No.11 | 平成18年2月5日 |
2006年1月20日の中国新聞にちょっと、ぎょっとする記事が載った。 フランス共和国大統領、ジャック・シラクが「テロ攻撃に対しては核攻撃をするかも知れない」と発言したという記事だ。例によって共同通信の横流し記事だ。共同は19日パリ発となっている。若干引用する。 「大統領がテロ攻撃に対する核使用の可能性に踏み込んで言及するのは極めて異例。1995年の大統領就任直後に核実験を強行したシラク氏は、二期目の任期切れを来年に控え、フランスが核抑止力を保持し続ける姿勢を鮮明にした。」見出しには「テロに核報復辞さず」の刺激的な文言が踊っている。 これは穏やかならざる発言だ。核兵器の製造・貯蔵や核実験はそれ自体、大きな問題だが、やはり実戦使用との間には超えがたい一線がある。広島、長崎に原爆が投下されて以来、「核使用」の危機は何度かあった。一般に知られていないものも含めるとどれくらいの回数になるのだろうか?しかし国連安全保障理事会の常任理事国である主要国の大統領が現在時点で、テロに核報復する、と発言するのは、どんな事情があるにせよ、やはりとち狂っている。真意を確かめたくなって、原文を探したら、フランス大統領のホームページにこの演説の全文があった。URLは以下である。 (http://www.elysee.fr/elysee/elysee.fr/anglais/speeches_and_documents/2006/ speech_by_jacques_chirac_president_of_the_french_republic_during_his_visit_to_the_stategic_forces.38447.html)。 私はフランス語が全く読めないので、困ったなと思ったら、ちゃんと英語バージョンも用意されていた。訳文は以下である。シラク大統領演説。 一読しておわかりのように、つまらない内容だ。大統領シラクの頭にある「偉大なるフランス」が誇大妄想的に噴出した、と言う感じだ。しかし、もう一度読み直して見て、これは面白い、と思った。と言うのはこの演説の中には核抑止論者の論理がむきつけに表現されているからだ。 この演説を、「テロに対する核報復」の宣言、としてではなく「現代核抑止論者」の言い分として読んでみると、60年以上も前にフランク・レポートがピタリと言い当てている公式の中で、フランス大統領シラクが、そのつぎはぎだらけの論理の中でつじつまを合わせようと、七転八倒している姿が浮かび上がってくる。 1945年6月11日、当時アメリカの国務長官ヘンリー・スティムソン宛に発送された、フランク・レポートはは、冒頭こう云っている。 「原子力(nuclear power)を特殊なものとして扱わなければならぬ、たった一つの理由は、その平和に及ぼす政治的圧力の手段として、あるいは戦争において瞬時に破壊をもたらす手段として、それがとてつもない潜在力を持っている点である。」 そしてこう続ける。 「しかし今やわれわれ科学者は、同じ態度を取ることはできない。原子力の開発で達成した成功は、過去における諸発明をすべて合わせてもまださらに大きな危険を、永久に孕んでいるからである。」 そしてこう注釈を加えている。 「過去に置いて、科学はしばしば攻撃者の手の中にある新兵器に対して、適切な保護装置をも提供することができた。しかし、原子力の壊滅的な使用に対しては、そのような有効な保護装置を提供できると約束することはできない。」 では、この核兵器という化け物も対する有効な保護装置はないのか、というとフランク・レポートはこういう。 「世界の政治的機構だけが、このような保護装置を招来することができる。・・・国際紛争を不可能とするような強制力をもった国際的権威が存在しない中、世界の諸国は、完全な相互破壊に導くに違いない道から逸れて、ある特定の国際的合意を達成することによって核装備競争を遮る道がまだ残されている。」 そしてそのような国際合意は、実効力のある運営機関に支えられた「国際核戦争防止協定」であるべきだと言っている。また当時広島に対する原爆投下の直前、各国主権を一部制限した形でこのような国際核戦争防止協定を結ぼうとすれば、実施できる環境にもあった。 このフランク・レポートから60年経た2005年、ノーベル平和賞委員会の委員長、オーレ・ダンボルト・ミョースは、国際原子力機関(IAEA)の活動に触れ、このフランク・レポートでの提言と同様な指摘をしている。 「IAEAはその力をよく維持しているばかりでなく、その立場を強めてすらいます。またその安全管理能力は、各国政府の下にあったいろんな実務機能をIAEAの中に取り込むようにもなっています。ある意味これは国家主権を浸食することではありますが、IAEAが管理を強めることに関する限り、事態はあらたな地平を迎えることになります。」 しかし一読して分かるとおり、60年以上たっても、国際的核戦争防止保護装置の創設への可能性は、フランク・レポートでの提言の時点より、さらに後退しているのである。まるで時計の逆回転を見るようだ。 「不思議の国のアリス」の世界である。 |
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さて核抑止論である。前回(トルーマンは何故原爆投下を決断したか?Y 暫定委員会とその決定 後編)で見たように、「核抑止論」はあとからつけた屁理屈である。 まず核兵器を含む原子力エネルギー市場を大きくしたいと言う要求がまずあって、その要求を満たすためには平和時でも核実験を行う必要がある。それは核兵器の性能をテストする事が第一義なのではなくて、核兵器製造を支える回りの関連産業に常に道を明けておくことが第一義なのだ。 核抑止論は「核兵器市場を維持発展させたいという勢力」が自分の要求を正当化するために考え出した後付けの屁理屈なのだ。従って「核装備論者」は常に「核実験必要論者」であり必然的に「核抑止論者」である。その時によって主張の濃淡は違うが、これは三点セットである。 「核抑止」で使われる英語は抑止を意味する<deterrence>である。もともとは法律用語、裁判用語なのだそうである。これが各種論文に頻繁に現れるようになったのは、1950年以降である。ちょうど1949年にソビエトがセミパラチンスクで核実験を成功させている。 この核抑止論(Nuclear Deterrence)は俗称で、専門的には相互確証破壊戦略(Mutual assured destruction)というのだそうだ。ここでは詳しく立ち入らないが、戦後冷戦の中で発達した理論であること、いろいろ科学的手法が取り込まれ洗練化していったこと、現在でも有効な理論とされていることを確認しておきたい。またアメリカでは銃砲規制反対論者が、この核抑止論をよく引き合いに出している。つまり、「銃が人口に対して普及している社会では、お互いに銃を所有していることがお互いの脅威となり、銃を使った犯罪率が低下する」という理論だ。現実はそうなっていなくて、銃の蔓延している社会では、銃による犯罪は増えている。引き合いに出される核抑止論も同工異曲と考えておけばまず間違いない。 核抑止論は次のURLが一般的な解説をしている。 (http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_deterrence) また日本における理論展開は次のURLなどが代表的かもしれない。 (http://www.drc-jpn.org/AR-5J/takayama-j.htm) 要は核抑止論を一皮むけば「核保有論・核装備論」があらわれる。いいえかえれば、核抑止論とは核装備論者の厚化粧である。理論的に精緻化すればするほど厚化粧はケバケバしくなっていく。核戦争に唯一対抗できる手段は、フランク・レポートが指摘するとおり、各国の主権を制限した形での国際核戦争防止合意しかありえない。 |
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こうした点に留意しながら、シラク演説を見ていこう。 その前にシラク演説のうち、今回問題になった、テロリストに対する核報復に関する部分を見ておこう。 シラク演説のうち、テロリストに対する核報復に触れた部分はわずかに以下の箇所だけである。 「2001年9月11日の攻撃の直後、私が強調したように核抑止力は狂信的なテロリストを思いとどまらせるものではありません。しかし、われわれに害を及ぼす手段として使おうとする国家の指導者たち、またあちこちで大量破壊兵器を使用しようとしている国家の指導者たちは我々の側から断固としたまたそれにふさわしい反撃が彼らの前に口をあけている、という事を理解しなければなりません。この反撃は通常兵器であることもありましょうし、また異なる種類の反撃でもあり得ます。」 シラクはここで、直接テロリストに対して核兵器を使用する、と言ったのでなく、テロリスト支援国家に対して、通常兵器以外の手段、すなわち核兵器、を使うかも知れない、といったのだ。それはそうであろう。 核兵器を使おうとしてもテロリストはどこにいるのか分からない。 「われわれの戦略部隊は柔軟で鋭い反応力を持っていますから、その力の中心部に対して反撃を加えることができますし、また敵の機動力に対しても直接反撃を加えることができます。このためわれわれの持つ核軍事力はそれにともない、装備の取り替えを行いつつあるところです。たとえば、われわれの潜水艦に装備しているある種のミサイルでは核弾頭の数を減らしていますが、それはこの目的のためです。」 テロリスト国家に対する核攻撃は、当然限定的・局地的核攻撃にならざるを得ない。なぜならまともに核攻撃を行えば、テロ支援国家どころか周辺諸国もまとめて、蒸発してしまうような破壊力を今の核兵器は備えているのだから。 つまりこのような核兵器は使用できない。だから、もっと小型の核兵器を発射できるように「潜水艦の装備を交換」し、破壊力を限定するために「核弾頭の数を減らす」わけである。 シラクの長い演説の中で、テロリストに対する直接の核攻撃に触れた部分はこれだけで、後は延々核抑止力に関して時間が割かれている。しかもどうも本当に云いたいことは、この演説の最後の所に出てくる箇所、 「(フランスの防衛予算の中で)防衛努力全体の10%の(核軍事予算)は、我が国に対して信頼性のあるまた継続的な安全を保証するのに十分にして適切な値段ということができましょう。この件に関して疑問を提起するのは、極めて無責任だと言う点を強調しておきます。」 の部分らしいのだ。 これでは共同通信の記事を読んでいては訳が分からない。 まずワシントン・ポスト。(URLは以下。http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/01/19/AR2006011903311.html) パリ特派のモーリー・ムーアという人の記事だ。 やはり先ほどのテロに対する核攻撃に関連した部分を引用した後で、これはテロ支援国家としてイランを念頭に置いたものであり、IAEAがイラン核疑惑問題をテーマに2月2日に緊急理事会を開く予定となっていることを紹介しながら、パリにある戦略研究所の所長、フランシス・ヘイバーグと言う人のコメントを紹介している。 ヘイバーグはいう。 「タイミングは完全にいい、とは云えない」「この演説は、核兵器獲得をあきらめさせるような演説ではない」と指摘している。しかし、ヘイバーグは恐らくこの演説は国外向けではなく、国内向けのものだろう、という。シラクは2007年に大統領の任期が切れるが、核装備に予算を使いすぎるという国内の批判に反論するのが狙いではないか、という。 AP通信は、ジャミイ・キートンという人が記事を書いている。シラクはテロリストに対する核攻撃の話を引き合いに出して、冷戦後も続ける高価な「核抑止政策」に対する国内の批判を芽のうちに摘んでおこうとしている、と言う書き出しだ。記事は次のURL。 (http://seattlepi.nwsource.com/national/1103AP_France_Nuclear.html) 国こそ名指してしていないが、恐らくはイランそして北朝鮮を念頭に置いて、21世紀の核抑止はこうしたテロ支援国家に向けて、そのドクトリンをアップデートした、と書いている。ただ、続けてヨーロッパの他の諸国からの支持はほとんどない、と解説している。ベルギーの日刊紙「ド・モルゲン」の編集者のコメントを次のように紹介している。 「ジャック・シラクは愚か者(an idiot)である。フランスはもはや世界の大国ではない。なのにシラクはまだ、ナポレオン帝政の時代が続いているかのような振る舞いだ。」 スペインのエル・パイス紙がこの演説を「過激で危険」としたことも紹介している。そして、フランスが核政策のために今でも毎年30億ユーロ(約36億2000万ドル- ドル=110円として約4000億円)を使っていることに国内外からの批判がある、と指摘している。そして、フランスの革命的共産主義者同盟党の党首、アラン・クラバンがテレビ出演したときの次のようなコメントを紹介して記事を締めくくっている。 「完全に無責任な宣言である」 整理すると次のようになる。 1.テロリスト国家へ核攻撃云々の話は自分の話に注目を集めるための、いわばダシだった。 (それはそれとして確かに危険な発言ではあるが) 2.話の本筋は、フランスの核抑止政策は今後も続けるべきだ、と主張することにあった。 3.核抑止政策継続を考えると、今の核抑止政策予算年間約30億ユーロは妥当な金額だ、と 主張することにあった。 なにか「幽霊の正体見たり枯れ尾花」みたいな話だが、「核抑止論」そのものは決して「枯れ尾花」ではない。 |
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1945年トルーマン政権のもとで組織された、原爆の使用と管理及び戦後機構構築に関する暫定委員会、6月1日委員会議事録に教えられた仕組みによると、世界には核装備をしたい勢力が存在する。 それはさしあたり政治的主張なのではなく、経済的利益のためだった。 そのためには常に核軍備拡張競争の状態を作り出しておく必要がある。 その勢力の政治的・軍事的主張が、「核抑止論」である。 従って核抑止論は、「核を巡る危険な状況を作り出し、それに利益を見出している勢力」の理論的支柱なのだ。決して「枯れ尾花」どころではない。 そして今はっきり分かるのだが、この勢力が結局の所、「日本に対する原爆の使用」を熱烈に望み、「広島に対して原爆を投下」したのだ。 お人好しトルーマンはそれら勢力の神託を最終確認する政治的神官に過ぎなかったのである。 フランス大統領シラクは、かつてトルーマンが果たした役割を現代に置いて果たし、そして表舞台から姿を消そうとする政治的神官の一人に過ぎない。シラクの演説をこうした立場から検討すれば、表舞台に決して姿を現さないこうした勢力の意図が透けて見えるかもしれない。 シラク演説の検討にはいる前に現在世界の核競争・核拡散の状況がどんなものか概観しておきたい。格好の資料がある。 少々古いが平成16年(2004年)10月4日、原子力委員会が「第16回長計についてご意見を聞く会」を開き、その議事録を入手でき、そこに概観が示されている。URLは次である。 (http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/tyoki/chokei2004/chokei16/16gijiroku.pdf) 後でサーバーから削除されると困るのでPDF文書を別にダウンロードしておいた。 (原子力委員会 長計についてご意見を聞く会(第16回) 議事録) どうでもいいことだが、私にはこの「長計」がどうしても分からなかった。何か専門用語だろうと思って「原子力百科事典」(http://sta-atm.jst.go.jp:8080/)なども使って調べてみた。そしてハタと気がついた。これは「長期計画」のことなんだ。「あけましておめでとう」を「アケオメ」と省略することに通じる一種の下品さがある。原子力委員会内部で隠語として使っている分には構わないだろう。しかし、議事録という公文書までにこうした隠語がまかり通るとは。ご神託は一般庶民には分かるはずがないと云うことか・・・。 この日、プリンストン大学のフランク・フォン・ヒッペル教授という人を招いて、内輪の講演会を開いたらしい。格好の資料というのは、このヒッペルさんの講演内容である。フランク・フォン・ヒッペルという人がどういう人か分からない。名前から判断するとアメリカ市民権を取得しているとしても、明らかにドイツ貴族系の名前である。(もっともヘルベルト・フォン・カラヤンだって、おじいさんはアルメニア系のドイツ移民。商売で大きくなってドイツ貴族の称号を手に入れたのだから、これはわからない) 原子力委員会は、内閣府の組織らしい。「原子力委員会は、内閣府に設置されており、5名の委員で構成されています。長期計画の策定をはじめ、我が国の原子力政策の基本的枠組みなどについて企画、審議し、決定することを目的としています。」とそのHPにある。(http://aec.jst.go.jp/)。 議事録で近藤委員長とあるのは東京大学大学院の近藤駿介氏の事だ。 (http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/about/iin/kondou.htm) 近藤委員長はヒッペル教授のことを次のように紹介している。 「1959年MIT(マサチューセッツ工科大学)で学士をとられ、62年のオクスフォード大学で理論物理学の博士をとられ・・・1993年にクリントン政権時代にホワイトハウスの科学技術政策局安全保証担当アシスタントディレクターになられ・・・」 なおここで安全保証担当、となっているがこれは明らかに「安全保障」の誤植であろう。 |
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ヒッペル教授は、まず核分裂物質をその重量で兵器に換算し、広島型と長崎型に分類する。(興味深いことに今でも換算の単位として広島に落としたウラン型爆弾リトルボーイと長崎に投下したプルトニウム爆弾ファットマンが、破壊力の単位として使われている) 広島型については、80%の高濃縮ウランが60Kg使われたのでこれが1単位となる。(純粋ウランU-235換算では、48Kgとなる)一方長崎型はプルトニウム(P-239)が6Kg使われた。しかしアメリカのやや高度な兵器となると余剰プルトニウムを転換して使うので4Kgが有意量1単位となる。 現在世界には不確定ながら、兵器用プルトニウムが約200トンあるという。4Kgを1単位として考えれば、ファットマンが5万個作れる勘定になる。TNT火薬に換算すると、ファットマンの破壊力がTNTで2万トン相当だったから、1の下に0が9つだから、ええと、10億トンと言うことになる。(こういう人たちは、こういう話をするとき、どんな顔して話しているんだろうか?) このほかに民間に200トンのプルトニウムがある。もちろん兵器用として転換することも可能だ。 一方広島型の兵器用高濃縮ウランは約1200トンある。広島型1発を60Kgとすれば、リトルボーイを2万個作れる勘定になる。ただし、この1200トンの中には、アメリカ、ロシア、イギリスが申告している余剰ウランは含んでいないと、ヒッペル教授は補足している。 なお、ウラン型は国際原子力機構(IAEA)の換算方法では25Kgが有意量単位となっているから、IAEA方式で換算するとウラン型核兵器は約4万8000個、と言うことになる。 大ざっぱに記憶するなら、広島型が約5万個、長崎型が同じく約5万個、計10万個の潜在核兵器が世界に散らばっているということになる。しかもこの中には、平和利用用や研究用の核燃料は含まれていないと云うことも記憶しておかなければならない。 しかし、ヒッペル教授によると兵器用核分裂性物質の生産は兵器用核分裂性物質生産禁止条約(通称カットオフ条約 Fissile Material Cutoff Treaty -FMCT)を締結することによって、生産に終止符を打てるようになると言う。1993年9月に当時のアメリカ大統領クリントンが国連総会の場で提案したものだ。現在まだ締結の目処は立っていない。肝心のアメリカが、この確認・検証作業に異議を唱えはじめ、暗礁に乗り上げているとヒッペル教授自身が説明している。 しかしである。私のような素人の目から見れば、先ほど見たように10万個の核兵器が作れる核分裂性物質が世界にすでに存在して、この上何を作ろうというのか、という気がする。もう核兵器先進国にとっては、兵器用核燃料は十分すぎるほど有り余っているわけだから、この条約の効果は、これから必要とする核兵器後進国での生産をストップさせる以上のものではない。核不拡散という意味では、それはそれなりの効果があるのだろうが、枝葉末節の議論である。 要は、いかに困難があろうと、フランク・レポートが指摘するように、もう一度広島に原爆投下する前に戻って、全てをリセットし、全面的核戦争防止条約締結に向けて世界が、努力と知恵を結集するしかない。現在は、各国の利害(各国の利害とは正確に言えば、各国に存在する核兵器を拡大したいとする勢力間の利害)が麻の如く錯綜し、先ほどのカットオフ条約のような些細な国際合意でさえ得られない状況だ。 根本的には、各国の主権を一部制限した形での、国際核戦争防止条約締結しか、いかに困難であろうが、核戦争を防ぐ道はない。それへの最大の障害が、核抑止論者である。 |
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しかし、ヒッペル教授の講演を聴いていると事態はさらに危険な方向に向かっているとしか思えない。 ヒッペル教授の講演を聴いてみよう。 「先ほども申し上げましたように、アメリカとロシアにはまだ大量の物質が、核兵器備蓄に残っております。・・・さらなる余剰物質の申告が可能になると思います。」 私には「余剰物質」の概念がどうしても分からない。何に対して余剰なのか?前後の文脈からすると、想定している核兵器の量に対して、余剰な兵器用核分裂物質、としか読めない。そうだとすれば、この人たちは狂っている。素人の私の目から見れば、地球を何回も破壊させるだけの量の核分裂物質を保有し、ある一定の量以上は「余剰」だというのだ。地球を2回破壊させる量は適正だが、3回目以降は余剰、とでも云うのだろうか。 素人の私が、よほど頭が悪く、ものの道理が分からない人間なのか、それともこの人たちが狂っているのか、どちらかである。 私たちはこれまで、狂っている人間を、なにかありがたい神託を告げる神官の専門家集団として、崇め奉ってきたのではないだろうか? 良心的に狂っているヒッペル教授はこう続けている。 「私どものように核軍縮について関心を持つ人間にしてみれば、核分裂物質の在庫量の総量を申告すべきだと思うわけです。」 アメリカはプルトニウムの在庫については27トン、と申告をした。しかし濃縮ウランについては申告していないと云う。ヒッペル教授。 「クリントン大統領の方で、濃縮ウランについても同様な申告をする、・・・それで報告書がだされる予定になっていたわけですけれども、その報告書がまだ出ておりません。・・・その理由はアメリカの海軍が異議を唱えていると聞いております。」 「(兵器用濃縮ウラン及びプルトニウムの在庫に関する数字の不透明性について)実は私なりの推定をしてみたことがありました。とにかく、1964年にアメリカは兵器用の(核分裂性物質の)生産を停止したわけでありますけれど、その前には、ほとんど原子力発電用の用途については需要がなかったと言うことがございます。ですから、そういう濃縮関係の理由によりまして、兵器用の用途の必要量がというのが大体分かるわけです。これで高濃縮ウランにつきましても兵器換算の数字を出すことができます。ロシアの方は、もう完全に憶測の数字で、ロシアに関してはこういった情報はございません。」 そして話を核テロの問題に転じる。 一つの大きな問題が、高濃縮ウランやプルトニウムの貯蔵の問題だという。 アメリカに置いて何度か演習が行われており、アメリカの核物質(貯蔵)施設においてもたとえば、そこに重装備の人間が攻撃をしかけるといった演習を行いますと、大体半分ぐらいは(兵器に使える核物質)を運び出すことができる(強奪することができる)ということが分かっております。」 「内部のものの盗みと言ったことが起きております。・・・また統計的な不確実性を利用して、処理工程から取り出したりと云うことがあるわけで、こういった盗みが起きますと、その結果として、これはもう世界、場所を問わず、どこでも非常に大きな惨劇が起こる可能性があるわけです。」 「私はここ数年、高濃縮ウランの方をより多く心配しております。と言いますのはこちらの方が核兵器に転用しやすいからです。広島型の原爆などは・・・たとえば自爆テロを図ろうと云うような人間が施設にはいると、すぐその場で原子爆弾的なものを作ってしまう。・・・即興型の原子デバイスを作ってしまう・・・これは非常に深刻な問題です。」 「現在の所、(世界で)129の高濃縮ウランを燃料とする原子炉が動いております。これはアメリカエネルギー省の数字です。」 もうヒッペル教授の引用はいいだろう。ここに紹介仕切れないほどの恐ろしい話がいっぱい出てくる。長い議事録ではあるが是非ご一読願いたい。(原子力委員会 長計についてご意見を聞く会(第16回) 議事録) ヒッペル教授の講演の要点をまとめると以下のようになる。 1.世界には広島型・長崎型合わせて約10万個の核兵器に相当する兵器用核物質が存在する。 2.にもかかわらず世界は、枝葉末節の国際合意作りに時間を空費している。 3.その間、特にロシアの崩壊後、核兵器を巡る状況は ますます無政府状態化しつつある。 これが私の問題意識に沿った、ヒッペル教授の講演の要約である。 ついでに云えば、この「長計についてご意見を聞く会」に参集した方々は、専門家なのだろう、私の問題意識の沿った形での驚愕は、議事録を読む限り見られなかった。私が驚いた事柄は専門家の間では常識とみえ、問題意識は核燃料再処理、環境問題、核燃料リサイクル問題などに集中している。いずれも産業界にとっては金になる話題ばかりだ。ディスカッションに参加したのは以下の人々である。 植松 邦彦 日本原子力産業会議 常任相談役 神田 啓治 エネルギー政策研究所 所長 鈴木 達治朗 電力中央研究所 上席研究員 宅間 正夫 日本原子力産業会議 副会長 内藤 香 核物質管理センター 専務理事 また5人の原子力委員のうち参加したのは委員長の近藤駿介と委員長代行の 齋藤伸三(http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/about/iin/saitou.htm)の2人だけで、 他3名木元則子(http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/about/iin/kimoto.htm)、 町末男(http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/about/iin/machi.htm) 前田肇(http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/about/iin/maeda.htm)の3名は所要で欠席だった。 |
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さてシラク演説の検討に入ろう。一読しておわかりの通り、私の翻訳のまずさも手伝って、非常にわかりにくい文脈である。なにか、本音を隠しつつ、自分の結論にむりやり持っていこうという文章だ。もっとも、核抑止論そのものが、先にも見たように「核軍備論者」のけばけばしい厚化粧だ。核抑止論者のいうことは、いつも回りくどく、わかりにくい。次の特徴は、論旨の自家撞着だ。ここと思えばまたあちら、牛若丸さながらである。 シラク演説は、型どおりの挨拶の後、いきなり「国家的核抑止力の創設はフランスにとって一つの挑戦でした。」からはじまる。この言葉には歴史の背景がある。アメリカ、イギリス、ソ連、フランスの第二次世界大戦連合国の主要勢力のうち、フランスがもっとも遅れてやってきた「核大国」だったことと関係している。 フランク・レポートがむしろこの間の説明を簡潔に記述している。フランク・レポートの時点は1945年6月である。 「アメリカがこの分野に置いて現在の所、他の諸国より一頭地を抜いていると言うことは事実にしても、原子力に関する基礎的知見は世界で共有されている、と言うのが最初の方法に対する答えである。イギリスの科学者は基本的な戦時中の原子工学の発達について、工業技術的な発展のある特定の過程に関する部分を除けば、われわれと同等な知識を持っている。」 アメリカとイギリスとカナダは共同で原爆開発を行う立場で、1945年の時点ではほぼ同等な技術水準にあった。 「もともと原子物理学者のバックグラウンドを持っていたフランスは、時々われわれの大規模計画に接触していたこともあり、少なくとも基本的な科学的事実に関する限り、急速に追いつくことができるだろう。」 もともとフランスは核分裂研究先進国だった。1939年、フレデリック・ジュリオ・キューリー(もともとマリー・キューリーの助手で後には結婚した)、ハンス・バン・ハルベン、ルー・コワルスキー、ジャン・ペリンの4人が中心になって、本格的研究を立ち上げた。そして重水を使った原子炉の概念を完成させる。しかし戦争が激しくなり、ドイツ軍がフランス全土を占領するに及んで、キューリーを除く3人はイギリスに亡命し、イギリスの原爆開発計画チューブ・アロイ計画に参加する。キューリーはパリに残って、レジスタンスに身を投じる。そして戦後フランスの原爆開発は、このジュリオ・キューリーを中心にスタートする。フランスには原爆開発に関する独自の技術がもともと存在したのである。 「ドイツの科学者については、そもそもこの分野における彼らの発見が核開発の出発点だった。戦争中はアメリカが成し遂げたことと同程度の発展はできなかったものの、ヨーロッパの戦争の最後の日まで、アメリカの科学者はドイツの科学者が達成するかも知れないという心配の中で過ごしてきたのである。そもそもドイツの科学者がこの兵器の研究をしており、ドイツ政府はこの兵器が完成し次第何の良心の呵責なしに使用するだろうという見方が、アメリカに置いて、大規模に、軍事利用を目的とした原子力開発をしようというアメリカの科学者の主要な動機になったのである。ロシアに置いてもまた、原子力に関する基本的事実及びそのことの意味するところは1940年までによく理解されていた。核研究におけるロシアの科学者の経験は、恐らく2−3年のうちにわれわれのたどったステップを忠実に追いかけことができるほど十分なものである。」 ロシアはほぼこのフランク・レポートの予測通り、1949年に核実験を行って核兵器保有国となった。フランスはこのレポートの予測より遅れて、1960年2月サハラ砂漠で最初の核実験を行い、核兵器保有国の仲間入りをするわけだが、それはアメリカの核の傘に入らず、独自の開発を行ったためでもある。ここは、「核兵器を保有したい勢力内での利権競争の結果」と読み替えることもできる。 ともかく、この時点で、フランスはソ連に対してより小規模な核兵器を保有することによる、「核抑止政策」を打ち出した。この時のフランス大統領は、シャルル・ドゴールである。 シラクの「国家的核抑止力の創設はフランスにとって一つの挑戦でした。」という冒頭の言葉は、以上のような歴史的文脈を踏まえているのである。そして以降40年間、独自の核抑止政策がフランスの国是となる。 2001年6月、シラクは「核抑止力は、フランスの安全保障にとって本質的な基盤である」とするドクトリンを改めて打ち出した。 シラクは2006年1月19日の演説で、こう続ける。 「冷戦が終了した今、われわれは主要な大国からの直接の脅威のもとにはありません。」 ソ連が崩壊し、冷戦が終了したから、核抑止政策もこれで終了したかというとそうではない。 「しかし二極化の世界が終わったからといって、平和に対する脅威が取り除かれたわけではありません。」と続ける。 この理屈は別に驚くにはあたらない。核抑止論は「核装備拡張論者」の厚化粧だ。常に仮想敵を設定しておかないと、「核抑止商売」はあがったりになる。 |
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シラクは冷戦終了後の「仮想敵」を国際テロリズムに求める。ここらへんの論理展開は現ブッシュ政権と全く同じである。 ところが、ここで屁理屈の展開上、非常に困った事が起こる。思い出して欲しいのだが、核抑止論はその理論的基礎を相互確証破壊戦略(Mutual assured destruction)に置いている。この理論はもともと、仮想的が明確になっている場合にのみ、通用する理論なのだ。(といって、これが壮大な規模での屁理屈であることには変わりない) テロリズムはその正体と所在が不明だから、テロリズムなのであって、正体と所在が明らかになれば、それは単なる国家的暴力装置にすぎない。これを「国家的テロリズム」だと言いくるめるならば、アメリカこそ最大の国家的テロリズムと言うことになる。ともかく核抑止論そのものが屁理屈から出発しているから、シラクに限らずその論理は矛盾と自家撞着に充ち満ちている。 論理的には、核抑止論の現在仮想敵をテロリズムに置いた途端に、「相互確証破壊戦略(Mutual assured destruction)」は無力になってしまう。これに引き続き有効性を持たせようとすれば、相互確証のできる相手、すなわちブッシュのいうような「テロリスト国家」か、シラクが自分の演説で云うような「テロ支援国家」を措定せざるを得なくなる。つまり「相互確証」のできる相手がいないと核抑止論は理論として破綻してしまうのだ。 シラクの自家撞着ぶりを見ていこう。 いまや「テロリズムに対する戦いが、われわれの最優先事項の一つです」と宣言した後で、「この脅威はとりのぞかれていない」と続け、「この危険を取り除くため、われわれは法と集団安全の原則に則って、より公平で、とりはっきりとして国際秩序を確立する方向で効率的に作業しなければなりません。」と話が展開する。 ここで話がこんがらがって分からなくなる。「テロリズム」に対して「国際協調の核抑止力」作っていこう、としか読めないのだが、もともとアメリカの核の傘を拒否して、自国産業の圧力から、「独自の核抑止力政策」を採ってきたのはフランスではなかったのか?じゃ、独自の核抑止政策をやめて、アメリカの核の傘に入るのか、というと、どうもそういう流れでもない。ま、おいおい分かることだからほっておこう。 「世界を震撼させる危険に直面して、この新たな脅威に直面して、フランスは常に、核抑止政策の基本的な枠組みの中で、危険を防止するという道を、まず選択します。」 ここで、シラクは独自の「核抑止政策」を取り続けることを再び宣言する。 「しかしながら、防止だけで十分にわれわれが守れるかというと、それはいささか、素朴な楽観主義にすぎると信じます。」 ここで話はまた分からなくなる。「核抑止政策」で十分と云っているのか、それでは不十分と云っているのか。 フランク・レポートの論理と比較してみよう。 「核兵器は人類が作り出したもっとも危険な兵器である。この兵器に対して身を守る有効な兵器や科学者や技術者が提供できる保護装置はない。唯一この兵器から人類が身を守る手段は、国際政治の側から提供でき、各国の主権を一部制限した形での、国際核戦争防止協定、といった国際合意しかない。いかに困難であろうがそれしか方法はないし、またできるはずだ。」 これがフランク・レポートの論理である。シラクの論理に較べ、はるかにわかりやすいし、筋が通っており、誰でも納得できる。屁理屈は常にわかりにくい。 シラクはこの後でこう続ける。 「現在と将来の不確実性に当面するにあたり、核抑止力は安全にとっての基礎的な保証であり続けます。」 やはり、「核抑止力」は安全」にとっての「保証」なのだ。 「素朴な楽観主義」は一体どこに行ったのか?これもあとでおいおいはっきりするだろう。 突然、次のようなせりふが飛び出してくる。 「同時に、われわれは包括的かつ完全な軍縮を推進しようと云う地球的な努力を、支援し続けます。」 現在進んでいる、各種の軍縮努力、1963年の部分的核実験禁止条約、1968年の核拡散防止条約、1998年の包括的核実験禁止条約、などの核軍縮の努力はもともと2重構造を持っている。「核兵器廃止論者と核兵器保有論者との対立」これが構造の一つ。「核兵器保有論者間の利害対立」これがもう一つの構造だ。この2重構造が複雑に絡まり合って、素人にはわかりにくい議論の展開が延々と続いている。だれが本当に核軍縮を望んでいるのか、表面からはいっそうわかりにくい。しかし、一つのリトマス試験紙は「核抑止論」だ。核抑止論は「核保有論者、核兵器拡張論者」の厚化粧だ。核抑止論を主張しているものは間違いなく「核保有論者、核兵器拡張論者」である。 「同時に、われわれは包括的かつ完全な軍縮を推進しようと云う地球的な努力を、支援し続けます。」などというシラクのせりふを聞くと、知らない人は本気にしてしまう。 1963年の部分的核実験禁止条約に見られるように、フランスは自国の核拡張政策に不都合な国際条約には参加しなかったし、常に消極的だった。それは遅れてきた核兵器保有国フランスにとって、「核兵器保有論者間の利害対立」という構造からみれば、ある意味当然だろう。 しかしだからといって、「われわれは包括的かつ完全な軍縮を推進しようと云う地球的な努力を、支援し続けます。」はいかにも厚かましすぎる、と思っていたら、次ぎにこう続く。 「特に、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)を支持します。」 カットオフ条約はヒッペル教授のところで見たとおりだ。アメリカがもともと提案したものだが、すでに核兵器用の燃料生産はアメリカでは1960年代に廃止してしまっている。十分すぎるほど行き渡っている。フランスに置いても然りだ。この条約の狙いは、兵器用核燃料をこれから生産したいとする、核最後進諸国に対する牽制にあり、フランスのとっては痛くもかゆくもない。むしろ核拡散禁止=核保有国の核独占という構図からみて、フランスが賛成なのはよく分かる。しかしこの1点だけをとりだして、「われわれは包括的かつ完全な軍縮を推進しようと云う地球的な努力を、支援し続けます。」とシラクがいうと、厚顔無恥という言葉が自然と出てくる。 しかし、その支援も限定付きである。 「しかしもちろん、われわれの地球的規模における安全な状態が維持でき、かつその方向へ進めようと云う意志が満場一致であるときのみ、軍縮への道を前に進んでいく事ができるのです。」 今の核軍縮の2重構造の枠組みの中で、満場一致などと言うことはありえない事はシラク自身が一番よく知っているはずだ。詭弁もここにきわまれり、といったところだ。 核軍縮への枠組みを変更し、もう一度広島への原爆投下前にリセット、各国の主権の一部を制限し、核抑止論者は一切排除した形でしか、世界の満場一致はありえない。 「フランスは削減の一方で核抑止軍事力を維持していきます。それと共に核兵器不拡散条約の精神及び保有の制限の基本原則を遵守します。われわれの核抑止政策はそのような精神の中にあるのです。」 とシラクは続けている。この文章は一見矛盾しているようだが、実は論理的に首尾一貫している。削減は、実は核兵器をより実戦形態に近づけるものだ。今の規模の核兵器ではあまりに破壊力が大きすぎて、実戦となると現実的でなくなる。局所的・限定的に使用しようとすれば、大幅に破壊規模を縮小し、つまり削減することが必要になってくる。また核兵器不拡散の精神遵守も、今のフランスの立場から見ると好都合だ。核兵器不拡散とは、言い替えれば「核兵器クラブ」の定員制限なのだから。だから定員制限の上に、より実戦使用の可能性をもった核兵器の開発をすれば、フランスの核抑止力は強化されるわけだ。 |
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そのあとシラクは初めて、筋の通ったことを言い始める。 「2001年9月11日の攻撃の直後、私が強調したように核抑止力は狂信的なテロリストを思いとどまらせるものではありません。」 その通りなのである。核抑止論は、相手が確証でき、また相手に守るべき何かがあるときにのみ、理論的に有効な屁理屈なのである。正体不明の失うものが何もないテロリズムには屁理屈としても通用しない。 テロリズムとは常に「弱者の暴力的反抗」である。 だから、核抑止論ではなく別な手段を講ずるのかというと、 「しかし、われわれに害を及ぼす手段として使おうとする国家の指導者たち、またあちこちで大量破壊兵器を使用しようとしている国家の指導者たちは我々の側から断固としたまたそれにふさわしい反撃が彼らの前に口をあけている、という事を理解しなければなりません。この反撃は通常兵器であることもありましょうし、また異なる種類の反撃でもあり得ます。」 突然、テロリストに対してではなく、テロ支援国家に矛先を向けて、そこに核攻撃を加えるかもしれない、と言い始めるのである。これはもう「論理の牛若丸」か詭弁の馬に乗るドンキホーテである。 そして、こうしたテロ支援国家に対して必要な核兵器の準備を進めており、破壊力も小さくするし、ミサイルの射程距離も短くする、と説明した後、 「このようにわれわれの核抑止主義はその原理において変化はないのですが、この主義を表現する様相は徐々に発展し、発展しつつけ、われわれが21世紀の文脈の中でそれを語ることができるようになります。」 極めて、特徴的なことは論理の牛若丸を演じながら、結局は常に「核抑止政策」に戻っていく、ことだ。 なぜ、これほど核抑止政策にこだわり続けるのか? そろそろ本音が出てくる。 「われわれの兵器廠を現在の状況で十分であるとして、そのまま維持していくと想像してみるのは、結局の所、いささか無責任と云うことになるかも知れません。」 つまり、核抑止策を維持する予算措置が本当に訴えたいことだったのである。 案の定、つぎにこう続いてくる。 「またその上、弾道ミサイルの脅威に対処するに当たり、ミサイル防御で十分と満足できる人はどこにもいないでしょう。いかに高度に洗練されたシステムといえども100%効果的な防御システムなどはどこにもないのです。」 「我が国の安全と独立には相当の代償がともなっています。40年前、時の防衛相は予算の50%を核軍備に宛てました。この割合はその後徐々に減っていき2008年には18%にしか過ぎなくなると予想されています。今日、「規制ある充足」(Strict sufficiency)の精神の中で、われわれの核抑止政策は全防衛予算の中で、全体として云えば10%以下を占めるに至りました。核抑止に向けられる防衛予算は、先端技術に宛てられております。すなわち基本的には我が国の科学的、技術的、産業研究分野に対するかなりの支援を実現しています。 防衛努力全体の10%は、我が国に対して信頼性のあるまた継続的な安全を保証するのに十分にして適切な値段ということができましょう。この件に関して疑問を提起するのは、極めて無責任だと言う点を強調しておきます。」 要は、核抑止政策維持に軍事予算の10%を割り当てておくのでそれを維持しろよ、と言うことだ。 核軍備をしたい、という勢力はフランスの中にもある。その勢力の神託を伝える、政治的神官シラクの面目躍如と云ったところだ。 シラク演説は、次の言葉で締めくくられている。 「核抑止力は継続していますし、明日も継続するでしょう。そしてわれわれの安全にとっては、究極の保証人なのです。」 この言葉に対しては再び、フランク・レポートの次ぎの言葉をもって対抗しよう。 「世界の政治的機構だけが、このような保護装置を招来することができる。・・・国際紛争を不可能とするような強制力をもった国際的権威が存在しない中、世界の諸国は、完全な相互破壊に導くに違いない道から逸れて、ある特定の国際的合意を達成することによって核装備競争を遮る道がまだ残されている。」 (以下次回) |
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