2010.12.11
第12回 日本における「核兵器廃絶」と米軍基地は表裏一体

「原爆は戦争終結のために使った」は虚構

平岡 まぁ、これは私の個人的な考えですが、実験としてやったと、広島の原爆投下は、と思ってるんですよ。実験されたんだと。それはまさしく最初に言った、「人間の尊厳」を踏みにじるものだ。だからその後の歩みというのは、「人間の尊厳」を回復する、広島の再建というのはまさしくそうなんだと、いう位置づけをしているわけです。

だいたい、人体実験をすることが問題なんだ。しかし、実験ではなかったとしても「皆殺し」の事実がある以上、「人間の尊厳」が踏みにじられたことには変わりはないですね。
哲野 ただ、どう考えてもですね、戦争終結のために使ったというのは、これはどう考えても怪しい。怪しいというのは、これは、私、無根拠に言っているのではなくて、1945年8月、せめて9月かな、までのアメリカの政府文書とそれ以後の政府文書がもう、まるっきり違う。
平岡 ほう。
哲野 これは全部公開された文書・・なんでみんなこれを丁寧に読み込んでいかないのかなと思うんだけど、少なくとも1945年の9月までですよ。広島の原爆は、戦争終結を早めるものだったという言説は、一回も正式文書に出てない。

一回も出てないんですよ。よく引用されるトルーマンの大統領声明。あれもよく読んでみると、原爆投下は戦争終結のためだったとは一言も言ってませんよ。

 『原爆投下直後の大統領声明』
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/touka_hapyo19450730.htm>)
平岡 だから、やっぱり世界的な非難が起こってからでしょ?
哲野 そうです。
平岡 ね?
哲野 そう、まずアメリカの国内で非難が起こった。キリスト教者からなんてことをするんだっていう非難がバーって起こって。
 平岡 それに対して、いや、正しいことだったと言うことを、盛んにアメリカは言い出したんです。
哲野 それは46年になってからです。
平岡 46年ですかね?トルーマンがなんか最初に言ってるんですよ。これによって20万か25万か、命が救われた。その後ずーっと人数が増えてきてね、最後にパパブッシュの時には数百万の命が救われたとなったわけです。人数がね、だんだんと。増えて。やっぱりそこは、僕は問題だと思ってね、最初から一貫してれば、これによって例えば100万なら100万の人間が救われたと言えるんですが、ところが最初20万くらいですよ。それからずーっと来て、数百万人になる。それからマッカーサーがフィリッピンから出した報告書・・・。
哲野 それは45年6月18日にホワイトハウスで対日戦争の戦略会議が開かれるんです。
平岡 うん。その時には米軍の犠牲者は4〜5万でしょ?
哲野 マッカーサーは4〜5万とは言ってないんですが、マッカーサーは、日本のいわゆる対日戦争ではさほど大きな損害は受けない。いわゆる英語でいうとカジュアルティ(Casualties)という言葉を使ってますけれども、で、マーシャルが、3万1000人って言ってます。それはマッカーサーからの電報を受け取り、参謀と議論をして・・・。

 「1945年6月18日 ホワイトハウス会議(対日戦争の現状と見通し)議事録」を参照の事。
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm>)。
中で陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルは、『太平洋戦争の経験から云えば、損害に関しては、かなりばらつきがあり、数字的推定を行うのは間違いである、と考えられる。』と前置きした上で、「九州における作戦では、最初の30日の間の犠牲は、ルソンにおける犠牲を上回るものではないと信ずべき理由がある。」と述べている。で、ルソン島侵攻に伴う損害は、この会議では3万1000人と報告された。

いや、色んな話があって。だから私は原典に当たらないと信用しないんですけども。6月18日のホワイトハウス会議には、マッカーサーの電報を引用しながら、せいぜい最初の一か月間で、3万1000人、と言ってる。
網野 ルソン島と同等程度って言ってましたよね?
哲野 ルソンと同等程度っていうのがね、実はルソン島侵攻の同等程度っていうことをマーシャルは言っています。マッカーサーの報告を基にしてマーシャルが、トルーマンに見解を述べるわけだよね。その時に、その会議の頭から終わりまで、原爆の話、一回も出ないんです。今、その議事録が残って、読めるわけだから。
平岡 それはやっぱり、原爆が秘密にされてたんじゃない?
哲野 それはありえない。というのは、その会議に出てた人たちは、すべて原爆のことを知ってる人ばっかりだった。
平岡 知ってる?
哲野 ええ。最高会議ですから。で、原爆の投下と、対日侵攻の関係っていうのは一回も議論されてない。少なくとも我々が現在、読める記録を読む限りは。もちろん、裏の話は、僕たちにはわかりません。そんなとこまでは調べてないけども。でも、残ってる公式の記録を見通して行くだけでもおかしいなということはわかる・・・。少なくとも残っている公式の記録では9月になるまで一回もアメリカの政府は内部の、いわゆるクラシファイド(機密分類書類)と呼ばれる報告ですね、読む限りは原爆の投下で対日戦争の終結を早めるなんて話は一回もどこからも出ていない。で、46年になってトルーマンに報告された「戦略爆撃報告―広島と長崎の原爆の効果」を読んでも、原爆の効果はどうだったか、対日戦争に与えた士気は、要するに一般市民に対しては、広島市民、長崎市民に対しては大きな打撃を与えたけども、日本の国民の士気にはほとんど関係がなかった、だいたい、知らなかったんだから。というのが一つと、政府の意思決定に与えた影響は、せいぜい、原爆の効果というのは、日本の軍部のメンツを救ったに過ぎないというのが結論でした。

46年の12月号のアトランティック・マンスリー・マガジンに、カール・コンプトンが、「もしも原爆が使用されなかったら」という論文を発表するんですが、これが、私が読む限り、最初に「原爆の投下で対日戦争終結は早められた」という公式の議論はこれが最初です。僕が、読む限り。
平岡 あ、そうですか・・・。
哲野 もうちょっと補足しますと、カール・コンプトンはそのアトランティック・マンスリー・マガジンをトルーマンに送るんです。で、トルーマンはそれを読んで、どうもありがとう、ここまで言ってくれてありがとう、今私はスティムソンに、もっと大々的な反論を書くようにお願いをしている、もうすぐできるはずだ、ということを・・・。この手紙も残っているんですが、書いて、カール・コンプトンに送っています。それが例のスティムソンの47年の2月号に出た有名な論文、「原爆使用の決断」ですね。このスティムソンの論文の後から、原爆投下は戦争終結のためだったという議論が、いわゆる、アメリカの公式見解化していくんです。
平岡 あ、そうですか・・!
哲野 その時でもですね、せいぜい30万人か50万人。それが100万になっていくのは、トルーマンの回想録ですね。トルーマンの回想録では、はっきり100万人と書いてあるんだけども、トルーマンの回想録がどうやって作られたかという裏話を、ロバート・ファレルという歴史学者が書いてるんだけども、いわゆる会話記録が残っているんですが、歴史学者を3人雇って書かせるわけです、回想録を。口頭でテープを取りながら。で、どれくらい死んだことにしますか?っていうのが、残ってる。
平岡 (笑う)
哲野 50かな?いやあの時は50といったけれども、ま、100万にしといてもいいんじゃないかという、これはテープ記録で、テキストで残っています・・・。
平岡 (絶句)
哲野 今私が引用した文書は、ほとんどトルーマン博物館に残っている文書を丁寧に拾っていったものなんですけども、それを読むとほとんどですね、対日戦争終結のためっていうのは46年以降に起こってきた議論で・・・。

「原爆投下」の真実の重要性

平岡 それは正当化するためにはね、そこを言わざるを得ないんでしょうね。使ったことをね、正しいという・・・正当化してる・・・。
哲野 ま、人体実験だとして、だけど・・・。
平岡 広島で死んだ人が14万か。(45年12月末での統計)あれが14万人でしょ。それより多くないといかんのですよ、原爆投下で命が助かった人が。3万1000人ぽっちじゃ、迫力がない。僕はそうだろうと思うんだね。どんどん膨らませて行ってね。・・・あの辺を突き詰めて・・・考えてないな、広島もね・・・。
哲野 いや・・というのがですね、結局そのこと(広島が突き詰めて考えていないこと)が、今問題になるんだと思うんです。

広島の原爆投下に対する、特にアジアの諸国の人たちの心からの共感を得られない。ま、心からの共感を得られないのは、もう一つ日本が率直にアジアの侵略を清算してないという、これは一つの大きな要因としてあるんですが、もう一つは根本的には、あのために、原爆投下のために、我々は日本の天皇制軍国主義から解放されたんだという気持ちがどうしてもあるから。
平岡 そうすると、アメリカの言い分と通底するでしょ?  
哲野 もう、まったく同じです。
平岡 アメリカの原爆史観は。
哲野 観点もまったく同じだけども、結論心情的な共感という意味では、アジアもアメリカも同じところに立っている。
 平岡 同じですね、(原爆投下は)必要だった、という思いですね。
哲野 そうそう、そうです。
平岡 で、それを我々は必要なかったと立場に立っているわけですから。今更必要だったと言えない。(笑う)
哲野 ・・・いや、必要だったんです。必要だったと思うんですよ。
平岡 必要としたのはね。それは支配層であって、一般民衆はやっぱり必要ではなかったですね。僕はやっぱり民衆の立場に立つから。だから支配層の立場に立てば必要だった。あれが落ちたからこそ、軍部を押さえることができたし、軍部を抑えることができたんだと。一般庶民にとっては、全くそんなもの必要なかったという立場に立たざるをえないんですね。
哲野 だけど、歴史的事実はいったい何だった、ま、ここで、一つ不思議な、先ほどちょっと言われたんですが、スパイ事件が起こりましたね?ソ連のスパイ事件。で、このスパイ事件はどうもアメリカ政府がそのまま見逃した・・・。

「原爆投下」の真実について議論がおこらなければならない

平岡 流したっていうね・・・それはその・・あれ誰だったかな?彼は世界平和のためにアメリカが独占するのはよくないと。彼が共産主義者であったかどうかなんて私は知りませんけどね。それでそのソ連へ流したんだと言っている。そして原爆の秘密が広く世界に知れ渡ることによって、アメリカの独占体制を打ち破る。アメリカが持ったら碌なことはないという考えの持ち主だったんでしょう。もともとは、あれは国際管理しようという話が最初あってね、それを潰したんですからね。で、アメリカが独占して、戦後の国際社会において有利な立場に立とうと、彼らは考えてた。それは世界平和のためにあんまり良くないんだと言うんで、ソ連へ、あえて流したという見方ですね。
哲野 その理屈も実はおかしいなと私は思っている。というのは、45年9月11日にスティムソンはトルーマンに「原爆管理に関する行動提言」という論文を書いて提出するんですが、スティムソンがその中でどう言ってるかというと、原爆は、人間が使うにはあまりにも革命的、かつ危険すぎる。だからソ連に声をかけて、ソ連もこれを持たないということを約束させて、原爆を今ここで、ベビーのままで封印してしまおうという提言を出すんです。で、この提言ならわかるんだけれども、アメリカに拮抗させるために、ソ連に持たせるという理屈はですね、当時は誰も出てなかった。それは後付の理由で言ってるだけで、少なくとも当時・・・。
平岡 と、動機はやっぱり、金か。スパイ行為ってのは金が絡む、ソ連に忠誠を誓ってて、ソ連のために盗んだというか。
哲野 あるいは、逆にアメリカは、ソ連に持たせたかったということも言えるんじゃないでしょうか。拮抗させるためではなくて。
平岡 それはどういう理由?
哲野 これは・・・(笑う)ここから私の仮説で、みなさんに笑い飛ばされるような話ですが。
平岡 核競争を激化させることによって軍需産業や核産業の利益を図るといった風な?
哲野 ええ、まあ、そういったことですね。ただし、そのためには、第二次世界大戦に代わる「準戦時体制」を作らなければいけなかったという理由が一つあると思うんですけれども。ま、ここら辺は私の仮説にどんどん入っていくからやばいかもしれないけど。ただ、私も荒唐無稽に思いついたわけではなくて、当時の文章を丹念に読んでいくと、そういう結論にならざるを得ないな・・。後で出来上がる軍産複合体制の生成との状況と極めてよく一致する。ま、状況証拠しかないんですが・・・。
 平岡 だからやっぱり、核産業というかね、核が生まれたことによって軍産複合体性が強化されてくるというか、莫大なる富を生むわけですよ。これは。通常兵器と違ってね。
哲野 莫大なる架空の富ですけどね。
平岡 架空・・・。(笑う)
哲野 (笑う)
平岡 いやほんと、それを作ることによってものすごい予算が投じられてね、それを全部食い物にするわけでしょ?
哲野 そのことは間違いない。これはもう仮説ではありませんよ。有名なアイゼンハウアーの退任演説を読んでみると、彼は、第2次世界大戦が終わるまで、アメリカに軍需産業と呼べる企業はなかった。第二次世界大戦が終わってはっと気が付いてみると、我々の国は軍需産業・・軍需産業というのは1つの会社の売り上げの軍事による売り上げが・・まぁペンタゴンとの契約という意味ですけど、半分以上を占める企業を軍需産業と呼んでるんですが、だから第二次世界大戦がアメリカに軍需産業を作り、これが議会・マスコミ・・非常に広範な、彼の表現を使うとアメリカの地方の隅々にまでこうした体制が、今蔓延していて、こうした体制がアメリカの民主主義を実は壊すかもしれない危険性があることをみんなわかって欲しいという、それが退任演説の主旨だったと思うんですが、少なくとも第二次世界大戦を通じてアメリカに軍需産業なるものが出来上がったということは事実だし、この中心になってきたのがマンハッタン計画だったということもまた言える。

アイゼンハワーの退任演説は次を参照の事。
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Eisenhowers_Farewell_
Address_to_the_Nation_January_17_1961.htm
>)

結局、少なくともヨーロッパの歴史学者、特にロシアの歴史学者の主張する、少なくとも彼らは第二次世界大戦後の世界を有利に運ぶために原爆投下したんだと。この説はやっぱり、ちょっと耳を傾ける・・日本ではほとんど問題にされてませんよね。だけどヨーロッパの歴史学者はどうもそういうところを定説にしてるようですが。ま、どちらにしてもこの基本問題をヒロシマが真剣に考えて来なかったということは、これは間違いないこと。

平岡さんや私が正しいかどうか、これは別として、私は広島市民の間で、アメリカによる原爆投下の真実について、もっともっと議論が起こらなければならない、と考えているんですよ。これが「ヒロシマの思想」を鍛えていく、と思うんですが。

「願望先行」のヒロシマ

平岡 それは間違いないですね。やっぱり情緒的であったというのは事実ですよね。ヒロシマの色んな運動がね。ま、例えば史実を詰めていく、理論的に何か構成していくということに欠けてたっていうのはね。願望?、願望で終わっている・・・。
哲野 それは被爆者が、っていうことですか?
平岡 平和運動家ね。
哲野 ああ・・・。
平岡 やはり日本の平和運動自体が、やっぱり願望先行であって、そこは間違ってないんだけども、それを本当に現実化していく術・・・これを被爆者に求めても無理ですから。
哲野 だけど、そのために「広島平和研究所」をお創りになったんでしょ?
平岡 そう。だいたいそうなんですけどね、(核兵器廃絶ないしはヒロシマの願望を実現する)政策をね、きちっと。
哲野 そこをしっかり詰めて欲しいですね。
 平岡 浅井さんにもいわれたんだけど。浅井さんも最初来られた時に、「あなたは何のために平和研究所をつくったんか」って言われたからね・・・。

浅井基文。国際政治学者。現広島平和研究所所長。

浅井さんは「広島平和研究所」創立の、趣旨なり思いなりの説明を受けてないんですよ、(所長に)呼ばれてきてからですよ、その問題にぶち当たるようになったのは。何のために平和研究所を。・・・今は行政から、(平和研究所が)かなり軽視されているようだから。

本当言えば、行政が、広島市がやらなければいけない、平和を訴える以上ね。

だけどその理論的研究なり、理論武装なり、或いは政策立案化という、そういうことはやっぱり学者の先生が中心になって行かざるをえない。それは委員会を作ってもいいんですから。それを構築して欲しい、というのが僕の狙いだった。そのために広島市民の予算を使うわけですからね。

で、一方で、市民運動というのがある。それは広島平和文化センターというのがあって、そこが平和に向けた市民運動をすべて支援する・・・。で、行政は行政で平和市長会議、あのころは「世界平和連帯都市市長会議」ですが、あれがあるんで行政はそれでやっていけばいいわ、その3つがうまいこと、かみ合って活動すれば、少しは前進するんじゃないかという思いがあって。それで作った。
哲野 それが構想でいらっしゃった。
平岡 作ったんですが、ま、その通り行ってない気がするし、浅井さん自体も悩んだんでしょうね。議定書の問題が出たですね。
哲野 2020?
平岡 2020の問題。僕はそれで浅井さんに、あんた相談受けたんかと言ったら、全然受けてないって。
哲野 (苦笑い)

民主的でない広島の平和行政

平岡 そういうものを提言するんなら、やっぱり広島市の中できちっとね、理論化して、それで出していくべきでしょう?
哲野 当然でしょう。そのための広島平和研究所なんだから。だけどあれ、酷いシロモノですねぇ(笑う)

 ヒロシマ・ナガサキ議定書は次のサイトで読める。
(<http://www.mayorsforpeace.org/jp/H-N%20Protocol.pdf>)
また松山大学の田村研究室のサイトでは、日本語との対訳が読める。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hirosimanagasakigiteisyo.htm
平岡 読んでない。アホらしいから。
哲野 読むも読まないも。1Pですもん。(笑う)だいたい、核兵器とは何かの定義もしてない。発効要件もない。なぜ「核兵器時代」が存在しているかの問題提起もない。核兵器廃絶といいながら、その具体的な方法論、見積もり予算、予算分担、検証の方法もない。英語読んでも国際法の専門家とか核兵器の専門家なんかが入って作成したものとは思えない。なにか既存の文章をアンチョコに横において、シロウトがチョコチョコと作ったとしか思えない。批判しようにもとりつくシマがない。まるでないないづくしですよ、アレ。新聞なんかによると、秋葉さんは日本の外務省に「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を取り上げて、国連に発議してくれるように頼んだらしいですが、外務省もあれでは検討しようがない。
平岡 ふつう、国際政治に向かって語りかけていくときに、広島平和研究所にちょっと話くらいしますよ。そのためにあるんだから。「広島市はこう言うふうにいこうと思うんだけどどうかな」とか。「そういう話は全然してないし、受けてないんで。」と浅井さんが言ったんです、僕に。「そう、それは失礼しました」と、そういうしかない、僕としては。
哲野 その、もともと、平岡さんの構想、つまり「ヒロシマの思想」をもっと深めて政策提言ができるまでにしようという意図が、その後生かされなかったというか、どうなってったんですか?平岡さんの目から見ると。広島平和研究所は。浅井さんが来るまで。
平岡 浅井さんが来るまで、開店休業で眠っておったでしょ。なんであるんか、わからなかったですよ。
哲野 ふーん。
 平岡 だって福井さんって、年に1−2回、シンポジウムやったかもわからんけどね、僕は行ってないですがね、いっぺん行ったかなぁ。そりゃ学問研究もいいですよ。ただ私はね、そういった学問研究を目的とする平和研究所っていうのは、明治大学にもあるし、明治学院大学にもあるし、立命館にもあるし、あちこちあるんですよ。広島市立大学の平和研究所は後発なんですよね。同じようなことやったってしょうがない。大学の戦略的に見てもね。

もう、これはやっぱり、広島市民の願いをきちっと政策に体系化して、どんどん発信していくような、そういった組織にしたいなという、そのための研究所であって欲しいと最初から言ってたんですがね。そうしないと行政がお金をだしてそういうものを作るっていうのはね、何かそこへ市民の願いが国際社会なり日本の政治にね、影響を与えるような機関でないと困るわけですよね。
哲野 意味がないですよね。
平岡 ただ単にね。
哲野 我々も税金払っているんだから。
平岡 払ってるんだからね。せっかく広島市民がそういう「平和の課題」を持ってるんだから、平和が実現できるような道筋を作ってくれよと、その政策立案を被爆者に求めるのは無理なんだと、あるいは平和団体には無理なんだ・・色んな色が付きますからね。社会党、共産党・・・。そうじゃなくて、本当に広島市や行政と一緒になってきちっと出来るようなものをやって欲しいというのが私の思いだったですね。それは引き継いだはずなんだけど、ま、だいたい人がやったものは気に入らん人が当たり前・・・(笑う)。人間ってのはそういうもので前の人がやったものは否定していく、それはそれでいい、前進すればいいんですよ。
哲野 一言で云って、広島市の平和行政は民主主義的ではない、と思う。よく言って「トップダウン方式」、悪く言えば「エリート主義」、「専制主義」。私は秋葉さんの問題意識、日本政府やアメリカに対するスタンスの問題、個人的野心の問題だと思いますが、この点どんな感想をお持ちですか?

やっぱり行き着く秋葉批判

平岡 その質問には答えにくいね。ただ事実関係として言えることはある。彼はもともと社民党の政策審議会長だった、あの時。(1998年、秋葉が広島市長選挙出馬を決めた時のこと。)

周辺事態法が1999年(平成11年)に成立する。(秋葉が)98年12月に僕のところに来てから、「(広島市長選挙に)出る」っていうからね、(政策審議会長を)放り投げて。あの時周辺事態法で、社民党がね、一番大事な時ですよ。周辺事態法はね、日本の将来を決める・・・。

  周辺事態法。いわゆる「有事立法」の一つ。紆余曲折の末、1999年5月第一次森喜郎内閣(自民党・公明党連立)の時に成立する。「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」
(原文は次のサイトで読める。
http://www.geocities.co.jp/wallstreet/7009/mg0203-2.htm>。
第1条(目的)では『この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(以下「周辺事態」という。)に対応して我が国が実施する措置、その実施の手続その他の必要な事項を定め、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という。)の効果的な運用に寄与し、我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする。』とし、他の国と戦争状態(法律でいう周辺事態)になりそうであれば、日米安保条約に基づいて自衛隊が出動できることを可能とした法律。他の有事立法を合わせて読めば、自衛隊がアメリカ軍の指揮下に入って、戦闘行為を法的に可能とすることがわかる。この法律がなぜ日本国憲法違反にならないのか、素人である私にはわからない。
哲野 危険な。非常に危険な、極めて・・・。
平岡 うん、法律だからね、頑張ってもらわんと困るなと思ってたんだけど、ほっぽりなげて市長になるって言うてね。その時、私は、彼は泥船から逃げ出したなと思った。もう社民党、こうだからね。(手で下降線を示す。)次は、(衆議院選挙に)絶対通らない。だから逃げた。そりゃ個人の野望とか、それはある程度僕は認めるから。かまわんと思うけども、「喰い物」にしちゃったね、ヒロシマを。それが僕は嫌だ。
哲野 うん・・なるほどね。
平岡 そりゃ政治家ですから、野心があったって構わないけど・・・。
哲野 僕は、(秋葉を)直接は知らんから、彼の書いたものしか読んでないだけども、書いたものを読む限りは、徹底的なエリート志向。
平岡 エリートですね。
哲野 エリート志向ということは、要するに、その実、民衆を信用してない。
 平岡 僕が一番腹立てたのは、「和解」なんですよ。「寛容と和解」って言ったですね。(今アメリカの原爆投下と)どんな和解の条件があるんか。それはそれで本人の意見だから。そしたら、とうとう「オバマジョリティ」が来たでしょ。それで、切れた!ブチ切れた。これ、「広島市の平和宣言」って残るわけですからね。ずーっと。歴史的な文章として。オバマジョリティなんてね・・・。いかにも広島市民が全部、オバマジョティのあれ(オバマジョリ的音頭?)で踊っとるような感じ受けるじゃないですか。市長が言えば、世界の人はそう受け止めるかも知れないじゃないですか。  
哲野 まず、2010年NPTの再検討会議で今回(2010年5月7日NGOグループ一般討議での秋葉広島市長演説)、「オバマジョリティ」という言葉は使いませんでしたよ。でも、「オバマ大統領は核兵器廃絶のために疲れも知らず働いてます。」、ということを言ってるし、最後の締めの言葉は「Yes, we can」でしょ。そりゃもう、誰が聞いてもオバマ大統領を100%支持しとる。
平岡 つまり広島の立場に立って、広島の民衆の立場に立って発言してないなと思った。

「広島から恨みつらみが出ないように」

哲野 もしアメリカが、歴代アメリカ政権が、広島をそれほど重要視してる、とするならば、もしアメリカが広島の世論の対策をそれほど重要視している理由はなんでしょうか?もしそうだとすれば。仮定の上に、仮定を重ねた質問なんで非常にしにくいんですけど。
平岡 アメリカが、それをやるとしたら、広島から恨みつらみの声が出ないように。つまりアメリカの責任を追及する行為を消していこうと・・いう狙いが、アメリカには、私はあると思うんですね。それはさっき言った「和解」ということを盛んに言う。誰の許しを得て和解を言うのか。私が死者の声を聴けっていうのはそういう意味なんですよ。死者は本当に許してるの?

やっぱり、こういうのは(たとえばアメリカの原爆投下)間違っていると、明らかにすることが、広島市長の役割じゃないか、という・・・。

そういうのを抜きにしてオバマに広島に来いだとか、招こうとかね。オバマジョリティのTシャツを作るとか、こんなことをやってると、ああ・・これは誤魔化し・・アメリカの責任を誤魔化してしまうという、そういう事になるんじゃないかなって気がする。

で、そういう責任追及をする態度を、これまでヒロシマはあんまり出してないんですよ。民衆法廷とか、ああいう一部の人は別ですよ。「ヒロシマ」としてね、例えば平和宣言で、アメリカをけしからんと言ったことはないですね。言外には滲み出ているにしても。それは直接表現でやってない。それはずーっと戦後一貫してやってないんです。それはさっき言った、広島人の自主規制、長いものに巻かれる主義、強いものに逆らわないとか、そういうことがあったかもわからんが、大きな意味では、日米安保体制の中で、こういう空気の中で、我々が育ってしまった・・・。

戦前を知ってる人間がだんだん少なくなってきて、戦後その空気の中で育ってきた人は日米安保体制は、当たり前だと思ってる。

だからそこでは、「岩国」も目に入らない、「沖縄」も目に入らない、「東京」も目に入らない、という状況が起こってくるんですね。

ですから逆に、そこへ目を開こうよ、開いたら物事の本質が見えてくる、すべては安保体制に行き着くじゃないかというのが、やっぱり戦後65年経ってようやくそこへ来たかなと思います。

つまり平和憲法の問題も含めてですね、今まではあまり顕在化してなかった、先鋭化しなかった。ですが、戦後65年も経って、なおかつ「普天間」の問題なんか起こってくると「これは大変な問題じゃないか」ということを、多くの人が気付きはじめてきた。

そうすると、ヒロシマが言ってきたことの「曖昧さ」というか、歯切れの悪さみたいなものが、これは私の自己批判も含めて云っているんですが、やっぱり明らかになってきたですね。だから、口では「ヒロシマと沖縄の連帯」とか言っているけれど、結局実際には何の進展もしていない・・・。

「沖縄との連帯」とは何をすることか?

哲野 「沖縄との連帯」とは具体的に政治行動としては何をすることなのか?
平岡 そう。米軍基地の問題なんです、結局はね。沖縄は、その時基地だったんです。それに、我々ヒロシマも長アも連帯してやろうというのは「基地反対」。それはやってないわけです、我々「ヒロシマ」はね。

それは「沖縄」どころじゃない、日米再編の後、今度は岩国の問題が、にわかにクローズアップされたんだけども、この岩国の問題も視野に入っていない。

本来なら、広島市が何らかの形で、岩国の基地反対運動を応援すべきだと思うんです。あるいは宣言に書くかね、平和宣言に書き込むかね・・・。

やっぱり基地をなくしていこうという方向性を広島市はうちだすべきでしょう。全然、知らん顔してた。
哲野 未だに、知らん顔してる。  
平岡 してるでしょうね。こないだやっと文章を廿日市の市長と連名で出してました。
哲野 2010年5月25日。
平岡 つい、こないだでしょ?

  『広島市長・廿日市市長連名の日本政府に対する要請書』
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/
shiryo/hiroshima_nagasaki/
2010_5_25.htm
>)を参照の事。
 
哲野 それは「見直せ!米軍再編!5月23日岩国大集会」があって大成功をおさめたので、慌てて出した、と僕は見てる。
平岡 本当言えば、その前にね、去年の選挙の時から、ずっと廿日市市長は、「再編反対!」の中心になってやってたんです。ところが、広島市は全然行ってないんです。助役がちょっと顔覗かせたかもわかりませんね、何年か前に。広島市長は、絶対顔出してないんですよ。逃げてる。
哲野 そりゃ、あそこに顔出せば、アメリカの受けは悪くなるから。(笑う)
 平岡 日本政府とチャンチャンバラバラやらなきゃいかんですからね。黙っているということは容認してるということでしょう。少なくとも反対の意思表示はしなくちゃいけない、広島市は。

岩国米軍基地機能強化問題

哲野 5月25日の要望書。連名の要望書をよく読んでみると、どこにも基地反対とは書いてない。
平岡 なんか騒音の事ばっかり書いてたんじゃない。ね?(笑う)
哲野 そう。要するにですね、表現を今正確に引用できないんですけども、意味合いとしてはですね、「岩国基地再編機能強化は国の既定方針だとしても」と書いてある。だとしてもそのために、岩国・広島市内の犯罪が増えるとか、騒音が増えるとか、いわゆる生活の安全安心が失われることまで容認したわけではない、と。
平岡 (笑う)
哲野 なんかね、じゃ基地機能拡張は賛成なのね?!それに伴う色んな被害が増えることは反対、だけどこれ、どうやって分けるの?!この2つを。
平岡 騒音の事しか言っとらん。基地の事について全然触れてなかったと思う、あの文書。
哲野 基地拡張の事には1カ所触れてあって、それは『岩国基地に関して言えば、普天間飛行場からの空中給油機の移転や厚木基地からの空母艦載機の移転の方針は、国において既定路線であるとしても』の1行だけです。だから容認してるんですよ。
平岡 ウーン・・・。
哲野 国の既定方針としては、と言えば、「沖縄」も「岩国」もみんなそうじゃないですか?!それがわかってて、反対するかしないかでしょ?そこは何も言ってない。全く言ってない。つまり、容認してるってことです。黙ってるってことは認めてるってことだから。
 平岡 だからそういう、非常に政治的なというか、先鋭な状況が出てくるんですよ。これはどうしたって。「ヒロシマ」の思いを貫こうとすれば。そこを逃げられないですね、僕はやっぱりきちっとやるべきだと思うんですね。
哲野 逃げられない?
平岡 逃げられない。市長が。

「ヒロシマの訴え」とは何か?

哲野 書いてありましたね。『希望のヒロシマ』の中に。「広島の訴えをすることは、広島市長の義務である」と書いてありましたね。ということは、「ヒロシマの訴え」というのはどこまで、何を含んでいるのかということになってきますよね。
平岡 核兵器廃絶・・・まぁ、聞かれれば「核兵器廃絶」よ。私はそれに「世界平和」を含めるけれどね。ま、「核兵器廃絶」でしょ。ところがね、「核兵器廃絶」と、今の日米安保条約下におけるのアメリカ軍基地の問題というのは、まさしく表裏一体。核兵器廃絶というのは、特に日本においては、米軍再編によって「核」がここ(広島・岩国地区)に来る可能性がますます大きくなったわけでしょう。来るわけでしょう?(核兵器)搭載機が。
哲野 核兵器とは何かの問題になるけれども・・・。
平岡 そりゃ、なりますね。
哲野 いわゆるフィリピンの非核兵器法で核兵器の定義を、第4条第1項でしてますけれども。
平岡 あ、そうですか。
哲野 フィリピン非核兵器法では、核兵器及びその核兵器の運搬手段、技術、施設、通信設備、全てはこれを核兵器体系とすると言ってある。そしたらスーパーホーネットは核兵器そのものですよね。(笑う)いわゆる、核兵器を積んでようが、積んでまいが、あれは核兵器だという風に認識しなきゃいけないんだけども、そうなってないですよね。(笑う)
平岡 そこまではちょっと、体系を全部否定するわけじゃないが・・・本当はそうなる、ね。論理的にはそうなるね。
哲野 フィリピン非核兵器法では、そうもうきちっと定義してある。それを犯した者、その行為を指示したものは禁固30年の刑です。昔風にいうなら、市中引き回しの上、磔・獄門・・・。(笑う)
 平岡 (笑う)
哲野 だから岩国の問題については、話があっちゃこっちゃ飛んで申し訳ないんですが、どういう態度を取るのが「核兵器廃絶」をスローガンに終わらせない広島市民の態度なのか・・・。
平岡 やっぱり反対、反対でしょうね。それは言わざるを得ないでしょう。あれ(米軍再編・いわゆる艦載機移駐を)認めたら核兵器廃絶を言ったって、「何を言ってるんだ」ってことになる。だからやっぱりね、そりゃ力関係において負けるかもわからんけれども、けど、意思表示だけはしなきゃいけない。これは。

私はそう思ったですよ。国と色んな事やってもね、これは国の方が強い、負けるかもわからん。しかしヒロシマはこう思ってるよ、ということはね、やっぱりどこかきちっと出さないといけない。平和宣言というのは世界に行くわけですから。広島市は容認してるわけじゃないんだと。これは反対なんですよ、ということを、やっぱり言わにゃいけんでしょう。それは認めるなら別ですよ。それは大賛成ってやりゃあいいんですが。そうすると核兵器廃絶と言ってることと物凄く矛盾するわけですよ。核兵器廃絶を貫こうとするならば、やっぱり基地反対ということを言わなきゃいけない。

核兵器に頼らない日本の安全保障・・・私はもう、そういう言い方をしてるんですがね、基地反対ということをなかなか言いにくい時には。

やっぱり核兵器に頼らない日本の安全保障、仕組みを考えるべきだ、日本政府は。米軍基地は要らんってことなんですね、要するに。だから核兵器に頼っていれば、どうしても米軍基地が要るんですよ。

その辺、やっぱり、私は平和宣言ていうのが、決意、広島市民の色んな情勢に対する意思表示だと思ってますから。それは毎年残っていくわけですからね。それをずーっと通して読むと、その時の時代の流れが、或いは限界ね。考えていることの幼稚さとかでもわかるわけですが・・・。私が年を取ってから、ですが、それは、きちっと残していくべきだ、と考えている。


(以下次回)