(2010.12.4)
No.017

朝鮮半島、どちらが挑発者か?



「イ・ミョンバクが悪い」

 2010年11月23日、我々はたまたま、ソウル市内にいた。事件発生は午後2時半頃というから(<http://www.chosunonline.com/
news/20101124000023
>)
、ちょうど重明殿にいた頃だ。重明殿はもともと徳寿宮に付属する帝室図書館だったが、1904年、徳寿宮(当時は慶運宮と呼ばれた)が火事で焼けたため、朝鮮王朝第26代高宗が移り住んでいた。長い間物置同然に扱われたいたこの建物は、2010年8月29日、日韓併合が完成したちょうど100年目にあたるその当日に、展示館としてオープンしたものである。

<重明殿>

 1905年11月17日の夜、韓国註箚軍司令官長谷川好道を引き連れ、天皇特使として重明殿(当時は漱玉軒と呼ばれた)に乗り込んだ伊藤博文は、庭に警官や兵士を配置し、韓国の大臣たちを威嚇して、第二次日韓協約を結ばせた。この協約によって日本は韓国を保護国化し、1910年の日韓併合へと突き進む。(以上『「歴史認識と東アジアフォーラム」ソウル会議フィールドワーク資料』と題する資料より。執筆は歴史学者の荒井信一。)

 展示資料には、この協約文書のレプリカも展示されていたが、日本側は特命全権公使林権助、韓国側は外部大臣朴齊純の名前だけで、韓国皇帝の名前も御璽もない。大体文書の表題もない、なんとも珍妙な「外交文書」である。

 宿舎に帰って、「日本の朝鮮侵略、大陸侵略を理解するには、1904年の第一次日韓協約、1905年の第二次日韓協約にさかのぼって理解しなくてはならない。」という荒井信一の言葉を思い出していた。

 「荒井先生がガイド役とは豪華版なソウル・ツアーね。」と網野沙羅。今年84歳の碩学にガイド役とは大変失礼な話ながら、私もそう思った。

 宿舎と書いたが、朝鮮王朝時代の両班の私邸を改造した低料金外国人旅行者向けの「ソウル・ゲストハウス」が我々の宿舎である。1泊1人2500円程度である。それでもトイレ・シャワー、テレビまでついている。
 なんの気なしにテレビをつけてニュースを見た。私はまったく韓国語がわからない。しかしただならぬ映像である。明らかに携帯電話で撮影したたどたどしいビデオ映像が流れている。最初は何かの爆発事故かと思ったが、攻撃シーンである。ハングルの字幕に混じって「北」という文字が見える。

 ただちに「ソウル・ゲストハウス」のご主人のところにいった。ご主人はニュースを見ていた。私たちが居室に入ると、すぐにNHK-BSに切り替えてくれた。そして何が起こったか、直ちに了解した。

 ご主人はなかなかインテリである。開口一番、
 『イ・ミョンバク政権が悪い。』
 何故?
 『イ・ミョンバクになってからですよ。北朝鮮と対決姿勢になって・・・。北は3月の哨戒艇沈没事件にも本当に怒っている。そうですね、韓国人の2/3は、アレは北がやったと思っていないです。』
 『今回の事件も、結局あんなところで実戦さながらの軍事訓練をやれば、そりぁ怒りますよ。』
 民間人も死んだ、という情報も入ってきてますが、と私。
 『え!民間人も死んだのですか?そりぁ、いかんなぁ。』と暗い顔。


温家宝の警告

 その後、民間人が2人死んだことが確認された。11月26日付けの韓国の英字新聞「The Korea Times」によると、延坪島(ヨンピョンド)の韓国基地建設で作業していた作業員だそうだ。島の住人ではない。同日付の同紙は北京発AFP電で、中国首相温家宝のコメント、「朝鮮半島でのいかなる挑発行為にも反対する。」も伝えている。「中国は朝鮮半島における平和と安定の維持に確固として関与する。そしていかなる軍事的挑発行為にも反対する。」

 私の頭の中には、北朝鮮が一方的に攻撃した、という思いこみがあったために、この温家宝のコメント記事をうっかり読みとばすところだった。よく読んでみると、温家宝は、北朝鮮の砲撃だけを「挑発行為」と言っているのではない。このAFP電も「この声明から、温家宝が北朝鮮の砲撃行為を指しているのか、あるいは計画されている米韓軍事訓練を指しているのか明確ではない。」としている。

 すでにアメリカの航空母艦ジョージ・ワシントンが、母港である横須賀基地を出港して、西海(日本では黄海)へ向い、韓国軍と合同軍事演習を11月28日―12月1日の日程で行う、と発表されていた時だ。米韓プロパガンダべったりのこの英字新聞は、「中国メディアは北朝鮮よりの報道をしている。」と結んでいるが、どっちもどっちだ。

 温家宝のコメントは、よく読んでみると、北朝鮮、米・韓双方に軍事的挑発行為を呼びかけていることがわかった。

 「砲撃事件」の現場となった、ヨンピョンド付近は極めて微妙な地域である。

 このことを理解するには、「朝鮮戦争は終わっていない」という根本的な理解がまず必須である。

 1950年に始まった朝鮮戦争は、1953年7月27日休戦協定が成立し、朝鮮半島本土では北緯38度線を停戦ラインとすることで「国連軍」と「北朝鮮・中国人民志願軍両軍」との間で合意した。そして38度線は事実上、韓国と北朝鮮の国境戦として固定している。


北方限界線と北朝鮮軍事境界線

 しかし、西海(黄海)上はそうではない。


 上記図で1は今回事件の起こった延坪島。2は韓国が実効支配する白翎島(ペンニョンド)、3は2009年11月10日、韓国海軍と北朝鮮海軍が沖合で砲撃を交えた大青島(テチョンド)、4は仁川(インチョン)国際空港、5はソウル市街、6はインチョン市街である。「A」と表示されている青い破線は、1953年8月30日に連合国軍最高司令官総司令部側が定めた軍事境界線。いわゆる北方限界線(North Limit Line,-NLL)。「B」と表示されている赤い破線は、北朝鮮が主張する軍事境界線である。(図は日本語Wikipedia「延坪島砲撃事件」<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%9D
%AA%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>からコピーし、若干地名を書き加えたもの。)


 北方限界線は、両者の間で合意して決定されたものではない。米韓が一方的に決めたものである。これに対して北朝鮮はBで示した独自の境界線を、1999年に主張している。従ってこれまで、両者の間で小競り合いが何度か起きている。1999年には第2延坪海戦、2002年の第2延坪海戦では、北朝鮮が北方限界線を越え、韓国軍と戦闘が発生した。

 99年6月と2002年6月の2回にわたり、黄海道沖の西海上で南北双方の軍艦が交戦する事件が起きたが、このとき海上境界線問題が改めて注目された。南側は「北方限界線」(NLL、隅島 -延坪島-小青島-大青島-白 島の西海五島を結ぶ線)とその南側12キロメートルの「軍事緩衝地帯」を越えた北側の不法侵犯行為であるとしたが、これに対し北側は、いわゆる「北方限界線」と「軍事緩衝地帯」は重大な停戦協定違反であり、海軍衝突があった海上付近は国際海洋法上の領海距離である12マイル(約20キロメートル)以内にある至近距離に位置している「われわれの領海」であり、南側海軍の行動は「武装挑発」であると主張した。』
(朝鮮大学校教授・康成銀の「38度線・軍事境界線-新たな停戦機構と平和協定の模索」と題する論文。
http://www.sahyob.com/jp/booklet/01/01-2.htm>)

 だから、西海(黄海上)の軍事境界線は、当然両者が話し合って決めるべきであったが、

 このように「北方限界線」は停戦協定ではまったく合意されたことのない一方的な線であることから、91年の「南北基本合意書」第10条で「南と北の海上不可侵境界線については、今後継続して協議する」とされた。99年6月の西海衝突事件に際し、北側はこの問題を将官級会談で提議したが、米軍側はこれを拒否した。』 (前掲論文)

 米軍側が91年の「南北基本合意書第10条の協議」99年6月の時点で拒否して以降、実際の挑発行為かどうかは別として、北朝鮮はこの海域の軍事行動が「武装挑発行為」とみなしていることは、米軍・韓国軍とも十分了解している筈である。


一時は南北融和へ

 やや煩雑化もしれないが、その後の朝鮮半島の情勢を比較的客観的に説明しているので、康成銀論文を続けよう。

 ・・・朝米関係の改善と南北の平和統一に向けた動きが大きく起きていった。

 88年に朝米間の接触が始まり、その後紆余曲折を経たが、94年10月に朝米合意文が調印されたのに続き2000年10月には朝米共同コミュニケが発表された。合意文と共同コミュニケの核心は、核およびミサイル問題をはじめ双方の懸案問題を解決して、現行の停戦協定を平和協定に転換するという意思を表明したことにある。即ち朝鮮半島における冷戦の終結を日程化したことである。

 南北関係も大きく進展していった。48年以降、南北両当局は自分たちこそが「唯一合法政府」であると主張してきたが、72年74南北共同声明ではじめて南北に存在する二つの政治的実体を「実際的」に相互承認した。80年1月から始まった「南北総理会談」では南北がともに相手側の実体を正式国名で呼んだ。91年9月には南北朝鮮が国連に同時加盟した。またこの間には、南北離散家族の再会、芸術団の公演などさまざまな交流も進んだ。

 このように進展してきた南北関係の性格については、91年12月に南北両総理の名義で調印された「南北間の和解と不可侵および協力、交流に関する合意書」で合意を見ている。序文では、双方の関係が国家間の関係でなく、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊関係であるとし、平和統一を成就するための共同の努力を傾注するとしている。第2章南北不可侵11条では、南と北の不可侵境界線と区域を停戦協定に規定された軍事分界線と、これまで双方が管轄してきた区域としている。統一国家を目指す過程で一時的に形成された特殊関係として双方の実体を認定しているのである。なお、南の国家保安法は、朝鮮半島における「唯一合法政府」は韓国であり、北は「不法に組織された反国家団体」ということを前提にしているが、これは現在の南北関係の実態にそぐわないものであると言わざるを得ない。』

 韓国の現行の国家保安法は、非常戒厳令拡大措置によって国会が解散状態にあった1980年12月、全斗煥(チョン・ドファン)政権が設立した国家保衛立法会議を通過したことで制定された。盧武鉉政権は人権抑圧の温床になった国家保安法を撤廃し、刑法の内乱罪と外患罪に統合を目指した。これに対し、不告知行為の取締りが困難になるとして、保守系野党・ハンナラ党は同法の存続を求めた。憲法裁判所と大法院も合憲判決を下しており、そのうち大法院の判決文では同法の必要性が説かれている。また、国民を対象にした世論調査でも廃止は少数派である。

 2007年12月の大統領選挙で李明博が当選、ハンナラ党が政権を奪還し、翌年4月の総選挙で、国家保安法廃止に賛成する議員が多かったウリ党の流れを受け継ぐ統合民主党や、左派系の民主労働党がいずれも議席を減らし、ハンナラ党を中心とする保守・中道保守勢力が国会の多数を占めたことで国会内でも保安法廃止は少数派となった。戦前の日本の治安維持法をモデルにしたといわれている。
(以上日本語Wikipedia「国家保安法」<a.wikipedia.org/wiki/国家保安法_(大韓民国)>を抜粋。)


 さて、康成銀論文を続けよう。

 2000年6月15日の南北共同宣言は、両首脳が統一の原則とその方途を合意し署名した画期的なものであった。南北共同宣言を受けて7月に開催された第1回南北閣僚級会談では、京義線鉄道とそれに並行する道路を連結することが合意され、南北国防相会談および軍事実務者協議、南北経済協力推進委員会で具体的に進められていった。その後の協議で京義線の他にも東海線鉄道と並行道路をも連結することが決まる。また、朝ロ間で京義線鉄道とシベリア鉄道を中国経由で連結することが合意され、韓ロ間でも南北鉄道とシベリア鉄道を一本化する文書が調印された。』


ブッシュ、オバマ、イ・ミョンバクで情勢悪化

 ところが、こうした南北融和へむけた動きは、

 ブッシュ政権の登場により、朝米関係は急速に悪化していった。アメリカはイラクを侵略する一方、米韓合同軍事演習フォール・イーグルを大々的に実施し、朝鮮に対する先制攻撃企図を実践に移している。また、新しい先端武力装備の南側導入、駐韓米軍の再配備、朝鮮に対する海上と空中封鎖を図ろうとしている。朝鮮人民軍板門店代表部は、定期的に行ってきた連絡軍官の接触に朝鮮人民軍側連絡軍官を派遣しないと米軍側首席代表に通告した。また、白南淳外相は国連安保理議長に送った6月26日付き書簡で、停戦協定がアメリカによって破られている現実態について注意を促し、7月1日、朝鮮人民軍板門店代表部は談話で、これを停戦協定破棄とみなし、即時に協定の拘束から抜けて強力な報復措置をとると警告した。』

 北朝鮮との融和策をとる盧武鉉(ノムヒョン)政権時代には、一時ノムヒョンが「北方限界線は領土線ではない」との主旨の発言を行い、問題になったことがある、という。(前出・康成銀論文)

 ノムヒョン時代は比較的北朝鮮との小競り合いが少なかった時期である。2007年イ・ミョンバク政権が成立すると、北朝鮮との関係はさらに悪化する。

 2009年11月10日には、大青海戦と呼ばれる警備艇や哨戒艇レベルの銃撃戦が発生した。
(日本語Wikipedia「大青海戦」<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%
E9%9D%92%E6%B5%B7%E6%88%A6
>)


 そして、2010年3月には、「韓国哨戒艇沈没事件」(天安沈没事件)が発生する。この事件の発生地点も先の図で、白翎島(ペンニョンド)南方である。5月20日、軍と民間の合同調査団(韓・英・米・豪・スウェーデン)は、天安は北朝鮮による魚雷の攻撃を受けて沈没したと断定する調査結果を発表した。しかしこの調査結果には、多くの疑惑が出されている。北朝鮮はでっち上げと非難した。韓国の軍民合同調査団のシン・サンチュル専門委員は、「沈没は座礁と衝突によるもの」と、これらを批判する所見を出している。
(<http://www.anatakara.com/petition/no-explosion-no-torpedo.html>および
http://www.spark946.org/bugsboard/index.php?BBS=
s_news&action=viewForm&uid=2529&page=1
>)


 ここで重要なことは、アメリカ側、韓国側がこの海域で軍事演習を行うことは、北朝鮮側が「軍事的挑発行為」だとみなしていることをアメリカ、韓国側は十分承知しているということだ。

 ゲストハウスのご主人が、「イ・ミョンバクが悪い」といっている理由もここにある。


砲撃すれば何が起こるかわからない

 今回の事件も、米韓軍軍事演習の最中に起きた。

 日本語Wikipedia「延坪島砲撃事件」
(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%9D%
AA%E5%B3%B6%E7%A0%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6>
の記述に沿って、当日なにが起きたのかを見てみよう。(なお、この記述は、朝日新聞、読売新聞の記述に沿って作成したものだという。)

08時20分 - 北朝鮮が韓国の護国訓練の中止を求めるテレックスを送付
10時00分 - 韓国軍、要求を無視して訓練を開始
時間不明 - 北朝鮮空軍のミグ23戦闘機5機が哨戒飛行
14時34分 - 北朝鮮が延坪島に攻撃開始
(北朝鮮が撃ったのは約150発で、そのうち約70発が島に命中)
14時38分 - 韓国空軍KF-16戦闘機2機が緊急出動
14時49分 - 韓国軍が対抗射撃(約50発)。島民は防空壕などに避難
14時50分 - 韓国軍が周辺海域に珍島犬1号を発令
14時55分 - 砲撃戦が一時中断
15時00分 - 延坪島の観光客約200人が高速船で島から避難。島民の一部も漁船で脱出
15時10分 - 砲撃戦が再開
15時41分 - 砲撃戦が終了
(北朝鮮が放った砲弾150発というのは、15時41分までのことと思われる。)
15時48分 - 韓国軍が挑発をやめるよう北朝鮮に通知
15時50分 - 韓国消防防災庁が民間防衛隊の動員準備を伝達
16時05分 - 中国外務省報道官が冷静な対応を呼びかけ
16時30分 - 韓国の全公務員に非常待機命令
16時35分 - 韓国政府、安全保障関係閣僚会議を開催』

 韓国側の被害は、軍で2人死亡、16人負傷、民間で2人死亡、3人負傷。北朝鮮側の被害は不明であるが、先の日本語Wikiは、

『  現在までのところ北朝鮮から被害などの影響について公式の発表はない。韓国国内においても詳細は不明で、情報統制の可能性が指摘されている。

衛星写真で施設が破壊された様子が撮影されているものの人的被害の情報は確認されていない 。状況によっては韓国より被害が大きいと思われる(その情報の背景として、ある民間団体が、北朝鮮の消息筋の話として、北朝鮮将校1人が死亡、2人が重傷を負ったとの主張があるが、韓国軍当局が否定している)。しかし、アメリカの情報関連会社が公開した延坪島の対岸にあたる北朝鮮領の写真によれば、砲弾の着弾跡が14ヶ所発見されたものの、それらは目標となった軍事施設を飛び越えて、周辺にあった田畑に落ちたものであった。そのため、軍事施設に被害が及んでなければ、初期対応の遅れに加え、応射が効果を発揮しなかったことにつき、さらなる批判を浴びる可能性がある。』 

 と述べている。

 11月27日になって北朝鮮は、
【ソウル=築山英司】北朝鮮の朝鮮中央通信は二十七日、韓国・延坪島への砲撃で民間人二人が死亡したことに初めて言及し「事実なら至極遺憾なこと」と論評で表明した。

 二十八日からの米韓合同軍事演習を控え、韓国の強硬な対北朝鮮世論を和らげる意図があるとみられる。一方で論評は、民間人死亡の責任は、韓国軍が軍事施設内に民間人らを「人間の盾」として配置した措置にあると決めつけ、韓国に責任があると強調した。

 韓国軍の砲撃については「(北朝鮮軍の)陣地より遠く離れた民家周辺まで飛んで落ちた」としたが、具体的被害は明らかにしなかった。また「不安定な休戦状態が持続し軍事的緊張が高まっているのは、米国のアジア支配戦略による対朝鮮敵視政策に起因する」と米国を非難した。』
(東京新聞<http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010112802000035.html>)

 東京新聞は、「韓国内における北朝鮮強硬論を和らげるため」とこの北朝鮮の「遺憾声明」について説明しているが、私は北朝鮮の本音だと思う。つまり北朝鮮側に民間人を傷つける意図はなかった、と考えている。しかし、延坪島の軍事施設だけを正確に狙って砲撃すれば、そこに住んでいる人たちの居住地区に着弾しないとは誰も保証できないわけだから、これは「未必の故意」というべきだとも考えている。

 砲撃すればなにが起こるかだれにもわからない。戦争は誰もコントロールできないのだ。


北の視点から見れば戦争状態


 11月25日になって私はあるソウル市民に話を聞いてみた。一人や二人に話を聞いて、全体を判断するというのも誤りだ。しかし、「北朝鮮の攻撃に憤る韓国民」というステレオタイプの日本の新聞のトーンとは相当違った受け止め方をしているソウル市民も多いこともまた確かだ。

 『私もあの海域は知っていますが、本当に目の前なんです。わずか10Kmかそこらですよ。向こうの人の顔だってわかります。』

 この人は、北朝鮮側に住んでいる人の視点でものを見ている。

 『そこで実弾を使った演習をやるんですから、本当に怖い。弾が飛んでくるようです。本当に戦争が始まるようです。』

 私も言われるまで、延坪島のわずか10Km先に住んでいる北朝鮮の人の視点に立ってものを見たことはなかったので、虚を突かれた思いだった。10Kmと言えば、東京湾で一番幅の狭い浦賀水道で、横須賀市の観音崎から対岸木更津市の富津岬までの直線距離に相当する。いやどこでもいい。自分が住んでいらっしゃる地域のどこでも、10Km先を思い浮かべてご覧になるといい。

 この人は、まだ幼かった時、朝鮮戦争の時に、父親と共に北から南に逃れてきた人だ。親戚はみな北に住んでいる。

  『あんなところで、軍事演習(しかも実弾を使った演習だ)をすればもう戦争状態ですよ。本当に怖い。それから原子力空母が来るんでしょう。日本から。本当に怖い。』

 ええ、今日(11月25日)の「The Korea Times」によれば、「アメリカの航空母艦、西海(黄海)へ向かう」と一面トップで報じていました、と私。

 ちょっとまてよ、この空母は確かジョージ・ワシントンではなかったか?

 同日付けの記事では、「航空母艦ジョージ・ワシントン打撃グループは、11月28日から12月1日までの朝鮮半島西海海上での韓国海軍合同演習に参加する。」とし、「航空母艦ジョージ・ワシントンは戦闘機75機を艦載し、6000名以上乗組員と共に、東京の南にある基地を出発した。」としている。

 (日本に帰ってきて、新聞報道やテレビ報道を調べてみたが、ジョージ・ワシントンが出発したのが、横須賀からだったこと、75機の戦闘機を艦載していることを報じたメディアは一つもなかった。かといって、ジョージ・ワシントンがどこから出発したかは書かれていなかった。おかしな話だが、韓国の市民は75機の戦闘機を搭載したジョージ・ワシントンが横須賀から出港したことを知っているが、多くの日本の市民は知らなかったことになる。)

  『戦争になれば、日本だってただじゃ済まないですね。』とその人。

 その通りですね、この新聞で東京の南と言っているのは、横須賀基地でしょう、間違いなく。75機を艦載しているというのは、間違いなく厚木基地をベースとしている、第5空母航空団でしょう。この第5空母航空団の主力は、4つのF/A-18ホーネット飛行大隊で、そのうち3つの飛行大隊はスーパーホーネット部隊計37機です、と私。
(参考資料「アメリカ海軍 第5空母航空団の構成と主要装備」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/US_JP_ST/CVW-5.htm>を参照の事。)

 戦争になれば、アメリカも韓国も日本も一連託生ですよ、と私は続けたが、「スーパーホーネットは核兵器搭載可能戦闘爆撃機ですよ。」という言葉は飲み込んだ。なんとなく不吉に思えたからだ。また現在進められている日米ロードマップによれば、第5空母航空団は2014年までに厚木から、私の隣町岩国やってくる。


「国連軍」地位協定

 停戦状態にある朝鮮戦争が、再開されれば、朝鮮半島と日本は一蓮托生だというのには、根拠がある。

 というのは朝鮮戦争当時、まだアメリカの軍事占領下にあった日本と「国連軍」との間に結ばれた「国連軍地位協定」はまだ生きているからである。私はこのことを、「朝鮮戦争と日本」(新幹社 2006年10月10日 第1刷 大沼久夫遍)という本を読んで知った。

 『 「国際連合統一司令部の下にある合衆国軍隊」とは「国連軍」としてのアメリカ合衆国軍隊であることは明白である。そのため「国連軍」地位協定を改定して、「日本国における国際連合の軍隊」としてアメリカ合衆国軍隊は、「国連軍」地位協定の対象軍隊とされるべきであろう。しかし、このような「国連軍」地位協定の改定は、旧安保条約の改定(1960年の日米新安保条約のこと)の際に行われなかった。

 なぜ、このような改定が行われなかったのであろうか。ここに「国連軍」地位協定をめぐる複雑な問題を解く一つの鍵があると考える。安保条約は日本とアメリカの二国間協定である。さらに、いうまでもなく新旧安保条約の実質は「日本がアメリカに基地を貸して安全保障を確保する」という構造である。しかし、「国連軍」地位協定は、協定に調印した12カ国(アメリカは統一司令部として行動するアメリカ合衆国)の間の多国間協定である。』
(同書所収の笹本征夫論文<朝鮮戦争と「国連軍地位協定」>の中の<14.「国連軍」地位協定は改定されていない>169p-170p) 
 

 つまりアメリカとの二国間日米安保条約だけでなく、協定に調印した諸国との間の国連軍地位協定はいまだに有効である。朝鮮で戦争が起これば、安保条約・日米地位協定の解釈とは別に、「国連軍」地位協定が存在している以上、日本は直接朝鮮戦争に直接関与することになる。
(国連軍地位協定の全文は東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトで読むことが出来る。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19540219.T1J.html>)


 これら諸国とは、「統一司令部として行動するアメリカ合衆国政府」および「国際連合の諸決議に従つて朝鮮に軍隊を派遣している国の諸政府」としてカナダ政府、ニュー・ジーランド政府、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国政府(イギリス)南アフリカ連邦政府、オーストリア連邦政府、フィリピン共和国政府、フランス共和国政府、イタリア政府の8カ国。

 日本語Wiki「国連軍」(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A3%E8%BB%8D>)によると、キャンプ座間、横田飛行場、横須賀海軍施設、佐世保海軍施設、嘉手納飛行場、普天間飛行場、ホワイト・ビーチ地区の7箇所が国連軍施設に指定されている。

現在も、必要に応じて国連軍参加各国が国連軍基地を使用している。国会答弁等から分かる使用実績は次の通り。
(1997-1999年) 艦船7隻、航空機23機が寄港・飛来。
(2000-2002年) 艦船寄港21回、航空機着陸10回を記録
(2006年,2009年) 北朝鮮の核実験に際して、大気観測を行う英軍機VC10が国連軍地位協定を活用して嘉手納空港を補給等のために使用。
(2007年) 嘉手納で米豪共同訓練を実施。』(同日本語Wikipedia)

 「国連軍」地位協定が生きている以上、法律的にはこれら諸国は、少なくとも7箇所の施設を自由に使用できる権利を有している。

 日本にとっても朝鮮戦争は終わっていない。朝鮮半島と日本は一蓮托生だというのはこういう意味である。

 「朝鮮半島」と日本は一蓮托生だと認識に立てば、朝鮮半島やその近海で危ない挑発行為はやめてもらいたい、と考える私は至極まっとうだと思う。

 温家宝の「いかなる種類の軍事的挑発行為もこの地域で行うべきでない」、という考え方も至極健全だと思う。

 今回の一連の事件で、延坪島に砲撃を行った北朝鮮を擁護するつもりはないが、挑発者は明らかに米・韓の側であり、北朝鮮ではない。北朝鮮は、米韓の挑発に乗ってしまったというべきであろう。

 私は、日本の大手新聞やテレビ、アメリカ国務省とともに、「北朝鮮は挑発行為をやめよ」と大合唱に与することはできない。

 われわれ、日本の市民は朝鮮半島で戦争を起こしたがっているのは誰か、ということを冷静に見極めなくてはならない。それは真の挑発者は誰か、というポイントを見極めることでもある。