哲野 |
どういうご出身の方? |
平岡 |
いや、僕はよく知らないんですよ。 |
哲野 |
学者の先生? |
平岡 |
学者ですね。学者というかアメリカから引っ張ってきたんかな?秋葉さんが引っ張ってきたんですよ。 |
哲野 |
ほお。 |
平岡 |
なんにもしなかった。その後、浅井さんが来たんですね。浅井さんは少なくとも、広島の人に全部会ってね、意見を聞いてますよ、あの人は。
それから、平和のあり方みたいな事を彼なりに考えて、特に日本政府に対しての注文ですね、広島側からの。これはやっぱり、しっかりしてますね。
いままでどっちかというと、原水禁運動にしても被爆者運動にしても政府に対して何も注文してないんですよ、ほとんど何にも。
私は、平和宣言あたりでちょこちょこやりましたけどね。こうあるべきだ、こうあるべきだと。だけど広島の学者は、大体言ってないんです、なんにも。被爆者援護に力を入れてくれ、だけは言ってるんですよ。しかし、これは陳情ですよね。
だから、これやれっていうのはあんまり言ってないですね。原水協系の人たちが非核三原則を法制化しろとかですね、いわゆる共産党の線に沿っての政治要求をしてますけど、それは、広島というよりもある団体の要求みたいになって、広島のトータルの要求としてはなかなか出てこない。 |
哲野 |
なるほど。それで浅井さんが来られて、平和研究所がまともになったというコメント、非常に重要なコメントだろうと思うんです。というのは、私たち広島市民も浅井さんのお話から学ぶところが多かった、と思うんですよ。私の問題意識も鋭くなってきたと思います。たとえば、さっきの「広島の願いは何故届かなかったのか」という設問に対して、自分で回答のメモを書いておるんですが。
「広島の願いが何故届かなかったのか。逆説的ではあるが、それが願いであり明確で筋の通った政治的意思ではなかったからだ。願い、は論理的政治的意思として政策に昇華しなければならない。核兵器問題は極めて鋭い政治問題なのだ。」というコメントを自分でここに書いておるんですが、このコメントについてはどういう風にお考えになりますか。 |
平岡 |
ま、その通りでしょうね。 |
哲野 |
そういわれちゃうと・・・。 |
平岡 |
やっぱり政策。政策にね、していかなきゃいけないんですよ。政治を動かすわけでしょ?国際政治を。少なくとも国内政治を含めて。 |
哲野 |
もし国連が世界の意思を決定する機関で、仮にあるとするならば、国連は国家主権の集まりだから日本の主権の意思をしっかりしなきゃいけないですよね。 |
平岡 |
国家主権の集まりですから。日本政府を通じてね、しっかり出さなきゃいけない。 |
哲野 |
それが順序ですよね。 |
平岡 |
そのことを批判すれば、それは日本政府が、アメリカの政策の枠内でしか、アメリカの許す範囲内でしか、核兵器廃絶は言ってないんですよ。鋭いことは全然言ってない。知ってても言わない。それは外務省官僚もそうなんですね。アメリカのご機嫌を損ねることは絶対言わないと。そういう限界を我々も・・まぁ私は知ってたんですが、市長をやったら私も色んなことを言いますよね。外務省に。特にあそこのICJ(国際司法裁判所)の問題・・・。
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平岡 |
あそこの前後でね。ずいぶんやり合いをしたもんですから。 |
哲野 |
あの時は外務大臣が柿沢浩治で、首相が羽田って書いてありました。 |
平岡 |
いや・・・、首相が羽田孜ですか?・・いやいや、あの時はもう村山になっていた。 |
哲野 |
あ、あの、だから交渉段階では羽田で、すぐ変わっちゃった。 |
平岡 |
ええ、そうですね。村山と河野。河野外務大臣ですね。これはこないだちょっと話したでしょ。 |
哲野 |
電話が直接あったのは、河野さんですね? |
平岡 |
河野。ええ。 |
哲野 |
ICJの日本政府の見解が、明確ないわゆる核兵器使用は人道主義に違反すると明確に書かないので、(平岡さんが)書けと注文をつけに行った時の外務大臣が柿沢浩治。 |
平岡 |
ああ、そうでしょうね。 |
哲野 |
だったと『希望のヒロシマ』の中に書いてありましたですね。 |