哲野 |
こんな風に言うと言い過ぎなんでしょうか。被爆者の悲惨というはよく解る。よく解る。これを何とかするためには理屈はどうあれ国から金を引っ張り出さにゃいかん。これもよく解る。でも金を受け取ってしまったらもう、そこでどうやって既得権を守っていくかという団体だった、という見方をすると、これはちょっと意地悪すぎるんでしょうか。 |
平岡 |
いや。そういう側面あるでしょうね。私もそうなったと思いますよ。その・・物盗り団体になってしまったというね。全部それは否定できないでしょうね。 |
哲野 |
なってしまった? |
平岡 |
なってしまったと。というのは、1995年、援護法ができたんですよ。
|
被爆者援護法。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(げんしばくだんひばくしゃにたいするえんごにかんするほうりつ)平成6年法律第117号。被爆者健康手帳や様々な援護制度が法制化された。以下はその前文。
この前文では、日本国家の戦争責任にも、アメリカが投下したということにも触れていない。まるで原爆は「自然災害」のようだ。「核兵器の究極的廃絶に向けての決意」もまるでとってつけたようだ。
|
|
平岡 |
(笑う)ま、これも村山総理のときですからね。で、私は市長だったんですよ。 |
哲野 |
1995年ですから・・・もう市長ですよね。 |
平岡 |
被爆者援護法が出来て、あの時、あの年にハーグで証言したんですね。被爆者の連中が「市長さん、ご苦労さんでした」と、慰労会してくれたんすよ。そこで、僕は(被爆者に、あるいは被爆者団体に)「援護法が出来た、あなた方、次の目標はなんだ」と・・
|
平岡 |
ええ。そしたらね、どうやっていいかわからんのです。そこで「ひとつ、僕のアイデアを言いましょう」と、言ったんです。
あの頃アジアの女性基金という問題があって、色んな国に対してね、これは後々、問題が出るんだけれども、積み立てて基金を作ろうという運動があったんですよ。 |
|
|
哲野 |
アジア女性基金ですね。
|
アジア女性基金(Asian Women's Fund)。「女性のためのアジア平和国民基金」が正式名称。自社さ連立政権の村山内閣成立後の1995年(平成7年)7月に発足。当時旧日本軍性奴隷制度(日本では従軍慰安婦問題)が世界中で問題になっていた。旧日本軍が朝鮮や中国の女性を始めとする多くの女性を「性奴隷」として組織的に虐待していた事実を、日本政府は認めなかったし、ましてや謝罪もしていなかったからだ。村山内閣直前の宮澤内閣末期に、内閣官房長官河野洋平は、自らこの問題を調査し、
『 |
長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。』 |
とするいわゆる「河野談話」を発表し、旧日本軍性奴隷制度が組織的に存在していたことを認め、率直に謝罪した。しかし、その補償にあたっては、「日本国家の謝罪と補償」という形をさけるために、民間基金という形をとった。これがアジア女性基金である。「最終的な募金額は7億円、日本政府が広告・宣伝・運営には70億円を支出した」と日本語Wikipediaは述べているが
(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%
E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%
E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%B9%B3%
E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9F%BA%
E9%87%91>)、その実、資金のほとんどは日本政府が支出したものだった。基金は「旧日本軍性奴隷制度被害者」と認定した被害者の女性に一律200万円を「償い金」として贈ったが、多くの被害者女性はこの受け取りを拒否した。多くの被害者女性にとって重要だったのは、「200万円」ではなく、日本国家としてのキッパリした謝罪だったからだ。その意味では「アジア女性基金」が、「日本国家としてのキッパリした謝罪と反省」のトンネル機関だったことを見破られていたことになる。
後に2007年2月、アメリカ下院に「旧日本軍性奴隷制度非難決議案」を提出したカリフォルニア州選出民主党下院議員マイケル・マコト・ホンダは議会の証言で『この決議案では日本政府に対して、「コンフォート・ウーマン制度」の存在を、明確なまた曖昧でない形で(in clear and unequivocal manner)認め、謝罪し、歴史的責任をとることを要求しております。これは旧日本帝国軍隊が1930年代から、アジアや太平洋諸島における植民地時代あるいは戦時の間、若い女性や少女を強制(coercion)して「性奴隷」(sexual slavery)としたものです。婉曲な言い方で「コンフォート・ウーマン」(comfort woman―日本語で言うところの慰安婦)として知られていますが、これら暴力を振るわれた女性は実に長い間、その尊厳と名誉を踏みにじられてきたのであります。』と述べた上で、『私はこのアジア女性基金の創立、それはこの基金から補償的金銭支出を伴うものであります、や過去の日本の首相のコンフォート・ウーマンに対する謝罪を大いに評価するのでありますが、現実は、日本政府からの心からのまた紛う方なき謝罪なしに、こうした金は受け取れないと多くのコンフォート・ウーマンがその受け取りを拒否したのであります。』と続け、『謝罪に歴史的意義があるのであり、対立を和解するにせよ、過去の行為に対して贖罪を行うにせよ、まず謝罪がどうしても必要な第一のステップであることを理解して頂きたい。』と述べている。
この点で日本は、アジア女性基金という姑息な手段を使うことによって、「旧日本軍性奴隷制度」の多くの被害者女性との歴史的和解、いいかえればアジアとの歴史的和解に失敗したのである。 |
|
平岡 |
被爆者の団体も、(被爆者援護法で)「葬祭料」はでるだろう、と私は言ったんです。(原爆で)死んだ人に10万円出るわけですね。
それをみんな集めたらどうかと。
その金を集めてね、これを戦争被害者のアジアの人たちのために基金を作るという、そういう呼びかけをやったらどうですか、と。そしたら今の運動の目標がさらに広がって、広島の被爆者の思いが伝わっていくんじゃないだろうかって言ったんです。
|
|
そしたらね、いやいや、仏壇を買うとらんから仏壇をなんとか、と言って、僕はちょっと怒ってね。
仏壇を買うって、あんた今まで何をしとったんかと。立派な服を着てね。それを今更10万円が出たらどうのこうの言うのはおかしいんじゃないかと。そのうち論争してね。そしたらある人が、「平岡さん、10万円っていう金額がでたら、もう駄目ですよ。みんな。」そういう話を、内輪だけですからね、やったんです。
僕はちょっと、ガックリ来ましてね。アジアと連帯する運動をやったらね、被爆者運動がもういっぺん息を吹き返すかもわからん。
いや、死んだ人から貰ったのを・・・。昭和30年代に死んだからってね、それを貰うわけでしょ、10万円。みんなそれを集めたらいいじゃないかと。で、基金作って。それからの話は別としてね。死んだ人に葬祭料が10万円出たんなら、その葬祭料を・・・。
仏壇を買う、というような事を言うんですからねぇ・・。 |
哲野 |
アジアとの歴史的和解に繋がる貴重な、アイデアだったですね。
|
いや本当に私はそう思う。『私たちは日本の被爆者団体だが、日本政府から分捕った金がわずかだけどここにある。原爆で死んだ人たちに贈られた金だ。旧従軍慰安婦の人たちにこれを使って欲しいと思う。日本人として本当に申し訳ないと思っている。そのお詫びのしるしなんだ。素直に受けて欲しい。』と言えば、アジア女性基金からの受け取りを拒否した奴隷制度被害者の女性も、日本の被爆者からの気持ちを汲み取って、同じ戦争の被害者からの贈り物として、心から喜んでこれを受け取ったと思う。
|
|
平岡 |
それは僅かでもいいんですよ。みんな10万円出したら、100人だったら1000万、2000万になりますからね。それを全国の人がね、それに共鳴する人が基金を作って、そしてこれは日本の被爆者の言い出した、アジアの戦争被害者の、あるいはアジアの平和のための基金であると、そしたらいいんじゃないかなと思ったよね、僕の思いつきですけどね。(笑う) |
哲野 |
いいと思います。 |
平岡 |
それは駄目だと、もう。幹部の人は言うわけですよ。10万円というのが出たら、出す人はいません、と。で、ああこりゃ物盗り団体になったな、と思った。
それはみんなの責任だからね。あの時は、社会党の人もいたけど、自分たちが作ったという・・盛んに言うわけですよ、援護法を作ったのは自分たちの手柄だと。
あれは・・・、ホントの意味での援護法ではなかったような気がするんだけども。私は出来ないと思ってたから。援護法なんていうのは。
自民党が天下で取っている間は。たまたま「自社さきがけ連立」の村山が出たから取れたんだと。
曲がりなりにもね。援護法という名の付くものが出来たなと。 |
平岡 |
考えた方が色々あるから、私の言っていることが正しいという訳ではないんで。だけどなぁ、死んだ人でしょ。死んだ人の思いっていうのを生き残った人間が踏みにじったらいかんなと思うんですよ、今でも。さっき、色んな事をして生き抜いてきたと。死者を踏み台にして生きてきたという人間なんだから、今は本当に死んでる人のことを考えて・・・。 |