トルーマンと原爆、文書から見た歴史
           編集者 Robert H.Ferrell(ロバート・H・ファレル)


第11章 日本の都市に落とされたチラシ
(原文:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/ferrell_book/ferrell_book_chap11.htm

 11章は、広島の原爆投下後に日本の各地に落とされたチラシをテーマにしている。
このチラシは日本各地で発見されている。「降伏しなさい」「都市部から避難しなさい」「ソ連が間もなく参戦する」という内容のチラシである。私の本文では全く取り上げていない。
以下はロバート・ファレルの解説と註であるが、ひとつ納得ができないことは、ファレルが「アメリカ政府の指導者たちは、日本の人々が都市から避難することを望んだのである。それはできるだけ生命を救いたいという思いからだけではなく」と言っている点である。
もしそうなら、長崎では原爆投下前にこのチラシが撒かれなくてはならなかった筈である。
ところが長崎原爆資料館に確認してみると、このチラシは長崎原爆投下後に長崎に撒かれたという証言の方が圧倒的に多いそうである。
(長崎原爆資料館は以下:http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/
 投下前に撒かれたという証言もないではないが、確認されていないと云う。
このチラシの内容を当時日本の人々が信じたかどうかは別として、米首脳部の真の意図を探るにあたって、長崎へのチラシ散布が投下前なのか投下後なのかは比較的大きな問題だと思う。
 当然ファレルはそこまで調べてこの11章を起こしているとは思えない。
 以下は原爆投下後日本各地に撒かれたチラシの米軍部が保管する英文翻訳である。

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 心理戦計画の一環として、広島の原爆投下後、日本の各都市に数千ものチラシが落とされた。
アメリカ政府の指導者たちは、日本の人々が都市から避難することを望んだのである。
それはできるだけ生命を救いたいという思いからだけではなく、工場が都市部に集中していたことから、戦時生産を妨害したいという意図もあった。
彼らは、人々の戦争継続への厭戦気分をあおり、ポツダム宣言の要求にそう方向で、天皇を含めた東京の高官たちに迫る事を期待したのである。
不幸なことにこの心理作戦は失敗した。時間がなさ過ぎたのである。
その上、日本の政府は軍部当局が支配していた。長崎への原爆投下だけが、天皇を軍部に打ち勝たせたのである。


注 記
1. このチラシでは、広島に投下された原爆はB29が2000機分としていた。
B29は最大1トンのTNT相当爆弾を積載できる。しかしこれは大ざっぱなものだった。
アメリカの軍部当局は、広島へ投下された原爆がTNTで一体何トンに相当するのか分からなかった。アラモゴードでの、プルトニウム型実験原爆と同じだろうと思っていたに過ぎない。
その上、チラシでは東京やその他の主要都市に投下した焼夷弾と比較している。
焼夷弾は、炎上させ酸欠状態を作り出すのに対して、原爆は爆風効果の方が大きい。
1945年3月9日・10日の夜、279機のB29が空襲し、それぞれ500ポンドのクラスター型小型焼夷弾を東京に投下し、市街地10平方マイルを焼き尽くし、8万人を殺し、4万1000人に負傷させ、100万人が焼け出された。
8月の初旬までに6つの主要な日本の都市で、B29は合計257平方マイルの市街地のうち105平方マイルを破壊した。それまでに殺された人は24万人、負傷者は30万人に上った。