(2012.10.31) | |
No.051-1 |
ICRP学説を信奉し、広め、 国民にさらなる被曝を強制する日本の官僚政府 ①「生涯(70年)被曝線量100ミリシーベルト以下は安全」 と思わせたい勢力 |
電離放射線(イオン化放射線) | ||||||||||||||||
私は昨年から欧州放射線リスク委員会(ECRR)2010年勧告を読んで自分のための解説記事を書いている。勧告は『規制当局者のために』の副題がついているように、一定レベル以上の専門家を念頭において書かれている。しかもその範囲は物理学、化学、疫学、放射線医学、放射線防護学といった専門分野ばかりでなく、経済学、哲学、倫理学など周辺の幅広い学問分野に及んでいる。日本語テキストにしろ英語テキストにしろ本文だけをスラスラ読んでわかりました、というわけにはとてもいかない。本文の5倍、10倍の背景知識や背景素養が必要だ。しかし私自身が理解しないと、この勧告の妥当性を私自身が判断できない。この勧告の妥当性が判断できないと、今日本や世界で本流とされている『放射線防護行政』の妥当性を私自身が理解し、判断し、批判できない。 従って昨年から自分のための解説記事を続けているのだが、遅々として進まない。全部で15章あるのだが(第16章は『欧州放射線リスク委員会のメンバーとその研究や助言が本報告書に貢献した諸個人』のリスト)、今現在第10章『被曝に伴うがんのリスク 第1部:初期の証拠』の4節『自然バックグラウンド放射線』にさしかかったところである。ところが困ったことに書いているうちに思い切り主題からねじ曲がってしまうのである。この雑観は思い切りねじ曲がった部分を抜き出したものである。(以下抜き書き)
つまりは、宇宙放射線とは宇宙に存在するありとあらゆる種類の電離放射線というわけだ。中には地球上に存在しない放射線核種からの放射線もあるという。まるでなんでもござれの電離放射線のデパートだ。これほど恐ろしいものはない。電離放射線とはヒトの(あらゆる生物の、と言いかえることもできる)細胞を構成する原子や分子から電子を剥ぎ取ることができる放射線のことだ。中性子線は電離作用(原子から電子を剥ぎ取る作用)はないが、原子から陽子を押し出す作用があるので、実質的に電離放射線である。 (『市民と科学者の内部被曝研究会』<http://www.acsir.org/acsir.php>という優れたグループが立ち上がったが、『内部被曝問題研』は「電離放射線」という日本語訳をやめて、「イオン化放射線」という日本語訳で表現することに切り替えたようだ。英語の元の言葉“ionizing radiation”を正確に日本語に移している以上に、電離放射線の本質を言い当てた訳語である。しかし私は当面すでに定着した『電離放射線』を使うことにする。本当は、生物を構成する細胞の、原子や分子をイオン化してしまう放射線、つまり「イオン化放射線」なのだ) 電離作用(イオン化作用)、これが非電離放射線との決定的違いだ。非電離放射線は蛍光灯や電波などどこにでも転がっている。しかし非電離放射線には『電離作用』はない。電離放射線のようにヒト(生物)の細胞を構成する分子や原子を破壊する作用はない。電離放射線にはある。『電離作用』はヒトの細胞を破壊するのである。だから電離放射線は怖いのである。放射能の恐ろしさとは、放射性物質のもつ電離作用の恐ろしさと全く同義である。 |
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文科省『放射線副読本』 | ||||||||||||||||
話が横道に逸れるかも知れない。私は核兵器や原発(核発電)などの核装置や核設備を国際的にまた歴史的に推進・普及する国際的なグループを『国際核利益共同体』と呼ぶことにしている。国際核利益共同体はおおむねイスラエル、パキスタン、インドなどを含む核保有国や“西側先進国”の政府を支配しているか、あるいはその政策決定に強い影響力をもっている。そればかりではない。国際核利益共同体はそれぞれの国の中にしっかり根を張り、学術界、経済界、マスコミなどその社会を指導している各層にも強い影響力をもっている。時には支配さえしている。 世界の核利益共同体の中でも日本は特に政府官僚機構を通じてその団結と支配が強固である。なぜそうなのか様々な分析が可能だが今はそこに立ち入らない。国際核利益共同体の意向を体して日本の「核利益共同体政府官僚機構」は、東電福島第一原発事故以来、核施設(特に原発)に対する国民の反発を和らげることに必死に取り組んでいる。核施設(原発)に体する国民の反発を和らげる努力のうち、最大の一つが『電離放射線(イオン化放射線)』の恐さを薄める努力であろう。 具体的には、放射線医学の専門家たちとタイアップして特に熱心に取り組んでいるのが電離放射線の人体に対する影響の“ぼかし”、あるいは過小評価だ。電離放射線と非電離放射線の区別を曖昧にする、電離放射線も非電離放射線も放射線というカテゴリーの中では同じものだと印象づける努力である。大きくいえば「放射能安全神話」の中核ともいえる部分だ。 電離放射線と非電離放射線は、同じ放射線の言葉が使われていても、人体への影響という点では全く別物だ。放射能の恐さは電離放射線の「電離作用」そのものにあることに、一般大衆が気がついては彼らにとっては甚だ都合が悪い。なぜならば、核施設・核設備ののうち放射能を環境に放出しないで運転・運営できる施設は歴史上一つもない。そこから人体にとって危険な電離放射線を放出する放射能(電離作用を起こさせる放射性物質)が常に出ているとあれば、一般国民の反発はおろか、今はお金をもらって喜んで原発を受け入れている原発立地地元住民の反発すら起こしかねない。原発を受け入れてくれる地元が日本からなくなれば、彼らの努力はすべて水泡に帰す。だから「電離放射線」はさほど危険なものではない、と印象づけることに懸命となる。
しかしその小学生もやがて長ずるに及んで、放射性物質がどこでも厳重に管理され、危険視されている実情を知ることになる。この記述は放射線の正しい理解を妨げ、ミスリードするものだ。その上、科学的な誤りがある。電離放射線のうち中性子線やγ線の透過力は確かに光よりはるかに強いが、α線やβ線は飛ばない。光よりもはるかに透過力が小さい。空気中でも1cmも透過することができない。だから放射線一般が光よりも透過力が強いとは言えばこれは科学的には誤りとなる。
質問に答えないばかりか、「たくさんの放射線を受けてやけどを負う事故」と、これでは小学生は大量の放射線を受けるとやけどを負う程度の知識しか得られない。ここでは放射線一般の話が、いつの間にか電離放射線に限定した話にすり替えられ、しかも電離放射線の恐さに全く触れないでほおかむりしている。 この質問に対する正解は
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小学生用副読本の明らかな嘘 | ||||||||||||||||
しかもICRP学説によっても明らかな誤り(意図的な誤り)をさりげなく挟んでいる。 「こうした放射線の影響を受けた方々の調査」というのは明らかに原爆傷害調査委員会(ABCC)とその後身である放射線影響研究所(放影研)が、1950年1月時点で生存していた原爆被曝者を調べて現在に至るも連綿として続いている「寿命調査」(LSS)のことを指しているだろう。その寿命調査は「どのくらいの量を受けると人体にどのような影響があり、どのくらいの量までなら心配がしなくてよいのかが次第にわかってきています」という研究だったか?どのくらいの量なら心配しなく良いのか(被曝安全量)が次第にわかってきているのか?そうではない。被曝には心配しなくて良い量など存在しない。 『放射線被曝に安全量はない』“There is no safe dose of radiation”。これはICRP学説を信奉する学者を含め、すべての科学者の一致した見解ではないのか。第一肝心の放影研の報告が被曝に安全量があるかのようなこの種の「デマ」をはっきり否定している。
この副読本が「どのくらいの量までなら心配がしなくてよいのかが次第にわかってきています」と書いているのは、意図的な誤り、ICRP学説によっても支持されていない記述、はっきりいえばためにする「デマ」だ。文部科学省が放射線被曝の人体の影響についてデマを流し、小学生の頭の中に電離放射線被曝に安全量があるかのような『放射能安全神話』を刷り込んでいる。 |
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スーパーマーケットでもらったリーフレット | ||||||||||||||||
文科省の副読本に比べて慎重な言い回しだが、100ミリシーベルト以下は安全、とほのめかしている。ここで生涯と言っているのは70年間のことであるが、生涯被曝線量が自然放射線以外で100ミリシーベルト以上でなければ、放射線による健康影響は確認されていない、という表現はとりようによっては「100ミリシーベルト未満なら健康影響はない。」、つまり安全だ、と言っているようにも受け取れる。まさにこの『表現』が大問題なのだ。この表現の後に「これは100ミリシーベルト以下なら安全であることを意味しません。絶対安全な線量は被曝ゼロです」という一言が入っていれば何の問題もないだろう。しかしこの肝心な一言を省いている。
こうして2011年4月食品安全委員会は『放射性物質の食品健康評価に関するワーキンググループ』を発足させ、4月21日第1回会合から7月26日第9回会合まで検討会を開催することになった。「国内外の約3300の文献を整理し、専門家による食品安全評価を行いました」はこの時のことを指している。このワーキングは、食品安全委員会の事務方(政府官僚)とそれと気脈を通じるICRP派の科学者たちが終始会議をリードした。結論は目に見えているのだが、ICRPを支持する学者たちも実は1枚岩ではない。「放射線被曝に安全量はない」というセオリーに忠実であらんとする学者と、そんなことを言っていたら「原発」は維持できない、100ミリシーベルト以下は安全、と言ってしまえとする最右翼(超核推進派)の学者の間で一悶着あった。勘違いしてもらいたくないのは「放射線被曝に安全量はない」というセオリーはICRP派の学者の公式見解でもある。だからこの看板は外せない。看板を外さないでどうやって事実上『100ミリシーベルトが安全のしきい値』であると思わせるか、その表現が大問題だったのである。ワーキングではこの表現をめぐって一悶着があった。 |
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第9回ワーキング『津金発言』 | ||||||||||||||||
悶着が起きるのは第9回ワーキングであった。この日は最後のワーキングで食品安全委員会の事務局官僚たちの設定したスケジュールによると、同日『最終評価書』をまとめねばならなかった。官僚たちの用意した『評価書案』には次の文言があった。
『評価書案』を参照のこと。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/fukushima/foods/20110726_sfc9_hyouka.pdf>) これではいかにも生涯被曝線量100mSv以下は安全であるかのように受け取れる。もしそう受け取られれば(誰でもそう受け取るのだが)、それは科学的真実ではない。この文言に噛みついたのが、ワーキンググループ専門委員の津金昌一郎(国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部長)である。まっとうな科学者ならこの文言に異議を唱えて当然だろう。以下当日議事録から引用する。(P11~12)
これに対してワーキンググループの座長である山添康(東北大学大学院薬学研究科教授)が何をいまさら、という風に次のようにいう。
ABCC=放影研のLSSの結果が、この評価全体の根拠として使われたのだから承認してくれと言うところだろう。しかしLSSも先に見たように100ミリシーベルトがしきい値(被曝安全量の境目)とは言っていない。LSSを「安全側のサイド」と解釈するのは相当無理がある。それは、山添も津金もわかっている。(専門家でない山添はわかっていないかも知れない。あるいは厚生労働省の専門家官僚の言うことを鵜呑みにしていただけかも知れない。私には判断がつない。) この『評価書』自体は科学的な検討から作成したものではない。なにがなんでも100ミリシーベルト以下は大丈夫だ、という結論を出すことを目的とした政治的『評価書』だということはよくわかっている。しかしそれでも津金にはまだ学者としての良心が残っている。その良心は名誉も地位も収入も捨ててまで守ろうとする強い良心ではないが。以下津金の遠慮がちな反論を続ける。
津金は、暫定規制値(食品1kgあたり500ベクレルの放射線規制値)を追認したとき、食品摂取による年間被曝線量は10ミリシーベルトまでは安全だと結論した、今回は年間1ミリシーベルトまでは安全だと宣言したに等しい、これは暫定規制値(これは厚生労働省の官僚が決定した法律違反値である)の根拠は間違っていたことを認めることになるではないか、だから、食品摂取による被曝は「ゼロ」が絶対安全値なのだということを認めた上で、生涯被曝線量100ミリシーベルトまでは許容できる、とすべきではないか、という主張である。100ミリシーベルトが許容値の上限として正しいかどうかは別として、津金の論旨は筋が通っており科学的“もの言い”である。しかしこの科学的議論は多勢に無勢で無視された。 |
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「上限値」を「安全値」と言い張る政府官僚の悪質さ | ||||||||||||||||
『食べものと放射性物質のはなし』と題したリーフレットの「A3 (食品安全委員会の専門家による影響評価の結果)生涯で放射線による健康影響が確認されるのは・・・おおよそ100ミリシーベルト以上と判断しました」といっているのは、以上のようないきさつでできあがったシロモノである。従って「A3」の回答「科学的に見て心配する必要はありません」は、まったく「非科学的かつ政治的」回答なのである。
そもそも「年間1ミリシーベルト」自体、安全値ではない。許容の上限値だ。「1ミリシーベルト」を「安全値」だと言い張るのはもうデマとしか言いようがない。悪質極まる記述である。 食品安全委員会の『評価書』では「100ミリシーベルト未満では安全です」とか「年間1ミリシーベルト未満なら安全です」とか一言もいっていない。ただ強く仄めかしているだけである。しか政府官僚はそうは捉えない。『食品安全委員会のお墨付き』を得たとばかりに、仄めかしだけを強調して安全説を振りまくのである。
昨年の暫定規制値でも健康への悪影響はなかったが、一層の安全と安心を確保ため新基準値が施行された、と述べるくだりだが相当苦しいいいまわしである。この通知は要するに『新基準値』は安全に安全を考慮した基準値なのだから、業者が勝手に独自の放射線上限基準値を作るな、という通知である。厚生労働省の新基準値を上回る上限基準値は当然想定していないから下回る基準値である。こういう業者が存在するのかというと存在するのである。たとえば食品共同組合『グリーンコープ』は、チェルノブイリ事故での放射能汚染食品問題以来、食品1kgあたり10ベクレルを汚染上限値としてきたし、大手スーパーマーケットの『イオングループ』は、福島原発事故後50ベクレルを社内上限基準値とした。こうした動きは農水省には困りものである。一つには放射能汚染食品に対する不安から一般消費者は、これら汚染食品を新基準値以下で管理する小売り業者から購入しようとする。このため「新基準値」そのものが有名無実化することだ。二つには小売業者が独自基準で販売すると独自基準を持たない業者から不満が出ることである。独自基準をもたない業者は当然自前のベクレル検査(放射能濃度測定検査)機能をもたない。これには相当なコストがかかる。独自基準を持つ業者とそうでない業者の間にはこれまで経験しなかった新たな「差別化要因」が加わることになる。この差別化要因をクリアするためには、自前検査というコストをかぶらなくてはならない。独自基準を持たない業者はこれを回避したいわけだ。農水省の通知をさらに続ける。
『介入線量』はICRPの放射線防護のための用語である。これ以上は容認できない、これ以上は捨てておけないとして規制当局が「介入」しなければならない線量のことである。この意味では『公衆の被線量年間1ミリシーベルト』も『一般食品のセシウム放射線濃度:1kgあたり100ベクレル』も全て介入線量レベルである。つまり介入線量には常に上限値しかあり得ない。ところがこの通知では介入線量レベルを安全値として捉えている。だから基準値を下回る自主検査の上限値を「過剰な規制」と表現している。「基準値」と表現しようが「規制値」と表現しようが、その値は常に「容認できる上限値」である。だから「過剰な規制」などは理論的にも実際的にもあり得ないのだ。放射線被曝の絶対安全値は何度も繰り返すように『被曝ゼロ』なのだから。ところがこの農水省通知では基準値を事実上『安全値』、それも絶対レベルの安全値だと言い切っている。津金が危惧したとおり食品安全委員会のワーキング評価書で「放射線による悪影響が見いだされているのは、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯における累積線量として、おおよそ100 mSv以上と判断した」という文言はすでに農水省の官僚たちによって悪用されているのだ。 |
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「内部被曝」影響と「外部被曝」影響 | ||||||||||||||||
これまで扱ってきた問題は、一言で云えば『放射線被曝に安全量はない』という命題を完全に認めるか認めないかという問題だった。この命題は表向きICRP派の学者を含め、全員が一致して認めざるを得ない命題だ。しかしこの命題を完全に認めてしまうと極めて都合の悪い事態になる。原発が推進できないのだ。これまでのところ放射性物質を全く放出しないで運転できる核施設は原発を含めて一つもない。被曝に安全量はないということになるとこれまで金の力で原発立地を受け入れてきた地域でも、健康被害を恐れて原発立地を受け入れなくなるかも知れない。第一そんな恐ろしいものを操業させるなどということは国民世論が許さないだろう。原発を推進するためにはどこかの線で『安全』と思わせる「しきい値」がどうしても必要だった。それが「生涯被曝線量100ミリシーベルトの被曝は安全」といういい方だ。しかし『安全』と言い切ってしまうと科学的真実に反する。そこで考え出されたいい方が「生涯被曝線量100ミリシーベルト以下で健康に被害があるという科学的証拠はない」というもって回ったいい方だった。食品安全委員会の『評価書』も基本的にはこのいい方を踏襲しているし、今扱っている『食べものと放射性物質のはなし』もこの言い方に倣っている。しかしこれはICRP派の学者の中での争いだ。すでにICRPのリスクモデルを支持しない学者、ここでは『非ICRP派』と表記することにするが、非ICRP派の学者の中ではそんな論争は存在しない。非ICRP派の学者にとっては『放射線被曝に安全量はない』との命題はそのまま掛け値なしに受け取られている。しかし1945年以降の、核兵器実戦使用やきちがいじみた大気圏内核実験、その後の核事故(原発事故を含む)で大量に放出された放射性物質、際限のない放射線の医療応用などのために地球はひどく汚染されてしまった、厳密に言って被曝していない人などは地球上にいない、だから被曝ゼロにすることはできないが、被曝を最小限にする必要がある、と説く。 しかし『Q4』でなされた設問は、ICRP派と非ICRP派をくっきり分ける中核部分に関する設問なのだ。自然放射線と人工放射線も健康への影響は同じなのか?この設問はある意味巧妙な設問である。自然放射線にも外部被曝要因と内部被曝要因が含まれる。たとえば地球の地磁気や大気層をかいくぐって地表に届く宇宙放射線の影響は100%外部被曝である。しかし自然放射線の代表的な例、カリウム40による被曝は内部被曝の影響だ。人間にとって必須の元素カリウムにわずかに含まれるカリウム40による内部被曝は不可避である。一方人工放射線による被曝も内部被曝要因と外部被曝要因が含まれる。広島・長崎原爆で核爆発の強烈な一次放射線(γ線と中性子線)に曝された被爆者の被曝は外部被曝である。しかし広島・長崎原爆で降り注いだ放射性降下物(黒い雨などの)によってこうむった被曝はほぼ内部被曝である。チェルノブイリ事故での被曝の多くは、一部事故収束にあたった『清算人』がこうむった被曝を除いてはほぼ内部被曝によるものである。1960年前後に最高潮を迎えた大気圏内核実験で世界中の人々がこうむった被曝は放射性降下物による内部被曝である。 つまり「自然放射線と人工放射線による被曝影響は同じか?」という設問は、実は「外部被曝と内部被曝の被曝影響は同じか、同じでないか?」という設問を巧みに覆い隠した設問なのだ。ともかくリーフレットの答えを見てみよう。『A4』はいう。
従ってこの回答は内部被曝も外部被曝も健康影響は同じです、たとえば実効線量1ミリシーベルトの健康影響は内部被曝も外部被曝も同じ1ミリシーベルトです、と回答していることになる。が、本当にそうか?この命題こそICRP派と非ICRP派をくっきりと明瞭に区別するポイントである。 |
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私たちの日常世界と細胞世界 | ||||||||||||||||
ICRPのリスクモデルでは、外部被曝も内部被曝も同じ線量の被曝なら同じ影響を受ける、と述べている。内部被曝であろうが外部被曝であろうが関係なく、その被曝総量(外部被曝線量+内部被曝線量)が問題だ、という。非ICRPの学者たちはそうは考えない。内部被曝と外部被曝は全く異なった被曝システムと被曝モデルをもった異なる被曝である、従ってそのこうむる影響は、ICRPの実効線量概念で表すと全くおなじではない、それどころか100倍から1000倍の誤差がある、と説く。 この話を理解するためにはICRPのいう「シーベルト」の概念を理解しておかねばならない。もう一度おさらいしておこう。 物理単位概念に従うと、放射線源から受ける物質の放射線の吸収量の単位はグレイ(Gy)である。ICRP派の日本における大権威、放射線影響研究所(放影研)のサイトから引用しておこう。『グレイ』とは「電離放射線により物質に与えられた単位質量当たりのエネルギー量。グレイ(Gray、Gy)は組織内に放出されたエネルギーの総量で、技術的に言えば、組織1 ㎏に付き1ジュールのエネルギーです。電離放射線は人体を通過する時、エネルギーの一部を周囲の組織に放出します。」(http://www.rerf.or.jp/glossary/gray.htm) 物質1kgあたり1ジュールの電離放射線のエネルギーを吸収した時1グレイと定義していることになる。1ジュール(記号はJ)のエネルギーとはいったい何か?エネルギーを一般抽象化した時のエネルギー単位であり、具体的には様々に翻訳できる。たとえば1ジュールのエネルギー量を力仕事に換算すれば、地表で1個の小さめなリンゴ(102グラム)を1m持ち上げる時のエネルギーに相当する。電気に換算すれば1秒あたり1ワット(1Ws)に相当する。電気代は1kWhで請求されるので「キロワット/時」で換算すると1kWは1000W、1時間は3600秒だから、1ジュールは2.78×10-7kWhということになる。2012年9月1日から東京電力管内の一般家庭・小口事業者向け電気代は値上となり1kWh当たり平均約25円になった。だから東電管内では1Jの電気代は25円×2.78×10-7kWh=6.95×10-6円の電気代に相当することになる。また私たちにお馴染みの熱量カロリーに換算すると1ジュールは0.2389カロリー(cal)である。お茶碗一杯には米粒が約3250粒(約150gとして)あるんだそうだ。またご飯3250粒の熱量は252Kcalだそうである。252Kcalは25万2000カロリーだから、米1粒は0.003Jのエネルギー量だということになる。1ジュール/kg、すなわち1グレイが私たち日常生活の中ではいかにとるに足りないわずかなエネルギー量にすぎないかがわかる。 ところが1ジュールは私たちの体の中、細胞やそれを構成する分子や原子の世界ではとんでもない厖大なエネルギー量になる。電離放射線のもっとも恐ろしい作用はこの記事の冒頭でも触れた『電離作用』にある。『電離作用』とは原子や分子からそれを構成する電子を奪い取ってしまう作用のことである。奪い取られた分子や電子はもう元の機能を維持できないばかりか、それ自体が健全な細胞にとって危険な『フリーラジカル』になってしまう。ゾンビに噛みつかれた健全な人間がゾンビになってしまうようなものだ。電離作用を受けた細胞はもちろんそれ自体修復機構を持っているから修復ができるが、体の中にわずかな放射性物質でも入り込んでしまって常時被曝に曝される状態、すなわち慢性内部被曝状態では、修復機構そのものや細胞が損傷を受けたかどうか監視する機構、細胞修復監視機構そのものが破壊される。そうすると細胞修復機構も働かなくなり、その細胞は死滅するかあるいは異常な修復をして暴走状態に入る。これがもっとも恐ろしい状態だ。 それではこの電離作用を起こすエネルギー量はどのくらいかというと平均10電子ボルト(10eV=エレクトロン・ボルト)である。電気の世界でV(ボルト)の単位はお馴染みだが、1eVは1個の電子に1Vの電位差を与えるエネルギーである。わかりやすくいうと1個の電子に0Vの状態から1Vの高さ(電位)にまで引きつけるエネルギー(力)だと考えたらいい。1個の電子に電離現象を起こさせるエネルギー(原子から1個の電子を飛び出させるエネルギー=電離エネルギー)は10eVとして、1ジュールというエネルギーを電子ボルトに換算するとどれくらいになるかというと、1J=6.24×1018 eVとなる。628京(けい)電子ボルトである。(京は兆の1万倍)1kg当たりの電離エネルギーの吸収量が1ジュール、すなわち1グレイなら単純に計算して体の中の細胞から62京個の電子を原子や直接分子から飛び出させる(電離)させることになる。体の外の一般日常世界では取るに足らない1グレイの電離エネルギーが、体の中、細胞の世界ではどれほど致命的な量かがわかるだろう。ヒトは一時に7グレイ以上の放射線を浴びると即死に近い状態で死亡するといわれているが、それは電離作用で細胞が死滅し、細胞でできあがった臓器や器官が正常に働かなくなり多臓器不全に陥るからに他ならない。しかし7グレイは米粒一個の熱エネルギーにもほど遠く、携帯電話を1秒も動かすことのできない電気エネルギーにしか過ぎない。私たちの日常生活の世界と細胞レベルの世界では全く異なるダイナミズムが働いている。日常世界の常識で細胞世界を推し量ってはならないのである。 |
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(以下その②へ |
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