(2011.8.12) | |||||||||||||||||
【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ | |||||||||||||||||
全般的な老化を促進するのが電離放射線の人体への基盤的影響 |
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1ジュールと1電子ボルト | |||||||||||||||||
第6章は、放射線防護の様々な単位や概念の説明に当てられている。そして「最良の科学的予測モデルを開発する」というECRRの検討課題に沿って、ICRP線量体系をECRRが拡張を試みようとする章でもある。同時に歴史の浅いECRRの弱点が露出した箇所でもある。 この章は1990年のICRP勧告の一節の引用から始まる。
1990年のICRPは、(17)で、今現在使われている単位(たとえば、シーベルト-やグレイ)などは最良の単位とは言えない、といっている。「定義されたある質量中」というのは「グレイ」の概念そのものに係わっている。1グレイは1kgの質量に1ジュール(J)のエネルギーが吸収されたとき、とされている。だから50kgの物質が平均1ジュールのエネルギーを吸収すれば50グレイの放射線を吸収したことになる。 ちなみに1ジュールは、エネルギーの単位で、「1ニュートンの力が、力の方向に物体を1メートル動かすときの仕事」と定義されている。たとえば仕事量で表現すると、102gの重さの物体を1m持ち上げる程度のエネルギーである。熱エネルギーの単位で表現すと約0.2389 カロリーと1カロリーの1/4程度でしかない。電気エネルギーで表現すると毎秒1ワットの電気に相当する。しかし電子ボルトの単位でいえば、0.624×1019電子ボルトという大変な大きさのエネルギーでもある。(以上日本語ウィキペディア「ジュール」による。) 1電子ボルト(1eV)のエネルギーとは別な表現で云えば、上図において1個の電子を1ボルトの電位差の間で、0ボルトから1ボルトに持ち上げる(あるいは引きつける)エネルギー(あるいは力)という言い方も出来る。 |
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電離過程の非連続的特質 | |||||||||||||||||
生体の吸収線量であるシーベルトも、物質の吸収線量グレイがもとになっているので、当然生体の質量1kgあたりという「定義された質量中」の話ということになる。 「ある定義された状態」というのは、直接的には放射線の種類をさす。人体に照射される放射線は、ガンマ(γ)線か、ベータ(β)線か、アルファ線(α)線か、あるいは電荷をもたない中性子線かによって影響が異なる。この場合は「γ線が照射された」という状態を定義している。γ線による照射で人体に影響がでてくるわけだからこれは当然のこと、「外部被曝」を言外に定義していることになる。 こうした「定義」を前提にして、シーベルトなりグレイなりの単位が成立している。そうして電離放射線の人体への影響を、人体に照射される放射線の総量、総和と理解して影響評価を行っている、というわけだ。ところがこのアプローチは「電離過程の非連続的特質についての配慮を欠いている」とICRP自身が認めている。 「電離過程の非連続的特質」とはいったいどういうことか? 上の図はラザフォードの原子模型である。 この模型においてマイナスの電荷をもつ電子(素粒子の一種)が、原子から切り離されて原子の外へ飛び出す現象を「電離過程」あるいは「電離現象」と呼んでいる。こうした現象を起こす(電子を引きつけて原子から飛び出させる現象)の原因となっているのが「電離放射線」というわけだ。一個の電子を電離させるのに必要なエネルギーは10電子ボルト(10eV)というから、先に見た1ジュールというエネルギーは、原子レベルでは大変なエネルギーということになる。 この電離現象(電離過程)は、決して連続的な過程ではない。飛び出すか、飛び出さないか、くっついたままか、離れるか、ONかOFFか、イエスかノーかの世界である。パソコンの量子ビットの世界に似て、極めてアナログ的でなく、デジタル的世界の現象だ。この意味で「非連続的現象」である。こうした非連続的現象を計量化するのに、連続量の概念をもつシーベルトやグレイの単位をもって評価することは不適切(配慮に欠ける)とことをICRP自身、1990年の勧告で認めているわけである。言い換えれば、ごく微量の放射線でも1個の電子を電離させることが出来るのであって、大きい量の放射線が電離作用を起こすが小さい量の放射線は電離作用を起こさないと断言できないということでもある。このことは、電離放射線の内部被曝を考える際に極めて大きな意味を持つのでこの際覚えておいて欲しい。 電離現象が非連続的世界(デジタルな世界)で起こるのに、それを、連続量をもつ現在の単位(直接的にはシーベルト)で評価することの妥当性が、(17)の後段で説明されている。
すなわちこれまでの観察によって経験的に正しい、とわかっているとICRPは主張しているわけだ。ICRPはどのような観察なのかはここでは示していない。が、ECRRの2010年勧告は「外部被曝による実験に基づくものであることに注意を促しておく。」と断り書きを入れている。外部被曝による実験とは、人間に対して行うわけにはいかないから、マウスなどの動物実験による結果だということは容易に想像がつく。(ヒトの被曝-たとえばチェルノブイリ事故や劣化ウラン弾による内部被曝などの観察結果は、「生物学的効果と相当よい相関関係をもつ」とは言えない。)ここではICRPがそういう主張をしていることだけを念頭において置こう。 ここまでが(17)の文章の理解である。 |
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シーベルトは内部被爆では不適切な単位 | |||||||||||||||||
(18)ではどんなことを云っているのだろうか?
現在ICRPは、1kg当たりの放射線照射量を量るそうした単位をもって、分子・原子レベルの細胞や核、そうした分子レベルのDNAにおける電離現象を観察し、評価している。これは誰が考えても、不適切な単位である。いってみれば建築でミリ単位の誤差を見るのに、星と星がどれくらい離れているかを表現する「光年」という単位を使っているようなものだ。しかし将来は別として、現在は適切な単位がないので、「このような巨視的な量」を使い続ける、と云っているわけだ。これが1990年勧告である。 1990年と云えば、ヒトゲノムの塩基配列を特定しようという「ヒトゲノム計画」が国際的にスタートした年だ。2003年にはヒトゲノムの塩基配列が特定され、いわば一つ一つの遺伝子の塩基配列性が解明された。そしてその後遺伝子研究、がん研究が飛躍的に進歩した。 1990年から20年以上も経過する今日、ICRPは90年勧告で述べていることから一歩も前に出ていない。日進月歩ならぬ、「秒進分歩」の医科学界の現状からすれば信じがたい状況である。 |
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ジャック・バレンタイン | |||||||||||||||||
ECRR2010年勧告は、
と酷評している。 ここで「ヴァレンティン博士」といっているのは、スエーデンのジャック・バレンタイン(Jack Valentin)のことである。専門スタッフや研究設備を全くもたないICRPで唯一有給の職員は科学幹事(Scientific Secretariat)と呼ばれる職員であるが、バレンタインは1997年から2008年まで20年以上もこの科学幹事を務めた。ECRRが「1990年と2007年のICRP勧告の編集者」と形容しているのもこのためである。それ以上にバレンタインはICRPの顔であった。そのバレンタインは2009年に科学幹事を辞め、もうICRPと縁がなくなったとして先の発言となったものと見える。まさに金の切れ目が縁の切れ目である。
実はバレンタインはICRPの科学幹事をやめたあと、それまで不倶戴天の敵であった欧州放射線リスク委員会の科学幹事であるクリス・バスビーと対談している。バスビーは日本では欧州放射線リスク委員会の議長や委員長として紹介されることがあるが、欧州放射線リスク委員会(ECRR)の科学幹事である。ちょうどICRPのバレンタインと同等な位置にいる。バレンタインは雇われ人だが、バスビーは信念の人、と云う違いがあるだけだ。 2009年4月22日、チェルノブイリ事故23周年の当日、スエーデンのストックホルムで、公開討論会が開かれ、バスビーとすでにICRP名誉科学幹事になっていたバレンタインが討論を行った。その時の記録がECRRのサイトに公開されている。 (<http://www.euradcom.org/2009/lesvostranscript.htm>) 冒頭の一部を引用すると次のようなやりとりだった。(CBはクリス・バスビー、JVはジャック・バレンタイン)
この討論は、それはそれで面白いのだが、結局ICRPの科学幹事としてのジャック・バレンタインと一人の科学者としての彼との間には、科学的方法論や姿勢に関して大きな落差があると云うことがわかる。すなわち、ICRPは自説と異なる研究や批判には耳を傾けないと云うことだ。このことは日本の放射線防護に関する学者たちの議論にもそのまま当てはまる。 |
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放射線の標的は生きている細胞 | |||||||||||||||||
これは第6章第2節「基本的な線量体系の導入」の冒頭の言葉である。私は、電離放射線の人体に対する影響について極めて簡潔に的を射ている表現だと思う。「電離作用を通じて細胞の分子や原子に損傷をもたらす」のだから、その影響は何も「がん」ばかりではない。細胞自体の機能低下、細胞によって形成される各臓器の機能低下、免疫力の低減、臓器によって構成される人体自体の弱体化、いわば「生命力そのものへの攻撃」、これが電離放射線の人体に対する影響を一言で表現した言葉だろう。続いて次のような記述がある。
だれしも異論のない、電離放射線の細胞への損傷に関する記述だろう。下図は沢田昭二の論文「放射線による内部被曝――福島原発事故に関連して――」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/sawada_2011_fukushima.pdf>)から引用したものである。 沢田はこの図に『放射線の電離作用。ガンマ線が電離作用によって染色体DNAの2重らせんを直接切断する場合と、細胞内の水分子H2Oを電離して水素イオンと水酸化物イオンをつくり、水酸化物イオンがDNAと化学反応 して、間接的に切断する場合を示した。』という説明を与えている。 この図ではたまたまガンマ線による遺伝子損傷のケースだが、実際に内部被曝では、飛ぶ距離の短い、しかしエネルギーの大きいアルファ線やベータ線などの損傷が深刻である。 まとめると次のようになるだろう。
私はこうした理解は非常に重要だと思う。電離放射線による障害は、だから、なにも「がん」ばかりではないのだ。生体中に、抵抗力の低下、免疫力の低下などももたらすと考えれば、放射線による障害のためどのような病気になっても不思議はない。広島原爆の後、「原爆ぶらぶら病」が現れ、なにをやるにも気力が湧かない、疲れやすい、まともに仕事が出来ない、といった症状が現れ「なまけもの」と云われたというが、私はこれが放射線障害のもっとも象徴的な障害だと思う。 |
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電離放射線の切断エネルギー | |||||||||||||||||
それでは、電離放射線が細胞などの化学結合を切断するエネルギーはどの位なのだろうか? 福島原発事故でも大きな問題となっている放射性物質セシウム137(Cs-137)は1回の核崩壊で約650keV(キロ電子ボルト)、すなわち65万電子ボルトの放射線エネルギーを放出する。 核崩壊というのは、セシウム137が崩壊して別な同位体になる、ということである。日本語ウィキペディア「セシウム137」によると、セシウム137は半減期が30.1年で、核崩壊しバリウム137mになる。半分が核崩壊してバリウム137mになるのに30.1年かかるという言い方も出来る。(そのバリウム137mも核崩壊してそのつど放射線を出すのだが)その1回1回の核崩壊で65万電子ボルトの放射線エネルギーを放出する。 冒頭見たように、細胞の化学結合を切断するのに必要なエネルギーは10eVである。セシウム137が1回に65万電子ボルトを放出すると、単純な算数で、細胞の化学結合を6万5000箇所、あるいは6万5000回切断するエネルギーに相当する。セシウム137の場合はβ崩壊(崩壊時にβ線を出す)だから体内に入ってしまうとやっかいだ。 この場合、私たちが使っている被曝吸収線量の単位「シーベルト」を使って、その被曝リスクを考えてみると、頭がこんがらがってしまう。 というのは、シーベルトはすでに「1kg」あたり、という前提を含んだ被曝線量だからだ。たとえば1ミリシーベルトの内部被曝は、その1000分の1の1マイクロシーベルトに比べて1000倍放射線障害のリスクが高いか、という問題を考えてみよう。この場合 1ミリシーベルトも1マイクロシーベルトもすでに生体1kg当たり、という前提を含んでいる。 1ミリシーベルトにせよ1マイクロシーベルトにせよ、体内に入った放射線源が、そのエネルギーを1kgに平均して被曝させると考えるのは馬鹿げている。特に1マイクロシーベルトの放射線源のような小さな放射線源が、その付着した臓器1kgに満遍なく被曝させるなどということはおよそありそうにない。 まさしく放射線の標的は個々の細胞なのであって臓器ではないのだから。今1ミリシーベルトに相当する放射線源の放射能の強さを1000ユニット(1000ピーナッツでも構わないが)としよう。従って1マイクロシーベルトに対応する強さは1ユニットとなる。1000ユニットも1ユニットもいわゆる低線量被曝の範疇である。細胞異常をおこすリスクは、1ユニットの1000倍か、というとそうはならない。細胞異常は起こるか起こらないか、OnかOffか、非連続的な、デジタルな世界の出来事であった。1つの細胞だけをとりだせば、1000ユニットも1ユニットも実は同じリスク、すなわち50%の確率である。(もちろん1000ユニットは1ユニットに比べて、同時に多くの細胞に異常をおこさせる確率は高い。)1つの細胞異常では絶対に病気にならないという医科学的保証があれば話は別になるが、細胞異常が可能性としてあらゆる種類の病気の原因となるものだとすれば、1個の細胞異常も、1000個の細胞異常も実は同じリスクを抱えているということもできる。 エドワード・ラドフォードの云う「被曝に安全量はない」というテーゼも恐らくこうした分子細胞レベルの現象を指していったものだろう。 |
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シーベルト、平均化概念の錯覚 | |||||||||||||||||
ところが、私たちが使っているシーベルトという単位で考えれば、1マイクロシーベルトは、1ミリシーベルトより1000倍安全であるという錯覚に陥るから不思議だし、現実にそのようないいかたがまかり通っている。 ECRR2010年勧告は、この問題を次のように表現している。
さらに、特に1990年以降、遺伝子研究は飛躍的に進歩した。その結果細胞レベルでは複雑で動的(ダイナミック)な現象が起きていることもわかってきた。
ゲノムの不安定性やバイスタンダー効果については、第4章(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/ECRR_sankou_02.html>)でもざっと見た。要するに、遺伝子研究で、遺伝子間での、これまで知られていなかった働きやつながりが次々と明らかになりつつあるということを私たちは知らなければならない。こうした遺伝子レベル、細胞レベルの異常は、なにも「がん」だけではなく、あらゆる人間の病気や体の不調の原因になっているということだ。 |
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非特異老化は単に寿命短縮ではない | |||||||||||||||||
ICRPにとって電離放射線の人体への影響とはがんであり、遺伝的疾病(hereditary disease)だけなのだ。福島原発事故でも話題は甲状腺がんやその他の器官でのがんに集中している。しかし実際に私たちが警戒しなければならないのは、体全体への全般的影響、たとえば抵抗力の衰え、免疫力の低下など、一言で云えば「生きる力」そのものへの攻撃であり、それに起因する「生活の質」の低下である。
上記文章でECRRは、私が「生きる力への攻撃とその衰え」とやや感傷的に表現した内容を「非特異的老化(non specific ageing)」と呼んでいる。非特異的老化とは理由や原因のはっきりしない老化現象のことである。この概念はなにもECRRの打ち出した概念ではない。ICRPも同じ概念を使っている。 たとえば、(財)高度情報科学技術研究機構(RIST)が運営する原子力百科事典「AOMICA」には次のような記述が見える。 『急性であれ慢性であれ、放射線被ばくを受けると通常5-20年にも亘って何らかのかたちで健康状態に影響が出るといわれる。この効果を放射線の「晩発効果」といって、発がん、組織障害、遺伝的障害などを起こす。放射線事故などで致死に至らない被ばくを受けた場合、よくこの晩発効果が問題とされるが、「寿命短縮」も放射線の「晩発効果」として国際放射線防護委員会(ICRP;1966)において「非特異的老化現象を早めるリスクがある」として認められている。しかし、寿命短縮が高線量の急性被ばくによって起こるという研究結果が多いことから、寿命短縮論に対する反論も多い。最近は、低線量被ばくの影響研究のなかで、「放射線の寿命短縮効果」を確かめることも研究の重要な視点となっている。』(「放射線と寿命」<http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-02-01-04>) しかし同じ「非特異老化」という言葉を使っていてもその内容は全然違っていることにお気づきだろう。ECRRは私が「生命力への攻撃とその衰え」と使った意味で「非特異老化」を使っているのに対して、ICRPは「がんによる早死」にのみ着目してこれを「寿命短縮」効果として見ていることがわかろう。 「非特異老化」は「寿命短縮」ではない。ここでいう「非特異老化」とは、放射線によって、生きる力を奪われ、自然老化よりも人工的に老化を促進させられることなのだ。 ここまでの記述は、実は「基本的な線量体系の導入」と題する第6章の一節の内容を検討したものだった。しかし私の記述は、この節の趣旨から大きく逸脱するものだったかもしれない。というのは、この節の目的は、ICRPの放射線線量体系が、電離放射線の人体への影響を、特にその低線量内部被曝の実態をまったく反映していないことを論証することだったからだ。 次の節は「リスク定量化のための本委員会のアプローチ」と題するもので、前の節の検討を受けて、ECRRが独自に放射線リスクを定量化しようとする一節となる。 |
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(以下その②へ) |
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