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No.23-1 |
平成20年12月9日 |
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アパグループが2008年5月20日から募集していた「真の近現代史観」と題する懸賞論文に、現職の防衛省航空幕僚長・空将(=当時)・田母神俊雄の「日本は侵略国家であったのか」と題する論文が最優秀藤誠志賞に選ばれた。審査委員長は渡部昇一(上智大学名誉教授・英語学)だったという。(http://www.apa.co.jp/book_report/index.html)
この論文の問題点は、水島朝穂(早稲田大学教授・法学)が自身のWebサイトで、『「論文」の内容面は、歴史学者に任せることにし』と断りつつ、『この「論文」をめぐる問題点を4点指摘しておこう。』と極めて簡潔に次のように指摘している。(http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/040e0de2c82a2f6ae7b3dfcb270250c9)
第1に自衛隊員の「表現の自由」の問題。水島は、『自衛隊法61条は自衛隊員の「政治的行為」を厳しく規制している。』とした上で、一般の自衛隊員は「制服を着た市民」としての(表現の自由の)権利を認められるべきだと述べている。『だが、高級幹部は別である。権限も強く、言動の一つ一つが部下を動かす地位にあるものは自ずから制限の程度は高くなる。』として一般隊員と「高級幹部」における「表現の自由」の問題を分けて考えている。
第2に田母神が『高級幹部としての地位を利用して、政府見解を否定し、偏った歴史観と国家観を自衛隊内に広めるための活動を意識的・組織的に行っていたのではないか。』とし、これは『政治的目的のために官職・職権その他公使の影響力を利用すること』を禁じた自衛隊法施行令87条1号に抵触するのではないか、としている。
第3の問題は、特定の私企業(この場合はアパグループ)の懸賞論文に応募する行為そのものである。これは「自衛隊員倫理規定5条」に反するのではないか。
第4の問題は、なぜ、こんな人物が空自のトップになれたのかという問題である。田母神が航空幕僚長に就任するのは、2007年3月28日である。安倍晋三内閣の時であり、2007年1月防衛庁から防衛省に昇格した初代防衛大臣が例の久間章生である。2008年4月18日、名古屋高裁がイラク派兵違憲判決を出したが、その判決に対して「そんなの関係ねえ」と発言したのもこの田母神俊雄である。水島は『本当にこの人は危ないと思った。』と書いているが、航空幕僚長の立場にありながら、司法が下した判断を、「そんなの関係ねえ」と言ってのけるその超法規的感覚は、戦前の旧帝国軍人の感覚とまっすぐにつながるものであり、「日本は危ない」と感じた水島や私だけではないだろう。 |
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麻生内閣は、この問題だらけの「田母神論文」を放置しておけず、直ちに辞表の提出を求め、「定年退職」という形をとって、この危険人物を表面排除した。「表面」というのは、政府は田母神を解任、懲戒処分とせず、「定年退職」としたからである。政府自民党の中には『田母神的発言』を容認する動きが戦後一貫して流れているのである。ただ田母神はいかにも粗雑に、稚拙な形でそれを表に出し、戦後一貫して流れている『戦前軍国主義を再生しよう』という勢力にとってすら厄介者になってしまったと言うことだ。いわば田母神は日本の支配勢力から使い捨てにされた格好だ。
これまで学者の中には、「田母神論文の内容」を正面切って批判しようという動きはない。水島が「内容は歴史学者に任せる」というように、一読すれば分かるように余りにも雑で論文の体をなしておらず、批判しようにも批判のしようがないのである。論文というより「雑文」である。これを本当に渡部昇一審査委員長のもとで「第一席」としたのなら、渡部昇一の学者生命も終わりだろう。(そのうち私は名前を使われただけだ、と渡部が言い出さないとも限らない。)
水島は、問題点は4つあるとしたが、整理すれば2点ということになるだろう。
(1) |
自衛隊の「幹部」、この言葉を私は「職業軍人」という意味で使っている、は真に文民統制に従順であるか、と言う問題。職業軍人の言論の自由の問題も、何故こんな人物が航空幕僚長という地位についたのか、と言う問題も、その地位を利用して影響力を行使する問題もすべてこの範疇に含まれるだろう。 |
(2) |
は、水島が「歴史学者に任せる」とした田母神の「歴史認識」の問題である。 |
「田母神論文」の問題点うち、主として「文民統制」に関わる問題が大きくクローズアップされて問題にされている。水島も「その歴史的認識は歴史学者に任せる。」としている。しかし私はそうは思わない。
「文民統制問題」と「歴史認識問題」とはどちらがより重要で、どちらがより根源的かと較べてみると「歴史認識問題」の方がはるかに基本問題だからだ。別な言い方をすると、「歴史認識問題」がより基層にあり、「文民統制問題」もそこから派生していると考えられるからだ。
「歴史認識問題」がより基層にあることの更に大きな問題は、田母神がここで示した「歴史認識」(それは恐ろしく粗雑で天皇制ファシズムイデオロギーむき出しだが・・・)は、ひとり田母神だけが持っているものではなく、陰に陽に、現在の支配者階級を覆う「歴史認識」だという点だ。
ここで浮かび上がってくるのは水島のいう「歴史学者に任せる」という姿勢だ。水島はこの文章を何気なく書いたに違いない。新聞からコメントを求められ、時間もないあわただしい中で自分の考えをまとめ送稿しなければならなかった状況の中で、極めて粗雑なとりとめもない田母神の歴史認識につきあっているヒマはなかったに違いない。それより自分の専門である法律に論評をとどめ、より基本的な問題を指摘したかったに違いない。
確かに多くの学者が指摘しているように、この論文は論評に値しない。 |
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しかし、にもかかわらずこの雑文の「歴史認識」をこそ批判しきらなければならない、と私は感じている。というのはこの論文の背後に岸信介の亡霊を見るからだ。
そして「歴史認識問題」を歴史学者の手だけに委ねてはならないと感じている。一般の日本人が市民レベルで「田母神の歴史認識」を批判しきらねばならないと感じている。戦後、日本人がそうして来なかったからこそ、戦後60年以上も経ってなおかつ、田母神のような「化け物」を生んだのではないか。日本人が市民レベルで歴史と正面から向き合ってこなかったからこそ、「田母神」という「化け物」が現れたのではないか。
(良心的な歴史学者の多くもまた、その歴史認識を一般市民と共有したい、そうすべきだと感じているのではないか。)
私は「田母神論文」でもっとも問題にすべきなのは、そこに現れた「歴史認識」である、と強く感じている。 |
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(以下次回)
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