哲野 |
一人だけだったって。貰ってないのは。 |
平岡 |
いやぁ、絶対、アレも貰ってる。 |
哲野 |
貰ってる?(笑う) |
平岡 |
あの時は貰ってない。(笑う)あれは歴代やってんだから。戦後。ずっと。 |
哲野 |
ただ、お金を貰ってる貰ってないというよりも、仕組みとして体制迎合型のジャーナリストが朝日新聞でも毎日新聞でも読売新聞でも出世をするし、そして社会的な評価を高くする。このパターンは、アメリカと同じですね。 |
平岡 |
うん。 |
哲野 |
アメリカはもう・・特に1945年の原爆投下前後のジャーナリズムのあり方を調べていくと、もうすでに今のパターンの原型ができている。全く同じパターンがアメリカ、日本を覆っとるなという感じをもちますね。もう僕は、そういう風に欠陥というよりも、大政翼賛型自主規制、自己検閲に入って居るなという風に思うんです。 |
平岡 |
まぁ、商業ジャーナリズムですからね。或る程度やむを得ないところがあるわけよね。その中で個人がジャーナリストとして、葛藤があるわけでしょ。どこまでそれが行けるかっていう話じゃね。 |
哲野 |
だけど、葛藤のあるジャーナリストっていうのはあんまり今・・・。 |
平岡 |
今は少ない。あんまり今はいない。(笑う)昔はいたよ。やっぱりね。
以前に「孫振斗さん」の支援闘争の話をしたと思う。
この時、僕はしたたかだったけどね、結局中国新聞の紙面に、僕はね、共同通信の記事以外にこの問題を書いてないんです。管理職で書く立場じゃなかったことも事実です。それよりも、問題に深くタッチし過ぎてますからね。
1P特集でもね、この問題を書いておけばよかったなって気がするんです。中国新聞以外に、よそには書いてますよ。雑誌には。いっぱい書いた。しかし新聞に書いてない。そうするとね、この間ある男が「平岡さん、あの時何にも書いて無いじゃないか」というわけですよ。
うーん、そういやそうだな・・・。自分が書かなくても、なぜ、部下に書けと命令しなかったのかと言ってくるわけよ。 |
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いやそれが、新左翼との問題があるから、コレを捌くのは大変なんだ。若い記者には出来ないよ。竹中労にコテンパンにやられるのはわかってるんです。(笑う) |
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だから新左翼に取り込まれたら大変だからという思いがあった。そういう連中と中国新聞が一緒になって、その孫さんの支援闘争そのものが新左翼の運動という具合に世間は見るわけだから。それは自己防衛本能かもわからん。今考えたら、上手く捌くことができたかもしれない。書いておけばよかったなという気がするんです、私自身はね。 |
哲野 |
しかし、僕らなんかその話を聞いても、新聞記者としての平岡なのか、孫さんを支援する当事者としての平岡なのか。 |
平岡 |
それを使い分けるんですよ。私が。 |
哲野 |
だから、それはあっていいんじゃないかなと思うんですがね。私たち市民はもっとしたたかであったいいんじゃないでしょうか。 |
平岡 |
だけど、人から責められるとね。運動やっているのに新聞に一つも書いてない・・・。実際は書いてるんですよ。私自身が、手書きのパンフレットなど出してますから。しかしそれは平岡が書いたとは、わからんですよ・・・。でもやっぱり「孫さんのこと」は中国新聞に書いておくべきだったかな・・・と今は、そんな気がする・・・。 |