軍はこの決議を非難して、一切神戸港に立ち寄らず、近隣の姫路港に入港しているそうです。
ただ、この記事の書き手が、この「非核神戸方式」は日本政府の「非核三原則」の地方自治体版だと言っている点には同意しかねます。それは形式論理というもので、日本政府の非核三原則は「外務省密約付き」で、「非核証明」を求めない中身のないものですが、神戸方式は非核証明付きの内容のあるものです。それが証拠に、アメリカの軍用艦船は一切神戸に寄港していません。
ついでにいうと、豊田利幸は「太平洋の非核化構想」<1990年、岩波新書>はこの本の<はじめに>の中で
「このいわゆる神戸方式が日本国内に拡がることを恐れたわが国の政府当局者が陰に回って地方自治体の幹部に強い圧力を加えたことは、いまや公然の秘密である。」
と書いています。
ただ、残念なことにこの神戸市会の決議では、「核兵器」の定義を行っていません。核兵器の定義は「非核証明書」の提出者の判断に任されているのです。しかし、逆にアメリカの艦船だけを追っ払うにはむしろこの方が好都合です。『核兵器の存在を否定も肯定もしない』政策を採っているアメリカの艦船に対しては、核兵器の定義など意味ありません。どちらにしても『積んでいません』とは言えないのです。これは結構知能犯かも知れません。一般に非核神戸方式と呼ばれているそうですが、ここでは『ニュージーランド病』と並んで『神戸病』とでも名付けておきましょう。) |
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ファースの記述を続けてみましょう。
「 |
太平洋非核独立運動の推進には、教会が大きな役割を演じている。太平洋教会会議には南太平洋のすべてのカトリック教会とプロテスタントの主な宗派の教会が参加していて、太平洋の完全な非核化を目標に掲げている。・・・教会は村々に張り巡らした組織や熱心な信者を通じて、他のどんな機関にも負けないほど効果的に世論を動かすことができる。
教会にはまた、外部とのつながりもある。1982年の『帰郷作戦』でクェゼリン環礁の元住民が島々に戻ってアメリカのミサイル実験計画を妨害したときには、世界教会協議会(WCC)の調査団もマーシャル諸島を訪れていた。」 |
アメリカはマーシャル諸島のクェゼリン環礁から、居住していた市民を追い出し、一貫してMXミサイルの実験場として使っていました。1982年、元居住市民はクェゼリン環礁帰郷作戦を敢行し、このミサイル実験を妨害しました。この事件に懲りてアメリカはクェゼリン環礁をマーシャル諸島から切り離し、自分の直轄地にしてしまいました。やりたい放題です。
世界教会協議会(WCC)の調査団は、1983年今度は物理学者を伴って、マーシャル諸島を訪れ、「アメリカの核実験の結果、マーシャル諸島住民の間に、重大かつ比類のない健康被害が発生しているとする報告書をまとめ発表しました。
「 |
早とちりしたレーガン政権高官が、WCCは宗教的事業という名目で宣伝活動をしていると非難したため、一騒ぎ持ち上がった、この高官はどうやら、アメリカに対する批判がWCCの世界的な組織を通じて何千万もの人々に伝達されることを懸念していたらしい。」 |
とファースは書いていますが、これは私の見るところ、レーガン政権高官は早とちりしたのではないと思います。広島・長崎原爆投下以来の、そしてビキニ環礁事件・第五福竜丸事件の、そして最近ではイラク侵攻に際しての、世論操作の一貫として、計算づくで、WCCの調査報告に対して、「宣伝活動」というデマを飛ばしたのだと思います。そして彼らが一番恐れたのは、アメリカの一般市民が、教会組織を通じて「核兵器の恐ろしさ」「アメリカの非人道性」「残虐さ」の実態が知られることだったと思います。
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「 |
南太平洋の労働組合の合同組織である太平洋労働組合フォーラムも、やはり非核化を目標に掲げている。・・・1987年にはフィジーに、アメリカ筋の豊富な資金で運営される『自由労働組合協会』という団体が発足、各種の会議を開いたり・・・資金の提供などを通じて、非核派の労働組合に対抗しようとしている。アメリカは太平洋諸島にも、アメリカ風の組合運動を持ち込みたいのだ。」 |
とファースは書いています。これも興味深い記述です。
「アメリカ筋の豊富な資金」というのは、どこの資金か明確ではありませんが、私は恐らくAFL−CIO国際部の資金ではないかと思います。アメリカの軍産複合体制は影響力のある労働組合も体制の中に取り込んでいるからです。
ちょっと長くなるかもしれませんが、先にも引用したシドニー・レンズの「軍産複合体制」(岩波新書 小原敬士訳 1971年 7月 第1刷)の「Y 労働界からきた副官」は次のように書いています。
「 |
・・・軍国主義(*ここではアメリカの軍産複合体制のイデオロギーとしての軍国主義を指しています。)は平和を保障するどころか、戦争への惰性を強める。軍事条約(*日米安全保障条約などは典型ですね。)、非常時計画(*最近の国民保護法などは典型です。)、高度の科学技術の利用、乱暴な勝利の定義などを通じて、戦争の準備そのものが、戦争を促進する独立の要因となっている。」 |
「 |
このようなことを背景として、次に普通は自由で進歩的で・・・二つの世界、つまり労働界と学界に対する軍産複合体制の腐食作用に目を転じてみよう。この二つの世界は、誠に残念ながら、アメリカ社会の極めて多くの分野に起こっていることに典型なのである。」 |
「 |
アメリカの組織労働運動―組合員1800万のーは1790年代にさかのぼって、『虐げられ、抑圧されたもの』のために闘った感動的な歴史がある。・・・しかしこれらのことはすべて変化しつつある。」
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「 |
1969年8月のはじめ、フルブライト上院議員(http://en.wikipedia.org/wiki/J._William_Fulbright )とALF−CIOの会長ジョージ・ミーニー(http://en.wikipedia.org/wiki/George_Meany)とは上院外交委員会の公聴会で、驚くほど激しいやりとりをやったが、・・・この公聴会でフルブライトは、ケネディ・ジョンソン両政府はAFL−CIOに対してベトナム戦争の支持に対する「給与」として3300万ドルを支払ったと非難したが、・・・主な論点というのは『ある種の民間団体が海外に出て行って外国の政府や議会に影響を及ぼすことに資金を提供する』のはアメリカ政府として適切ではない、というものだった。
これに対し、3300万ドルの金は『アメリカ政府の外交政策を実施する』こと以外の目的には使わなかったと(ミーニーは)主張した。」 |
そしてレンズは次のように指摘しています。
「 |
(1) |
労働界の幹部は軍産複合体のメンバーであって、(ペンタゴンと)同じような強硬な反共路線をおしすすめている。 |
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(2) |
彼らは友愛的な支援活動という仮面のもとに過去四分の一世紀にわたり、アメリカ政府の冷戦の目的や、反革命運動のための外国の労働運動の基地を作るための公然比公然の活動に従事してきた。・・・AFL−CIOはこれらの金(政府からの3300万ドル)や自分自身の金を使って、CIAを含む軍産複合体のその他の構成部分には決してできない役割を、複合体のために果たしてきたのである。」 |
そしてレンズは、ミーニー一派の国際的活動の「成果」として、フランス・イタリアや他の諸国で労働運動の分裂工作を行ったこと、ドイツの労働運動で保守層の台頭を助けたこと、マルセイユやその他のヨーロッパの港湾でアメリカの兵器陸揚げ反対ストが起こったとき、スト破りや暴力団をつかったこと、英領ギアナでジャガン政府を打倒するため、アメリカの資金を使ってゼネストを促進したこと、ドミニカ共和国・ボッシュ政権の打倒工作を支持したこと、ブラジル軍部によるグラール政権の打倒のためブラジル労働組合員を訓練したこと、自分の反共主義の旗印によって、数万の外国労組員を教育し、そして賃金その他の援助を与えて、彼らを左翼の指導者をもつ現地の労組員と闘うために派遣したこと、などをあげています。
これ以上は本論から逸れそうなので、レンズの引用は終わりにしますが、核兵器反対で一致団結している「太平洋組合フォーラム」を分裂させるため、資金と人を送り込むなどは、AFL−CIOにとっては朝飯前だったのではないか、と私は想像しています。
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アメリカの軍産複合体制の様々な妨害工作にもかかわらず、南太平洋における「非核地帯」形成の動きは形をとりつつありました。
1983年、バヌアツ共和国(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8
C%E3%82%A2%E3%83%84 )の首都、ポートビラで非核独立太平洋会議が開催されました。
この時、与党バヌア・アク党の書記長バラク・ソペが基調演説を行い、極めて重要な指摘を行います。
「 |
非核化運動の中心目標である太平洋諸国の非核化は真の独立を達成しない限り不可能であって、太平洋の核の歴史はこれら諸国が独立を果たしていなかったことに原因があった」(同書212P)
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「 |
(ムルロア環礁のある)タヒチの住民には、核爆弾が彼らの土地で実験されるか否かを決定することができない。決定権はフランス政府にある。バヌアツは非核国家の道を歩んでいるが、それはかつての宗主国であるイギリスやフランスではなく、バヌアツ国民がそう決定したからなのだ。」 |
河野議長、ここでわれわれは極めて単純な真理に行き当たります。世界の核兵器廃絶は、その地域の市民が自分たちの運命を決定できる条件、つまり自分たちの運命を他国に委ねるのではなく、自分たちの手に取り戻すこと、これが絶対の条件であるということです。
そういう国々が、世界中に増えていき、「表面構造」であるところの、いわゆる「国際政治」なるものを動かし、最終的に核廃絶に至るのだと思います。
こうして成立した南太平洋非核地帯ですが、先に見た「核兵器不拡散の地域的補完機構」としてではなく、「一切の核兵器を持ち込ませない」という意味での「非核兵器地帯(条約)」という意味では問題だらけではありました。
このいきさつをファースは「核の海」の中で、多少の憤慨をもって活き活きと描き出しています。
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「 |
(1983年に成立したオーストラリア、労働党の)ホーク政権にとっては、アメリカを怒らせないこととアンザス条約を危機にさらさないことが何よりも重要だった。」
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「 |
1984年にツバルで開かれた(南太平洋)フォーラム総会で・・・『安全保障関係の取り決めおよび他の諸国の艦船や航空機の港湾、空港の利用問題に関しては、当該各国の絶対的主権事項とする』と宣言したのもそのためだ。」 |
ご記憶でしょうか?この手紙で最初の方で、「非核兵器地帯」成立に関する、アメリカが示した7つの基準を。この基準が満たされれば、その「非核兵器地帯」は、アメリカの核兵器不拡散政策=核兵器独占政策の補完物になりうるのです。
もう一度引用しておきましょう。
(1) |
非核兵器地帯設置の提案は、地域の国家から生ずるべきである。 |
(2) |
地域のすべての重要な国家が、非核兵器地帯に参加すべきである。 |
(3) |
条約の遵守を検証するための適切なメカニズムを備えるべきである。 |
(4) |
非核兵器地帯は、現存の安全保障取り決めを害してはならない。 |
(5) |
非核兵器地帯は、核爆発装置の開発あるいは保有を禁止しなければならない。 |
(6) |
非核兵器地帯は、国際法の下で定められた権利、特に航行の自由の権利の行使を害してはならない。 |
(7) |
非核兵器地帯は、通過、寄港あるいは上空飛行の権利を与える当事国の権利に影響をあたえてはならない。 |
これは、1994年にアメリカが示した基準でした。フォースが「核の海」を書いた後のことです。しかし、先のフォーラム総会宣言は、(4)番の項目、(7)番の項目を見事に先取りしています。
この項目があれば、アメリカは南太平洋非核地帯に参加している諸国と個別に条約を結び、核兵器搭載艦船と航空機を自由に出入りさせることができるわけです。オーストラリアが色々立ち回って、条約にこの項目を付け加えさせたのでした。従って、オーストラリアはこの条約成立後も、アンザス条約(アメリカとの軍事条約)のもとで、核兵器搭載のアメリカの艦船、航空機を自由に出入りさせるのに対して、ニュージーランドは一切の寄港を認めない、という立場をとることになったのです。
ついでに言えば、(というより最初に言っておくべきだったのですが)、この非核地帯条約が対象としているのは、単に核兵器ではなく、すべての核爆発装置です。このふたつがどう違うのかと言えば、核爆発は平和利用(たとえば工事用)もあり得るということらしくて、定義上別なものということになっています。(地球の上で核爆発させる限り、平和利用の核爆発はあり得ないとは思うんですが。)
この条約はすべての核爆発装置が対象です。ですから日本語表記するときにも「南太平洋非核兵器地帯条約」ではなくて「南太平洋非核地帯条約」、あるいは「非核兵器地帯」ではなく「非核地帯」と厳密に書き分けてきました。
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ファースは、この条約は南太平洋の現状を法的に追認したものにすぎない、と素っ気ない書き方をしています。というのは、
「 |
第一にフォーラムに参加する諸国は、自治領はいずれも核兵器を保有していないし、取得を願ってもいない。オーストラリア、ニュージーランド、パプア・ニューギニア、フィジー、トンガ、ツバル、西サモア、キリバスなどの諸国はすでに1968年に核拡散防止条約に調印して、核兵器は保有しないことを誓っていた。この問題に関しては最も急進的なバヌアツも1982年に非核宣言をおこなっている。従ってこの条約第三条の『加盟国は南太平洋非核地帯の内外を問わず、いかなる手段によっても核爆発装置を生産或いは取得、保有、管理しない』という規定も単に現状を確認しただけなのだ。」
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しかしこれは南太平洋に住むファースだから言えることなのであって、日本に住む私としては、これだけの国が集まって核兵器を持たないことを誓う意義はとても大きいと思います。
河野議長、たとえば日本を例にとりましょう。日本は核兵器を持たないことになっています。これが「現状」です。しかしこの「現状」に対して、いままでどんな議論があったか拾ってみましょう。
「 |
政府は、従来から、自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは憲法第9条第2項によっても禁止されておらず、従って右の限度の範囲内にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは同項の禁ずるところではないとの解釈をとってきている。」
(1978年―昭和53年3月11日、参議院予算員会真田法制局長官の答弁)
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「 |
憲法は自衛のための必要最小限度にとどまるものは核兵器も禁止するものではない。ただ、政策の選択として非核三原則を国是としており、一切の核兵器を保有しえないことは言うまでもない。」(1979年―昭和54年3月、大平首相見解) |
最近、特に安倍政権以降、政府自民党の中には、「核兵器を持つことの研究まで禁じられているわけではない。」とする見解があります。しかしこれまでのいきさつからして、これは形式論理です。わかりやすくいうとこれは屁理屈です。
形式論理に形式論理で対抗するなら、
「 |
日本はNPTに加盟するときに、核兵器を持たないことを誓ったはず。その核兵器を保有する研究をするのは、NPTの精神における非核兵器保有国の義務違反に当たる。政権与党がこの研究を行うのは全く自由だが、まずNPTを脱退して研究すべきであろう。NPTは核兵器をもたない研究は認めているが、持つ研究は認めていない。」 |
ということになります。
ですから、ファースの言うように現状を単に確認したものであっても、そのことを明文化し、国際条約の形で締結し、署名し、それぞれの議会で批准することの意義は極めて大きいといわなければなりません。
別な視点からいえば、ファースが「単に現状を確認したものにすぎない」といえるのは、オーストラリア、ニュージーランドをはじめとする南太平洋諸国は、核兵器廃絶問題に関して言えば、日本より思想的先進国だからだ、ということでもあります。
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「より重要なのは核兵器の配備を禁止した第五条で、この規定は核拡散防止条約よりも進んでいる。」(216P)とファースは指摘しています。
私もこの規定は優れた規定で、「核兵器独占のための非核兵器地帯」の性格よりも、「核保有国を包囲するための非核兵器地帯」の性格を色濃くしています。「核兵器」軍産複合体制に対する攻撃的条項です。
たとえば、アメリカが南太平洋非核地帯加盟の国と個別に条約を結んだとします。仮にアンザス条約を結んでいるオーストラリアとしましょう。アンザス条約は軍事条約ですから、アメリカはオーストラリアと、核兵器配備について協議できることになります。ところが、オーストラリアは、この第五条をたてにとって、自国への核兵器配備を拒否することができるわけです。
「 |
だが、交渉の段階で、パプア・ニューギニアやバヌアツが指摘したように、この条項には抜け穴がある。地上にはともかく港の中ならば、いわば恒久的に核兵器を配備することが可能なのだ。この抜け穴を残したのは、例によってアメリカの便宜を図ろうとしたオーストラリアだった。海軍の艦船が港に長期間停泊することはこの条約では全く禁じられていないのだ。」 |
やや憤慨気味に、自身オーストラリア人のファースは書いています。
たしかにファースの言うとおり、この条約は「核保有国を包囲するための非核兵器地帯」という観点からは問題だらけです。艦船や潜水艦、航空機が核兵器を搭載して南太平洋の公海を「自由航行」するのを妨げることはできないし、オーストラリアの米軍基地にある通信設備(核兵器の電子命令指揮系統のインフラストラクチャーそのものです)は依然として存在し続けることができます。
核兵器保有国が、「消極的安全保障」を義務づける議定書に、署名しやすくするためにハードルを低くした節もあります。この議定書には現在(2008年8月現在)、イギリス、フランス、ロシア、中国が署名批准していますが、しかし、アメリカは依然批准していません。このことが逆にこの条約が有効であることの証です。
ここまでハードルを低くしても、アメリカが依然この条約を認めていない理由は分かりません。先の7つの基準もほぼ満たしているわけですから、表面的には障害がないかのように思えます。
この問題をとく鍵は、元駐フィジーアメリカ大使、ウイリアム・ポッドの発言にありそうです。
「 |
南太平洋諸国政府がもしも非核地帯条約に賛成するならば、われわれにとっては重大な問題が発生するだろう。・・・問題は核に関する全面禁止案だ。提案の中には、核積載艦船や潜水艦ばかりでなく各装置を積んだ航空機が太平洋を飛行するのまで禁止しようとするものも含まれている。これはわれわれには戦略的な見地から絶対に受け入れられないし、太平洋諸島政府としても受け入れるべきでないと思う。」(同書220P) |
このポッドの発言は1982年のことです。ファースはこのコメントを、デスモンド・ボールという人の書いた「アンザック・コネクション」(Anzac Connection)という本から引用していますから、私のは文字通り孫引き(玄孫引きかもしれません)です。アンザック(Anzac)というのは、オーストラリアとニュージーランドの間に存在する伝統的な民間軍事同盟のことだそうです。
このポッドの発言を下敷きにしてみると、現在ほぼアメリカの7つの基準を満たした南太平洋非核条約をなおアメリカが認めていないのは、ニュージーランドの存在ではないでしょうか?
核兵器を搭載した艦船が自国領土内に立ち入ることを認めないニュージーランドの存在が、アメリカにこの条約を認めさせないのだと言うことができます。
アメリカはそれほど「ニュージーランド病」が世界に蔓延することを警戒しているのです・・・。
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南太平洋諸国の南太平洋非核条約には、先例がありました。1959年の南極条約と1967年のラテン・アメリカ及びカリブ地域における核兵器禁止条約です。
「非核兵器地帯」は、「核兵器独占のための非核兵器地帯」の性格と「核保有国を包囲するための非核兵器地帯」の性格の両側面がありますが、南極条約はこのいずれも性格も有していません。「核兵器保有国の相互牽制」の産物です。
南太平洋非核条約が直接に参考としたのは、ラテン・アメリカ及びカリブ地域における核兵器禁止条約でした。
直接のきっかけは、1962年のキューバ危機でした。核兵器戦争が実際に起こるかもしれないという現実はラテン・アメリカ諸国に深刻な危機感を抱かせました。
この後は、冒頭にも引用した、日本国際問題研究所の論文を引用します。
「 |
1963年には、ラテン・アメリカ諸国の非核化を求めた国連決議が採択された。その後メキシコのイニシアティブにより・・・世界最初の非核兵器地帯条約であるラテン・アメリカ非核兵器条約は、1967年2月に署名のため開放され、翌年(68年)4月に効力を発揮した。・・・その後カリブ海地域まで適用範囲が拡大されたため、1990年に正式名称が『ラテン・アメリカおよびカリブ海非核兵器条約』と改正された。・・・条約が採択されたメキシコ外務省前の広場の名前にちなんで、トラテロルコ(Tolaterolco)条約と称されている。」 |
なおこの条約は平和目的のための「核爆発」は認めており、この点は南太平洋非核条約とは異なっています。従って表記する際も「非核地帯」とは言わずに「非核兵器地帯」としています。
この条約は、1968年発効していますが、その後進化を遂げています。まず第一に、この地域の大国、潜在的核兵器競争を行っていたブラジルとアルゼンチンが、1994年に共同で非核兵器宣言を行ったあとで、この条約に参加したことがあげられます。
ちょうど南アジアでは逆のことが行われました。すなわちインドとパキスタンとパキスタンは核兵器保有国となり、未だにNPTにすら加盟していません。
次にブラジルとアルゼンチンの参加を条件としていた、チリが1994年に参加し、キューバが1995年に参加したことです。
CIAと組んでアジェンデ政権をクーデタで倒し、その後残酷な軍事独裁政権を敷いたピノチェットの失脚と、このチリの加盟とは決して無関係ではないと、私は、想像しています。
こうして、1995年までには、ラテン・アメリカ諸国のほとんどすべての国がこの条約に加盟し、残すのはプエルトリコ(アメリカの準州)、フォークランド(イギリスの植民地)など、依然として植民地状態にある島々を残すのみとなりました。
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河野議長、1983年バヌアツ共和国のバラク・ソペが指摘したことをご記憶でしょうか?
「
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非核化運動の中心目標である太平洋諸国の非核化は真の独立を達成しない限り不可能であって、太平洋の核の歴史はこれら諸国が独立を果たしていなかったことに原因があった」(同書212P)
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「 |
(ムルロア環礁のある)タヒチの住民には、核爆弾が彼らの土地で実験されるか否かを決定することができない。決定権はフランス政府にある。バヌアツは非核国家の道を歩んでいるが、それはかつての宗主国であるイギリスやフランスではなく、バヌアツ国民がそう決定したからなのだ。」
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「自主独立・自決」こそが「非核兵器化」の条件だ、というのはここでもまた真理です。
考えても見てください。平和でおちついた生活を望み、自分の未来を自分の手で切り開こうとしている一般人民の、誰が、こんな地球破滅兵器を保有したいと考えるでしょうか?もし彼らに自分の運命を自分で決められる権限があるなら、核兵器廃絶を決めるのは、一般の市民感覚からして当然ではないでしょうか?
かれらが、そうできないのは、彼らが「自主独立・自決」の権利を奪われているからに他なりません。
従って今日、核兵器保有を正当だと考えている人たちは、単純に言って3種類の人々しかいません。
1. |
核兵器およびその関連運用装置を製造・保有することによって利益を受けているか、生活を立てている人たち。(アメリカに代表される軍産複合体制内の人たち、およびそのこぼれにあずかっている人たちが典型でしょう。) |
2. |
核保有正当化論者のプロバガンダ(核兵器抑止論や広島・長崎原爆正当化論が典型でしょう)を信じている人たち。 |
3. |
厳密に1でも2でもなければ、権力志向の誇大妄想病患者であることは請け合いです。
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こうしたことを念頭に置いて次の発言を読んでみてください。日本語Wikipediaからの引用です。
・ |
2006年10月、中川昭一自民党政調会長が核兵器も選択肢として考えておくべきだと発言したのに対し、「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろ議論をしておくことは大事だ。」
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これは08年8月福田内閣の改造に伴い、自民党幹事長に就任した麻生太郎の発言です。麻生は上記のどれに該当するのでしょうか?もしかすると3つすべてに該当するかもしれません。
(さすがに吉田茂の孫です。そういえばピノチェットの孫もピノチェット礼賛を行い、チリ陸軍から追放されました。そういえば、安倍晋三も昭和の妖怪の孫でした。そういえば、・・・もういいでしょう)
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ラテン・アメリカ非核兵器条約については、もうひとつ特筆すべきことがあります。それは国家主権を制限する内容を含んだ、査察制度です。
先ほどの日本国際問題研究所の論文を引用しましょう。
「 |
特別査察を規定した第16条は、ブラジルおよびアルゼンチンなどの主張が認められ、1992年に改正された。改正前は、IAEA、およびトラテロルコ条約第10条に基づき設置された『ラテン・アメリカにおける核兵器の禁止のための機構(OPANAL)』の理事会が特別査察を実施する権限を有し・・・締結国は特別査察を行う査察官に対して、義務の入り広に必要であり、条約違反の疑惑に直接かつ密接に関連しているすべての場所および情報に完全かつ自由にアクセスすることを許可しなければならない(2項)という、いわゆるチャレンジ査察を規定していた。
チャレンジ査察は査察を受け入れる国家の同意なしに、査察官が核関連施設および情報に自由にアクセスできるという点でIAEA保障措置協定にもとづく特別査察(いわゆるIAEA議定書承認)よりも、優れており、条約義務違反に対する強力な抑止力となる。」
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改正後は、このチャレンジ査察を行う権限はIAEAのみとし、OPANALは、IAEAに査察を要請することに変更となりました。
つまり、この条約の締結国は、自分の国家主権を一部放棄する形で、チャレンジ査察受け入れに同意したのです。
この論文の執筆者は無意識ではありますが、核兵器を廃絶・統御するに際しては、近代国家に認められた国家主権を放棄しなければ、実現しません。核兵器は、国家主権の枠組みを越えて地球的な課題だからです。
このことを最初に指摘したのは(私の知る限り)、1945年7月(まだ広島・長崎に原爆が投下される前です)のフランク・レポートです。
「 |
さて今やわれわれは、いかにして核装備に関する効果的な国際統御を達成するかという問題を考慮すべき段階に来た。これは困難な問題である。しかしわれわれは解決できると考えている。政治専門家や法律家による研究が必要ではあるが、われわれはここに研究のためのごく基本的な提案を提示してみよう。問題に関わるあらゆる側が、この協定を成立させたいとする熱意と相互信頼に基づき、各国家経済のある段階を国際管理とすることを承認し、それぞれの国家主権の一部を放棄するのである。そして統御自体をそれぞれ異なる二つのレベルで実行するのである。」(統御の方法論より) |
この条約で規定しているチャレンジ条項は、フランク・レポートが想定している「国家主権の一部放棄」に最も近いものです。
しかし、「ラテン・アメリカおよびカリブ海非核兵器条約」も、「核兵器保有国を包囲する非核兵器地帯」という観点からみると、南太平洋非核地帯同様、問題だらけです。ここではいちいち立ち入りませんが、アメリカが容認する7つの基準を相当取り入れています。
しかし、一番大事なことは、ラテン・アメリカ諸国でもこれほど多くの国が、「核兵器を保有することをきっぱり拒否」していることではないでしょうか?
日本という国を地球的な観点から眺めた時にもっとも重要なことはこの点だと、私は思います。河野議長はいかがですか? |
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この二つの条約の成立と進展は、1995年12月に署名され1997年3月発効した東南アジア非核兵器条約の成立にも大きな影響を与えています。
この条約の締結国は、ASEAN10カ国(原加盟国はインドネシア、タイ、フィリッピン、シンガポール、マレーシアの5カ国。1984年にブルネイ、1995年にベトナム共和国、1997年にミャンマー、ラオスが加盟、1999年にカンボディアが加盟)です。
この条約の成立のいきさつについては外務省調査月報2001年N0.3に「東南アジア非核兵器地帯条約の背景と意義」と題する詳細な調査論文が掲載されていますので(執筆は山地秀樹)、以下主としてこの論文によって話を進めます。
ただお断りしておきたいのは、先に引用した日本国際問題研究所の論文同様、この外務省調査月報掲載論文の世界観も、「核兵器廃絶が国際間の大国間の駆け引きと職業外交エリートたちによって達成される」というものですから、どうしても核廃絶へ向けての基本原動力となる各国市民の動向が見落とされがちになっています。
この論文の執筆者山地秀樹の問題意識は、
「 |
この条約は冷戦終了後に成立した。この点、先のトラテロルコ条約やラロトンガ条約と違う、またこの両条約は、核保有国が同意しそうでない条項はあえて外し、核保有国の署名を得てきている。また東南アジア非核兵器条約の母体となっている組織はASEAN外相会議であり、ASEAN諸国は第二次世界大戦後全体として言えば、アメリカの影響下にあった。(この条約の提案国であるインドネシアも、スハルトの1965年9・30クーデタ以降、アメリカの影響力下にありました。)
にも関わらずなぜ、あえて核兵器保有国が難色を示すような条項を抱え、頑として譲らず、そのままスタートしたのだろうか?」
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と言う点にあります。
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実際にこの条約には、5つのいずれの核保有国も、「消極的安全保障」を義務づけた議定書に署名していません。わかりやすく言えば、核保有国はこの非核兵器地帯自体の存在を今にいたるも認めていないのです。
これは、非核兵器地帯全体を考える上でキーポイントになる問題意識だと思います。
(山地と私のこの問題をめぐる世界観=イデオロギーは対極にありますが。)
該当箇所を引用しておきましょう。
「 |
トラテロルコ条約やラロトンガ条約は・・・その作成過程でグローバルな安全保障環境と地域的な非核兵器条約が齟齬を来さないような調整が図られ(*わかりやすく乱暴に言ってしまうと、アメリカが示した7つの基準に合致するということです。)、結果として核兵器国による非核地帯条約への署名を得てきた。冷戦終結に伴い世界的な規模の武力紛争が生じる可能性が大幅に低下したバンコク条約作成時の安全保障環境下では、このように調整済みの既存の非核兵器地帯条約の内容を踏襲して条約を作成すれば、核兵器国の理解は容易に得られ、また、条約締結国が核兵器を保有することを防ぎ、核兵器国が当該締結国に核兵器保有を使用することを防ぐとの非核地帯条約の本来の目的を達成することはさほど困難ではなかったように思われる。しかし、このような状況下にあったにもかかわらず、バンコク条約にはあえて核兵器国が難色を示すような内容が含められていたのである。(*この条項については後で見ます。)これらの意味で、バンコク条約は他の核兵器地帯条約と較べて、『特異』とも言える内容をもっている。」
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問題を正しく立てたとき、回答はすでに得られていると言いますが、山地のこの問題提起にすでに回答が含まれています。ただし山地の問題の立て方は多少歪んでいるので、山地には自分が出した回答が見えていないだけのことです。
山地は、ここで、非核兵器地帯の性格について、「条約締結国が核兵器を保有することを防ぎ、核兵器国が当該締結国に核兵器保有を使用することを防ぐとの非核地帯条約の本来の目的」と考えています。
|
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しかし、「非核兵器地帯」の本来の目的はそうであったでしょうか?それが本来の目的なのは、「核兵器不拡散=核兵器の独占」を意図する軍産複合体制の立場からはそうでしょう。
しかし、ラロトンガ条約成立のいきさつでも分かるように、核兵器廃絶を意図する地球市民の立場から見ると、それはまず第一に「核兵器のない市民生活環境を構築する」というところにありました。ですから、一切どんな形でも核兵器を拒絶することにその目的がありました。
ニュージーランドのケビン・クレメンスのコメントをもう一度引用しておきましょう。
「 |
われわれは核兵器で守って貰うことを望まず、核抑止戦略がわれわれの 安全保障に役立っているとは考えず、またわれわれは西側の価値、すなわち民主的価値を信奉しているので、これを通常兵器のみで守って貰いたいと考えていることを合衆国に分かって貰いたいと思って、その意思表示のために合衆国に次のように言いました。
『われわれは原子力推進または核武装した軍艦がわが国を訪れることを望まない』」
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そしてこの非核兵器地帯は、第二義的には、「核保有国=アメリカの軍産複合体制」の「世界核兵器威嚇戦略」を包囲・孤立させる戦略としての有効性が見いだせるのであります。
この論文では東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約)を「特異」としていますが、それはあくまでアメリカの軍産複合体制の立場からみるから「特異」なのであって、核兵器廃絶を決意する地球市民の立場からみるとより「本来」の姿に近いと言うことになります。 |
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それではこの条約の何が、核兵器保有国のお気に召さないのでしょうか?
非核兵器地帯が成立する条件として、その対象地域の指定が必要となりますが、バンコク条約では「本条約とその議定書は、本条約が効力を有する地帯内の締約国の領域(*領海では現在12海里=22.2Km)、大陸棚および排他的経済水域(EEZ。現在は200海里。)に適用される。(第2条)」としています。
「大陸棚」というのは難しい概念ですがここでは当然、地理的大陸棚ということではなく、国際法上の大陸棚ということであり、これも一概には決定できないものの、私はおおむね領海の基線から350海里という理解をしています。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%A3%9A )
つまり、この条約では、かなり広範な地域が非核兵器地帯に含まれることになります。
といってバンコク条約では、諸外国の核搭載艦船や航空機による通過通航、無害通航など国際海洋法条約で認められた権利を認めていますから、核兵器保有国にとって大きな障害にあるわけではありません。
それでは、なぜこうした概念を導入したかというと、山地は、バンコク条約の作成に先導的な役割を果たしたといわれるアジア太平洋安全保障協力委員会の米国事務局長ラルフ・カッサのコメントを引用して、
「 |
ASEAN諸国がこだわったのは、条約の網を南沙諸島まで広げ、中国の核兵器の持ち込みを防ごうというのが狙いだ。・・・南シナ海、特に南沙諸島で領海権を主張している中国の核配備を望んでいない、という強い姿勢を表した点が大きい。」 |
としています。
アメリカがこの条約に反対の姿勢を示しているのもこの点です。国連海洋法上の概念である排他的経済水域や大陸棚まで動員して、安全保障上の概念である「非核兵器地帯」に持ち込むのは、今後に「悪例」を残す、と言う点です。
ラロトンガ条約締結の時に、「ニュージーランド病」が世界に蔓延することを恐れたアメリカですが、それと同じで今後の非核兵器地帯形成にあたり「バンコク病」が猖獗を極めることが心配なのだと、私は想像しています。
アメリカのいうことを聞くふりして、また「中国の脅威」を盾にとって、自分たちの思いをサラリと条約にいれておくなど、東南アジアの市民たちもなかなかにしたたかです。
アジアン諸国が、地域の核保有大国中国の脅威を強く意識していることはそのとおりでしょうが、背景には核実験場、冷戦時代核対峙の舞台となった太平洋に直接面したフィリピンの市民、オーストラリア、パプア・ニューギニアに隣接するインドネシアの市民、ベトナム戦争、カンボディア紛争時、何度も直接の核戦争の脅威にさらされたインドシナ三国、それに隣接するタイの市民たちの、「核兵器を自国領土に持ち込まない」という意志が強く働いていると見ることが妥当でしょう。
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この条約は、また議定書で、核保有国に対して「消極的安全保障」の義務、すなわち核兵器攻撃を行わないことを求めていますが、その対象地域として締結国ばかりでなく、東南アジア全域を対象としています。つまり東南アジアに対して一切の「核攻撃」あるいは「核攻撃による威嚇」をしない約束を求めています。この点も、核保有国がこの条約に署名しない理由としてあがっており、山地も、この論文の中で、核保有国の署名・批准が得られないことで、この条約の有効性が減じられることになった、という意味合いのことを論じています。
しかし、果たしてそうでしょうか?
もし核兵器保有国が、それがアメリカであれ、ロシアであれ、フランスであれ、中国であれ、イギリスであれ、インドであれ、パキスタンであれ、イスラエルであれ、バンコク条約の議定書に署名・批准していないことを理由として、これら東南アジア非核兵器地帯にある国に、核兵器を使用したり、核兵器を使った威嚇ができるでしょうか?
けっしてあり得ないことではありませんが、相当な覚悟をしてかからなければならないでしょう。少なくとも地球社会から孤立することを覚悟しなければならないでしょう。
核兵器保有国が、この議定書に署名しようがしまいが、この地域の人々の固い決意と意思表示は、それだけで拘束力と制御力を持つのです。(これは抑止力ではなく制御力です。)
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アメリカが東南アジア非核兵器地帯を決して容認しない理由は、実はもう一つあります。それは「フィリピン病」です。
「ニュージーランド病」「神戸病」「バンコク病」に引き続いて、アメリカ=核兵器軍産複合体制が深刻に心配しなければならない「伝染病」が「フィリピン病」です。
この手紙で、「太平洋の非核化構想」(岩波新書)の中から、ニュージーランドのクレメンス教授のコメントを引用しましたが、この本の中には「U沿岸国の責任と役割」の項目の中に「フィリピンの役割」と題するフィリピン大学・物理学教授(=当時)のロジャー・ポサダスの論文(山田英二訳)も収められています。
この論文が書かれた時期は、おそらく1990年当時だと思いますので、まだ東南アジア非核兵器地帯が成立していないころ、水面下で関係各国が話し合いをしていた頃だと思います。またラロトンガ条約はすでに成立し、「核兵器を生活の場に一切持ち込ませないという役割をもった非核兵器条約」としての限界も明らかになっていた頃、ポサダス教授も、南太平洋諸国に対するアメリカの猛烈な巻き返し、ニュージーランドへの扱いもおそらく横目で睨んでいた時期だと思います。
ポサダスはこう切り出します。
「 |
何人かの軍事アナリストは、この地域における超大国の通常兵器による前線攻撃力兵力をそのままに保ちながら核兵器のみを撤収化されると主張している。」
|
( |
そういえば山地も先ほどの論文で、この線に沿った分析をしていました。)
|
「 |
しかし、この主張は非現実的である。なぜならば、
(a) |
両超大国がこの地域に展開している前線兵力の戦略においては核兵器は通常兵器とまったく一体化されており |
(b) |
両大国のこの地域への通常兵器による干渉は容易に核戦争にエスカレートされうるからである。」
|
|
「 |
したがって、私は他のアナリストによって採られている次のような立場に同意する。
アジア・太平洋地域における核戦争の危機を減少させる最も有望なアプローチは、ヨーロッパにおけるような核軍縮交渉を通じてのものではなく、この地域の超大国兵力を物理的に引き離し、彼らの作戦、干渉を許す領域を局限するような地帯を創設するためのアジア・太平洋の非核国家の協力を通じる道である。」 |
ポサダスは、ここで「非核兵器地域(国家)」を「安全な生活を保障する」という意味で使っていると同時に、「核保有国の世界戦略」を分断・包囲する、という意味での「攻撃的非核兵器地域(国家)」と意味でも使っていることになります。
「 |
とくに南太平洋、東南アジア、北太平洋の諸国はすべての超大国の前線兵力を締め出す、一つの連続した、非核、非干渉の緩衝地帯を確立するために共同して行動すべきである。」
|
「 |
この意味で、1985年の南太平洋非核地帯の創設はもっとも歓迎すべきイニシアティブであった。」 |
話は横に逸れますが、核兵器関連、軍縮関連、条約関連の文章を読んだり、人の話を聞いたりしていると、日本語、英語に関わりなく、このイニシアティブ(initiative)という言葉がやたらと出てきます。意味合いは何となく分かるんですが、主導権、独創、開始すること、などの意味を持った、文脈によってどれでも取れる言葉です。もともとの動詞が、initiateで「物事を新しく開始する」という意味ですから、まあ、その程度の、一種の業界用語として捉えることにしています。
ポサダスの話を続けましょう。
「 |
中国はずっと以前から西太平洋非核地帯の創設を訴えていることに留意すべきである。また朝鮮およびほかの北西アジア太平洋地域での非核地帯の提唱もずっと行われてきた。」 |
そして東南アジア非核兵器地帯の話に移ります。ASEAN諸国が70年代から80年代を通じて、この地域の非核兵器地帯形成を模索し続けてきたいきさつを説明した後、
「 |
しかしながら、最近までは東南アジア平和、自由、中立地帯および非核兵器地帯の見通しはあまり明るいものとは言えなかった。それはフィリピンにはアジア・太平洋地域で最大かつ最も重要なアメリカの軍事基地および施設が置かれているからである。」 |
ここで私は、おや、と思います。先ほどの山地の論文では、東南アジア非核地帯形成の障害として、フィリピンにおけるアメリカの軍事基地はまったく登場してきませんでした。
しかし、すぐにこれは両者の「非核兵器地帯」に対する見解の違いから来る、評価の違いなのだと気がつきました。山地は、「非核兵器地帯」を、国際外交舞台における一種の軍縮交渉として捉えているのに対して、すなわち「核兵器不拡散交渉」(それは既存の核保有国の核兵器独占ということでもあるのですが)の一環として捉えているのに対して、ポサダスは明らかに「核保有国の核兵器世界戦略を分断・包囲する攻撃的手段」として捉えています。
従って山地に置いては、フィリピンの米軍基地は障害になりません。核兵器(何をもって核兵器というのかは重要なポイントですが、それは後でも出てきましょう。)を米軍基地から引き上げさせれば、米軍基地そのものは「非核兵器地帯」形成に何の障害にもなりません。
しかし、通常兵器と核兵器は今や一体不可分の関係にある、と考えるポサダスにとっては、米軍基地の存在そのものが、大きな障害と映ずるのです。
これはどちらの分析が正しいのかという問題ではなく、「非核兵器地帯」とは一体何であるべきか、それは単に「核兵器不拡散の道具」なのか、市民の切実な要求に由来する「一切の核兵器締め出しの手段」と考えるのかの違いではないかと思います。
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ポサダスの引用を続けます。
「 |
この状況(フィリピンに米軍基地があり、マルコス政権の下で、アメリカが永久に基地を維持できる状況)は劇的に変化した。1986年2月フィリピンにおける民衆革命の成功によってマルコス政権が倒され、コラソン・アキノ大統領の下で1987年2月には、フィリピン国民は圧倒的多数の投票で、フィリピン国内の合衆国基地の維持を継続する条件を制限する条項を含む新しい憲法を批准した。」
|
「 |
新憲法には近い将来、合衆国基地の撤去への道を開きうる別の条項(第25条第8項)がある。それは以下のようなものである。
『1991年のフィリピン共和国とアメリカ合衆国の間の軍事基地に関する協定の満了、上院によって正当に合意され、議会の要求があるときには、議会の要求にある場合には、それを目的とした国民投票において民衆によって投ぜられた多数票によって批准され、かつ相手方によって条約として承認された条約によるのでない限り、フィリピン国土内においては外国軍事基地、軍隊あるいは施設は認められない。』」
|
「 |
この憲法の指示の意義は、それは、現行の軍事基地協定―それはフィリピンとアメリカの大統領によって記録された行政協定に過ぎないーが1991年まで継続することは容認するが、フィリピンと合衆国双方の上院によって合意された公式の条約によるのではない限り、1991年以降における合衆国基地の存続を明示的に禁止していることである。」 |
このポサダスの話には、極めて重要なことがいくつも同時に噴出していて、私は一体どこから手をつけていいのかわからない混乱状態に陥ります。
落ち着いて整理しましょう。
「核兵器軍産複合体制」を分断・包囲する戦略としての、「非核兵器地帯」は特にアジア太平洋地域に置いては有効である、とポサダスは指摘しました。
しかし、フィリピンを非核兵器地帯とすることには大きな障害がある、とポサダスは言います。それはフィリピンにあるアジア太平洋地域最大かつ最重要の米軍基地、すなわちクラーク空軍基地とスービック海軍基地の存在である、なぜならば、通常兵器と核兵器が一体化した現代に置いては米軍基地とその施設の存在そのものが「核兵器戦力」の構成物なのだから、とポサダスは指摘します。
これは「現代における核兵器」の定義とも関連しますが、核兵器を、「兵器としての核爆発物を有効に目標物に命中させ、初期の戦略的あるいは戦術的効果を上げるために必要な、一切の核爆発物質、その爆発機構、運搬・搬送手段、それを支持する通信・コンピュータネットワークなど」と定義すれば、基地およびその施設は、それ自体が「核兵器」という捉まえ方ができます。
リトルボーイやファットマンのころとは明らかに核兵器そのものも大きく変容しています。
ですから、フィリピンを実効性のある非核兵器地帯とするためには、米軍基地を取り除かねばならないとポサダスを主張します。
その可能性は出てきた、それはフィリピンの「マルコス打倒民衆革命」の成功によって、新憲法が成立し、新憲法は「米軍基地の存続」に関して、そのハードルをとてつもなく高くしたからだ、と言います。
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|
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なぜハードルが高くなったかというと、ペンタゴンやその支配下の国務省の伝統政策としてアメリカ国外に基地を設置する時、それは条約の中に含ませない、行政府の長同士の行政協定ですませてしまう、という政策をとっています。
この政策にはまったく例外がありません。
早い話、日米安全保障条約(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/
texts/docs/19600119.T1J.html )の短い条文のどこを探しても、「アメリカは日本の領土内に基地を置くことができる」とは書いてありません。それではアメリカがなぜ日本国内に軍事基地や施設を設置できるのかというと、先の日米安全保障条約の第六条 、
「 |
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」 |
という条文を根拠にした「日米地位協定」がその根拠です。日米地位協定は決してアメリカ議会や日本の国会での審議や批准を要しません。単に日本の首相とアメリカの大統領の間の約束、行政協定にすぎないのです。
アメリカが伝統的にこの政策を採ってきたにはわけがあります。相手国の議会での審議もやっかいですが、特にアメリカ議会での審議がやっかいなのです。核兵器軍産複合体制といえどもアメリカの議会をすべて乗っ取ってしまっているわけではありません。審議の過程でいろいろな事実関係を明るみに出さなければなりません。「国防上の秘密」といって突っぱねるにも限度があります。
この米議会での審議を避けるには批准という形ではなく、単なる行政協定とした方が都合がいいのです。
この方法だと、アメリカが他国を支配するのに、相手国政府の長だけを、いいかえれば政権与党だけを押さえておけばいいことになります。別な言い方をすれば、傀儡政権をたてておき、その傀儡政権を支配することによって、その国の外交・国防政策を支配できることになります。
フィリピンのマルコス政権はまさにそうした政権でしたし、平和的に傀儡政権が成立しなければ軍事的に傀儡政権を作ることができます。チリのアジェンデ政権を軍事クーデタで倒し、ピノチェット政権を成立させた時もそうでしたし、インドネシアでスカルノ政権が倒されスハルト政権が成立したときもそうでした。 |
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アメリカでは、法律上の権力機構の仕組みからしてもっと簡単です。大統領さえ味方につけておけば、ほぼ核兵器軍産複合体制の利益に合致した政策を実行できます。
軍産複合体制の研究者、シドニー・レンズは「軍産複合体制」(岩波新書)の中で次のように書いています。
「 |
1962年に、フレッシャー・ニーベルとチャールス・W・ベイリーが『5月の7日間』という小説を著した。その小説では、大統領がソ連との間に核軍縮交渉に調印したことを理由に、統合参謀本部の参謀たちが大統領を誘拐して政府を乗っ取る準備をするという筋書きであった。ニーベルとベイリーの書物は、フィクションとして優れているが、政治については誇張が過ぎている。というのは、軍産複合体は、クーデタのような過激な手段を何一つとる必要がないからである。それは、諸制度の中にたくみに入り込み、誰も挑戦できない政治的独占を作りあげれば、十分に同じ目的を達成できるのである。」 |
フィリピン憲法(第25条第8項)は、こうした相手の弱点をたくみに衝いたすぐれた条項だということができます。仮にアメリカの核兵器軍産複合体制がそのもてる宣伝力を総動員し、フィリピンの世論に影響力を及ぼし、フィリピンの上院に圧力をかけ、上院が米軍基地の存続を認め、また国民投票で基地存続に決定したとしても、その内容は条約化し、米議会の批准を受けなければならない、という最大の鬼門が待っています。 |
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ポサダスがこの論文を書いたのは1990年以降ではないと思いますが、1991年フィリピン国民は、米軍基地廃止をフィリピン上院は決定し、1991年11月クラーク空軍基地とスービック海軍基地を明け渡し、撤退したのです。この時ペンタゴンの関係者は、1991年のピナツボ火山の噴火によって両基地が甚大な被害を受けたことも、撤退の理由としてあげていますが、ピナツボ火山が噴火しようがしまいが、米軍は撤退しなければならなかったのです。
( |
河野議長、話は違いますが、米軍の撤退は日本に思わぬー或いは当然というべきでしょうか、問題をもたらしましたね。この在フィリピン米軍の撤退によって、基地機能の一部が沖縄に移転しました。沖縄県民はこれ以上の負担は耐えられぬと激しく抗議しました。何が何でもアメリカの要求を聞かねばならぬ日本政府は、ところてん式に沖縄の基地機能を日本本土に移さなければなりませんでした。そのおはちが私の住んでいる広島のすぐお隣の岩国にある米軍基地ー海兵隊基地―にまわってきたのです。この米軍基地機能の移転の是非を巡って、つい先頃岩国市長選挙が行われました。落選した井原元市長は孤軍奮闘しました。孤軍奮闘というのは、山口県からは冷ややかな扱いを受け、地元の経済界からは総攻撃を受け、広島市長からも支援受けられなかったからです。本来は、広島市長は世界平和都市市長会議の主立ったメンバーを引き連れて、井原支持の先頭に立つべきでした。というのは、『核兵器反対』『原水爆禁止』という受け身の核廃絶運動ではなく、攻撃的な『核兵器廃絶運動』の戦略として、実質的な『非核兵器地帯』構築はこれまで見たように、極めて有効です。フィリピンの市民はこれに成功しました。それが日本に回ってきたのです。本来ならここで4番打者の登場です。ところがこの4番打者は過去の栄光にしがみついた引退寸前のロートルでした。あえなくバットを1回もふらず、3球で見送り三振でした。
自分たちの『正面の敵』をしっかり見据え、その弱点を突いた攻撃的な核兵器廃絶運動というという意味では、この岩国市長選挙は正念場でした。というのはこれまで見て来たように、核廃絶運動は政治闘争という形をとらざるを得ず、政治闘争という形をとる以上、それは「選挙戦」がもっとも鋭い闘争形態とならざるを得ないからです。だから日本政府も露骨な利益誘導を武器に、この小さな市長選挙に全力を投入しました。
沖縄の市民は闘いました。岩国市民も闘いました。しかしその他は見て見ぬふりをしました。地元の人に聞いてみると岩国の経済界の地元への利益誘導作戦はすさまじかったそうです。創価学会の末端の人たちはー時々私の事務所にきておしゃべりをするのですがー選挙戦ということになるといつも張り切るのですが、今回ばかりは動きが鈍かったようです。公明党がどうあれ、創価学会のお偉いさんがどうあれ、岩国基地の機能拡充は、自分たちの安全な暮らしに逆行することを本能的に知っていたようです。でも井原元市長は敗れはしましたが、票差は有効投票数約92000票―投票率76.26%―のうち、わずか1782票でした。現在の状況の中で良く闘ったと思います。決して無駄ではありません。井原元市長をはじめとする岩国市民の戦いは、日本の核廃絶運動の歴史の中に燦然とその輝きを放っています。
しかし、この岩国市長選挙は、同時に日本に核兵器廃絶運動のための有効な戦闘組織が存在しないことを露呈もしました。もしそうした統一的な組織があれば、この岩国市長選挙の意義を核廃絶運動の中で正しくとらえ、統一的組織的に闘ったことでしょう。そうすれば1782票などはものの数ではなかったかも知れません。
核兵器廃絶運動とは、「核兵器軍産複合体制」を正面の敵として、戦いを挑むことです。ただその戦いは物理的な暴力装置を一切使用しない戦いです。しかし、闘争組織が必要であり、戦略司令部が必要であることには変わりません。
そろそろ、日本核兵器廃絶人民戦線といった組織が必要なのかもしれません。『人民戦線』というと、蕁麻疹が出る人もいるかもしれませんので、日本核兵器廃絶ピープルズ・フロントとでもしますか。なに、意味は同じです。
ポサダスの話を整理すると言いながら、またまたおしゃべりをしてしまいました。どうもいかんですね。フィリピンからの米軍の基地撤退から、機能の沖縄移転、それから岩国市長選挙へ飛んでしまいました。でも仕方がないです。地球はつながっているんですから。
私の父親に聞いてみますと、3つの時に縁側から落ちて頭を打ったのが原因だそうです。それ以来おしゃべりが止まらないんだそうです。)
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ポサダスによれば、フィリピンの市民はもうひとつ、絶対的な条文をこの憲法の中にすべり込ませました。それが「戦争放棄条項」と「核兵器廃絶条項」です。
フィリピンの現行憲法は次のサイトで全文を読むことができます。http://www.chanrobles.com/philsupremelaw.htm
この中で、関連した部分を訳出しました。(おこがましくも。)
「 |
前文(Preamble) |
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われわれフィリピン人民は、全能の神の助けをこいねがいつつ、正義と人道の社会を建設するため、われわれの理想と志を具現化する政府を樹立し、国の共有財産を促進し、またわれわれが受けついてきた伝統的な財産を守り発展させるため、法の原則、独立と民主主義を謳歌し、真実、正義、自由、平等そして平和のもとでの独立と民主主義を謳歌するため、ここにこの憲法を制定し公布する。」 |
「 |
第2条 (ARTICLE U) 基本理念と国家政策の宣言 |
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基本理念 |
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第2項 フィリピンは国家政策の手段としての戦争を放棄(renounce)し、そして一般に許容されている国際法の原則を我が国の法の一部分として採用し、すべての諸国との平和、平等、正義、自由、協力、そして友好を政策として堅持する。」 |
「 |
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国家政策(STATE POLICIES) |
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第8項 フィリピンは一貫して国益と共にあり、領土内において核兵器から自由となる政策を採用し追求する。」
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すなわちフィリピン憲法は、日本国憲法第九条よりもはるかに明確な形で、その第2第2条において、国家政策の手段としての「戦争放棄」を謳っています。
さらに、第2条第8項で「核兵器からの自由」を規定しています。この規定があるかぎり、フィリピンは政権が変わろうが、国際情勢がどう変化しようが、「核兵器からの自由」を保証でき、永遠の「非核兵器地帯」を構築できるのです。
ポサダスの話を続けましょう。
「 |
この条項はフィリピンを、核兵器を単なる立法措置や政府の政策ではなく国の基本法である憲法によって禁止している世界でも数少ない国の一つたらしめている。この憲法条項に血と肉を与えるために、23名の構成員からなるフィリピン上院は、1988年6月6日(賛成19、反対3、棄権1の投票によって)『非核兵器法』として知られる上院法案第413号を採択した。」 |
この憲法の精神を実際に実地に移すためには、この憲法条項だけでは不十分で、それを血肉化する法律が必要です。それがフィリピン非核兵器法案です。この法案はすでに上院を通過しておりますが、フィリピンの国内法として発効したのかどうか、私は確認できていません。というのは、この法案が、法律として発効するためには、下院を通過なければならず、その上、大統領の署名が必要だからです。
フィリピンは、アキノ政権のあと、エストラーダ、アロヨ政権とアメリカに協力的で有利な政権が続きました。またアメリカもアロヨ政権に対して必死で巻き返しをおこなっていると伝えられます。
しかし、だからといってこの「非核兵器法案」の歴史的価値はいささかも減じないでしょう。 |
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この法案は第4条で「核兵器」の定義を行っています。関連項目を引用します。
『 |
第四条(用語の定義) |
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以下の用語は本法律のために本条で定義される。 |
|
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(1) |
「核兵器」とは、核分裂或は核融合又はその両者の複合過程を利用して爆発を生ぜしめる全ての装置、又は兵器、又はその核部品或は構成部品をいい、その輸送装置に限らず、核兵器の運送手段、核発射装置の砲座、及び核兵器の指揮・管制・通信システムの不可欠な構成部分である核支援施設を含む。
』 |
|
これは「人類絶滅兵器」としての「核兵器」に関するもっとも根源的な定義だと思います。
この法案によれば「核兵器」とは、その目的を達するためのすべての装置、部品、施設を含みます。
たとえばイージス艦を例にとりましょう。イージス艦とは「イージス・システム」を搭載した軍用艦船すべてを指します。それではイージス・システムとはなにかというと、敵の核ミサイルが飛来してきたとき、艦船のレーダーや軍事衛星からの通信情報などを総合し、敵ミサイルの軌道を計算し、予測された軌道のいずれかの地点で待ち受け、それを空中に置いて迎撃するシステムのことです。つまりコンピュータ・ネット・ワークシステムを使ったミサイル弾道予測システムとその予測に基づいた核ミサイル自動発射システムのことです。
このフィリピンの「非核兵器法案」の定義では、核ミサイル、発射装置、イージス艦そのもの、それを支えるコンピュータネットワークおよびそのソフトウエアまですべての施設・設備が「核兵器」の範疇に入ります。もしこの法案が日本で施行されれば、ほとんどすべての米軍基地、そこに出入りする航空機、艦船、レーダー設備、軍事衛星の地上基地、コンピュータネットワーク、通信装置などが「核兵器」として、法律違反になるでしょう。そして残るのは、兵隊が携行する自動小銃と軍用犬くらいになるでしょう。
( |
もし核兵器用に訓練された軍用犬があれば、その軍用犬も御用です。) |
この核兵器の定義と次の日本政府の定義と較べてみてください。
『 |
1958年―昭和33年―4月15日 核兵器及び通常兵器について(参議院内閣委員会提出資料:田畑金光委員要求)
核兵器及び通常兵器については、今日、国際的に定説と称すべきものは見いだしがたいが、一般に次のように用いられているようである。
ア |
核兵器とは、原子核の分裂または核融合反応より生ずる放射エネルギーを破壊力または殺傷力として使用する兵器をいう。 |
イ |
通常兵器とは、おおむね非核兵器を総称したものである。従って
(ア) |
サイドワインダー、エリコンのように核弾頭を装着することのできないものは非核兵器である。
|
(イ) |
オネストジョンのように核・非核両弾を装着できるものは、核弾頭を装着した場合は核兵器であるが、核弾頭を装着しない場合は非核兵器である。 |
(ウ) |
ICBM、IRBMのように本来的に核弾頭が装着されるものは核兵器である。 』 |
|
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河野議長、この議論の幼稚さに、ちょっと恥ずかしくなりませんか?もちろんこの時日本政府が急に「幼稚」になったのは、核兵器をできるだけ狭く解釈しようという意図があったためで、この回答作成者の頭が悪かったわけではありません。ところでこの国会答弁は今は取り消されているのでしょうか? |
|
|
|
次に法案は、その核兵器を取り扱う人間も違反者としています。該当箇所を引用しておきましょう。
『 |
第五条(禁止される行為) |
|
何人も通過、積み卸しにかかわらず、いかなる核兵器、もしくはいかなる核部品或いはその構成部分をもフィリピン領域に持ち込むこと、或いはフィリピン領域内に於いていかなる核兵器、または各部品或は構成部分をも所有又は保有することは違法である。核兵器、その核部品又は構成部分、或は第四条の第一項で列挙された核兵器関連設備の開発、製造、取得、実験、使用、導入、設置、貯蔵、蓄積はいかなる形でも、現存するアメリカ合衆国の軍事施設を含むフィリピン領域のいかなる部分の内、上、地下、上空においても、又その持ち込み、通過、寄港、駐留も、又フィリピン領域のいかなる場所においても核武装した陸上輸送手段、船舶又は海上航行手段又は潜水艦、航空機又は空中輸送手段の使用は禁止される。』 |
『 |
第十条(罰則) |
|
本法律の第五条に於て違法或は禁止と宣言されている行為を犯した者は以下のように処罰される。
(1) |
違反が核兵器を含む場合には、裁判所の判断により、20年ないし30年の禁固、または、
|
(2) |
違反が部品又は構成部分、或は核兵器関連設備に関わる場合には、裁判所の判断により、6年ないし12年の禁固。
違反者が、船舶又は車両或は航空機、設備又は施設の、船長、指揮官、責任ある職員及び乗組員又は補助職員であるならば、場合に応じ、また彼らの違反への関与の程度に応じて、船長、指揮官或は責任ある職員は上記に規定されたうち最高の処罰、乗組員又は補助職員の構成員は上記に規定されたうち最低の処罰を受ける。
核兵器を組み立てる共謀が立証された場合には、すべての共謀者に対して上記に規定されたうち重い方の処罰が科される。
違反者が外国人である場合には、恩赦と仮釈放に関する法律に従って、その形期を終えた後、国外に追放されるものとする。
違反者がフィリピン政府、その下部組織、官庁又は機関の職員である場合には公職資格を永久に剥奪されるという付加的な処罰を受けるものとする。
違反者が会社、組合、又は何らかの法人である場合には、その長、又は総支配人、又はその共同経営者は刑法上の責任を負う。』 |
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もし、この法律が日本国内で施行されたと仮定してください。まず総理大臣、防衛大臣あたりは、公民権剥奪の上禁固30年でしょう。かれらは、核兵器が自由に日本国内に出入りしていることを知りながら、これを放置・助長していたのですから。一般の自衛隊員も罪を免れません。責任はないものの、補助員として働いたわけですから、6年は刑務所に入って貰う必要があります。三菱重工の社長はまず間違いなく禁固30年です。
河野議長、私はお伽噺を語っているのではありません。実際にこうした「非核兵器法案」が、フィリピンでは少なくとも上院で圧倒的多数をもって通過したのです。 |
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この法案が私たちに語りかけていることは明白です。
「 |
核兵器は、それを製造、保有、貯蔵、実験を行うことはもちろん、それをいかなる形でも扱うこと自体が犯罪だ。」 |
それも人道に対する罪とかという抽象的な犯罪ではなく、刑事犯罪だと言っているのです。
この非核兵器法案は、「核兵器」をヘロインか覚醒剤なみに扱っています。
今日まともな人間で「ヘロイン」や「覚醒剤」を扱う人間はいません。それを扱ったり、それを商売にする人間は、社会通念上、陰湿な犯罪者であり、「人間のくず」と見なされます。暴力団の世界ですら、かつでは「麻薬」を扱う人間は軽蔑されました。
アヘン戦争が勃発したのは、1840年です。これは、イギリスが国策としてアヘンを中国に輸出し、中国(当時は清)との貿易不均衡の穴を埋めようとしたところにその背景がありました。つまりイギリス政府はイギリスの貿易会社に中国に対する「アヘン輸出」を奨励したのです。清はすでにアヘンの輸入を禁じていましたから、清側にとってはこれは密輸入ということになります。
アヘンの密輸入を取り締まる特別大臣(鈞差大臣)となった林則除は、これを徹底的に取り締まりました。ところが外交官(監督官)だったチャールス・エリオットは、イギリスの商権を守るため、これを口実に清に戦争を仕掛けました。これがアヘン戦争です。イギリスは「最も恥ずべき戦争」(ウイリアム・グラッドストーン)を女王陛下の名前においておこなったのです。
いま私がここで問題にしたいのは、この戦争の是非ではありません。イギリスのアヘン戦争を支持し、推進し、中国をアヘン漬けにしようとした政治的責任者は、みな当時のイギリス社会で、尊重され、権威をもった人物たちだった、ということです。誰一人「ならずもの」「人間のくず」と見なされた人物はいませんでした。
しかし、今日的基準で言えば、これらの人々は「人間のくず」です。
約170年間の間に何が変化したのでしょうか?
「人類を根元から腐らせる」麻薬に対する評価が変わったのです。従ってそれを扱ったり、奨励したりする人間に対する評価も変わったのです。これは人類が思想的に進歩したことを意味しています。私たちはこの進歩を大切にしようと考えませんか?大切にしようとするから、「麻薬」を扱う人間は「人間のくず」という考え方が定着したのではありませんか?
いまから60年以上も前、トルーマン政権で「日本に対する原爆の使用」を決定した人々は、科学者を含めて皆当代一流の人物と見なされていました。陸軍長官のヘンリー・スティムソンは政権きっての人格者と見なされていましたし、ずっと原爆開発と使用に携わった陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルは当時もっとも優れた軍人と見なされていましたし、後にノーベル平和賞を受賞しています。ジェームズ・コナントはハーバード大学の学長でしたし、カール・コンプトンはマサチューセッツ工科大学の学長でした。
しかしこれらの人々も、フィリピン非核兵器法案の基準から言えば、薄汚い犯罪者であり「人間のくず」ということになります。全員禁固30年ものです。
この間何が変わったのでしょうか?少なくともフィリピンの市民の間では、「麻薬」の時と同様、「人類破滅」をもたらす「核兵器」に対する評価が変わったのです。これは人類の思想の大きな進歩といえるのではないですか?
ただこのフィリピン市民の「核兵器」に対する評価は、60年以上経てもまだ人類共通の思想的財産になっていない、と言う点は、「麻薬」の場合とは違います。
私は、「核兵器を製造・保有することはもちろん、それを扱うこと自体が犯罪であり、人間のくずのやることだ」という思想を、麻薬の時と同様、一日も早く人類共通の思想的財産としなければならないし、それが「核兵器廃絶」を思想的に準備するのだと考えています。
河野議長、あなたはどう考えますか?
なお、この法案の全文は別途資料としておきましたので、是非お読みいただきたいと思います。法案ながら感動的な文書です。
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しかし、同時に現実主義者、ポサダスが次のように言っていることは、われわれも、しっかり頭にたたき込んでおかねばならないと思います。
「 |
しかし、私はまたフィリピンと他の東南アジア地域に非核兵器地帯を創設する鍵は、実は『非核兵器法案』の成立にあるのではなく、フィリピン領土からのすべての合衆国軍事基地、施設の撤去にあることを指摘したい。
なぜなら、これらの基地がフィリッピンの中に存在することを許されている限り、フィリピン政府にとってこれらの基地内において核兵器の憲法による禁止を強制することはほとんど不可能だからである。」 |
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その後の展開は、ポサダスが見通したとおり、フィリピンの市民はアメリカの基地をその領土内から追放し、「東南アジア非核兵器地帯」が成立したのであります。
さて私は、核兵器廃絶へ向けて、地球市民の闘いを概観しながら、われわれ日本という地球の一地域に住む市民が核兵器廃絶へ向けてなにができるかを考えてみたい。と最初に申し上げました。
それは、まず日本をまやかしの「非核三原則」ではなしに、実際掛け値なしの「非核兵器地帯」とすることだろうと思います。
「原爆パネル展」を国際的に展開して、広島・長崎の悲惨を訴えることは確かに価値のあることですが、それが、核兵器が自由に出入りし、「日本は核兵器の傘で守られている」と公言する政府の下で行われる限り、核兵器廃絶にはほとんどなにも貢献しないでしょう。
地球の人たちは、広島・長崎を参考にしつつも、それぞれがそれぞれの立場で核兵器の脅威を感じ取り、それぞれの地域の闘いを展開しています。われわれもわれわれの地域の闘いを展開すべきでしょう・・・。
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なお現在1996年アフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)が成立した。なお同条約加盟28カ国の批准が済んでいないため、2008年8月現在未発効。また2006年9月、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン5カ国による中央アジア非核兵器地帯条約が成立した。この条約は旧ソ連の核実験場、カザフスタンのセミパラチンスクで調印されたため、セミパラチンスク条約と呼ばれている。このほか、1998年、モンゴルは1国で非核地帯と国連総会で決議された。 |
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(以下次回) |
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