哲野 |
その流れの中で、平和都市建設法でしたっけ、1949年ですね。当時の広島市長の濱井信三さんの回想録の中に、一応濱井信三さんが、GHQのウィリアムスという国会担当者に会いにいって、事前に了解をとっといてから、星島二郎あたりに根回しを始めたと言う風なことが回想録に書いてあるそうなんです。それはありそうなことなんでしょうか?
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星島二郎。当時吉田民主自由党の幹部で第一次吉田内閣の商工大臣。47年当時は吉田内閣の無任所大臣。後衆議院議長、自民党顧問。 |
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平岡 |
でしょうね。広島市に、例えば復興計画の時なんかでも、イギリスの何とか中尉とか、全部入ってるんですよ。来てるんですね。復興計画に、彼等は・・むしろ彼等は市の行政を監督してたんじゃないかと思いますけどね。2人くらい来てるんですよ。占領軍から。 |
哲野 |
そうでした? |
平岡 |
ええ。広島市駐在の、ま、派遣将校っていうのがね。 |
哲野 |
中尉クラスですか。 |
平岡 |
中尉クラスだったと思いますけどね。 |
哲野 |
そうすると、広島の復興って・・長崎も49年だったと思いますけれども、広島・長崎の復興というのは占領政策の一貫でもあったということですか? |
平岡 |
いやぁ・・・そこまではわかりませんですけれども。 |
哲野 |
そこまでは言い過ぎですか?
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前掲桐谷論文では、1945年11月広島市議会において「復興委員会」が組織されたこと、広島市が復興資金調達に苦慮したこと、1948年2月に大蔵省広島財務局に旧軍用地無償払い下げ申請が出され却下されたこと、原爆都市復興を念頭に置いた世界平和都市建設のために国が一切の援助をする形にしてからスムースにことが運んだことを説明してから、次のように記述している。『GHQの国会担当官であるウイリアム(William, Justin)に特別法の起草案を提示すると、「国会から法案の承認を求めてきたら、私自身がマッカーサー元帥のところへ行って、サインをもらってくる」と賛成を得た。その後浜井市長が「民自党の星島二郎氏に会って協力を依頼した時、星島は“それはよいことだと思うがお濠端(GHG-当時GHQは皇居お堀端の第一生命館に本部を置いたので当時そう呼ばれたものとみえる)が承知しないだろう”」と言ったが、浜井がウイリアムの了解は得ている、と述べると星島は「それならできるだろう」と答えた。そして「広島平和記念都市建設法」は衆議院、参議院ともに満場一致で可決された。』としている。そしてこの特別法で獲得した政府資金を中心にして、平和公園、記念碑、記念資料館が建設・整備された経緯を述べた後、『建設を重視した「復興」は、やがて市民の暮らし、生活空間を基とした「復興」とは隔たりのある、不自然と思えるほど綺麗に整備され、空間の広がった大きな平和公園を作り出した。』と記述している。 |
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平岡 |
要するにアレ(広島市復興計画のこと)をやったのは・・・任都栗さんとか、当時の市会議員、彼等が一生懸命、再建したいと。ところが財源がない。これはやっぱり、国有地を払い下げて貰ってなんかやればいいと。ところが大蔵省は、「特定の市に払い下げるわけにいかんじゃないか」と。
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哲野 |
日本国民みんな困っておるのに広島だけ、ちゅうのはいかん、と。 |
平岡 |
そうそう。ただそのときに、原爆の特殊性を言った訳ですよ、広島は。長崎もそうなんですがね。長崎は後で付いてきたんですが・・。広島は原爆によって壊滅、大打撃を受けたんだと。これが立ち上がるにはどうしても特例が要ると。特別の。そこで平和都市建設法が、寺光さんでしたかね、作ったのは。法案を作って、そしてそれを住民投票にかけられたんです。 |
哲野 |
そうでしたね。住民投票をかけて賛成を得ないと・・ |
平岡 |
そう。出来ない法律だったんですね。特別法で。結局、狙いはですね、国有地をいかにして安く払い下げて貰うかという、その道を作るのが平和建設都市法。これは実はまだ活きてるんです。広島市の出す建設書類は全部ハンコが押してあります。実際に活きてると。(笑う)ホントは形だけなんですがね。私も被爆50年の時にこれを利用して、日銀広島支店の、あるでしょう?払い下げてくれと。(笑う) |
哲野 |
日銀広島支店というと? |
平岡 |
旧館ですよ。それで旧大蔵省に行ったことがある。(笑う)そしたらこれは(広島平和記念都市建設法)はもう死んどるって言うわけですよ。死んでるって、全部生きてるじゃないか法律は。(笑う)あるんですよ。ホントに。現に生きて居るんですからねずっと。しかも広島市が出す提出関係のは、全部平和建設都市法のハンコが押してあるんです。それに乗っ取っておるわけですよ。 |
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哲野 |
でも、今でも年に一回、報告せにゃならんのでしょう? |
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そうですよ、ですからこれはもう形だけで死んでるんですがね、もうすでに。何をいうかと建設省に怒られたですよ。50年だからちょっとねぇ、適用してもいいじゃないか、法律(平和都市建設法)がここにあるんだからと。広島は、政令指定都市になっとるような都市が、なんたるさもしいことをと言うかと。(笑う)あそこはね、大蔵省が持っておってもしょうがないんだから。売るだなんだ言うから、じゃ、ちょっと広島市にくれって言ったわけです。そう言う話があります。 |
哲野 |
それは、あくまで法律の根拠はこの・・・ |
平岡 |
ええそう、これ。戦後50年だからこれで売り買いしようやと言ってやってみたんですがね。 |
哲野 |
なるほど。駄目だった。(笑う) |
平岡 |
うん。ハハハ・・(笑う)甘ったれるなと。ま、そりゃ冗談ですけどね。政令指定都市、100万都市を豪語しとる広島市がなんという浅ましいことを言ってくるか、ということを言われましたよ。 |