2010.12.9
第11回 「ヒロシマの思想」は「人間の尊厳」を実現する

「核兵器がもたらした残虐な事実」とはなにか?

哲野 広島の願いは、ずーっと「願い」のまま置かれてきたということになりますね。
平岡 そうですね。願いは間違いじゃないんですよ。願いを実現するための方策というのがなかなか見つからなかったというか、それを理論化し、そして政策化していく力量が、広島側になかった。本当言えばそれをやっていくのが、理論家であり思想家であり、或いは政治家かもわかりませんね。そういうのがいて、中心にいて、その広島市民の願いを具体化していく作業をしなきゃいけないんです。それをしなかった。だからスローガンに終わったということになる。
哲野 広島の願いに関連して、ここ(『希望のヒロシマ』)で書いておられる「核兵器がもたらした残虐な事実」、「核兵器がもたらした残虐な事実」というのは、今考えるとこれはどこまで、何を含むとお考えでしょうか。
平岡 ・・・・・・。
哲野 もちろん人間的悲惨の問題もある。
平岡 ありますね。ええ。
哲野 ・・・これだけでしょうか?
平岡
いや、僕は、これは皆殺しの思想だと思うんですよ。とにかく全てを抹殺するわけでしょ。戦争目的を逸脱するわけですね。戦争目的とは相手の戦力を叩き潰せばいいんだけれども、とにかく皆殺しなんですよ。で、皆殺しという考え方はね、やっぱりアウシュビッツにも通底するところがあって・・・。

そのことがあるんです、アメリカは全部皆殺しなんです。東京大空襲がそうです。ずーっと(住宅地の)まわりにね、(焼夷弾を)撒いて、真ん中、全部焼き殺すわけですからね。こういう思想・・・もちろん日本もやったんですよ。重慶でやったんですけどね。そういう皆殺しの思想を人間は持っていると。それを一番体現したのは核兵器だと思ってるんですよ。とにかく大きければ大きいほどあれだけ全部抹殺するわけですからね。それは極めて残虐な兵器だという具合に思うんですけどね。


1945年トルーマン政権の陸軍長官ヘンリー・スティムソンの6月1日付けの日記。

 ・・・それから、アーノルド将軍が入ってきた。【ヘンリー・“ハップ”・アーノルド将軍。陸軍航空隊司令官。当時、空軍は陸軍の指揮下にあった】

 そしてB−29による日本への空襲について話し合った。私はアーノルドに、日本では精密爆撃だけだとするロバート・ロベット【空軍担当の陸軍長官補佐官】からの約束について語り、昨日の新聞報道は、その約束からほど遠い東京爆撃のことを示していると云った。【1945年5月23日から24日にかけての夜間、また5月25日から26日にかけての夜間にアメリカのB−29は相当な爆撃を東京に対して行った。この日記から窺えることは、スティムソンはそのことを新聞報道で知ったものということだ。】

 私は、どんな事実関係があったのか知りたかった。アーノルドは、ドイツと違って、日本では工業地帯が集中しておらず、細かくしかも一般住宅とくっついて分散しているために、空軍は爆撃に際して困難な状況にある、ヨーロッパにおけるよりも、日本では軍事生産施設だけを狙って爆撃するのは不可能である、従ってどうしても一般市民に損害を与えることになる、といった。しかし、彼はできるだけ軍事生産設備だけを狙うようにする、といった。私は、私の許可なしに爆撃してはならない都市がひとつある、それは京都だ、とアーノルドに云った。』
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/stim-diary/
stim-diary19450601.htm
>)
哲野 その残虐な事実っていうのは・・・。
平岡 まぁ、広島から言えば人間的悲惨さっていうかね・・。その人間的悲惨さっていうのはね、一つは戦争が済んでなお苦しむというね・・・
哲野 特に放射能の影響ですよね。
平岡 放射能の影響。これなんですよね。本来なら、撃ち方止めだったらノーサイドでそれで終わりなんです、戦争は。しかしそれを一生涯ずーっと引きずっていくというような、もちろん、放射能の線量の濃度がありますよ。たくさん浴びた人と、少ししか浴びなかった人、あるけれども、そうした不安を一生涯背負っていくという。これは大変残虐な事実だ。人間を人間として見てない。「人間の尊厳」を極めて阻害するというか侵害するような行為である。それが残虐だという言い方をしてるんですがね。私は。

まぁ、一語一句問い詰められると逆に答えられんです(笑う)。つい、ささっと書き飛ばしているところがあって、特にその本(『希望のヒロシマ』のこと)はね、一か月ぐらいであわてて書いたものだからね・・
哲野 小生意気なことを申し上げるけれども、まだ成熟はしてないけれども種がいっぱいあるというのが僕の読み方で。
 平岡 そりゃまぁ、一種の活動報告みたいなつもりで書いてますからね。あわてて作った本ですから。忙しい時で、十分に調べてないんです、これは。

批判を許さない雰囲気がヒロシマにある

哲野 その、今、今日のお話は平岡さんの言う「ヒロシマの思想」、ということなんだけども、「ヒロシマの思想」がなんであるかちょっと別として、「ヒロシマの思想」がある程度完成形を見せた時点では、それは核兵器廃絶だけでなくて、世界平和を促進、プロモートするような、そういう一つの人間の核に座るであろう、そういうものでないといけない、とお考えだというのは、今日私初めて確認・・つまり核兵器廃絶だけを目指したものではない・・・。
平岡 (即座に)じゃあ、だめですね。
哲野 それだけでは不十分。ただ、その話を聞いてもなおかつ疑問が残るのは、核兵器廃絶の思想を作り上げるだけも大変なのに、その先まで考えているっていうのは、これはちょっと欲張りすぎではないかと思うんですが、それはどう思われますか。そこを考えないと意味がない?
平岡 やっぱりそこの、核兵器廃絶の先をね、きちっと見ておかないと、核兵器廃絶したらそこで終わりだと言うんじゃあこれはもう、非常に底の浅い思想だと思うんですね。

私は、これまで「ヒロシマの思想」が生まれなかった原因は批判を許さない、空気が広島にあったと考えているわけです。例えば、被爆者が言ってることはすべてそうだ、正しいという雰囲気がある、じゃなくて、やっぱり被爆者だって間違った事も言ってる訳ですよ。その時にやっぱりお互いに批判をして、批判しあうことを許すというか、異論を認めるね、そういう空気が広島にないんですね。被爆者の言っていることは絶対であると。随分間違った運動を私もやってると思うんですよ。随分指摘したことあるんですね。
哲野 間違った運動というのは?
平岡 例えば、これはお話したかもわかりませんが、総理との面会を断った事が・・
哲野 ああ!内閣総理大臣が広島に来て、被爆者と面談するという・・・。
平岡 ええ。広島に来られて毎年夏にやるんですよ。
哲野 総理が会いたい・・・。
平岡 そうそう、会って、そこで被爆者の要望を述べるわけですね。公開の席で。それがマンネリになってるし、あれは儀式に過ぎないと、いうので総理との会見を被爆者側が断わった事があるんですね。ところが、その次の年に、総理が変わったらあのおっさんはよさそうだからまたやってくれ、とか。こういうね、身勝手な事は僕は許せない。それを批判しなきゃいけない。誰がそういうこと言い出して何を狙ってそういうこと言ったのかですね。(総理に会うことを)止めたっていいんですよ、それは。やるんなら徹底的にやればいいんでね。そういうことをマスコミも非難しない。被爆者の要望も止めた、また被爆者の要望を始めたとか、そういうことを書くだけでね。

そりゃ、ちょっとおかしいんじゃないか、というのが私の思いですよね。つまり総理の日程を作るっていうのは相当前から決めて、色々下ごしらえして、やってるわけでしょ?それぐらいはわかってるはずなんですがね。急きょなんかあって止めるんならしょうがないけど、顔が気に入らないからとか、思想が気に入らんからって、それが理由だったから、僕は怒った。そんな気に入らないやつになんでおまえら陳情してたんだと。今までね。それまで相手は、ずーっと歴代自民党政府ですよ。自民党の総理で一貫してる。それが総理の顔が変わっただけでね、今度はいいとか言うのはそういういい加減な運動っていうのはおかしい。それを批判しなきゃいけない。どっちが正しいかわかりませんけど、少なくとも、そこで論争が起こらなきゃいけないですね。そういうことやってない。

 これは平岡が広島市長時代、橋本龍太郎が総理大臣の時、被爆者が総理橋本との面談を断り、翌年小渕恵三が総理大臣になったとき、小渕との面談を希望した事件を指している。詳しくは「第2回 被爆体験の絶対化がもたらす問題」の「被爆者のわがまま」の項参照の事。
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
hiraoka/3/3.html
>)



平岡 それは、私はマスメディアが悪いと思うんですよね。それぞれのオピニオンを新聞に載せて、どっちが良かったか悪かったか抜きにして。そういう議論をすべきなんですよね。それが「ヒロシマの思想」を豊かにすると思ったんですが。一つの例がそれですけれども、大体ずーっと「ヒロシマ」はなんの批判も受けない、外部から。

みんな遠慮してるわけですよ。「ヒロシマ」が言えば・・まぁ「ヒロシマ」が言ってるんだからと。それがオバマジョリティがいい例でしょう。誰も批判しない。
哲野 批判しとるんですけどね、私なんか。(笑う)
平岡 いや、既存の大手マスコミ。あの時、だれも批判してないでしょ。おかしい。
哲野 去年(09年)の8月7日付け(8・6平和式典の翌日)朝日新聞の1面トップの見出しを覚えとられますか?
平岡 いや、覚えてないです。
哲野 「広島の空に響け!オマバジョリティ」。1面トップの大見出しでした。
平岡 (苦笑い)
哲野 なんじゃ!これは?って思った。(苦笑い)
平岡 (笑う)だから、それはね、どっちが正しいか抜きにして、これはおかしいと思う人がいるわけでしょ?その声が取り上げられないっていうんですよ。今ちょっと出てきたですがね。でも、あの書きようは足らん!って私なんか言ってる。もっときちっと批判すべきだ。
哲野 オバマジョリティというこの薄汚い言葉は、どっからどういう風にして生まれて、彼が、今の広島市長が、採用したのかわからんが、理屈以前に、もう、生理的に僕は受け付けませんね。
 平岡 もう・・僕は嫌なんです、あれは、ほんと。だって「ヒロシマの思想」というか、ヒロシマの思いを語ろうというのに、なんでオバマジョリティかっていうのがあるわけよね。
哲野 民主主義とは全くかけ離れた発想ですよねぇ。(笑う)
平岡 (笑う)
哲野 (オバマという)一人の権力者がなんでも出来ると思い込んでいる発想。
平岡 そんな「人の言葉」を借りてきてね、語るような薄っぺらな「ヒロシマ」じゃ困るなって気がしますね。

「被爆者」を聖域化する問題

哲野 だから今のお話から言うとですね、被爆者を聖域化してしまったことが、一つ大きな問題として挙げられるって言ってかまいませんか?
平岡 問題ありますね、ええ、いいです、そういっても。被爆者も私たちも同じ人間なんですよ。いろんな意味で戦争の被害を受けていると。たまたま原子爆弾の被害。これは深刻ですよ。確かに、原爆の被害は。ですが、他に深刻な被害を受けた人はたくさんいるわけで、沖縄もそうですけどね。そういう人たちと本当の感情の共有が出来なきゃ、私は駄目だという気がしてるんですよね。感情の共有が出来ないのに、何で世界の色んな人たち、例えばイラクの人だって、アフガンの人達ね、一緒に戦争が語れるか。「俺たちしかわからない体験だ」って頑張るからね、しかし、「あなたの体験も同じように遭った人がたくさんいるんだから手をとっていきましょうよ」、というようなね、そういう連帯の気持ちが出てこないですね。
哲野 こういう風に言っていいですか?被爆者は自分たちの体験を相対化・普遍化できなかったと言ってもいいんですか?
平岡 いいでしょうね。出来なかった。
哲野 その相対化・普遍化できなかったことが・・・。
平岡 いや、そりゃ個人的体験は(相対化・普遍化)できないんですよ。
哲野 出来ない。出来ないけども、ひとつの体験を通じて、そっから自らの世界観であるとか自らの普遍的な思想を語ることは出来るじゃないですか。
平岡 うん。だからそれを「体験の思想化」ということでね、昔から言ってきたんですが、その思想化に成功してないような気がするんですね。
哲野 あえてしなかったと言っていいんですか?
平岡 いや、そりゃわかりません。(笑う)いや、そこは。(笑う)しようとしたんだけど、出来なかったというかね。
哲野 しようとしたんでしょうか?「ヒロシマ」はしようとした?
 平岡 「ヒロシマ」がっていうか、誰がやったかは別として、例えば松元寛さんあたりは一生懸命ね、そういう「体験の思想化」というのを言ってましたよね。我々もそれを言ってきた。(その言葉を)使ってきたんです。体験の思想化をしなきゃダメなんだと。体験だけではいずれ体験を語る人がいなくなったらどうにもならんじゃないかと。だから体験の思想化がまだできてないと言ってもいいんじゃないですかね。出来てれば心配ないんですよ。出来ないからこそ、折鶴になり、オバマジョリティになるんだと思うんですね。
哲野 ただ、折鶴の場合は佐々木禎子のストーリーは、かなり普遍性を持ってみんなの共感を・・・。

 たとえば、IAEAと当時のエルバラダイIAEA事務局長がノーベル平和賞を受けた2005年ノーベル平和委員会のミョース委員長(=当時)の授賞(受賞でなく)演説などを参照の事。
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/novel.htm>)
平岡 あ、そこまではいいんですよ。そりゃいいんです。うん、それはそれでいいんだけど、私が言っているのは、折鶴を折る運動。ね?折って終いでしょ?僕はやっぱり、あれは気に入らんと。折ることは大事なんです、その気持ちがね、平和を祈る。しかし折ったあと自分が何をするかっていうかね、もう一つやっぱり教えなきゃいけないですね。折って、持って行ってお終いなんです。これが平和運動だと思ってるから。そうじゃないよと。もっと身近なね、環境問題にしろ、或いは友達の関係にしろ、やっぱり平和を阻害するものがたくさんあるわけですから、目を開いてほしいなという気がする。それが平和運動だろうと思うんだけど、どうも折ることが目的化してしまうという・・。それに対して、それを批判する、僕はあちこちでやったんだけど、どうもあんまり反響がないんだけどね。(そういう批判は)「子供の心を踏みにじるものだ」と言われたことありますよ。
哲野 なるほど、確かに。今は折って終わりだな・・・。そうした例えば平岡さんの見方や考え方に、反響がないんではなくて・・・。インターネット時代になって私つくづく感じるんですが、マスメディアが取り上げたことが世間の言っていることという風に今まで思ってきたけども、マスメディアは必ずしも世間の言っていることを普遍的に取り上げているわけではない。むしろ誰かが言い出して、実は、俺もそう考えてたんだということが結構多いということが最近インターネット時代になってわかるようになってきて、結構、平岡さんのように考えている人は、私は多いんじゃないかと思いますけれども。

形骸化・形式化の問題

平岡 まぁ・・そりゃ多いんでしょうかね。なんかね、運動の形骸化というような言葉で言ってしまうとありきたりかもわからんけども、なんか形骸化してるんですね。折ってお終い・・・折鶴もそうですしね。それから市民が自発的に動く、それを行政の側がサポートするような動きが全然ない。だから被爆者運動だってなんにもないですからね、実態は。なんかあった時に、マスコミが行って坪井直の話を聞くぐらいの話でね。普段の活動なんにもないわけですよ。で、まぁ大会があると。夏に。これが晴れの舞台でね。しかもそれが自分たちではなくて、政党が全部やるわけですから。共産党と社会党が。お金集めてやってくる。そういう力がないわけです、被爆者運動に。
  ですから、被爆者運動というのは、一種の虚像みたいなものをマスコミが作っちゃって。本当言えば運動は起こらなきゃいけないんですよ。だけどそれを彼らに求めるのは無理ですよ。もう高齢化してですね。世界状況もよくわかっとらんような人がいるから。そりゃしょうがないですよ。そこをサポートする人がいない・・・。
哲野 「ヒロシマ」が自ら考える力を失ってるというと言いすぎですか?
平岡 うーんそこまで言うと・・・。
哲野 被爆者運動は、ですよ。
平岡 酷だけどね。うーん・・・酷だけど、最初からもう、上の指令で動いているというのが事実でしょう。だから僕は、これは旦那持ちの被爆者運動だと言ってるんですがね。旦那っていうのは、社会党であり、共産党で上部・・・上部になるんかなぁ、まぁ要するに政党の方から言えば、それは一つの自分たちの支配下に入れているわけですからね。そのご主人の顔色を見なきゃ、運動が成り立たないというか、世界大会一つ開けないですからね。だけどそれを、全部被爆者のせいにしてしまうのはね、これは無理や。 

死者の阿鼻叫喚に耳を傾けなければいけない

哲野 いや、僕は被爆者個人個人はね、もっと鋭いこと考えているように思うんですけどね。我々が知らないだけで。たまたまひとから聞いたある女性の被爆者の人、こないだたまたま名前が出た長崎の森重子さん、とか。08年の長崎平和式典の「被爆者代表」で聴いたんですけど、この人はえらいお金持ちの人らしゅうて。被爆者個人個人はもっと深いことを考えている人もいらっしゃるようにも思うんだけども。
平岡 恨みつらみっていうのはね、そんなに簡単になくなるもんかな・・・。というのはね、私は・・。人間としてね、色んな恨みっていうのがあるんですよ。自分の体験の中でね。そりゃそう簡単に消えるもんじゃないでしょ。それを綺麗にね、しかも生き残った人間が、和解だ寛容だってなことをいうのはね、僕は非常に・・。生者の驕り、生き残った人間の論理で死者を語るっていうのはね、これは非常にいかんことだなと思いますね。死んだ人の思いっていうのは、もっともっと聞かないといけない。西嶋定生、東洋史学者よね。彼も・・・。
哲野 定生ってどんな字ですか?
 平岡 「定める」に「生きる」っていうですね。彼がね、歴史を語るときに、亡霊の阿鼻叫喚を聞かないといけないと言っているんですね。死んでいった人たちのね。まさしくそうだろうなと思うんです。広島を語るんだったら死んでいった人たちの思いをね、我々なりにずっと受け止めなきゃいけない。ところがそのことを忘れて生者の論理で色んなことを語ってしまうという・・・我々もそうなりがちなんですよ。時々やっぱり死者のこともね、思い起こそうという思いがしてしょうがないですね。それを組み込んだ思想でないと、「ヒロシマの思想」にならないなと。

確かに先を見て未来を語るわけですから、核兵器のない世界を語るときに、やっぱり根底にあるのは死者の阿鼻叫喚というか、これを想像する・・・。

 西嶋定生(にしじまさだお)。中国史学者、東京大学名誉教授。はじめ明・清の社会経済史を専攻したがのちに古代史に移り、中華帝国冊封体制論を唱え、邪馬台国北九州説に与した。
(日本語Wikipedia<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%
E5%B6%8B%E5%AE%9A%E7%94%9F
>)
哲野 怒りであり、恨みであり・・・。
平岡 喜んで死んでるわけないんですよ。みんな悔しくて死んでる。そのことを忘れてね、誰が許せるんですか。死者が許すなら僕はわかるけど、死者は許せない。あれが(広島への原爆攻撃)正しかったんだから、アメリカはそういってるんだからね。どうしてもそこに来ている。私は、いまのところ。

アメリカの謝罪がすべての出発点

哲野 それを乗り越えるというか昇華する、モノの考え方はどういう考え方・・?
平岡 やっぱりアメリカがあれは間違っていたという。それを認めることですね。認めて初めて死者が許してくれるだろうと思うんですね。日本だってやっぱりいろいろ戦争犯罪的な事をやってきた。それに対して日本は謝る。謝ることによって初めて和解が成立するという。第一歩は謝ることですよ。謝る事なしに「和解」が勝手にね、許すだなんて誰が言える?僕はあの、許すっていうのは・・。「あんた」は許したかも知らんが、死者は許してないし、僕も許してないですよね。だって広島・長崎への原爆攻撃が正しかったら、もう核兵器はどこへ使っても文句は言えない・・・。あの行為が正しいとアメリカが判断してですよ、それを認めてしまえば、将来核兵器を使うことを咎めることが出来ないんです、ヒロシマは。

これは核兵器肯定、核兵器「やむなし」の発想に直結する・・・。

ヒロシマはいかなる場合でも、いかなる時でも、絶対反対だと言い続けているわけですからね。あれも間違ってたんだと。間違ったということは、国際司法裁判所でも一応、一般的には・・・人道法に反する、と判定した。
哲野 条件付きではあるけれども。
平岡 条件付きだけど、あれは間違ってたんだ判定した。もともと核兵器を使うことがいかんと言って、これは国際的な常識になってるわけですから。(アメリカが)あれは「マズかったな」と、一言言ってくれればね、私はもう、・・許す!(笑う)私は許す。(笑う)

だけど、死者がね・・・。私も「死者に代わって」と言ったことがあるんですよ、いっぺんね。ICJでも言ったんかな?あれちょっと、しまったと思っているんですよ。死者に代わることなんてできないんですよ、生き残った人間がね。生き残った人間っていうのは、絶えず色んな人を踏み台にし、死者も含めてですが、生き残ってきてる訳ですね。生き抜いてきている。そのことを絶えず生き残った人間は謙虚に反省しなきゃいけないし、だからこそ、死者の思いを何とかね、実現しようとする。

それは綺麗な言葉で言えば核兵器廃絶であり、世界平和ってことになるんですがね。

「僕はアメリカを追及していなかった」

哲野 少なくとも核兵器廃絶までいって、アメリカが謝罪すれば・・・。
平岡 まず核兵器をなくする法的・政治的根拠ができるでしょ?あれは法的には間違っていると、きちっと明らかにしなきゃいけないと思うんですね。
哲野 少なくとも核兵器廃絶が出来上がれば、広島で死んだ人も、あ、これで俺の死も無駄ではなかった、と・・・。
平岡 人類が生き残っていくためのね。
哲野 納得するけど、今のままじゃあ納得なんかせんよね。
平岡 納得できんだろうと思うんですよ。
哲野 いや、私もそう思います。
平岡 で、そういうことにね、行き着いたのはやっぱりね、ここ10年くらいですよ。
哲野 ええっ?!これ(と『無援の海峡』1983年刊、を指さす)を読んでると、私はそうは思えませんけどね。
 平岡 いや、その時は一生懸命、国家。日本の国家と民衆ということを一生懸命考えた、その時は。朝鮮人の立場に立ってみたら、日本国家は許せん、と。本当言えば日本国家とアメリカは、もう、つるんどったわけですね。

ね?でも、そこで僕はアメリカを追及してないですよ。
哲野 ・・・ああ、なるほど。ああ、言われてみたらそうだ。
平岡 ね。日本の国家悪という形でね、国家と民衆という対立があって、それは、国家というのは民衆を見捨てていくもんだと。踏みにじっていくもんだと。そのことを民衆側にいる我々は絶えず頭において、国家というのを見なければいけないよというのが、このテーマなんですよ。
哲野 だけど、韓国の被爆者から見たらね、日本の国家主権は見えるけども、アメリカの国家主権は、なかなか見えんのじゃないですか?
平岡 いや。やっぱり彼らの方が鋭いですよ。
哲野 あ、そうですか。
平岡 これは、原因はアメリカじゃないかって言ってますよ。韓国の被爆者は。ところが日本の被爆者はあまり言わないの。そりゃまぁ、講和条約で賠償を放棄しちゃった、ということがあるのかもわかりませんがね、韓国の被爆者は言ってますよ。アメリカだと。
哲野 韓国の被爆者から見れば・・・。
平岡 二重、三重ですよ、それは。
哲野 そうですね。
平岡 自分の国の政府、まず韓国政府がけしからんと。ね。日韓条約で被爆者問題を素通りした日本政府はけしからん。で、日本政府とアメリカ政府もけしからんという風に、彼ら、やっぱりそういいますよ。
哲野 見てる?
平岡 ええ。
哲野 そりゃちょっと意外でしたね。いや、ここからは(『無援の海峡』からは)確かにそれは・・・。
平岡 アメリカについてね、論じてないですね。あまり。
哲野 これは遠慮されたっていうところはある?
平岡 いや。そうじゃないですね。そこまで論理が・・・だから「原爆裁判」では書いてますよ。
哲野 「原爆裁判」では書いてますね。

 「原爆裁判」は、『第4回 「核の傘」と「核兵器廃絶」の関係』の「原爆裁判、1955年」の項参照の事。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
hiraoka/4/4.html
>) 

やはり出てくる「歴史認識」問題

平岡 朝鮮人に即してはなかなか・・・そこまで(アメリカの国家責任のこと)拡げてないですね。ちょっと問題が拡散しますからね。朝鮮の場合は、やっぱり日本の国家対朝鮮人という、植民地支配の関係でこれを捉えていこうという思いがしてましたから。
哲野 それは、その問題意識は僕は正しいと思いますね。ここでも書いておられますが、韓国人被爆者が原爆体験を語るときに、日本人の原爆体験者は45年8月6日の朝から。だけど、韓国人の被爆者は、なぜ日本に来たか・・・。
平岡 (朝鮮人被爆者の原爆体験は)そこから始まる。徹底的に違うでしょ。
哲野 彼らの二重、三重被害をある意味象徴した出だしの語りですよね。何故日本に来なきゃいけなかったのか?それで何故広島で原爆に遭っちゃったのか、むしろ原爆の話は、出てこなかったって話が、結構ありましたね。
平岡 そうそう、そうですね・・。だから日本人の被爆者は戦前と45年8月6日で断絶しとるわけでしょ。その前を切り捨てるわけですね。本当言えばそこをね、どう総括してるかということが問題なんですよね、個人の生き方として。それは全部問わないんですよ。8月6日から以後の話ばっかり。それがやっぱり広島のちょっとした思想の弱さだな・・・。例えばアメリカ・・・原爆ドームの世界遺産の時もそうなんだけど、アメリカにしろ、中国にしろ、歴史認識を問いますね、必ず。

アメリカはあの時に、確か(メキシコの)メリダでこういったんですよ。日本がそれまで、原爆が落とされるまでですよ、それまでやってきたことを考えろと。落とされて当然だということを言っているわけですよ。そのことを考えろと。そういうことを言うわけですね。中国はまた別の論理なんですけれども、やっぱり歴史認識で今、戦争を反省しない連中が日本にはたくさんいる、だから世界遺産になったとたんに、被害者顔して悪用する人間が出てくるだろうと、そういう言い方をしてますね。

両方とも歴史認識。歴史認識という意味では、「ヒロシマの思想」はあまり入り込んでいない、今まで。そうですねえ、ここ20年くらいかねぇ。

(広島の原爆)資料館に、足跡というか、陸軍第五師団の展示が出たのは。陸軍第五師団が、中国大陸にこう行ったとか、南方にこう行ったとか、足跡というか、図表が、年表がひとつあったくらい。そこまで拡げて行くと資料館の意味がなくなるとかいろんな意見がありましてね。今度やってますから、(原爆資料館展示の)組み換えを。展示がどういうことになるか、私も知りませんけどね。

「ヒロシマの思想」から見た原爆投下の理由

哲野 あの・・・そろそろこの話に入らないといけないんだけどな・・・。その、「ヒロシマの思想」の・・・あ、こういう質問がいいか。「ヒロシマの思想」はですね、何故広島に原爆が投下されたかと考えているかという、そういう質問にちょっとしてみようと思うんですけど。つまり、原爆投下の理由ですね。これはアメリカに聞いてみるのが一番なんだけども。
平岡 難しいですね。いろんな説が出てますよね。
哲野 ただ、ただですよ。この中(『希望のヒロシマ』)の5Pでこう書いておられるんですよ?

広島・長崎への原爆は必要だったのか、戦争を終わらせるのに本当に役立ったのかということが明らかでない以上、つまり、このことが明らかになってないんだよということを、96年の時に言っておられるわけですよ。今はどう・・・。
平岡 やっぱり同じでしょう。明らかになってないですね。
哲野 どこの部分が明らかになってない?
平岡 いや、結局、原爆投下を日本も利用し、アメリカも利用した、という点。
哲野 それは絶対に言えますね。天皇制存続にも利用し・・・。
平岡 利用した。そりゃあね、陸軍を抑えるためか、或いはメンツ。ソ連の参戦に降伏したって言いたくなかった。日本の天皇制自体、ひっくるめて、日本の共産化を物凄く恐れたんです。ソ連に占領されるくらいならアメリカに降伏しようという。そのためには沖縄を売ったってかまわないよ、くらいのところだったんでしょう。ですから、原爆を理由にしたんですよね。それは非常に綺麗な言葉ですよ。このままほっといたら人類の文明が破滅するかもわからんというような話になってるんですが、要するに利用した。アメリカも当然利用したですね。原爆のせいで早く終わったんだという。両方とも支配者側の意思は、原爆の「意味付け」はまったく同じなんです。
哲野 当時、アメリカと日本は、阿吽の呼吸だったと僕は思いますね。
平岡 そうですか。そこは、私はわかりませんけどね。そういうことに利用してしまったのは事実ですよね。利用されたというか。ですからそれが・・・僕はどう書いてますかね?定かでないというのが・・・。
哲野 「明らかでない以上、戦争の終結を早めたという断定は、激しい論争を巻き起こすに違いなかった」
平岡 スミソニアン?
哲野 スミソニアンの後に起こった、原爆郵便切手の話ですね。

  原爆郵便切手事件。日本語Wikipediaでは「原爆切手発行問題」という項目が立てられており、次のように書き出している。


原爆切手発行問題とは、アメリカ合衆国郵便公社(以下USPS)が1995年9月に発行しようとした第二次世界大戦50周年切手のうち、原子爆弾のキノコ雲のデザインをめぐり、日米間で政治問題化したものである。最終的には発行は中止されたが、広島市および長崎市への原爆投下に対する歴史認識の日米間の違いが顕著化したものであった。』
(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88
%86%E5%88%87%E6%89%8B%E7%99%BA%E8
%A1%8C%E5%95%8F%E9%A1%8C>

 平岡自身は『希望のヒロシマ』の中で次のように書いている。

1994年11月末に起きた「原爆記念切手」発行問題もその一つである。

米郵政公社は、95年9月2日の対日戦勝五十周年記念日に十枚セットの記念切手を発行し、その1枚に原爆投下後の図柄を使用することを発表した。米国でキノコ雲を切手にするのは初めてだったが、その図の下には「原爆が戦争終結を早める。1945年8月」("Atomic bombs hasten the end of war, August 1945")という説明文が添えられていた。

 郵政公社は「切手に取り上げる事象の選択は、国務省や国防総省の歴史家と相談した。原爆使用という歴史的に重要な事件を外すのは、怠慢のそしりを免れない。」と説明したが、その短い説明文はじつは大きな問題をはらんでいた。つまり、広島・長崎への原爆投下は必要だったのか、戦争を終わらせるために本当に役にたったのか、ということが明らかでない以上、戦争終結を早めたという断定は、激しい論争をまきおこすに違いなかった。

戦勝を祝うことだけ考え、キノコ雲の下で起きた惨劇に思いが及ばない米国側の無神経に、広島市民は反発した。日本政府もまた「国民感情を逆なでする」と不快感を示した。』
(前掲書5p)
平岡 ああ・・でも同じことですね。
 哲野 同じです、同じです。

帝国政府の原爆抗議文

平岡 アメリカもあれは、戦争を終わらせるために使ったんだ、だから正しいことだったんだと、一貫してるんですね。日本は、実は反対・抗議したんですよね、最初はね。8月10日かなんかにスイス政府を通じて抗議電報を打ったんだから。
哲野 残虐な・・なんでしたっけね?ちょっと覚えてないけども。

 この抗議文は、『米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別且つ残虐性において従来かかる性能を有するがゆえに使用を禁止せられおる毒ガスその他の兵器をはるかに凌駕しおれり。』『米国は国際法及び人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来たり。』としている。
(「米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
19450810_asahi_kougi.html
>を参照の事。)
平岡 打ったあとね、結局うまく利用して、これで軍部を抑えて降伏に持っていくわけですね。降伏に持っていくということは、国体を維持しました、天皇制を温存するという目的を達成したわけですから。
哲野 スティムソン日記を読んでみますと、スティムソンが、国務長官のジェームズ・バーンズに呼ばれるんです、電話で。スティムソンは、当時もう78歳で、心臓病を抱えてましたので、休み休み公務を務めてたんだけど、なんだ、と聞いたら、日本から降伏受諾の打診があったと。これが8月の10日の日記に書いてありましたかね。僕の記憶が間違ってなければ。で、行ってみた。で、スイス政府、スエーデン政府から、あの時はスイスじゃなくてスエーデン政府の文書では、日本政府は国体護持を明確に約束してくれるんであれば・・・。
平岡 ポツダム宣言を受け入れる
哲野 ええ。ポツダム宣言を受け入れるという。で、それに対してジェームズ・バーンズとトルーマンが協議した内容について、バーンズがスティムソンに意見を求めるんですね。で、スティムソン日記を読んでみると、スティムソンはそれに対して、OKを出した。で、出来たら、文書で国体護持を言ってやれと。そしたらすぐ受け入れるから、とアドバイスする。バーンズは、それは出来んというわけですね。戦後あれだけ極東裁判で他の国が、天皇戦犯説を唱えているわけで、それをアメリカがね、文書で認めるわけにいかんし、アメリカの国民感情としても認めるわけにいかんから、それを書くことができん。ここはスティムソンとバーンズのやりとりの最大の争点になるわけですけれども。スティムソンはもう中枢から外れてまして、トルーマンとバーンズが2人で仕切ってやってましたから、バーンズの意見に従って処理した。ただし、口頭でもいいから伝えろと言った、と日記に書いてあった。で、おそらくですね、これ、記録に残ってないんだけども、口頭で伝えたんだと思うんですよ。で、8月15日の終戦の詔勅の中にあるじゃないですか、国体護持はされたという理解の下に、という1行を加えて、ポツダム宣言を受け入れるというのが、8月15日。だから結局は、国体護持の問題で、原爆の問題ではなくて、日本の降伏の最大のポイントだったということは、これはもう明らかだと思うんですよね。ここで私の疑問なんですが、また質問なんですが、原爆が戦争の終結を早めたということについては、今どうお考えでしょうか?というのは、ここの問題、非常に重要な問題で・・・。
 スティムソン日記。45年8月10日。
・・・大統領は私に意見を求めた。私は云った。もし仮に日本からこの問題(天皇性存続問題)の提起がなくても、依拠すべき権威を失って、各方面に散らばる日本軍を降伏にもっていくために、われわれの指揮と監督の下に、独自にこの問題を継続すべきだ。硫黄島、沖縄、中国全土、ニューネザーランド諸島で起こったような血なまぐさい闘いを避けるために天皇を使おう、というのが私の意見だ。日本の国家理論からして、天皇は日本における唯一の権威だ。

そして私は、この問題の解決を巡って行われる休戦は恐らく不可避だろう、それは人道問題でもある、休戦の間は日本に対する空襲は停止すべきだろうし、それは問題解決にも影響を与えるだろう、日本に対する空襲は直ちに停止すべきだ、と進言した。』
  15分か20分後、この政権にしては珍しいことだが、別室で協議していた大統領とバーンズが入ってきて、内閣の全員に向かって、アメリカは日本からの第三国、すなわちスエーデン経由で送られてきた公式通告を受け容れる、と発表した。

バーンズは日本への回答を準備しており、その中でこの受諾は、アメリカ、イギリス、中国、そして恐らくはソ連によってもなされる、この4国はお互いに意思疎通している、としていた。その回答文書は、バーンズが私に電話で読み上げたそのままであり、私が承認した内容であった。』
(「1945年8月10日 日本降伏の第一報と天皇問題」
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/stim-diary/
stim-diary19450810.htm
>)

「使わなくてもいいものを使っちゃった」

平岡 いや、私はね、原爆を落とさなくても、もう戦争は終わってたと思うんですよね。少なくとも。だから原爆投下についての疑問がたくさん出てくるわけで、本来は原爆投下しなくても、日本は戦闘能力を失ってた。これは沖縄玉砕の時でも、それよりも前のサイパンでもう終わりだったんですね。それ以前かもわからん。ミッドウエーの海戦かもわかりませんけどね。
哲野 もう制海権も制空権も失ったわけですから。
平岡 ない。ないですから。ですからここで、誰が考えてもお手上げ。後は条件闘争というかね。どうやって降伏をやっていくかっていうとこでしょう。残念ながらそこで・・・どういうかなぁ。政治家が居なかった。軍人は闘うことしか知らんわけですから。彼らが実権を握ってる段階では、それを押しとどめることは出来なかった。天皇ですら、できなかった。そこで原爆というものを利用してやった。だけど本来なら、日本の立場から言えば、使わなくても戦争は終わってたと思うんです。だから・・・。使わなかったら、本土決戦まで行ったかもわからん。9月或いは11月、オリンピック作戦なんかをアメリカは準備してたんですからね。
 哲野 歴史的な事実関係から言うと、またスティムソン日記に戻りますけれども、スティムソン日記は、はっきり言ってます。国体護持をすれば、ソ連の参戦で日本はすぐ降伏する。だから2つポイントがあるとスティムソン日記は言ってます。一つはソ連の参戦が決め手やと。だけども国体護持をしてやるかやらないか、保証してやれば日本はすぐ降伏する。日本側でも、少なくとも御前会議で最大の問題になったのは、突き詰めて言うと天皇制が維持されるかどうか。ここが最大の争点。
平岡 そうでしょうね。
哲野 ソ連が参戦してくると、もうこれはどうしようもない、というのは軍部も言ってた。(8月9日から10日未明にかけての)御前会議の記録を読むと間違いない。つまり日本が降伏する条件は、アメリカ側も日本側も、全く同じ認識だったということは、これは間違いのないことなんじゃないですかね。
平岡 たぶんそうだろうと思うけどね。なんとも断言ようせんですね。ひとつは日本の共産化を恐れたっていうのは事実なんですね。
哲野 これはスティムソン日記の中にも出てきます。
平岡 そうですか。ずっと・・日本の支配層ですね、それが国体護持に繋がるわけですけが。ソ連が占領したら、或いはソ連に負けたら、それは(天皇制は)全部否定されるだろう、共産主義の国になるだろう、それが怖い。それが非常に怖いと恐れてた。ですから・・原爆より怖かったでしょうね、それは。そういう意味では。

 たとえば、45年1月下旬から2月7日にかけて断続的に行われた元内閣総理大臣近衛文麿の昭和天皇裕仁に対する上奏。この中で近衛は、
「敗戦は遺憾ながらもはや必至なり」と断定するとともに、英米の世論は現在のところ国体の変更(国体の変更とはとりもなおさず天皇制の廃止のことである。)とまでは進んでいないので、「国体護持の立前より、もっとも憂うべきは、敗戦よりも敗戦に伴うて起こることあるべき共産革命」だと強調した。そして内外の情勢は共産革命に向かって急速に進行しているとして、第一に東欧などの親ソ政権の樹立に見られるソ連の異常な進出、第二に延安における岡野進(後に日本共産党議長となり、またソ連のスパイだったとして共産党を除名される野坂参三のこと)を中心とする日本人解放同盟とこれに連携する「朝鮮独立同盟・朝鮮義勇軍」の発展、第三には「生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、及、これを背後より操る左翼分子の暗躍」という共産革命の国内的条件の三点を指摘した。』
(シリーズ「トルーマン政権、日本への原爆使用に関する一考察」の「5.降伏の条件―日本の立場」の「近衛上奏事件」の項参照の事。
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/
why_atomic_bomb_was_used_against_japan/05.htm
>)
哲野 支配体制にとってはね。
平岡 ええ、そのことと、原爆使用をどう考えるかねぇ、これは・・・。広島の立場で言えば、使わなくてもいいものを使っちゃったなぁという、ね。ただ、使わないと、軍部が説得できなかったのかどうか・・・まぁ今のあなたの話を聞けば、原爆に関係なしに国体護持がひとつ条件でね、これを早く認めるよと言ってやれば、早く終わったかもわからないという。ただ、もう春から交渉を始めてたんですからね。近衛を通じてソ連とね。ソ連を通じてなんとか講和の条件を探ってたわけですから。

永遠の水掛け論になりはしないか

哲野 そうです、そうです。ただ、そこら辺の日本・・・ここでどういうことをお訊ねしようとしてるか、ということは原爆投下は必要だったか、必要でなかったかという議論は、永遠の水掛け論になるんじゃないかということをお訊ねしたかったんですよ。
平岡 うーん、そうやね・・・。
哲野 で、それは日本の立場から言えば、必要なかった。しかし、トルーマンの立場から言えば、いや、100万の人間が死ぬ、死なんは・・・特に生命保険が全員かかってましたんで、アメリカ政府の支出も大きくなると同時に、やっぱり日本の軍隊とアメリカの軍隊の思想の違いで、日本の軍隊は、「お前たちの命は鴻毛より軽い」って言われておったけれども、アメリカの軍隊では必ずしもそうではなかったっていう側面はあります。だから50万人の命がもし、救えたと考えたのであれば、それは必要だったと言えるじゃないか。だけどこれは永遠の水掛け論になるんじゃないか。
平岡 うーん。難しいですね。だけどやっぱり、必要だったと言ってしまうと、じゃあ死んだ人は、お前らはもうしょうがなかったよということになるわね。
 哲野 久間さんの「しょうがない」発言を肯定せざるをえなくなりますもんね。
平岡 やっぱりそこは否定してね。必要なかったんだと。
哲野 それは否定したいということじゃないんですか?いや、私が平岡さんに問いかけている必要だったか必要でなかったかという議論は、これは永遠の水掛け論になりはしないだろうかっていう点については、どう思われますでしょうか?

歴史的な真実は必ずある

平岡 (しばし考えている)・・・うーん。どうかねえ・・・。そりゃ両方の立場で行けば水掛け論でしょうけどね。しかし、真実があるはずですね、どこかへ。歴史的な・・・どうですか?
哲野 あります。絶対あります。
平岡 どこかへね。
哲野 あるはず。ないはずがない。
平岡 だから今度は、なぜ落としたかになるわけでしょ?
哲野 で、「現実は理性的であり、理性的なことは現実的」なんだということを言えば、事実は落としたわけです。落としたには理由が絶対ある。今言われている理由が怪しいものだとすれば、やっぱり別に何か理由があると考えざるを得ない。
平岡 その理由については戦後色々言われましてね、これはまぁあなたご承知の通り、いろんな説があって、ブラッケットから始まって、一番新しいのは税金の無駄使いを・・・20億ドルかなにか使っておるわけですね。それを説明するためにはどうしても使わざるをえなかったという説もあるし。あれが一番新しいんじゃないかな。

 ブラケットはブラケット・E・フランクル。『戦争研究』(1956年 みすず書房)という名前の著作で「アメリカの日本への原爆投下は、冷戦を有利に導くためだった。」と結論している。なおブラケットは有名な『夜と霧』(1961年 みすず書房)を書いたビクトール・エミル・フランクルと同一人物である。(みすず書房編集部の説明による)
哲野 まぁこれもね。例えば・・・。
平岡 怪しい?(笑う)
哲野 いや、怪しいというよりも、正確に言うと、スティムソンが原爆投下の後に陸軍長官声明を出してるんですが、その陸軍長官声明の中には19億5000万ドルと書いてあります。で、19億5000万ドルの予算が切れるのは1945年の6月末。つまりマンハッタン計画が始まって、予算措置をして、45年の6月末で切れるまでが19億5000万ドル。で、マンハッタン計画がアメリカ原子力委員会に移管されるのが、翌年の8月ですから、その間12か月あるんですが、これに5000万ドル使ったとすれば、20億ドルという数字は正しいんですが、確認できる数字とすれば19億5000万ドル。これが確認できる・・・。
平岡 どっちだって、それくらい使ったんだから・・・
哲野 だけどB29の開発には30億ドル使ってるんですよ?
平岡 これはちゃんと形があって、爆弾を落としてね。ちゃんと成果があるんだけど原爆は使わなかったら、いったい・・無駄使いじゃないかと言われそうなから、やっぱり使ってみたという。テストとして。

もちろん一番最初は戦後の国際情勢を睨んでね、対ソ戦略の意味で使ったとかね。まぁ色々説があるんだけど、私はどれが正しいのかわかりません。だけどなんとなしにね、使ってみたかったというのはわかるね。(笑う)人間として(笑う)
 哲野 いや、長崎原爆について僕は当てはまると思う。というのはですね、広島の原爆は、これもスティムソン日記を読んでみると、スティムソンはロングアイランドの自分の別荘で、静養して、毎日連絡を待ってるんですよ。4日の晩、5日の晩という風に、今日も飛び立った、今日も天候が悪くて、落とせなかった、今日もダメだった、で、6日になって初めて投下できた、と。つまり広島の原爆を落とすについては非常に天候の状況を見ながら毎日飛び立っては引き返してきたというのが4日続いたんですね。でもね、長崎の原爆はひどいですよ。おお天候が悪いなぁって。燃料がなくなって沖縄に戻るのがせいいっぱい、もう長崎でいいや、落としちゃえっていう、非常に乱暴な落とし方だったことを考えてみると、広島の原爆には政治的な意味があった。だけど長崎の原爆は、これはやっぱりプルトニウム原爆を一回使ってみたかったんだというのは僕はあったと思う。
平岡 うーん、でもプルトニウムはいっぺん爆発させてますからね。最初に。
哲野 でも実戦では初めてです。
平岡 もちろん実戦では初めて。で、広島のはね、初めてでしょ?ぶっつけ本番でやった。だから相当自信を持ってやったんかなという気がするんですけどね。だけど僕ね、なぜプルトニウムを落とさなかったのかと思う。広島に。組立が遅れたのか、なんかそうかもわかりませんね。だけど実験して成功したのはプルトニウムなんですよ。アラモゴートでやった。それをもう一遍使うっていうのはわかるんだけど・・・広島のは間違いなく爆発するっていうのは理論的にはね、単純な爆弾だから。
哲野 ガンバレル方式ですからね。
平岡 落としたんだろうけどね?
哲野 急いでいたということは間違いない。
平岡 そうだったかなぁ・・
哲野 もっと時間があって慎重を期すのであれば、プルトニウム原爆の完成を待ってからやったんだけれども、あれは私が自分で色んなものを、色んなものと言ってもアメリカの公式な記録をずっと読んでみる限りは8月3日、とにかく8月3日以降は毎日飛び立ってますから。その時点ではプルトニウム爆弾は現地に来てなかった。
平岡 まだできてなかった。
哲野 これは間違いない。ウラン型原爆しか・・・。
平岡 あれは潜水艦で運んできている・・?あ、巡洋艦か。インディアナポリス。運んできてるよね。
哲野 コアリングをね。コアリングを運んできて、部品は航空機で・・・。
平岡 そうそう飛行機で持ってきてる。
哲野 テニアンの北部飛行場で組み立てたんですけれども。
平岡 できんかったんかのう・・・。長崎の方が複雑なんですよね?爆弾としては。
 哲野 爆縮方式ですからね。
平岡 それから起爆装置がね。非常に難しい。それが秘密だったんですよね。ソ連はそれを盗んだというか・・・。それでソ連の第一号の爆弾が長ア型なんです。同じ。全く同じ。

「人間の尊厳」を踏みにじるものとしての原爆

哲野 イールドというか、出力まで全く同じ。2.2万トンでしたからね。やっぱり疑問に思うのはですね、やっぱりここの問題に戻っていくんですが、やっぱりここは結論が出ませんか?
平岡 あの・・・水掛け論?
哲野 なぜ落としたのか。
平岡 なぜ落としたのか、わからないですね、私も。私はまだ人体実験だと言っているんですけどね。使ってみたかったと。
哲野 人体実験説を最初に唱えられたのは、芝田進午先生か。
平岡 だからすぐ来たでしょアメリカがね。ABCCを立ち上げてね。あの時は宇品の凱旋館につくったんですがね。
哲野 ABCCは調べてみると45年にもうアメリカにできてる。組織として。46年にはもう、比治山っていうか、広島に来てますね。進駐してます。

 (「ABCC―原爆傷害調査委員会」
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/ABCC.htm>を参照の事)
平岡 一番最初、宇品の凱旋館に本拠を構えた。
哲野 あ、そうだったんですか!
平岡 ええ、それから比治山にあがったんですね。で、どうもアメリカは人体への影響を調べたくてしょうがなかったと。で広島にやってきたのかなぁと・・・。だけどこれは証拠がないですよ。実験のために落としたのかどうか・・・。落としてから調査しようとしたのか・・・。でもまぁ、準備してましたからねえ、全部。
哲野 やっぱりそこの部分が明らかにならない限り、「ヒロシマの思想」の出発点は出来ないような気がするんですが、そこはどう・・・。
平岡 そうかもわかりませんね。まぁこれは個人的な考えですが、広島の原爆投下は、実験としてやったと思ってるんですよ。実験されたんだと。それはまさしく最初に言った、「人間の尊厳」を踏みにじるものだ。だからその後の歩みというのは、「人間の尊厳」を回復する、広島の再建というのはまさしくそうなんだと、いう位置づけをしているわけです。だいたい人体実験をすることが問題なんだと。しかし、実験ではなかったとしても、「皆殺し」という事実がある以上、「人間の尊厳」が踏みにじられたことには変わりはないですね。

 (以下次回)