(2011.7.8) 追記2012.1.12 |
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【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
核兵器・原発とともに表舞台に登場したICRP その③ |
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追記 世界保健機構(WHO)第4代事務局長・中嶋宏をめぐって |
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本記事の中で、ECRR2010年勧告の原文記述に対して疑問を提出しておいた箇所があった。それは2001年にWHOの主催で開かれた「チェルノブイリ事故」に関する国際シンポジウムに出席した前事務局長中嶋宏の身分に関する箇所であった。 本記事の該当箇所を引用しておく。(<>内が関係箇所の引用記事)
事実、2001年の時点で中嶋はWHOの事務局長ではなかったが、前事務局長として出席していることが確認できた。また中嶋がテレビのインタビューで上記趣旨の発言をしていることが確認できた。中嶋が上記趣旨の発言をしたのはスイス・テレビジョンの取材に対してであった。それは次のサイト「Atomic Lies」(原子のウソ)<http://tchernobyl.verites.free.fr/z_angl/Chernobyl_health/atomic_lies.htm>の記述で確認ができる。 このサイトは2002年にスイス・テレビジョンが制作した「原子のウソ」という番組の英語版の正確な書き起こし台本である。中嶋の発言は、2001年WHOキエフ会議の時になされたものである。 このサイトはこの番組の説明書きに、
と書いている。 少々長くなるかも知れないが、関係箇所を引用しておく。
ECRR2010年勧告のこの該当箇所は、以上のようなスイス・テレビジョンの報道内容か、あるいは現場に立ち会ったFernexの証言がもとになったと思われる。従って、この2001年のキエフ会議での前WHO事務局長・中嶋宏の立場も「名誉議長」の立場だったと解釈すると、ECRR2010年勧告のこの箇所に誤りはないことになる。 なおこのスイス・テレビジョンの番組は、2003年に編集し直され「核論争」という表題のもとに再制作された、という。 またなお、この番組のニュアンスの通りだと、チェルノブイリ事故当時WHOの事務局長だった中嶋宏は、チェルノブイリ事故による健康影響の実際を世界に知らせようとして、IAEAをはじめとする核推進勢力に退けられた、ということになる。 (追記部分は以上) |
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ICRPで国際的にもたれ合う日本の放射線防護の専門家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こうした放射線防護の権威筋同士の人的交流の中で果たして、ICRPの科学的独立性が保たれるのかという疑問はECRRでなくても当然出てくる疑問である。 日本においても同様である。 日本では放射線防護に関する行政指針は、文部科学省に属する放射線審議会の答申をベースに決定されている。この審議会は、
文科省の関係する放射線防護に関する諸法令や諸規定、あるいは行政指導などにこの審議会の答申が決定的な影響をもつことは明らかである。だから審議会は文科省とは独立性を保っていなければならない。しかし選ばれる委員は事実上文科省の思い通りになる東京大学をはじめとする「学識経験者」たちである。 この審議会は、審議するに当たって国際的に権威のある機関の勧告を下敷きにする。それがICRPの勧告である。(現在はICRPの2007年勧告をベースに審議中) だから日本の放射線審議会が「公平な」審議を行うためには、人的にも研究内容もICRPと独立性を保ってなければならない。 ところが、日本の放射線防護の世界は人的にも研究内容もICRPとつながっている。 現在ICRPは、最も上位に本委員会( Main Commission)が設置されている。委員長(議長)は2009年に就任したイギリスのクレア・カズンズ(Claire Cousins)で、彼女はイギリスのアーデンブルック病院(Addenbrooke's Hospital)に勤務している。この病院は通常医療を専門とする病院というよりも医学教育のための病院で、ケンブリッジ大学との深い関係を考えれば、ケンブリッジ大学付属病院といった性格がつよい。だから彼女もケンブリッジ大学-イギリス政府-イギリス支配階級の強い影響から逃れることは出来ないだろうが、しかしあからさまな放射線防護行政や放射線医学界出身のこれまでの委員長とは違って異色の委員長であることは間違いないだろう。 |
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丹羽太貫、中村典、遠藤章、石榑信人・・・ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この本委員会のもとに、5つの専門小委員会が置かれている。そのメンバーを見て見ると、各国放射線防護行政機関、あるいは国際機関や関係した大学あるいは研究所の現職学者、研究者あるいは行政担当者ばかりである。 日本人だけに的を絞って云えば、本委員会のメンバーには京都大学名誉教授の丹羽太貫が入っている。(<http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=6>)丹羽は原子力安全委員会の放射線防護専門部会の20人の委員の一人である。(<http://www.nsc.go.jp/housya/main.htm>) 放射線影響を担当する第一委員会のメンバーには、放射能影響研究所(放影研)遺伝部の中村典(のり)(<http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/sub060107nakamura.html>)。 放射線被曝線量を担当する第二委員会には、日本原子力研究開発機構・原子力基礎工学研究部門放射線防護研究グループ・遠藤章(あきら)(<http://www.jaea.go.jp/saiyou/internship/internship20.html>)、名古屋大学医学部保健学科の石榑信人(<http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/hobutsu2007_ishi.pdf>)。なお石榑は放射線審議会基本部会委員でもある。(<http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/002/shiryo/_ _icsFiles/afieldfile/2009/06/08/20090316_01h.pdf>) |
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米倉義晴、本間俊充、甲斐倫明、酒井 一夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
医療防護を担当する第三委員会には、独立行政法人放射線医学総合研究所の前理事長・米倉義晴(<http://www.nirs.go.jp/outline/directors/index.shtml>)。 委員会勧告の応用を担当する第四委員会には、日本原子力研究開発機構安全研究センター・原子力エネルギー関連施設安全評価研究ユニットの本間俊充(としみつ)(<http://jolissrch-inter.tokai-sc.jaea.go.jp/pdfdata/JAEA-Review-2010-022.pdf>)。なお本間は原子力安全委員会放射線防護専門部会の12人の専門委員の一人でもある。(<http://www.nsc.go.jp/housya/index.htm>)それと公立法人大分県立看護科学大学理事・大学院看護学研究科長甲斐倫明(みちあき)(<http://www.columbus.or.jp/kenkyu-data/detail.php?institutionid=5&personno=91>)。甲斐も原子力安全委員会・放射線防護専門部会の委員の一人である。(<http://www.nsc.go.jp/anzen/shidai/genan2011/genan041/siryo5.pdf>) 環境保護を担当する第五委員会には、放射線医学総合研究所の・放射線防護研究センター長の酒井 一夫。(<http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka.html>) その他本委員会や専門委員会に所属していない日本人ICRP会員も数多い。 (ICRPのサイト、「全会員リスト」参照の事。<http://www.icrp.org/icrp_membership.asp>。なお第一委員会から第五委員会までは以下のページを参照した。<http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=7><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=8><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=9><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=10><http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=12>。またある会合である専門家の話を聞いていた時、その専門家はICRPのメンバーはみんなボランティアで参加している、と発言したが、私はこういう形態をボランティアとは考えない。それぞれがそれぞれ所属している機関や組織から給与、職制、身分、必要諸経費を保証されてICRPに参加しているのだから、ICRPに参加して活動することは、それぞれ所属機関や組織の業務の一貫だと考える方が自然と思える。) こうしてICRPの活動に参加しているメンバーはみなそれぞれの国のあるいは国際機関で放射線防護に関係する仕事や研究を行っている。その集大成がICRP勧告として結実している。だからICRPは決して医科学的に独立した組織とは云えない。そうではなく、各国組織・機関の決定や判断に「国際的権威」の箔付けを行う「国際的権威トンネル組織」がICRPだ、という言い方は妥当と思える。 結局ECRRはこうしたICRPの存在そのものの欺瞞的本質を厳しく批判しているのだと考えることが出来る。 |
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世界を覆う「原子力ムラ」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この記述はいささか疑問符をつけておく必要がある。まずWHO(世界保健機構)は事務局長(Director-General)をトップとする。第4代事務局長は日本人の中嶋宏であり、彼は国連職員である。ただ彼の任期は1988年から1998年までであり、2001年のキエフ会議では中嶋はWHO事務局長ではなかった。(日本語ウィキペディア「中嶋宏」およびWHOのサイトで「これまでの事務局長」<http://www.who.int/dg/former/en/>を参照のこと)またインタビューにおける中嶋の発言も確認できなかった。ここはもっと詳細な出典を明示すべきであろう。 ただ放射線防護についてWHOは何ら独自のモデルを提出しておらず、ICRPモデルをそのまま踏襲していることは事実である。
とECRRは指摘しているが、私もその点が極めて重要だと思う。理論と観察の間の大きな食い違い、とはICRPのリスクモデルが、現実に生起している放射線の人体に対する影響をうまく説明しないばかりか、時には全く誤った原因や理由を提示していることを指している。それが何故生じたかは以上によってほぼ説明できたのではないかと思う。 日本には「原子力村」という「ムラ社会」(Mura - Community)があるのだそうだ。しかし「ムラ」は国際的な放射線防護の世界にもある。そのムラは核兵器や原発と云った主としてウランやプルトニウムを燃料とする装置(それが産業目的であろうが軍事目的であろうが)を地球上で製造し使用したいという勢力を中心とするさらに大きなムラの一分派である。そして日本の原子力村は世界の「原子力ムラ」にすっぽり入ってしまっていることがわかる。 |
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ヒロシマ・ナガサキが正当化のデータを提供 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しかしこの章を終わるにはそれだけでは不十分である。というのは日本の「原子力村」には世界のどこのムラにも出来ない極めて特殊な役割があるし、それを眺めてみないとこの章は取りあえず完結しないからだ。 それは被爆地「ヒロシマ」と「ナガサキ」が、世界の原子ムラが「核装置」の製造と使用を正当化する根源的なデータを提供し、それを鉄壁な学術界の要塞でもって守り続けるという役割である。 鉄壁な学術界の要塞でいかに守ってきたかは、ここでは扱えない。しかし最低限「核装置」の製造と使用を正当化するデータとはいったいなんだったかは見ておく必要があるだろう。 ECRR2010年勧告は次のように指摘している。
「1.」は戦後アメリカが作ったABCCによる疫学的な被曝調査は、アメリカ軍による占領体制が解除され日本が独立した後の1952年になってから開始された。(サンフランシスコ講和条約が調印されたのは1951年9月8日であるがその発効は52年4月28日である。この時をもって日本は戦後再び一応独立国家になったとみなすことができる。) しかしその時までに広島や長崎では大量のガンや白血病が発生していた。こうした症例をABCCは数えていない。占領時代、すなわち1945年8月以降から1952年4月までに発生したガンと白血病についてはその報告書が「発見」されたので、今日ABCCの報告よりもこの報告書が真実であると知られている、と云う指摘である。 この一文の冒頭で見たとおり、ABCCはトルーマンの大統領令で作られた。そして1946年には医科学者を広島と長崎に送り込んでヒバクシャの障害調査を開始していた。しかしABCCがその結果を発表するのは実際には1950年以降の調査データである。 ABCCの後進である放射能影響研究所(放影研-RERF)の英語サイトを見てみると、ABCC-放影研はこれまでに13回の「原爆被爆者寿命調査」(A-Bomb Life Span Studies-LSS)を発表してきている。(<http://www.rerf.or.jp/library/archives_e/lsstitle.html>)。また広島・長崎の被爆者の被曝線量計測評価報告(the Atomic Bomb Radiation Dosimetry for Hiroshima and Nagasaki--Dosimetry System-DS)を2回出している。(<http://www.rerf.or.jp/library/index_e.html>) ここでECRRが問題としているのは、被爆者寿命調査(以下LSSと略)である。第1回のLSSが公表されたのは、1958年頃である。その際サンプル調査の対象としたのは1950年以降の1958年までの生存者約10万人であった。(<http://www.rerf.or.jp/library/scidata/lssrepor_e/tr05-61.htm>)(ECRR勧告書は、“ABCCはその研究集団を選択し、比較を開始したのは原爆の投下から既に7年が経過してからだった。”と書いているが、もっとも早いLSSは原爆の投下から5年経過した1950年からのデータである。) |
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発症遅延期間仮説 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そしてこの調査をもとにして、ICRP系の学者・研究者は、たとえば、「被ばくとガンや白血病の臨床的発現との間の時間的ずれ、すなわち遅延期間(lag period)が存在する。それはほぼ5年以上である。」という結論を引っ張り出している。しかしこの結論の出し方はおかしい。被爆者の中で、がんや白血病を発症している人をABCCが発見したのが1950年なのであって、それ以前に存在しなかったという証明にはならない。少なくとも科学的な結論の出し方とは言えない。 しかもICRPの学者は、原爆実験参加退役軍人、湾岸戦争やバルカン紛争(ユーゴ内戦)においてウラン兵器に被ばくした退役軍人の中に多くのがんや白血病を発症している人がいるが、このLSS調査の結果を盾にとって、ウラン兵器とがんや白血病発症との因果関係を否定する材料に使っている、という批判である。 頭がチラクラするような論理展開であるが、もう一度整理しよう。
ごく乱暴に整理してしまえば以上のようになろう。 広島で生まれ、私の祖父母をはじめ、親戚友人・知人の係累に被爆者がいないという人間を見つけることがむつかしい私とすれば、白血病やがんの発症が投下後5年経過してからであるという「発症遅延期間説」ほど珍奇な説はない。直感的にこれは「まがいモノ」と思わざるをえない。 ECRR2010年勧告は、この「発症遅延期間説」、すなわち私が「まがいモノ」と感じた説を論破する材料を示した。それが『ガンはその早い時期に進展しABCC によって数え落とされたので、したがって、ガンと白血病の全発症数はABCC によって一覧表にまとめられたものよりも高いということが指摘され続けてきている。この時期の症例総数を公表した報告書が発見された』とする論文である。 |
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草野信男の「原爆症」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この論文は、「Kusano N, (1953) Atomic Bomb Injuries; Japanese Preparatory Committee for Le Congrès Mondial des Médicins pour lÉtude des conditions Actuelles de Vie Tokyo: Tsukiji Shokan.」というタイトルでECRR2010勧告の英語原文の参照文献一覧にあがっている。 この本は東京大学・教授、草野信男が編纂した「Atomic bomb injuries」という英語の論文集で「原爆症」という日本語の副題がついている。(<http://www.worldcat.org/title/atomic-bomb-injuries-genbakusho/oclc/33963643&referer=brief_results>) 発行元の東京・築地書館にといあわせてみるとこの本は1995年に再発行されており、ECRRが使ったテキストはフランス語のタイトルがついているので、フランス語訳された本と見られる。 草野信男は2002年5月15日付け共同通信の記事によると、
ECRRによれば、草野のこの本は、まだアメリカ進駐軍の占領時代、原爆による放射線の様々な症例が報告されているという。(私はこの本を読んでいない。)つまり、ABCCの第1回LSS調査開始以前の症例だ。それによれば、がんや白血病は投下後3ヶ月ですでに現れているという。(私の広島での実感にも近い。)ABCCはこれら発症例をその第1回LSSから数え落としているという。 |
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沢田昭二の研究のインパクト | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
以下は私の全くの想像だ。なんらの裏付けもない。ABCCは数え落としたのではない。故意に無視したのだ。というのは、先にも述べたようにABCCは46年には日本での活動を開始している。その活動とは、被爆者の医学的調査だろう。その調査内容は46年から50年まで全く空白となっている。というのは公表された調査資料が見当たらないからだ。といって何も調べていないわけがない。その時代の調査資料は、現在ABCCに関する一部の文書として、テキサス医科大学のライブラリーに移管され、このライブラリーのサイトから引っ張り出すことが出来る。たとえば有名なところでは「ハーマン・S・ウィゴドスキイ文書(The Papers of Herman S. Wigodsky)」などがそうである。(<http://mcgovern.library.tmc.edu/data/www/html/collect/manuscript/Wigodsky/hsw_intro.htm>)テキサス医科大学の「ABCC関連文書」を詳細に調べれば、草野信男やECRRの説を裏付ける、逆に言えばICRPの「遅延期間説」が荒唐無稽な珍説であることを裏付ける資料が出てくるかも知れない。 ここでのECRRのICRP批判は、そのリスクモデルは、LSSに基礎を置いているが、LSSそのものが、極めて恣意的な資料であり、従ってその結論、たとえば「遅延期間説」などは全く科学的根拠を持たないと云うことである。 また次のようにも批判している。
ここでいう「サワダの研究」とは、名古屋大学名誉教授の沢田昭二の研究である。また出版された本というのは、沢田昭二ほか著『共同研究広島・長崎原爆被害の実相』(新日本出版社1999年7月)であろう。 沢田は、外部被曝と内部被曝は全く異なるメカニズムで人体に影響すること、低線量内部被曝では、ICRPの直線応答モデルが全く通用しないこと、広島原爆で爆心地から4-5kmも離れた「己斐・高須地区」で、高い脱毛や紫斑の症状が現れたのは、放射性降下物(黒い雨など)による内部被曝の影響であることを論証した。また内部被曝の影響で、被曝線量の低いケースで、被曝線量の高いケースよりも下痢や脱毛の発症率が高いケースがあることを立証した。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/sawada_2011_fukushima.pdf>) これも今までICRPが論拠としてきた「LSS」のデータへの深刻な疑問である。 (また沢田らの研究が、2000年代以、降放射性降下物や残留放射能からの被曝を争点として争われてきた被爆者集団訴訟のポイントを占め、労働厚生省を中心とするICRP派の学者との論争に勝利する形で、27連勝を納めてきたことはよく知られた話である。一連の被爆者集団訴訟は被爆者認定の問題であるが、その隠されたテーマは「ICRPモデルの誤謬」ということでもある。) |
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ABCCへ戻ってしまう | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インドの遺伝学者パドゥマナバーンの研究については私はわからない。この記述で私に興味があるのは「ABCCの遺伝学者ニール」である。このニールは間違いなく冒頭にも触れたジェームズ・ニール(James V. Neel)であろう。ニールに限らずABCCスタート時、その中心となった科学者は遺伝学者が多かった。ニールもその一人であろう。またスチュールはウイリアム・スチュール(William J. Schull)で彼もまた遺伝学者であり、初期ABCCの重要人物である。ニールとスチュールは共同で「The Children of Atomic Bomb Survivors:A Genetic Study」(「原爆生存者の子供たち:遺伝子研究」1990年)という著作や「The effect of exposure to the atomic bombs on pregnancy termination in Hiroshima and Nagasaki」(「広島・長崎の妊娠中絶に関する原爆被曝の影響」1956年)といった本を出している。二人とも電離放射線の遺伝的影響に興味を持って研究した学者だ。ニールはもともとミシガン大学に所属していたが、ABCCを離れた後、ミシガン大学に戻り、1956年アメリカの大学で最初に遺伝子工学部、またその医学校に人間遺伝子工学部を創設した人物として知られている。(<http://www.ibis-birthdefects.org/start/neel3.htm>) ニールやスチュールに限らず、ABCCには全米研究評議会のルイス・ウィード(Lewis Weed) オースティン・ブルース( Austin M. Brues)、ポール・ヘンショー(Paul Henshaw) や陸軍のメルビン・ブロック( Melvin A. Block-恐らくニールもブロックもマンハッタン計画に関係していた。)などと云う人物がいた。(<http://en.wikipedia.org/wiki/Atomic_Bomb_Casualty_Commission>)彼らが本当にABCCで何をしていたかは余りよくわかっていない。 はっきりしていることは、放射線の人体に対する影響は一部軍事機密とされており、公表していいことと公表してはならないことが内部マニュアルで決められていたことだ。(<http://en.wikipedia.org/wiki/Smyth_Report>を参照の事。) ともかくこの時代、放射線の人体に対する影響に関してはその研究成果について不透明なことが多すぎる。ABCCと放影研の寿命調査(LSS)は公表していいことだけをもとにして作成されたのではないか、という疑いを私は強く持っている。 もしそうだとすれば、LSSをもとにしたICRPの報告が科学的事実に基づいている筈がない。ECRRは全く別な観点(医科学的観点)からそれを指摘しているのでないかと私は思う。 なおECRR2010年勧告は「ヒロシマ研究から被曝の結果を説明することの間違い」と題する以下のような表を掲げて、この第5章を終えている。
私は、ECRRのこの批判はいちいちもっともだと考えている。 |
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