トルーマンと原爆、文書から見た歴史
           編集者 Robert H.Ferrell(ロバート・H・ファレル)


第6章:トーマス・T・ハンディ将軍からカール・スパーツ将軍へ 7月25日

 ポツダム会談に出席していた、陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャル将軍は、7月25日、米戦略空軍司令官に運命の指示を送った。その同じ日大統領はバベルスベルグで新しい核兵器について書き記している。当時チェスター・W・ニミッツ海軍元帥の指揮の下にあった海軍、海兵隊をのぞくと、太平洋はダグラス・マッカーサー陸軍大将の指揮の下にあった。海軍・海兵隊はパール・ハーバーから東へ移動中であった。一方マッカーサーはオーストラリアから北上中だった。両者は日本本土で交わる予定だった。日本侵攻の第一段階である九州上陸は、マッカーサーが指揮を執る予定だった。核兵器を運ぶのは509混成航空群、というちょっと変な名称を持った編隊だった。B−29爆撃機を含むことを意味している。B−29は、重量のある爆弾を手運びできる地上レベルからリフトをもっており、ちょうど胴体の真ん中にそれを格納する大きなハッチがついている。また爆弾パラシュートやタイマーやその他の装備品をかっちり確保するため強化構造にもなっている。


(以下、ハンディ将軍からカール・スパーツ将軍への指示書)

 1945年 7月25日

 米陸軍戦略航空隊 司令官
 カール・スパーツ大将へ

1.
第20航空隊509混成航空群は、1945年8月3日以降、有視界爆撃が許される天候と成り次第、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかを攻撃目標として、最初の特別爆弾を運ぶこと。爆弾の爆発効果を記録及び観測するため、陸軍省より軍および民間科学者が同行する。このため爆弾を運ぶ爆撃機加え、航空機を追加されたい。観測用航空機は、爆心点から数マイル離れた地点で待機する。

2.
追加の爆弾は、計画スタッフにより準備ができ次第、上記攻撃目標用に供給する。

3.
日本に対するこの兵器の使用に関する情報はその一部及び全部が、陸軍省長官及び合衆国大統領の管理のもとにある。現地司令官による当該案件に関する声明あるいは広報発表は、事前に責任当局者の特別な許可を受けない限りなさぬこと。いかなる報道記事といえども陸軍省の特別検閲を必要とする。

4. 日本に対するこの兵器の使用に関する情報はその一部及び全部が、陸軍省長官及び合衆国大統領の管理のもとにある。現地司令官による当該案件に関する声明あるいは広報発表は、事前に責任当局者の特別な許可を受けない限りなさぬこと。いかなる報道記事といえども陸軍省の特別検閲を必要とする。

5. 貴下に対する以上の指示は、陸軍省長官及び合衆国参謀総長の承認の元に両者の指示でなされている。この貴下用指示書は貴下が保管し、其の写しを一部マッカッサー大将、もう一部をニミッツ海軍元帥用とされたい。



   トーマス・T・ハンディ大将
   総参謀本部 参謀総長代行