(2009.6.19)


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<参考資料> NPT加盟呼びかけに対してイスラエルが激しく反発

そのB 分析/核独占の喪失―イスラエルの悪夢
ANAKYSIS/ Loss of nuclear monopoly - an Israeli nightmare

<http://www.haaretz.com/hasen/spages/1083541.html>


ヨシ・メルマン ハーレツ紙特派員

5月のゴットモーラー発言から約1ヶ月後の、6月5日に掲載された、同じくハーレツ紙の記事である。その間には、オバマーネタニエフ会談が挟まっている。時間が経って冷静に考えてみた、という外観の分析記事。イスラエルの表面の強硬さの裏側には、周りをぐるりと敵に取り囲まれている脅迫観念がにじみ出ており、冷静なだけに不気味な感じのする記事である。


 アメリカの国務長官補佐官が核不拡散条約にイスラエルの署名を要求したのは、果たしてワシントンのイスラエル核計画に対する政策が変化したのかどうか、かりにそれがホワイトハウスによる働きかけだったにせよ、依然不透明である。

 しかし、はっきりしていることは、火のないところに煙はたたないということである。アメリカは、何年もの間、外交の傘をつくったり、全世界がイスラエルは核兵器を保有していると信じているにもかかわらず、そんな議論が出ると、そんな国際的議論を横へ押しやったりして、イスラエルを保護してきた。

 アメリカのイスラエル保護は、1969年という早い時期にスタートしている。時のリチャード・ニクソン大統領が、国家安全保障担当顧問、ヘンリー・キッシンジャーを引き連れて、ホワイトハウス入りした時である。

 ニクソンは(*イスラエルの)ディモナにある原子炉に対するアメリカの査察官の立ち入りを停止した。査察官立ち入りは、ジョン・F・ケネディのイスラエルに対する圧力の結果開始されたものであり、(*次の)リンドン・ジョンソン政権の期間中続いた。

 しかし、イスラエルは実際これらの査察官をごまかしたので、査察訪問は効率的どころではなかった。イスラエルの元外務相、アバ・エバン(Abba Eban)は、かつてイスラエルはディモナの建物を、査察を欺くために、二重構造にしたのではないかと審問を受けたことがある。しかし、査察官は本当に欺かれたのか、あるいは欺かれたがったのかは、疑わしい。

 アメリカの外交は、イスラエルから受ける間接的なサポートで助けられた。この助けは、イスラエルの“曖昧な”核政策という形で実現した。この政策は、1960年代初めの頃の、副国防相時代のシモン・ペレスから発せられる素晴らしき言語学的な才能に依存していた。

Shimon Peres=シモン・ペレス <http://ja.wikipedia.org/wiki/シモン・ペレス> 
または<http://en.wikipedia.org/wiki/Shimon_Peres>


 イスラエルは、核兵器を保有しているかどうかについて決して肯定したこともなければ、否定したこともない。イスラエルは「中東で核兵器を導入する最初の国」にはならない、と一貫して主張してきた。

(* この導入に相当する英語は、introduceだ。持ち込むという意味ではイスラエルはすでに核兵器保有国だから、すでに持ち込んでいる。だから、ここは最初に使用する国にはならない、という意味に解釈すべきだろう。)

 たとえ世界がイスラエルの言葉を常に信用しなかったとしても、また本当は核兵器を持っていると確信していたとしても、「曖昧な」核政策は、イスラエルは核能力を持った国として描かれる時、反撃の材料には使えた。
 
(* これは本当である。イスラエルから証拠を出せと云われると怖いので、イスラエルを核兵器保有国として明確化することを避ける風潮があった。特に日本のような国には有効である。反ユダヤ主義とか云われるといっぺんに縮み上がる。反イスラエルと反ユダヤとは明らかに異なる。特にイスラエルの狂信的ともいえる国粋主義は、ユダヤが伝統的に保持してきた、グローバリズム、ヒューマニズムとは縁もゆかりもないものと見える。イスラエル=ユダヤではない。イスラエルはユダヤの中のほんの一部の現象にすぎない。しかしイスラエルから凄まれるとそれはそれで効果があった。

 信じられないような本当の話を一つ。広島の平和記念資料館<原爆資料館>の展示の最後の方に「世界の核兵器保有国」を展示するコーナーがある。ここにイスラエルが「核兵器保有国」として正式に表示されたのは、今年09年4月からである。それまでは、「核兵器を保有していると見なされている」とおずおずと展示していた。イスラエルの核兵器保有を巡る情勢はなんら変わっていない。資料館が出典の根拠としている「ストックホルム国際平和研究所」のデータが今年に入ってイスラエルを核兵器保有国として明示したわけでもない。敢えて云えば、アメリカが非公式にではあるが、イスラエルを核兵器保有国扱いにし始めた程度だろう。広島の平和記念資料館は、広島市長の顔色を窺い、外務省・日本政府の顔色を窺い、間接的にアメリカの顔色を窺い、もう頃合いはよしとして、亀が甲羅から首を出すようにして、イスラエルを「核兵器保有国」として展示したものだろう。繰り返すが09年4月である。)


 1969年から今まで、アラブ諸国だけが、イスラエルの推定される核兵器敞に抗議し、立ち向かって来た。これらの国々はすべての国連の会議で、特にIAEAの主催する会議において、この問題を議題にするように主張してきた。

(* これも本当である。イスラエルが核兵器保有国であることは、公然の秘密だった。にも関わらず、欧米を中心とするいわゆる“国際社会”はこれを見て見ぬふりをしてきた。フランスもイギリスもアメリカもこの問題に触れて欲しくなかった。ふれれば触れるほど、彼らがイスラエルの核保有にいかに協力してきたかが明らかになるからである。)


 イスラエルはNPTに署名していない唯一つの国ではない。パキスタンもインドも共に非署名国である。イスラエルはこれまで相当な圧力があったにもかかわらず、条約に参加することを拒んできた。この圧力は60年代から70年代にかけて最初の草案ができあがりつつあった頃のアメリカからもあった。

 イスラエルが署名を拒んできた理由はイスラエルの“曖昧”政策に由来している。条約に参加することは、IAEAの査察官がディモナの原子炉を訪れる事を意味する。これはあまり興味を引かないことだ。

 しかし、イスラエル自身もメンバーであるIAEAは、ソレク・核センター(Soreq Nuclear Center)にある小さな、操業段階とも云いかねるような原子炉は監視している。IAEAがこの原子炉にアクセスできるのは、それが1960年、当時大統領だったドワイト・アイゼンハワーの「平和のための原子計画」(Atoms for Peace Program)から提供されたものだったからだ。供給協定によれば、この原子炉は研究用のみに使用が認められ、IAEAの監督が義務づけられていた。

(* IAEAは、当初米原子力委員会の国際版として創設された。従って何もかもアメリカの思うがままに運営できた。IAEAが、核兵器廃絶へ向けて本格的に腰を据えるのは、つまりアメリカの支配から脱し、まがりなりにも核兵器廃絶の方向へ舵を切り始めるのは、モハメド・エルバラダイが事務局長になってからである。エルバラダイの前の事務局長、スエーデンのハンス・ブリックスも立派だった。)


 インド、パキスタンも同様に、IAEAの核施設の査察は受け入れていないが、イスラエルと違って、核実験も行ってきたし、彼らが核兵器を保有していることをおおっぴらに肯定してきた。

?、イスラエルは核実験を行っていないのか?この点はどの資料もあいまいだ。)


 イスラエルは世界から、核兵器を保有しかつそう宣言していない唯一の国と見られている。しかし、イランに対するその核計画を破壊しろという圧力が高まるにつれ、イスラエルは再び議論の矢面に立つようになってきた。

 「なぜ、核兵器を放棄しろ、とあなた方は私たちに要求するのに、イスラエルには要求しないのですか?」とイランは西側大国に尋ねる。

 イランの議論により耳をかたむける人は増えて来た。それは第三世界だけではない。その疑問はまた西側諸国にもその正気(*consciousness)に向かって浸潤し始めている。国際的緊張がうずたかく積もり、イランの核計画にいかに対処するかという問題が大きくなるにつれ、批判の矛先はまたイスラエルにも近づいてきている。

 何年もの間、IAEAの事務局長、モハメド・エルバラダイは、中東非核兵器地帯(*Middle East nuclear-free zone)を提案し続けてきた。イスラエル国内の原子力エネルギー委員会(*Atomic Energy Committee)はこの提案に反対したことはない。

 しかし、イスラエルが主張しているのは、この問題が提議されるのは、ただ包括的平和が中東に訪れ、かつイランを含む全ての国がイスラエルの生存権を認め、かつ平和と安全保障条約が結ばれた後のみである、ということだ。

 その時ですら、イスラエルは、非核兵器地帯に関する議論は、この地域のその他の大量破壊兵器、化学兵器や生物兵器の軍縮問題と密接に関わっており、すべての国が保有するミサイルの削減交渉と密接に関わっている、といっている。

 総体的なイスラエルのアラブ諸国に対する困難性の結果、いろいろなアイディアが表面だけに浮上していくという状態が続いている。一つの提案は、現状の「枠組み凍結」(freeze-frame)だ。ビル・クリントン政権の時に大いに勢いづいたものだ。クリントンはその方向の国際的条約、いわゆる「核分裂物質カットオフ条約」(the Fissile Material Cut-off Treaty-FMCT)すら主導した。このアイディアは、核分裂物質を保有している国はそのまま、それを保有するが、新たな生産を行わないというものだ。しかし、この条約は決して実を結ばなかった。

 あるいは現在のオバマ政権は、クリントン元大統領のデザインを踏襲しようとしているのかも知れない。世界的な核拡散の恐怖が大きくなるにつれ、アメリカ人にとって、イスラエルをこれ以上保護することはできないということが明確になってきているのだろう。イスラエルが大事な一人っ子(a precious only child)だったとしてもだ。

 仮にアメリカの中東和平対話が、イランの核開発に対するその野蛮なアプローチと結びついていないとしても、政権(*これはオバマ政権のこと)はいうまでもなく、世界の核兵器敞を段階的に縮小していかなければならない、それが廃絶ではないにしろ、ことに気付いている。

 イスラエルにとって、最大の関心事は何か?もしイランが核開発を停止しないならば、エジプト、サウジ・アラビア、トルコといった国は遅かれ早かれ、その核隠退蔵物の開発をはじめるだろう。

 イスラエルの核の独占が破れるという恐怖は、イスラエルにとっても、アメリカにとってもまたその他の西側諸国にとっても、まさに悪夢だ。さらに多くの核兵器が増殖し拡散する。意図的であれ事故であれ、無責任な体制や過激組織が使用する危険が大きくなる。

(*  ここで記事は終わっている。冷静な分析の記事だが、彼もまたイスラエル人だ。中東地域で核の独占を続けていることは決して、イスラエルにとっても安全ではない。また彼が心配するように、エジプト、トルコ、サウジ・アラビア、イランですら核兵器を保有する可能性は小さい。イスラエルは自ら創り出した恐怖に自らが自家中毒を起こしている。イスラエルにとってもっとも安全な道は、核兵器を放棄することだ。そして、中東非核兵器地帯を創出することだ。それが一番安全な道だ。)


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