(2011.7.8)
追記2012.1.12 
【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ 
<参考資料>ECRR勧告:欧州放射線リスク委員会 第5章「リスク評価のブラックボックス国際放射線防護委員会」

核兵器・原発とともに表舞台に登場したICRP その③
   
追記

世界保健機構(WHO)第4代事務局長・中嶋宏をめぐって
 
 本記事の中で、ECRR2010年勧告の原文記述に対して疑問を提出しておいた箇所があった。それは2001年にWHOの主催で開かれた「チェルノブイリ事故」に関する国際シンポジウムに出席した前事務局長中嶋宏の身分に関する箇所であった。

 本記事の該当箇所を引用しておく。(<>内が関係箇所の引用記事)

  <  世界を覆う「原子力ムラ」
   ・・・・・・・
 放射線被ばくと健康について関わると合理的には期待される他の国連機関、世界保健機関(WHO)はどうか?WHO は1959 年にIAEA との間で放射線の健康影響に関する研究をIAEA に任せるというIAEA との合意を強要された。この合意は今でも有効であり、WHO だけでなくFAO(国連食糧農業機関)にも及んでいる。2001 年にキエフで開催されたチェルノブイリ事故の健康影響に関する会議で、WHO 議長のエイチ・ナカジマ教授(Prof H Nakajima)は公のインタビューのなかで次のように述べた;「放射線影響の研究ではWHO はIAEA に追随する、健康は原子力に従属する」。IAEA の権限は原子力の平和利用の展開である、しかし現在では、むしろアメリカ合衆国と他の核保有国以外に核兵器が広がることを制限することを目的とした国際的な警察官である。チェルノブイリ原発事故の健康影響についての研究の欠如は、IAEA の関与とWHO の去勢に原因があるとされてきている。(Fernex 2001)』
(以上はECRR2010年勧告第5章第2節「外部および内部被ばくのICRP放射線被ばくモデルの歴史的由来」からの引用。ECRR翻訳委員会版テキストp44)

 この記述はいささか疑問符をつけておく必要がある。まずWHO(世界保健機構)は事務局長(Director-General)をトップとする。第4代事務局長は日本人の中嶋宏であり、彼は国連職員である。ただ彼の任期は1988年から1998年までであり、2001年のキエフ会議では中嶋はWHO事務局長ではなかった。(日本語ウィキペディア「中嶋宏」およびWHOのサイトで「これまでの事務局長」<http://www.who.int/dg/former/en/>を参照のこと)またインタビューにおける中嶋の発言も確認できなかった。ここはもっと詳細な出典を明示すべきであろう。>

 事実、2001年の時点で中嶋はWHOの事務局長ではなかったが、前事務局長として出席していることが確認できた。また中嶋がテレビのインタビューで上記趣旨の発言をしていることが確認できた。中嶋が上記趣旨の発言をしたのはスイス・テレビジョンの取材に対してであった。それは次のサイト「Atomic Lies」(原子のウソ)http://tchernobyl.verites.free.fr/z_angl/Chernobyl_health/atomic_lies.htmの記述で確認ができる。

 このサイトは2002年にスイス・テレビジョンが制作した「原子のウソ」という番組の英語版の正確な書き起こし台本である。中嶋の発言は、2001年WHOキエフ会議の時になされたものである。

 このサイトはこの番組の説明書きに、
 「原子のウソ」はスイス・テレビジョン(2002年)のウラジミール・チェルトコフ(Wladimir Tchertkoff)による映像作品で、WHOのキエフ会議(2001年6月)での主要なプロバガンダ担当者(the main protagonists)のうち、世界保健機構の前事務局長、中嶋宏が、チェルノブイリ大惨事に関してWHOが公表しても良い情報はIAEAの“命令”に従っていることを認めたことを(余すところなく)示している。』

と書いている。

 少々長くなるかも知れないが、関係箇所を引用しておく。

 (テレビ番組表題登場)“ATOMIC LIES”(原子のウソ)
 (Fernex登場。フランス語で語る。Fernexはスイス人の医師らしい。
http://borderlinebiennale.wordpress.com/2011/08/03/
japan-apocalypse-week-end-1-michel-fernex-conference-dim-21-aout-2011/
>を参照のこと。フランス語で語るFernexに対して英語訳のテロップ表示)


 私は15年の間熱帯病医師としてWHOで働きました。私はマラリアとフィラリアの研究委員会で働いたのです。私はWHOをとても尊敬しています。1986年以来、チェルノブイリにおいて5年間もWHOが存在していないことを残念に思っています。5年間もWHOを見なかったのです。国際原子力機関(IAEA)だけが研究したのです。それは悲しむべきことです。」
(ここで“M. Fernex 医師”の英語テロップ)


(画面に次のナレーションがかぶる)

 「  バーゼル大学医学部を引退したMichel Fernex博士は、2つの組織、すなわち核産業の推進者、国連:IAEAと世界保健機構の間にある利害葛藤を廃棄する運動に参加している。1959年、この2つの組織の間で一つの協定が合意された。すなわちWHOは放射線の健康影響に関して独立した研究を企図することができないこと、原子力ロビーの合意なしにチェルノブイリのような事故の結果に関して公衆に周知できないことを内容とする。

ここにコフィ・アナン(当時国連事務総長)とWHO事務局長のブルントラント博士(ノルウエィのグロ・ハーレム・ブルントラント。中嶋の次の第5代WHO事務総長。後にノルウエィ首相)に対して送られた手紙があり、その中で、この協定に追加事項を設けてWHOが放射線の健康影響に関して自由に取り組めるような自由性を求めている。」

(WHOの代表団の一人が登場。フランス語でしゃべる。英訳テロップが表示)

 われわれはあなたの手紙(“あなた”は前出のFernexを指すものと思われる)をすでに受け取っており、あなたの要求も承知しております。私たちの意見では、あなたのご心配は何ら根拠のないものだということを申し上げることで回答いたします。あなたが今日送られた手紙に目を通すことはお約束します。ブルントラント博士は今週末までに返答するでありましょう。今日参加していただいてありがとうございます。」

(画面に2001年2月12日、国連ジュネーブのテロップとともにその情景。その情景にナレーションがかぶる)

 「  6年前、WHO事務局長の中嶋宏博士はジュネーブで700人の専門家や医師を集めて国際会議を開き、チェルノブイリ事故に関して公衆に知らせようとした。この試みは遮断された。IAEAがこの学会の議事録(プロシーディング。学会開催前に発表者の発表内容の要約抄録)をカットしたのだ。その議事録は公表されることはなかった。チェルノブイリ事故の結果に関する真実は、原子力産業推進にとって“大惨事”であり続けたからであろう。」

(画面にFernex登場)

「   WHO会議に降りかかった“公表差し止め”は、次のWHO総会では解除されるかもしれません。しかしIAEAもまたそこにいることでしょう。心配ありません。UCSCEAR(原子力放射線の人体に関する影響国連科学委員会)もIAEAもとんでもなく金持ちです。貧しい国の科学者はそんなに高くはつきません。1万ドルもあれば大勢買えるでしょう。」

 (ここで画面に“ATOMIC LIES”のテロップと3人の制作者の名前。3人の名前はEmanuela Andreoli、Romano Cavazzoni、Wladimir Tschertkoff)

 (画面に2001年6月1日、キエフのテロップ。いよいよWHO主催のキエフ会議の場面になる。)

 (Fernexと中嶋の会話、フランス語のテロップ。英語訳テロップが表示。スイス・テレビジョンのカメラはキエフ会議の中に入って、Fernexと中嶋のやりとりをナマ収録していたものらしい)


 
 Fernex: 私たちが要求していた学会発表抄録はなぜ公表されなかったんですか?
中嶋: それはIAEAも共同開催の学会だからですよ。これが問題だった。
Fernex: このWHOの会議はジュネーブの会議より自由度が高いですか?
中嶋: ここでは、私はもう(WHOの)事務局長ではありません。一介の私人です。」
 
 (ここで“中嶋宏-前WHO事務局長”のテロップ)
 (画面にナレーションがかぶる)

「   2001年6月キエフにおいて開催されたWHO主催の、チェルノブイリ大惨事の医学的結果に関する国際会議で、チェルノブイリの医師たちは、中嶋博士に名誉議長になることを要請した。」

 (ここでスイス・テレビジョン側の中嶋に対するインタビューが始まる)

 質問-  WHOとIAEAとの間のつながりは、WHOの自由度を傷つけていると思いませんか?
中嶋- 私は事務局長であり責任を負っていました。しかし主として私の法規部は・・・。IAEAは国連安全保障理事会に直接報告するという形を取っていますから。それに対して私たちのような特化した機関は、経済・社会発展理事会に報告するのです。

(米・英・仏・露・中国の5常任理事国=P5、だけが拒否権をもつ国連安保理が国連の最高意志決定機関だ、と云う意味)

国連安保理に直接報告のできる機関、その、ヒエラルキーの上では国連機関はすべて対等なのですが、しかし原子力問題・・・軍事使用の問題、そして・・・。
Fernex- 民生用使用の問題。
中嶋- 平和利用ないしは民生用使用・・・。彼らが権限を持っているのです。
(多分番組制作者の一人、ウラジミール・チェルトコフのことだと思う)-彼らが命令する。 

(ここで再びナレーションがかぶる)

「   この健康機関(WHOのこと)は“原子の推進者”に従属しており(subordinate to)」そのような権限を認められたことはかつて一度もなかった。WHOもIAEAも2つとも国連機関であり、共に働く時は、平和と世界の健康のため、それぞれの機関の役割を自由に果たすべきである。

 国連システムの中に存在する矛盾、緊張、葛藤は、この学会(2001年キエフ会議のと)の間中、1995WHO会議のプロバガンダ担当者や医師、市民社会の中における科学者たちによって、表出されたのである。」』

 ECRR2010年勧告のこの該当箇所は、以上のようなスイス・テレビジョンの報道内容か、あるいは現場に立ち会ったFernexの証言がもとになったと思われる。従って、この2001年のキエフ会議での前WHO事務局長・中嶋宏の立場も「名誉議長」の立場だったと解釈すると、ECRR2010年勧告のこの箇所に誤りはないことになる。

 なおこのスイス・テレビジョンの番組は、2003年に編集し直され「核論争」という表題のもとに再制作された、という。

 またなお、この番組のニュアンスの通りだと、チェルノブイリ事故当時WHOの事務局長だった中嶋宏は、チェルノブイリ事故による健康影響の実際を世界に知らせようとして、IAEAをはじめとする核推進勢力に退けられた、ということになる。

(追記部分は以上)
 
 ICRPで国際的にもたれ合う日本の放射線防護の専門家

 こうした放射線防護の権威筋同士の人的交流の中で果たして、ICRPの科学的独立性が保たれるのかという疑問はECRRでなくても当然出てくる疑問である。
 
 日本においても同様である。
 
 日本では放射線防護に関する行政指針は、文部科学省に属する放射線審議会の答申をベースに決定されている。この審議会は、

 『 放射線障害防止の技術的基準に関する法律(昭和33年5月21日法律第162号)に基づき、放射線障害の防止に関する技術的基準の斉一を図ることを目的として、文部科学省に設置されている諮問機関です。

関係行政機関の長は、放射線障害の防止に関する技術的基準を定めるときは、放射線審議会に諮問しなければならないこととされています。また、放射線審議会は、放射線障害の防止に関する技術的基準の斉一を図るために関係行政機関の長に意見を述べることができるとされています。』

 放射線審議会は、学識経験者からなる20名以内の委員で構成されることとされています。このほかに、専門的な事項の調査を行うため専門委員を選任することができます。

また、審議会の所掌事務を分掌するために、委員、専門委員数名ずつから構成される部会を設置できることとされており、放射線障害の防止に関する技術的基準のうち、特に専門的な事項を審議することを目的として放射線審議会基本部会が設置されております。』
(以上文部科学省のサイト。「放射線審議会」<http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/gaiyou/1283235.htm>)

 文科省の関係する放射線防護に関する諸法令や諸規定、あるいは行政指導などにこの審議会の答申が決定的な影響をもつことは明らかである。だから審議会は文科省とは独立性を保っていなければならない。しかし選ばれる委員は事実上文科省の思い通りになる東京大学をはじめとする「学識経験者」たちである。

 この審議会は、審議するに当たって国際的に権威のある機関の勧告を下敷きにする。それがICRPの勧告である。(現在はICRPの2007年勧告をベースに審議中)

 だから日本の放射線審議会が「公平な」審議を行うためには、人的にも研究内容もICRPと独立性を保ってなければならない。
 
 ところが、日本の放射線防護の世界は人的にも研究内容もICRPとつながっている。

 現在ICRPは、最も上位に本委員会( Main Commission)が設置されている。委員長(議長)は2009年に就任したイギリスのクレア・カズンズ(Claire Cousins)で、彼女はイギリスのアーデンブルック病院(Addenbrooke's Hospital)に勤務している。この病院は通常医療を専門とする病院というよりも医学教育のための病院で、ケンブリッジ大学との深い関係を考えれば、ケンブリッジ大学付属病院といった性格がつよい。だから彼女もケンブリッジ大学-イギリス政府-イギリス支配階級の強い影響から逃れることは出来ないだろうが、しかしあからさまな放射線防護行政や放射線医学界出身のこれまでの委員長とは違って異色の委員長であることは間違いないだろう。


 丹羽太貫、中村典、遠藤章、石榑信人・・・

 この本委員会のもとに、5つの専門小委員会が置かれている。そのメンバーを見て見ると、各国放射線防護行政機関、あるいは国際機関や関係した大学あるいは研究所の現職学者、研究者あるいは行政担当者ばかりである。

 日本人だけに的を絞って云えば、本委員会のメンバーには京都大学名誉教授の丹羽太貫が入っている。(<http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=6>)丹羽は原子力安全委員会の放射線防護専門部会の20人の委員の一人である。(<http://www.nsc.go.jp/housya/main.htm>)

 放射線影響を担当する第一委員会のメンバーには、放射能影響研究所(放影研)遺伝部の中村典(のり)(<http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/sub060107nakamura.html>)

 放射線被曝線量を担当する第二委員会には、日本原子力研究開発機構・原子力基礎工学研究部門放射線防護研究グループ・遠藤章(あきら)(<http://www.jaea.go.jp/saiyou/internship/internship20.html>)、名古屋大学医学部保健学科の石榑信人(<http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/hobutsu2007_ishi.pdf>)。なお石榑は放射線審議会基本部会委員でもある。(<http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/002/shiryo/_
_icsFiles/afieldfile/2009/06/08/20090316_01h.pdf
>)



 米倉義晴、本間俊充、甲斐倫明、酒井 一夫

 医療防護を担当する第三委員会には、独立行政法人放射線医学総合研究所の前理事長・米倉義晴(<http://www.nirs.go.jp/outline/directors/index.shtml>)

 委員会勧告の応用を担当する第四委員会には、日本原子力研究開発機構安全研究センター・原子力エネルギー関連施設安全評価研究ユニットの本間俊充(としみつ)(<http://jolissrch-inter.tokai-sc.jaea.go.jp/pdfdata/JAEA-Review-2010-022.pdf>)。なお本間は原子力安全委員会放射線防護専門部会の12人の専門委員の一人でもある。(<http://www.nsc.go.jp/housya/index.htm>)それと公立法人大分県立看護科学大学理事・大学院看護学研究科長甲斐倫明(みちあき)(<http://www.columbus.or.jp/kenkyu-data/detail.php?institutionid=5&personno=91>)。甲斐も原子力安全委員会・放射線防護専門部会の委員の一人である。(<http://www.nsc.go.jp/anzen/shidai/genan2011/genan041/siryo5.pdf>)

 環境保護を担当する第五委員会には、放射線医学総合研究所の・放射線防護研究センター長の酒井 一夫。(<http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka.html>)

 その他本委員会や専門委員会に所属していない日本人ICRP会員も数多い。
(ICRPのサイト、「全会員リスト」参照の事。<http://www.icrp.org/icrp_membership.asp>。なお第一委員会から第五委員会までは以下のページを参照した。<http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=7><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=8><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=9><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=10><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=12>。またある会合である専門家の話を聞いていた時、その専門家はICRPのメンバーはみんなボランティアで参加している、と発言したが、私はこういう形態をボランティアとは考えない。それぞれがそれぞれ所属している機関や組織から給与、職制、身分、必要諸経費を保証されてICRPに参加しているのだから、ICRPに参加して活動することは、それぞれ所属機関や組織の業務の一貫だと考える方が自然と思える。)


 こうしてICRPの活動に参加しているメンバーはみなそれぞれの国のあるいは国際機関で放射線防護に関係する仕事や研究を行っている。その集大成がICRP勧告として結実している。だからICRPは決して医科学的に独立した組織とは云えない。そうではなく、各国組織・機関の決定や判断に「国際的権威」の箔付けを行う「国際的権威トンネル組織」がICRPだ、という言い方は妥当と思える。

 結局ECRRはこうしたICRPの存在そのものの欺瞞的本質を厳しく批判しているのだと考えることが出来る。


 世界を覆う「原子力ムラ」

 『 ここで重要なポイントは、各国政府が科学的合意の議論について依存している全ての機関が完全に内部でつながっており、ひとつのリスクモデル:ICRP のリスクモデルに頼り切っていることである。ICRPはそこからの証拠に依存しているそれらの機関から独立しておらず、それらの機関はICRPから独立していない。』

 放射線被ばくと健康について関わると合理的には期待される他の国連機関、世界保健機関(WHO)はどうか?WHO は1959 年にIAEA との間で放射線の健康影響に関する研究をIAEA に任せるというIAEA との合意を強要された。この合意は今でも有効であり、WHO だけでなくFAO(国連食糧農業機関)にも及んでいる。2001年にキエフで開催されたチェルノブイリ事故の健康影響に関する会議で、WHO 議長のエイチ・ナカジマ教授(Prof H Nakajima)は公のインタビューのなかで次のように述べた;「放射線影響の研究ではWHO はIAEA に追随する、健康は原子力に従属する」。IAEA の権限は原子力の平和利用の展開である、しかし現在では、むしろアメリカ合衆国と他の核保有国以外に核兵器が広がることを制限することを目的とした国際的な警察官である。チェルノブイリ原発事故の健康影響についての研究の欠如は、IAEA の関与とWHO の去勢に原因があるとされきている。(Fernex 2001)

 この記述はいささか疑問符をつけておく必要がある。まずWHO(世界保健機構)は事務局長(Director-General)をトップとする。第4代事務局長は日本人の中嶋宏であり、彼は国連職員である。ただ彼の任期は1988年から1998年までであり、2001年のキエフ会議では中嶋はWHO事務局長ではなかった。(日本語ウィキペディア「中嶋宏」およびWHOのサイトで「これまでの事務局長」<http://www.who.int/dg/former/en/>を参照のこと)またインタビューにおける中嶋の発言も確認できなかった。ここはもっと詳細な出典を明示すべきであろう。

 ただ放射線防護についてWHOは何ら独自のモデルを提出しておらず、ICRPモデルをそのまま踏襲していることは事実である。

 『 本報告においてECRR は、ICRP の批判に主要な関心を向けているのではない。歴史的な脈絡の中で、現代的な低レベル放射線に対するリスクモデルを提出するだけである。本委員会はここで行った歴史の再検討は、理論と観察結果との間に、どうしてそのような大きな食い違いが存在することになってしまったのかを理解することを助けると考えている。』 

 とECRRは指摘しているが、私もその点が極めて重要だと思う。理論と観察の間の大きな食い違い、とはICRPのリスクモデルが、現実に生起している放射線の人体に対する影響をうまく説明しないばかりか、時には全く誤った原因や理由を提示していることを指している。それが何故生じたかは以上によってほぼ説明できたのではないかと思う。

 日本には「原子力村」という「ムラ社会」(Mura - Community)があるのだそうだ。しかし「ムラ」は国際的な放射線防護の世界にもある。そのムラは核兵器や原発と云った主としてウランやプルトニウムを燃料とする装置(それが産業目的であろうが軍事目的であろうが)を地球上で製造し使用したいという勢力を中心とするさらに大きなムラの一分派である。そして日本の原子力村は世界の「原子力ムラ」にすっぽり入ってしまっていることがわかる。


 ヒロシマ・ナガサキが正当化のデータを提供

 しかしこの章を終わるにはそれだけでは不十分である。というのは日本の「原子力村」には世界のどこのムラにも出来ない極めて特殊な役割があるし、それを眺めてみないとこの章は取りあえず完結しないからだ。

 それは被爆地「ヒロシマ」と「ナガサキ」が、世界の原子ムラが「核装置」の製造と使用を正当化する根源的なデータを提供し、それを鉄壁な学術界の要塞でもって守り続けるという役割である。

 鉄壁な学術界の要塞でいかに守ってきたかは、ここでは扱えない。しかし最低限「核装置」の製造と使用を正当化するデータとはいったいなんだったかは見ておく必要があるだろう。

 ECRR2010年勧告は次のように指摘している。

1. 合衆国が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)がその研究集団を選択し、比較を開始したのは原爆の投下から既に7年が経過してからだった。ガンはその早い時期に進展しABCC によって数え落とされたので、したがって、ガンと白血病の全発症数はABCC によって一覧表にまとめられたものよりも高いということが指摘され続けてきている。この時期の症例総数を公表した報告書が発見されたので、今ではこれが真実であることが知られている。

 2. 被ばくとガンや白血病の臨床的発現との間の時間的ずれ、すなわち遅延期間(lag period)は、現行のリスクモデルにおいては一貫して5 年よりも長いとされてきている。このことがほとんど被ばく直後に白血病やリンパ腫が進展している数多くの状況において、政府やリスク評価機関が被ばくとの因果関係を否定することを可能にしていた(原爆実験参加退役軍人、湾岸戦争やバルカン紛争においてウラン兵器に被ばくした退役軍人)。初期の日本人の報告書は、原爆投下後の最初の年に白血病の症例が増加しはじめ(最初の症例は被ばく3 ヶ月後)、そして、原爆投下時には居合わせなかったが後になって被爆地に入市した人たちの間でも発症があったことを示している。

  「1.」は戦後アメリカが作ったABCCによる疫学的な被曝調査は、アメリカ軍による占領体制が解除され日本が独立した後の1952年になってから開始された。(サンフランシスコ講和条約が調印されたのは1951年9月8日であるがその発効は52年4月28日である。この時をもって日本は戦後再び一応独立国家になったとみなすことができる。)

 しかしその時までに広島や長崎では大量のガンや白血病が発生していた。こうした症例をABCCは数えていない。占領時代、すなわち1945年8月以降から1952年4月までに発生したガンと白血病についてはその報告書が「発見」されたので、今日ABCCの報告よりもこの報告書が真実であると知られている、と云う指摘である。

 この一文の冒頭で見たとおり、ABCCはトルーマンの大統領令で作られた。そして1946年には医科学者を広島と長崎に送り込んでヒバクシャの障害調査を開始していた。しかしABCCがその結果を発表するのは実際には1950年以降の調査データである。

 ABCCの後進である放射能影響研究所(放影研-RERF)の英語サイトを見てみると、ABCC-放影研はこれまでに13回の「原爆被爆者寿命調査」(A-Bomb Life Span Studies-LSS)を発表してきている。(<http://www.rerf.or.jp/library/archives_e/lsstitle.html>)。また広島・長崎の被爆者の被曝線量計測評価報告(the Atomic Bomb Radiation Dosimetry for Hiroshima and Nagasaki--Dosimetry System-DS)を2回出している。(<http://www.rerf.or.jp/library/index_e.html>)

 ここでECRRが問題としているのは、被爆者寿命調査(以下LSSと略)である。第1回のLSSが公表されたのは、1958年頃である。その際サンプル調査の対象としたのは1950年以降の1958年までの生存者約10万人であった。(<http://www.rerf.or.jp/library/scidata/lssrepor_e/tr05-61.htm>)(ECRR勧告書は、“ABCCはその研究集団を選択し、比較を開始したのは原爆の投下から既に7年が経過してからだった。”と書いているが、もっとも早いLSSは原爆の投下から5年経過した1950年からのデータである。)

 発症遅延期間仮説

 そしてこの調査をもとにして、ICRP系の学者・研究者は、たとえば、「被ばくとガンや白血病の臨床的発現との間の時間的ずれ、すなわち遅延期間(lag period)が存在する。それはほぼ5年以上である。」という結論を引っ張り出している。しかしこの結論の出し方はおかしい。被爆者の中で、がんや白血病を発症している人をABCCが発見したのが1950年なのであって、それ以前に存在しなかったという証明にはならない。少なくとも科学的な結論の出し方とは言えない。

 しかもICRPの学者は、原爆実験参加退役軍人、湾岸戦争やバルカン紛争(ユーゴ内戦)においてウラン兵器に被ばくした退役軍人の中に多くのがんや白血病を発症している人がいるが、このLSS調査の結果を盾にとって、ウラン兵器とがんや白血病発症との因果関係を否定する材料に使っている、という批判である。

 頭がチラクラするような論理展開であるが、もう一度整理しよう。

  1. 広島・長崎の被爆者ではがんや白血病の発症は原爆投下後5年後からだった。(ICRPの主張)

いやそれは調査を開始したのが投下後5年後なのであって、それ以前にがんや白血病がなかったとはいえない。(ECRRの主張)

 2. 被曝と発症の間には遅延期間(約5年)があるのであって、核実験に従事した兵士や作業員。また劣化ウラン兵器が使われたユーゴ内戦で多くの兵士の発症はこの遅延期間内だった。だから核兵器や劣化ウラン兵器が発症の原因とはいえない。(ICRPの主張)

いや「発症遅延期間説」そのものが証明されていない仮説なのであって、目の前の現実に目をやれば、核兵器やウラン兵器と発症の間に因果関係があるのは明らかだ。(ECRRの主張)

 ごく乱暴に整理してしまえば以上のようになろう。

 広島で生まれ、私の祖父母をはじめ、親戚友人・知人の係累に被爆者がいないという人間を見つけることがむつかしい私とすれば、白血病やがんの発症が投下後5年経過してからであるという「発症遅延期間説」ほど珍奇な説はない。直感的にこれは「まがいモノ」と思わざるをえない。

 ECRR2010年勧告は、この「発症遅延期間説」、すなわち私が「まがいモノ」と感じた説を論破する材料を示した。それが『ガンはその早い時期に進展しABCC によって数え落とされたので、したがって、ガンと白血病の全発症数はABCC によって一覧表にまとめられたものよりも高いということが指摘され続けてきている。この時期の症例総数を公表した報告書が発見された』とする論文である。


 草野信男の「原爆症」

 この論文は、「Kusano N, (1953) Atomic Bomb Injuries; Japanese Preparatory Committee for Le Congrès Mondial des Médicins pour lÉtude des conditions Actuelles de Vie Tokyo: Tsukiji Shokan.」というタイトルでECRR2010勧告の英語原文の参照文献一覧にあがっている。

 この本は東京大学・教授、草野信男が編纂した「Atomic bomb injuries」という英語の論文集で「原爆症」という日本語の副題がついている。(<http://www.worldcat.org/title/atomic-bomb-injuries-genbakusho/oclc/33963643&referer=brief_results>)

 発行元の東京・築地書館にといあわせてみるとこの本は1995年に再発行されており、ECRRが使ったテキストはフランス語のタイトルがついているので、フランス語訳された本と見られる。

 草野信男は2002年5月15日付け共同通信の記事によると、

 『 草野信男氏死去 

草野 信男氏(くさの・のぶお=元原水爆禁止日本協議会代表委員、元東大教授、病理学)14日午後5時58分、老衰のため東京都港区の病院で死去、92歳。東京都出身。自宅は遺族の意向で公表しない。葬儀は故人の遺志で近親者だけで行う。関係者がお別れ会を予定しているが、主催や日取りなどは未定。
 
1945(昭和20)年8月、東大伝染病研究所(現・医科学研究所)の一員として原爆投下直後の広島を調査した。53年5月には、世界で初めて原爆の被害実態をウィーンの国際医師会議で報告。英文の著書「原爆症」(築地書館)にまとめた。55年の第1回原水爆禁止世界大会以来、84年の原水協の内紛まで大会に参加した。  

近年もチェルノブイリ救援などに取り組み、95年には「原爆症」を再刊。世界の図書館、科学者に贈るなど原爆被害の悲惨さを訴え続けた。』

 ECRRによれば、草野のこの本は、まだアメリカ進駐軍の占領時代、原爆による放射線の様々な症例が報告されているという。(私はこの本を読んでいない。)つまり、ABCCの第1回LSS調査開始以前の症例だ。それによれば、がんや白血病は投下後3ヶ月ですでに現れているという。(私の広島での実感にも近い。)ABCCはこれら発症例をその第1回LSSから数え落としているという。


 沢田昭二の研究のインパクト

 以下は私の全くの想像だ。なんらの裏付けもない。ABCCは数え落としたのではない。故意に無視したのだ。というのは、先にも述べたようにABCCは46年には日本での活動を開始している。その活動とは、被爆者の医学的調査だろう。その調査内容は46年から50年まで全く空白となっている。というのは公表された調査資料が見当たらないからだ。といって何も調べていないわけがない。その時代の調査資料は、現在ABCCに関する一部の文書として、テキサス医科大学のライブラリーに移管され、このライブラリーのサイトから引っ張り出すことが出来る。たとえば有名なところでは「ハーマン・S・ウィゴドスキイ文書(The Papers of Herman S. Wigodsky)」などがそうである。(<http://mcgovern.library.tmc.edu/data/www/html/collect/manuscript/Wigodsky/hsw_intro.htm>)テキサス医科大学の「ABCC関連文書」を詳細に調べれば、草野信男やECRRの説を裏付ける、逆に言えばICRPの「遅延期間説」が荒唐無稽な珍説であることを裏付ける資料が出てくるかも知れない。

 ここでのECRRのICRP批判は、そのリスクモデルは、LSSに基礎を置いているが、LSSそのものが、極めて恣意的な資料であり、従ってその結論、たとえば「遅延期間説」などは全く科学的根拠を持たないと云うことである。

 また次のようにも批判している。

3. 財団法人放射線影響研究所(RERF)によって公表されたガン以外のデータ(例えば、脱毛や火傷)が、最近サワダによって分析され、これらの症状を引き起こすことのできる線量を即発放射線から受けるには爆心地から余りにも離れたところの住民に著しい健康障害があったことが示された。サワダの分析は2009 年のECRR 国際会議で発表され、また出版されているが、放射性降下物への内部被ばくへの異常なまでに大きな効果が示されている(Sawada 2007, ECRR2009)。同様の指摘は、1999年にスチュワートとニールによる分析の中でも行われた(Stewart & Kneale, 1999)

 ここでいう「サワダの研究」とは、名古屋大学名誉教授の沢田昭二の研究である。また出版された本というのは、沢田昭二ほか著『共同研究広島・長崎原爆被害の実相』(新日本出版社1999年7月)であろう。

 沢田は、外部被曝と内部被曝は全く異なるメカニズムで人体に影響すること、低線量内部被曝では、ICRPの直線応答モデルが全く通用しないこと、広島原爆で爆心地から4-5kmも離れた「己斐・高須地区」で、高い脱毛や紫斑の症状が現れたのは、放射性降下物(黒い雨など)による内部被曝の影響であることを論証した。また内部被曝の影響で、被曝線量の低いケースで、被曝線量の高いケースよりも下痢や脱毛の発症率が高いケースがあることを立証した。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/sawada_2011_fukushima.pdf>)

 これも今までICRPが論拠としてきた「LSS」のデータへの深刻な疑問である。
(また沢田らの研究が、2000年代以、降放射性降下物や残留放射能からの被曝を争点として争われてきた被爆者集団訴訟のポイントを占め、労働厚生省を中心とするICRP派の学者との論争に勝利する形で、27連勝を納めてきたことはよく知られた話である。一連の被爆者集団訴訟は被爆者認定の問題であるが、その隠されたテーマは「ICRPモデルの誤謬」ということでもある。)



 ABCCへ戻ってしまう
 
4. インドの遺伝学者パドゥマナバーン(Padmanabhan)は、もし正しい対照集団を選択するならば、日本の原爆被ばく生存者の子孫への遺伝的影響があることを示した(CERRIE2004b, Busby 2006)。著しい奇形と観察可能な遺伝的影響がクサノの報告(Kusano 1953)とバスビーによる逸話的な報告の中で考察された(Busby 2006)。ABCC の遺伝学者ニールとスチュール(Neel & Schull)は、原爆による観察可能な遺伝的影響はないと報告していたが、彼らはそれが真実でないことを知っていたに違いない。

 インドの遺伝学者パドゥマナバーンの研究については私はわからない。この記述で私に興味があるのは「ABCCの遺伝学者ニール」である。このニールは間違いなく冒頭にも触れたジェームズ・ニール(James V. Neel)であろう。ニールに限らずABCCスタート時、その中心となった科学者は遺伝学者が多かった。ニールもその一人であろう。またスチュールはウイリアム・スチュール(William J. Schull)で彼もまた遺伝学者であり、初期ABCCの重要人物である。ニールとスチュールは共同で「The Children of Atomic Bomb Survivors:A Genetic Study」(「原爆生存者の子供たち:遺伝子研究」1990年)という著作や「The effect of exposure to the atomic bombs on pregnancy termination in Hiroshima and Nagasaki」(「広島・長崎の妊娠中絶に関する原爆被曝の影響」1956年)といった本を出している。二人とも電離放射線の遺伝的影響に興味を持って研究した学者だ。ニールはもともとミシガン大学に所属していたが、ABCCを離れた後、ミシガン大学に戻り、1956年アメリカの大学で最初に遺伝子工学部、またその医学校に人間遺伝子工学部を創設した人物として知られている。(<http://www.ibis-birthdefects.org/start/neel3.htm>)

 ニールやスチュールに限らず、ABCCには全米研究評議会のルイス・ウィード(Lewis Weed) オースティン・ブルース( Austin M. Brues)、ポール・ヘンショー(Paul Henshaw) や陸軍のメルビン・ブロック( Melvin A. Block-恐らくニールもブロックもマンハッタン計画に関係していた。)などと云う人物がいた。(<http://en.wikipedia.org/wiki/Atomic_Bomb_Casualty_Commission>)彼らが本当にABCCで何をしていたかは余りよくわかっていない。

 はっきりしていることは、放射線の人体に対する影響は一部軍事機密とされており、公表していいことと公表してはならないことが内部マニュアルで決められていたことだ。(<http://en.wikipedia.org/wiki/Smyth_Report>を参照の事。)

 ともかくこの時代、放射線の人体に対する影響に関してはその研究成果について不透明なことが多すぎる。ABCCと放影研の寿命調査(LSS)は公表していいことだけをもとにして作成されたのではないか、という疑いを私は強く持っている。

 もしそうだとすれば、LSSをもとにしたICRPの報告が科学的事実に基づいている筈がない。ECRRは全く別な観点(医科学的観点)からそれを指摘しているのでないかと私は思う。

 なおECRR2010年勧告は「ヒロシマ研究から被曝の結果を説明することの間違い」と題する以下のような表を掲げて、この第5章を終えている。

間違い発生の機構 備考
不適切な参照集団 研究集団と参照集団とがともに降下物からの内部被ばくをうけている。
(広島・長崎の生存者で内部被曝を受けたものはいないと考える方が科学的ではない。)
高線量から低線量への外挿 細胞は高線量では死滅し、低線量で突然変異を起こす。
(だから高線量で発生した事象をそのまま低線量での事象に拡大延長して類推することは非科学的)
急性被ばくから慢性被ばくへの外挿 先行する被ばくによって細胞の感受性は変化する。
(急性被曝と慢性被曝は全く異なる影響を細胞に対して与えている。)
外部被ばくから内部被ばくへの外挿 外部被ばくは一様な線量を与えるが(単一の飛跡)、内部被ばくでは放射線源に近い細胞に高線量を与えうる(多重のあるいは連続的な飛跡)
 線形しきい値無しの仮定 明らかに真実ではない。
(少なくとも内部被曝は全く異なるメカニズムを持っている)
日本国民から世界の人たちへの外挿 異なった集団が異なった感受性を持つことは非常によく明確にされている。
(放射線への感受性は、個人によっても人種、民族集団によっても大きく異なることがわかっている。日本人=広島・長崎の被爆者に当てはまったことが、世界中の人たちに当てはまるとは限らない。)
戦争生存者からの外挿 戦争生存者は抵抗力の強さによって選択されている。
調査があまりにも遅く開始された 初期の死亡者数が失われている。最終的な死亡者数が正確でない。
ガン以外の疾患が除外されている 入市被ばく(後の被ばく; later exposures)に対する全ての健康損害が無視されている。
(たとえば全身倦怠、心臓疾患などは全く被曝の影響ではないとしている。)
重篤な異常だけに基づいてモデル化された遺伝的傷害 軽度の影響を看過し、出生率における性別比率を無視している。

 私は、ECRRのこの批判はいちいちもっともだと考えている。