哲野 |
だから、広島市民の中には、やっぱり残すべきだという意見・意志があったわけですね。 |
平岡 |
あったですね。ええ。 |
哲野 |
その意見・意志なしに、例えば「世界遺産になったら観光資源になるよ」というだけのことではない? |
平岡 |
ない。それはないですよ。それは、残ってきたんだから。今まで。何度も取り壊そうと言う話がありながら、ずっと残ってきたっていうのはやっぱり広島市民の意志があった。 |
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哲野 |
そうすると、広島市民は、なぜ残そうとしたのかっていう話になりますよね。 |
平岡 |
うーん。まぁ・・・わからんですよね・・。あれを見るたびに気分が悪いという人がいたりね。やっぱりあれを教訓・教材にしたいという思いも確かにあった・・・。だからああいうものを通じて自分たちの思いを伝えようとしたんですかね。
あれがなくなったら、いくら口で言ったって、全く平和な街の中で、原爆の痕跡のない街の中で、それを訴えても迫力がない。 |
哲野 |
長崎がそうですもんね。 |
平岡 |
何か、やっぱりこういうモノが残ってると「いけん」のじゃないかという話もある。色々難しい問題ですね。他に被爆建物たくさんあるわけでしょ。それを残せ、残せという運動もありますけどね。例えばあそこのレストハウス。
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広島平和公園レストハウス。以下は日本語Wikipediaからのほぼ丸写し。
『広島市の平和記念公園内にある観光案内所兼休憩所。被爆時は「燃料会館」。元安橋を挟んだ対岸の爆心地から西南に約170mの至近距離に位置していた。被爆によって屋根が下がり、梁や床が破損して内部は全焼したが、頑丈な作りであったためか全壊は免れた。被爆から50年目の節目を控え、市は改めて市内の被爆建物を調べ直した。結果、1994年に「老朽化が進行し現状保存ではレストハウスとして使用できない」とする調査結果が出たことから、1995年に丹下健三監修のもと地上部分を取り壊しレストハウスを新築、地下室のみを保存するという構想を打ち出した。これに市民団体が反発し、現状保存に向け署名を集め要望書を提出したが、平岡敬市長は方針を変えなかった。さらにユネスコや文化庁も改修反対に回った。これら抗議活動を重く見た平岡市長は計画を1999年まで延期すると発表した。平岡が市長を退任、その後市は財政難を理由に再延期を発表した。以降数年市民が抗議活動を行った結果、現在事業自体凍結された状況である。』 |
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平岡 |
あれが残ったということは、原爆の威力は大したことがないという具合に見られるんじゃないか・・・。あの上で爆発したのに、残っている建物があるじゃないかと見られて、原爆の威力を過小評価する人が出てくるんじゃないかと言う人がいたりして。広島でもレストハウスの扱い、私の時にもあって、あそこへ全く・・地下には大事なモノがありますからね、地下は残そう、上へ新しい建物を建てようかと言ったら、さっきの文部省(文化庁)にやられましてね。 |
哲野 |
どういうふうにやられたんです? |
平岡 |
ウン?あれだけ「原爆ドーム世界遺産」の時に広島は残せと言ったのに、「レストハウス」をなんでいじるんかって。(笑う) |
哲野 |
覚えとんだなぁ、しっかり。(笑う) |
平岡 |
覚えとる。(笑う)仇を取られましたよ。(笑う) |
哲野 |
当時被爆建物って言えば本川小学校だってあったし・・・。 |
平岡 |
ええ。袋町小学校、それから日赤病院ね。
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以下は「米国戦略爆撃調査団報告―ヒロシマとナガサキへの原爆の効果―」からの引用。
『鉄筋コンクリート建ての建物にしても設計上の非均質性、質の悪い材料を使ったことを示している。ある種の建物の細部(たとえばモルタル作りなど)は、しばしはお粗末で、コンクリート部分は間違いなく脆弱である。このような理由で爆心(ground zero)から2000フィート(約600m)以内の鉄筋コンクリート建ての建物でも崩壊するか、大きく損壊したのである。3800フィート(約1140m)以内の建物でも中には、内部壁が完全に破壊されたものも出ていたのである。』『しかしながらある種の建造物は、アメリカの地震用標準建築基準に照らしてみても、遙かに頑丈に出来ていた。さらに日本では1923年の地震(*関東大震災のこと)以来、耐震建築基準が強化され、屋上は1平方フィートあたり70ポンド(約33.6Kg)以上の耐荷重が必要とされていた。アメリカの基準では同様な建物の屋上耐荷重は40ポンド(19.2Kg)以上ではなかったのである。この基準が常に遵守されたわけではないが、広島の爆心点にあった建物のうちいくつかは、飛び抜けて頑丈に作られていた。建築上の欠陥もなく原爆の衝撃に対しても耐えうる能力を疑いようもなく持っていたと言うことである。』(「数奇な運命をたどる原爆ドーム」の項などを参照の事
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/
U.%20S._Strategic_Bombing_Survey/01.htm>)
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平岡 |
やっぱり、私はあの、活用していくっていうね、被爆した建物を。今の「アンデルセン」(広島市内中心部のベーカリー・ハウス)がそうですね。あれは元の帝国銀行。それをこう、改装してね。福屋(市内デパートの老舗)もそうですね。 |
哲野 |
あ、福屋もそうですか。 |
平岡 |
福屋も残ったのをそのまま改装して。使ってますね。 残ったのは中国新聞、福屋、それからこっちへ来て芸備銀行だとか、この大手町の通りね。 |