トルーマンと原爆、文書から見た歴史
           編集者 Robert H.Ferrell(ロバート・H・ファレル)


第7章 ポツダム宣言 7月26日

 7月26日、アメリカ大統領、チャーチル首相、蒋介石中国国民党総統の共同署名により、宣言が発効した。それは結果として、前日ハンディ将軍からスパーツ将軍に対して行われた指示よりも、さらに運命的である。少なくともそれ以下ではない。ポツダム宣言を受け取る側、すなわち日本政府が、大統領や首相の要請している降伏をもし受け入れるものとすれば、前日の指示は実行されなかったのである。

 残念なことに、宣言の中ではアメリカがすでに核爆弾を保有しそれを日本に対して使用することが警告として明瞭に書かれていなかった。トルーマンはそのことを明瞭にしたくなかったのである。というのは、米国議会はこれまで、20億ドル近い費用のかかる計画がいったい何なのか知らされず、寛大に認めていた。ところが、実際金を払っている立法府に知らせないまま、敵国政府に先にその情報を提供することに議会が異議を唱えるかも知れないからだ。

 おそらくは警告が一般的な内容だったためだろう、日本政府はやや侮蔑に近い反応を返してきた。日本の首相は「宣言を無視」という選択をした。その時使った言葉は、多義性をもった言葉「mokusatsu(黙殺)」であり、字義通り訳せば「黙って殺す」と言うことになる。しかし実際ははっきりしないニュアンスをもった言葉だった。東京ラジオは、日本政府は宣言を「mokusatsu」し、戦争を続行する、と放送した。英語の翻訳は「拒否」(reject)となった。そこでトルーマン大統領は、好意の申し出をはねつけられた、と取ったのである。後年トルーマンはこの時のことを回想して、「ポツダムで、降伏してはどうか、と聞いたのに(ask)、日本側の返事は実にすげないものだった。私のとらまえ方は、ウーン・・・。要するに彼らは私に地獄へ堕ちてしまえ(go to hell)、と云ったわけだよ。実に効果的な言葉だったね。」

 アメリカが核兵器を保有しているということを知らなかったことに加えて、
日本の指導者は、馬鹿げた話だが、まだアメリカと交渉の余地があると信じていた。しかも東アジア全体で戦闘を戦った彼らの軍隊が、略奪や屠殺をほしいままにしたことを完全に知っていた上の話である。こうした行為に日本の天皇が関わっており、いわば共犯だったかどうかについては、当時西側の世界はほとんど何も知らなかったし、その後も長い間知らなかった。裕仁が亡くなった後、宮内庁の当局者が、全くそれまでとは異なる裕仁像を明らかにしてはじめて知ったのである。天皇は軍の司令官たちを支持していたし、しばしば政治的助言も与えていたのである。

 戦争が終焉に向かうにつれて、アメリカ、イギリス、ソビエトはおおやけに戦争犯罪人の召喚準備をスタートさせた。しかし東京の高官たちは、どうも戦争犯罪に関与したものたちを救うため、まだ駆け引きできると思い違いしていたふしがある。国体の護持に関連して、問題をデリケートに取り扱って、連合国側が戦争裁判法廷を主催するのではなく、自分たちで主催しようと思い描いていた。

【お詫びと訂正】 (追記 2015.5.22)

 この【ポツダム宣言】訳は今から10年前のもので、今読み直してみると訳し落としや誤訳などもある。当時はインターネット上に外務省仮訳版しか見当たらず、トルーマン政権が広島に原爆投下した経緯と深く関わっていたので、私の理解のための翻訳という軽い気持ちと、本来すべての日本人が手軽に読めるようにすべきなのに・・・という、外務省仮訳に対する腹立ちが混じっていたのがいけなかった。幾人かの方からも、メールでご指摘を受けた。弁解にもならないが、お詫びして訂正する。

 1点だけ。第5項で、“terms”を「条件」と訳してあったのを「条項」と訳し直した。しかし「条件」という訳も( )に入れて残した。全体の趣旨からすれば、ここは「条件」という日本語の方が適切にトルーマン政権のニュアンスが伝わるからだ。ポツダム宣言を受け入れることは、日本にとって「無条件降伏」を意味する。
 「無条件降伏とは、日本が“わが方の言う条件”(のちのポツダム宣言)を受諾することによって、完全な敗北をみずから認め、かつその“条件”が明記するはずの軍事占領を体験することによって、その敗北を実感することを意味していた。その目的とするところは、日本人を天皇信仰の呪縛から解き放つことにあった。
 かくて“対日処理を繞る論議の焦点は、天皇という存在に絞られる”ことになる」
(大江志乃夫著『靖国神社』25頁 岩波新書 1984年3月21日第1版)
 しかし天皇制存続問題(日本側のいわゆる“国体護持”問題)は、ポツダム宣言では全く扱われなかった。すでにトルーマン政権は、様々な理由により天皇制存続を決めていたが、中国、ソ連、英連邦諸国の中で根強かった「天皇退位論」や「天皇戦犯論」に配慮したためである。「国体護持」が明文化されていなかったため、この問題を中心に「ポツダム宣言受諾」を巡って「最高戦争指導会議」「御前会議」は堂々巡りの議論を繰り返し、8月6日の広島原爆、8月9日の長崎原爆を招き寄せてしまうのである。そしてやっと8月10日になってポツダム宣言を受け入れるのであるが、それは、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」(国体護持変更の要求を含んでいない、という“条件”のもとにポツダム宣言を受諾する)とする受諾声明を発出する。(<http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/010/010tx.html>の「三国宣言受諾ニ関スル件」の項参照のこと)
 ポツダム宣言を受け入れることは、一見日本の無条件降伏のように見えるが、このように「天皇制存続」という条件をつけた「降伏」であった。

 訂正は、訳し落としや誤訳は赤字で訂正した。また誤りの箇所は二重取り消し線でその場所を示した。また誤りの箇所や訳し落としの箇所は英語原文を、青字の<>に入れて表示した。このようなミスは二度と起こさないように自らを戒めるが、またやらかした時には、率直にご指摘いただきたい。私の誤りを指摘していただいた方々には心より御礼申し上げる。

(以下ポツダム宣言条文)

日本降伏のため確定条項宣言 ポツダムにて 1945年7月26日発出
<Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender Issued, at Potsdam, July 26, 1945>

(1) われわれ、米合衆国大統領、中華民国主席及び英国本国政府首相は、われわれ数億の民を代表して協議し、この戦争終結の機会を日本に与えるものとすることで意見の一致を見た。

(2) 米国、英帝国及び中国の陸海空軍は、西方から陸軍及び航空編隊による数層倍の増強を受けて巨大となっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。(poised to strike the final blows)この軍事力は、日本がその抵抗を止めるまで、戦争を完遂しようとする全ての連合国の決意によって鼓舞されかつ維持されている。<This military power is sustained and inspired by the determination of all the Allied Nations to prosecute the war against Japan until she ceases to resist.>

(3) 世界の自由なる人民が立ち上がった力に対するドイツの無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人民に対しては、極めて明晰な実例として前もって示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力、すなわち全ドイツ人民の生活、産業、国土を灰燼に帰せしめるに必要だった力に較べてはかりしれぬほどに大きい。われわれの決意に支えられたわれわれの軍事力を全て用いれば、不可避的かつ完全に日本の軍事力を壊滅させ、そしてそれは不可避的に日本の国土の徹底的な荒廃を招来することになる。

(4) 日本帝国を破滅の淵に引きずりこむ非知性的な計略を持ちかつ身勝手な軍国主義的助言者に支配される状態を続けるか、あるいは日本が道理の道に従って歩むのか、その決断の時はもう来ている。

(5) これより以下はわれわれの条項(条件)である。条項(条件)からの逸脱はないものする。代替条項(条件)はないものする。遅延は一切認めないものとする。

(6) 日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、 全ての時期における 影響勢力及び権威・権力は永久に<for all time>排除されなければならない。従ってわれわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。

(7) そのような新秩序が確立せらるまで、また日本における好戦勢力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、当初の基本的目的の達成を担保するため、連合国軍がこれを占領するものとする。

(8) カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。

(9) 日本の軍隊は、完全な武装解除後、平和で生産的な生活を営む機会と共に帰還を許されるものする。

(10) われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。

(11) 日本はその産業の維持を許されるものとする。そして経済を持続するものとし、もって実物賠償reparations in kind>支払い 取り立て にあつべきものとする。この目的のため、その支配とは区別する原材料の入手はこれを許される。世界貿易取引関係への日本の、将来の<eventual> 事実上の 参加はこれを許すものとする。

(12) 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする。

(13) われわれは日本政府に対しすべての日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、かつそのような行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する。もししからざれば日本は即座にかつ徹底して撃滅される。
(以上ポツダム宣言条文)

注 記
1. ポツダム会談の中途に、チャーチル首相とイーデン外相は英国総選挙の結果を待つために帰国しなければならなかった。世界に駐在する陸海空軍の人員が不在者投票を行いその投票を受領し集計するため投票自体が遅れたのである。労働党が勝利したため新首相にクレメント・アトリーが就任し、新外相のアーネスト・ベビンとともにポツダムに戻ってきた。
  (アトリーは前の英国代表団の一員でもあった)

2. 1930年代の初頭頃、日本政府は内閣における陸軍大臣および海軍大臣はそれぞれ現役の軍人でなければならないとする調整を受け入れている。軍部は大臣の指名はできないものの、現役大臣を内閣にださないことによって組閣を阻止することができた。

3. 1943年11月22日から26日までのカイロ会談において、合衆国、英国、中国はそれぞれルーズベルト大統領、チャーチル首相、蒋総統の三者間で、日本が無条件降伏するまで戦争を継続する約束をした。第一次世界大戦の始まった年、1914年以降、日本が獲得した領土は奪い返すことになっていた。満州、台湾その他日本が中国から奪った領土は中国へ原状回復することになっていた。3巨頭はまた「事が順調に運べば、朝鮮の自由化、独立を決定」していた。