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            これは少々トリッキーな質問です。 
             
             というのは現在までに続く、しかも現実政治に何らかの影響を与えた核兵器廃絶運動ということになると、日本に一体「核兵器廃絶運動」が存在したかどうかが疑問だからです。 
             
             これは「核兵器廃絶運動」の評価、何をもって核廃絶運動というかの問題でもあります。 
             
             核兵器問題が100%政治問題である以上、「核兵器廃絶運動」もまた明確な政治運動でなくてはなりません。 
             
             政治運動である限り、明確な政治目標と政策を掲げて、時の政権に影響を及ぼす、あるいは核兵器廃絶に熱心でない政府を打倒して、新しい政権をつくるといった政治的プロセスが必須になってきます。 
             
             ちょうどニュージーランドにロンギ政権が成立した時、フィリピンにコラソン・アキノ政権が成立した時、南アフリカ共和国にデ・クラーク政権が成立した時、のようにです。 
             
             日本でこのような形での「核兵器廃絶運動」が存在したか、というと大きな疑問です。 
             
             
             被爆者救済運動や原水爆禁止運動は存在しましたが、こうした意味での「核兵器廃絶運動」が継続的に存在したかというと大きな疑問が残ります。 
             
             しかしその萌芽はありました。そのきっかけが、【第6問】ででた「ビキニ環礁水爆実験」だったことは誰しも異論のないことでしょう。 
             「第5福竜丸事件」「放射能汚染マグロ」事件のことは【第6問】でもふれました。 
             
             この事件をきっかけに、核兵器にいい知れない恐怖をもった各地域の主婦を中心とした「核兵器反対」運動が始まりました。 
             
             後には3000万人以上の署名を集め、核兵器廃絶のための一大市民運動にまで発展しました。 
             
             しかしその後の経過を見ると、これらの運動は結局、日本の政治を変える市民運動、「核兵器廃絶運動」に発展せずに、被爆者救済運動やパーフォーマンスとしての原水爆反対運動に流産してしまいました。 
             
             しかし、日本での核兵器廃絶運動が、広島や長崎ではなしに、第5福竜丸事件に恐怖を覚えた東京都の市民や、第5福竜丸の母港であった焼津の市民から始まったことは記憶しておかなければならないことです。 
             
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            | 【第8問】ヒロシマ、ナガサキは結局、世界に何をもたらしたのでしょう? | 
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