哲野 |
逆に言うと、そういう運動をしながら議論をしていく中で、具体的な説得力のある「ヒロシマの思想」が形作られていくかもしれませんね。 |
平岡 |
そうですね・・・。やっぱり、あれが間違っていた、という事を納得させなきゃ。あれが正しかったと言ってるんだからね。それが間違ってたんだということを納得させる。それが大変なのよね。今でもあれが正しかったというのが、アメリカでもおそらく60%以上・・・去年の世論調査では6割ですね。だから、大変な事だけど、間違っていたということはやっぱり言い続けなきゃいけんだろうし。
やっぱり、アメリカがまず、その過ちを認めなきゃいけない。そういう事が許されない時代の流れっていうのがあるわけですね。そういう中で核兵器は、使ってはならない兵器だという時代の潮流、思想、これは21世紀に確立させなきゃいけないね。
20世紀にその萌芽があったんだけど、やっぱり21世紀に国際社会で確立させる、そのためにヒロシマが何を為しうるか、というのが、恐らく問題意識の中心なんだろうと思う。「あれが良かった、正しかったんだ」と我々認めてしまったら、もう核兵器を否定する根拠はない。 |
平岡 |
だから今度、アメリカが、「これは悪い国だ」、例えば北朝鮮なりイランなり認定するわけですからね。そしたら使うよって。日本も悪い国だから使った、全く同じ論理です。
悪い国・・・、いい悪いを決めるのは、アメリカの価値基準ですから。だけどそれは、今、あからさまにやることは難しいから、色々、国際社会でですね、うまい事抱き込んで、国連みたいなの使ってね、何とかレッテル貼るんだけど。
しかし、所詮はアメリカがやったことですよ。あれは間違ったということをやっぱり、言わさないとね、核兵器廃絶運動のスタート・・・もう一遍スタート地点に立たないといけない。
それが出来たら、初めて「過ちは繰り返しません」が生きてくるんですね。繰り返さないためにはアメリカの過ちを認めさせることだ。
それを抜きにして、オバマさん来てください、招く運動だとか、というようなことを言ってると、何を考えてんだ、という事になる。ヒロシマにくれば、資料館を見て、被爆者の話を聞いたら、核兵器廃絶という気持ちになるだろう・・・というが、歴代総理が広島に来てるんだけど、その気になってないのはどういうことだって話よ。 |
哲野 |
広島の悲惨を知れば、核兵器廃絶論者になるっていうのは、もう今やはっきり根拠のない思い込みだということは、もう明らかですね。 |
平岡 |
思い込みですよ。そんな悲惨ってのは世界中にいっぱいある。 |
哲野 |
もう一つ言うと、アメリカ人の心理の中に、自己正当化の論理も働いているということ・・・。 |
平岡 |
入ってる。働いているでしょうね。間違いなくそれは。 |
哲野 |
1963年だけども、レオ・シラードがUSニュース&ワールドリポートにインタビューを受けている。そこで、トルーマン政権の原爆投下について論じてる。
インタビューの中で、記者が、「アメリカは良心の痛みを感じていると思いますか?」という質問をした時に、レオ・シラードは、「ジョン・ハーシーのヒロシマっていう本が出たでしょ。あれ、イギリスではさっぱりだったけど、アメリカではベスト・セラーになった。なんでそうだと思いますか?」聞き返しておいて、レオ・シラードは、「それは広島に原爆を落としたのがアメリカであって、イギリスではなかったからだ」と答えている。
つまりアメリカ人は1963年の時点ですけれども、広島への原爆投下が心のどこかに棘・・棘に相当する言葉が僕、忘れちゃったんだけども、「棘となって突き刺さっているからだ。でも私はまだそれを良心の痛みとは呼びませんね」という答えをしてますけども。その、レオ・シラードの棘っていうのは、未だにアメリカ人の中には・・・。
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平岡 |
ありますね。僕はあると思いますね。こだわるでしょ?やっぱり。 |
哲野 |
それが自己正当化に繋がっているという側面はあるでしょうね。 |
平岡 |
あるでしょうね。 |
哲野 |
ということは、やっぱり事実関係をアメリカ人の目の前でも明らかにしていくということは、非常に重要な事になってくる。 |
平岡 |
大事ですよ。それはね。あれが間違ったことでなければ、間違ったことなんてないです。この世に。(笑う) |
哲野 |
それインタビューの最後の言葉で使おう。「あれが間違ってなければ、間違っていることなんて、世の中にはない」 |
平岡 |
いや、だってねぇ・・あれが間違ってなければ、今度、核兵器をなんぼでも使える。 |
哲野 |
そうそう! |
平岡 |
理屈だけつけとけばね。 |
哲野 |
いや、現実に今我々はそういう世界に生きているわけですからね。 |
平岡 |
これを否定しなきゃいけないでしょ?こういう考え方を。或いは論理を打ち破らなきゃいけない。やっぱりあれは間違っていたと。で、間違った理由は沢山、これまで挙げてきたけれども色々ある。「人間の尊厳」っていうことから始まってね。これはもう国際的な常識になりつつある、もうなってると思うんですよ、これは。
それに、抵抗しているのがやっぱりアメリカを中心とした核保有国。それがいるからこそ、北朝鮮もインドもパキスタンも皆使おうとする。根源はやっぱりあそこにいくじゃないですか。基本的に「使った」。歴史的に考えても、使ったのはアメリカしかないんだから、使ったことは間違いでしたとアメリカが言えばね、これはもう他の国も使えないわな。各国も間違いだって。そういう論理構成だっていう気がしますけどね。 |
哲野 |
だから、それがいかに歴史的に見て、或いは事実関係の上からも、政治思想の上からも、それから地球環境史とか、地球文明史の立場から見ても、いかにそれが誤りであったかということを、色んなアプローチを使って明らか、事実関係を証明していかんにゃいかんですね。 |
平岡 |
そうですね。 |
哲野 |
だけど、そのために、広島平和研究所を作ったんじゃないんですか?今言えば。 |
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平岡 |
それは・・・。 |
哲野 |
話を蒸し返すようですが。それは、今、責めてるわけじゃないんですが。 |
平岡 |
まぁそのためというかね、政策を作って欲しかった。ヒロシマの思いをどうやって国際社会に提示できるかね、キチッと納得できるような・・・。 |
哲野 |
いわゆる理論化。科学的な議論ですね。 |
平岡 |
うん。その前段のね、そうした政策を支える思想をね、我々が考えなきゃいけないんだ、「ヒロシマの思想」をね、我々がね。 |